上 下
6 / 123
第一章 出逢い

6.婚礼(一)

しおりを挟む
日が落ちて刻限がきた。

白無垢の婚礼衣装に身を包んだ私を見て、槙野は何度も袖で目元を押し拭った。

「姫さま…お美しゅうございます……まことにお美しい……」
言うなり言葉を詰まらせてしまった槙野を見て、私の目にも涙が浮んできた。
その途端。
「お化粧が落ちまする!お泣きになるのは婚礼が終わってから後になさいませ!!」
と、叱りつけてきたのは、もういつもの槙野だったけれど。

婚礼は母屋の大広間で行われる。
まずは、父さまが正清さまと、舅になられる通清さまに挨拶にあがり、式場にご案内する。
主だったお客人が席につかれ、正清さまが屏風の前の主賓席に着座されるのを待って、私は槙野に手を引かれて広間に入っていった。

薄い白絹のうちぎを頭から被いているし、終始目線は下げて俯きがちにしているようにと槙野に厳しく言い聞かされているので、周囲の様子はほとんど見えないけれど。

広間に一歩、足を踏み入れた途端、ざわめきがピタリとやんだ気がして緊張してきた。
槙野に導かれて、婿君の隣りに着座する。

言われた通り、俯いているのでご様子は分からない。
もっとも、言われていなくても、とても顔など上げられなかっただろうけど。

白絹の被衣かつぎ越しにも、広間じゅうの視線が集まってくるのが分かる。

その後。
盃を交わす間も、客賓の方々がそれぞれ祝辞を述べられる間も、私はひたすら俯いて固まっていた。
やがて、儀式は終わり座は宴席にと変わった。

婿君の正清さまは、かわるがわる座にやってくるお客人がたの注がれるお酒を順々に盃に受けていらっしゃる。
花嫁である私は、座をまわってお酒を注いでまわることになっている。
この時も、槙野がかたわらに付き添って、次にお酌をする方を教えてくれる。
言われるままに移動して、会釈をし、お酒を注いでいく。
五、六人ばかりの方にお酌をした後、導かれるままに次の方の前に座り会釈をすると、頭上から聞き覚えのある声が降ってきた。

「これは何と可憐な花嫁だ。息子は果報者だのう!」
 義父上の通清さまのお声だった。そのお言葉に顔を赤らめるひまもなく。
「これでは、あと一晩が待てずに押し倒したくなるのも無理はない。のう。正清!!」
 広間じゅうに響き渡った大声に私は思わず酒器を取り落としそうになった。

「父上…。もうお酔いになっておられるのですか」
 上座から正清さまのお声がかけられる。
「なに、まだ舌を湿らせてもおらぬわ」
 義父上は、すっかり上機嫌であられるようだった。
 硬直状態の私を覗き込むようにして、
「長田殿の娘御は、評判の器量良しだという家中の噂を聞いてな。忠致どのがまだどこにもやりとうないと
 渋られるのを無理に願うてもらい受けたのだが、これは噂に違わぬ美しさじゃ。御曹司へのご奉公一筋で
 朴念仁のおまえでも、さすがに心が動いたであろう」
 そう仰ると、豪快に笑われた。
 正清さまは、小さくため息をつかれただけで何も仰らない。
 私は真っ赤になってひたすら俯いていた。

「通清どの。いい加減になされよ。花嫁御寮が困っておられる」

 お客人の一人にたしなめられて
 義父上は笑いながら
「いや。かように美しい娘が出来たと思うたら嬉しゅうて。つい冗談が過ぎてしまったわ。許されよ」
 と明るく仰った。

 私はお酌の続きに戻ったが、赤くほてった頬はおさまらないままだった。

 やがて宴も果てた。

 招待客の方々もそれぞれ引き上げられて、今私は一人きりで寝所で正清さまがいらっしゃるのを待っている。
(さすがに緊張する……)
 ただでさえドキドキする状況なのに、私の場合昨晩のこともあるから尚更である。
 母さまは、「大丈夫よ」と請け合って下さっていたけれど、そしてその時は私もそんなような気になっていたのだけれど、よくよく考えてみれば大丈夫なわけがない気がする。
 新婚早々、お叱りを受ける覚悟はしておいた方がいいかもしれない。

 しばらくして、槙野に案内されて正清さまがお渡りになった。
 私はそれを教えられた通り、床に指をついてそれをお迎えする。
 お座りになられるのを待ってそろそろと顔を上げる。目は依然として伏せたままである。
「どうぞ、お休みあそばしませ」
 槙野が退がっていくと、室内には私と正清さまの二人だけが残された。静寂が訪れる。
(どうしよう…)
 二人きりになってみると、あらためて昨晩のとんでもない出来事の一部始終が思い出されて変な汗が滲んでくる。
 お詫びを申し上げた方がいいとは思うのだけれどこの場合、婿君より先に口を開いたりしてもいいものかしら。それともあちらから何か仰るまで待っていた方がいいかしら。

