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第一章 出逢い
2.婚礼支度
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後日。
訪ねてきた従兄の致高(むねたか)さまは、それを聞くとひどく憤慨した。
「なんだ、それ。佳穂はそれでいいのか?」
「いいも悪いも、もうお父様がお決めになった事ですもの。文句を言ったところでどうしようもないわ」
婚礼は秋になるとの事だった。
母様が縁談を口にしたあの日以来、槙野をはじめとした侍女たちは婚礼の支度を始めていて、館の内はどことなく浮き立つような空気に包まれている。
実のところ、いまだに自分が結婚をするという事についてあまり現実感がないのだけれど。
それでも、母様や槙野と一緒に新しい着物の柄や、調度品を見立てるのは楽しかった。
「呆れた子供だ。こんな5つ6つの童女と変わらないような娘をはやばやと嫁にやろうとは、伯父上も無茶をなさる」
致高さまは、私より3つ年上で今年で17になられる。
致高さまの母上は父さまの妹君なので、幼い頃から当家に親しく出入りしている。
実の兄姉とは年齢が離れている末子の私にとっては、本当の兄さまのような人だった。
一昨年に元服を済ませてからは、それまでのように四六時中、入り浸るようなことはなくなったけれど、それでも折に触れてこうして訪ねてきてくれる。
春は桜を見に連れ出してくれるし、秋になれば紅葉狩りに誘ってくれる。
夏には川遊びに連れて行ってくれたりもするので、致高さまの訪れは普段ならとても心弾むことなのだけれど、今日は座につかれてからもう半刻ほどずっと、お説教じみた繰言が続いていた。
「いくら伯父上がお決めになられた事と言っても、実際にその男と添うのはおまえなんだぞ。そんなに簡単に了承してもいいのかよ。相手がどんな男だとか、ちゃんと聞いたのか?」
「ええ。武芸に秀で、忠誠心厚く、眉目秀麗、主家の御覚えもめでたい三国一の婿君、だそうよ」
「なんだ、そのお題目みたいなのは」
「槙野や侍女たちが毎日、何かっていうとそう言うんですもの。覚えちゃった」
「刷り込みじゃないかよ」
致高さまは、吐きき捨てるように言った。
「だいたいな、そんなに完璧な三国一の婿君とやらが、なんで25やそこいらまで独り身なんだよ。おかしくないか?」
「さぁ。何かご事情があるんだそうよ。何だったかは聞いたけど忘れちゃった」
「おまえはなぁ 」
致高さまはがっくりとうなだれた。
「そんなに心配なさらないで。このお話は父様がお決めになられたのだもの。そんなに悪いことになるはずはないわ」
私はのんびりと請け合った。
父様にとって私は遅くに出来た1人娘だった。
愛されている、という自信があった。
父様が私が不幸せになるような、私を悲しませるような相手を選ぶはずがない、という確信があった。
「それに、正清さまは当分は京と東国を行ったり来たりのお暮らしになりそうなので、結婚してもしばらくはここの家に住んで、お越しになるのを待てば良いのですって」
「え、そうなのか?」
「ええ。やがてそれも落ち着いたら鎌田のお屋敷に移ることになるんでしょうけど、当面は今のまま、この野間にいても良いそうよ」
それも私が今回の縁談を、そう悪くないと思っている理由の一つだった。
それでも致高さまは、まだ言い足りないといった風で言葉を探しあぐねているようだったけど、そこへ槙野が入ってきたので、それ以上は何も言わなかった。
「まぁまぁ。致高さま。お構いも致しませず申し訳ありません。姫さまのご婚儀の準備で館じゅうが何かとザワザワしておりまして」
「いや、別に 」
口ごもる致高さまに、軽く会釈をして槙野は私に向き直った。
「姫さま。先日、染めに出させた絹が仕上がって参りましたの。光沢が見事な仕上がりでしたので、小袿に仕立てようと思うのですがよろしゅうございましたでしょうか?」
「あら、本当?見たいわ」
自然と声が弾む。
「では、こちらにお持ちいたしましょうね。あと何点か出入りの反物屋が持ち込んだ布がございますの。ついでに、ちょっとした折のお着物を何枚か仕立てたいと思いますので、そのお見立てを」
婚礼のお支度のなかでも、着物の色や柄を選ぶのは、一番楽しくて、心弾む事だった。
侍女たちによって、ざわざわと沢山の着物や反物が運ばれてくる。
致高さまはそれを苦虫を噛み潰したような表情で見ている。
「まぁ、綺麗」
私は、染めあがってきたという朽葉色の萩の模様の入った反物を手にとった。
それを肩に当ててみて、致高さまを振りかえる。
「どう?似合いますかしら?」
「……全然、似合わない」
放り出すように呟くと、致高さまはそのまま立ち上がり、ろくに挨拶もしないで出ていってしまった。
「なぁに、失礼しちゃう」
頬をふくらませる私に、楓がクスクス笑って言った。
「致高さまは拗ねておいでなのですよ。可愛がっておられた妹君をお婿さまにとられてしまうような気がして」