迷いながら、じっと俯いていると
「お疲れであろう」
 正清さまが口を開かれた。
 昨晩のあの騒ぎを別にすれば夫となる方からかけられたはじめての言葉だった。

「あ、いえ…」
 蚊の鳴くような声で答えると正清さまがふっと笑われる気配がした。
「昨晩は遅かったであろうし、今朝は早かったのだろう。そろそろ眠くなってきたのではないか?」
 私は慌ててその場に 平伏した。

「さ、昨晩は、まことに……まことに失礼を致しましたっ!」
「俺の方こそ、怖がらせてしまったな。怪我などはしておられぬか?」
「は、はい。それはもう、おかげさまで…」

 自分でも何を言っているのかよく分からない。
 ただ、頬がかあっと熱くなり赤くなっているのが自分でも分かる。

「先刻は父が失礼した。悪気はないのだが、冗談が好きな人で酒が入ると、それが少々度を越すことがある。許されよ」
「そんな…許すなどと…」

 もう一度、手をついて深々と頭を下げると
「佳穂どの」
 正清さまのお声とともにお手が肩に触れた。反射的にびくっと体が震える。
「顔を、上げられよ」

 おずおずと顔を上げると、伸ばされたお手の指先がそっと頬に触れた。
「やっと顔が見えた」
 そう言われると、正清さまは小さく笑われた。
「そういうものだとは申せ、婚礼を挙げるまで互いに顔も知らないというのはよう考えたら妙なものだな」
「は、はい…」

 顔は上げたものの、とても目は合わせられず視線は床の方に落としたままの私に対して、正清さまの方ではじっと私の顔をご覧になっていられるようで頬がよりいっそう熱くなってくる。
 深窓のお姫様育ちというわけではないけれど、それでも身内以外の男性からこんな風にまじまじと顔を見られたことなどなくてどんな顔をしていればいいのか分からない。

 恥ずかしさにたえかねて、うつむきかけた時。ふいに両肩にお手がかかった。
 そのまま、引き寄せられて気がついたら腕のなかに抱きすくめられていた。
 分かっていたこととはいえ、まさかいきなりそう来るとは思っていなくてとっさに身を引きかけるのを やや強い力で引き寄せられてお膝の上に抱き上げられる。

「昨夜は夜露に濡れて風邪をひいたりしなかったか」
 大丈夫です、とお答えしようと思うのだけれど声が出ない。私は黙ってこくこくと頷いた。

「佳穂」
 正清さまが私の名を呼んだ。
「疲れたであろう。……今宵はもう休もう」
 低い声音でそう言われて、髪や背を優しく撫でられる。

 私はもう頷くことさえ出来ずにただ、じっと身を固くしていた。
 背中にまわった腕に力がこもり強く抱きしめられる。
 鼓動が一気に騒がしくなって正清さまに聞こえてしまいそうだ。

「ただ、すべて婿君におまかせしてじっとしていらっしゃいませ。くれぐれも、お騒ぎになったりなさいませぬように」
 槙野に繰り返し言われた言葉が頭のなかでこだまする。
 私はぎゅっと目を閉じて、抱きしめられるまま正清さまのお胸に顔を埋めた。
 灯がかき消された。

しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

陸のくじら侍 -元禄の竜-

陸 理明
歴史・時代
元禄時代、江戸に「くじら侍」と呼ばれた男がいた。かつて武士であるにも関わらず鯨漁に没頭し、そして誰も知らない理由で江戸に流れてきた赤銅色の大男――権藤伊佐馬という。海の巨獣との命を削る凄絶な戦いの果てに会得した正確無比な投げ銛術と、苛烈なまでの剛剣の使い手でもある伊佐馬は、南町奉行所の戦闘狂の美貌の同心・青碕伯之進とともに江戸の悪を討ちつつ、日がな一日ずっと釣りをして生きていくだけの暮らしを続けていた…… 

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

【完結】お飾りの妻からの挑戦状

おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。 「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」 しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ…… ◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています ◇全18話で完結予定

後宮の棘

香月みまり
キャラ文芸
蔑ろにされ婚期をのがした25歳皇女がついに輿入り!相手は敵国の禁軍将軍。冷めた姫vs堅物男のチグハグな夫婦は帝国内の騒乱に巻き込まれていく。 ☆完結しました☆ スピンオフ「孤児が皇后陛下と呼ばれるまで」の進捗と合わせて番外編を不定期に公開していきます。 第13回ファンタジー大賞特別賞受賞! ありがとうございました!!

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

処理中です...