「……そうかしら?」
楓は、槙野の娘で私には乳姉妹にあたる子だ。
子供の頃から、致高さまと3人で本当の兄妹のように親しく育った。
控えめでしとやかで、優しくて。
致高さまに言わせると、私などよりずっとお姫様らしい娘、なのだそうだ。
「本当にねぇ。致高さまもそろそろ、ご内室をお貰いにならなければ 。北の方さまにご進言しておこうかしら」
反物を幾枚も床の上に広げてみせながら、槙野がぶつぶつと呟く。
「槙野ったら。私の縁談が決まったからって、誰も彼もが早々と結婚しなければならないものでもないでしょう。余計なお世話というものよ」
けれど、槙野は妙に考え深げな顔をして、
「いいえ。やはり殿方も女も早くに身を固めて落ち着いた方がよろしいのですわ。いらざる面倒を招かずにすみます。特に姫さまがご婚儀のあとも、こちらのお館におとどまりになるとなれば尚更のこと……」
と、後半は独り言のように呟いた。
それを訝しく思いながらも、私は次々と目の前に広げられる、色とりどりの布を前にして、すぐにそちらに夢中になってしまった。
訪ねてきた従兄の致高(むねたか)さまは、それを聞くとひどく憤慨した。
「なんだ、それ。佳穂はそれでいいのか?」
「いいも悪いも、もうお父様がお決めになった事ですもの。文句を言ったところでどうしようもないわ」
婚礼は秋になるとの事だった。
母様が縁談を口にしたあの日以来、槙野をはじめとした侍女たちは婚礼の支度を始めていて、館の内はどことなく浮き立つような空気に包まれている。
実のところ、いまだに自分が結婚をするという事についてあまり現実感がないのだけれど。
それでも、母様や槙野と一緒に新しい着物の柄や、調度品を見立てるのは楽しかった。
「呆れた子供だ。こんな5つ6つの童女と変わらないような娘をはやばやと嫁にやろうとは、伯父上も無茶をなさる」
致高さまは、私より3つ年上で今年で17になられる。
致高さまの母上は父さまの妹君なので、幼い頃から当家に親しく出入りしている。
実の兄姉とは年齢が離れている末子の私にとっては、本当の兄さまのような人だった。
一昨年に元服を済ませてからは、それまでのように四六時中、入り浸るようなことはなくなったけれど、それでも折に触れてこうして訪ねてきてくれる。
春は桜を見に連れ出してくれるし、秋になれば紅葉狩りに誘ってくれる。
夏には川遊びに連れて行ってくれたりもするので、致高さまの訪れは普段ならとても心弾むことなのだけれど、今日は座につかれてからもう半刻ほどずっと、お説教じみた繰言が続いていた。
「いくら伯父上がお決めになられた事と言っても、実際にその男と添うのはおまえなんだぞ。そんなに簡単に了承してもいいのかよ。相手がどんな男だとか、ちゃんと聞いたのか?」
「ええ。武芸に秀で、忠誠心厚く、眉目秀麗、主家の御覚えもめでたい三国一の婿君、だそうよ」
「なんだ、そのお題目みたいなのは」
「槙野や侍女たちが毎日、何かっていうとそう言うんですもの。覚えちゃった」
「刷り込みじゃないかよ」
致高さまは、吐きき捨てるように言った。
「だいたいな、そんなに完璧な三国一の婿君とやらが、なんで25やそこいらまで独り身なんだよ。おかしくないか?」
「さぁ。何かご事情があるんだそうよ。何だったかは聞いたけど忘れちゃった」
「おまえはなぁ 」
致高さまはがっくりとうなだれた。
「そんなに心配なさらないで。このお話は父様がお決めになられたのだもの。そんなに悪いことになるはずはないわ」
私はのんびりと請け合った。
父様にとって私は遅くに出来た1人娘だった。
愛されている、という自信があった。
父様が私が不幸せになるような、私を悲しませるような相手を選ぶはずがない、という確信があった。
「それに、正清さまは当分は京と東国を行ったり来たりのお暮らしになりそうなので、結婚してもしばらくはここの家に住んで、お越しになるのを待てば良いのですって」
「え、そうなのか?」
「ええ。やがてそれも落ち着いたら鎌田のお屋敷に移ることになるんでしょうけど、当面は今のまま、この野間にいても良いそうよ」
それも私が今回の縁談を、そう悪くないと思っている理由の一つだった。
それでも致高さまは、まだ言い足りないといった風で言葉を探しあぐねているようだったけど、そこへ槙野が入ってきたので、それ以上は何も言わなかった。
「まぁまぁ。致高さま。お構いも致しませず申し訳ありません。姫さまのご婚儀の準備で館じゅうが何かとザワザワしておりまして」
「いや、別に 」
口ごもる致高さまに、軽く会釈をして槙野は私に向き直った。
「姫さま。先日、染めに出させた絹が仕上がって参りましたの。光沢が見事な仕上がりでしたので、小袿に仕立てようと思うのですがよろしゅうございましたでしょうか?」
「あら、本当?見たいわ」
自然と声が弾む。
「では、こちらにお持ちいたしましょうね。あと何点か出入りの反物屋が持ち込んだ布がございますの。ついでに、ちょっとした折のお着物を何枚か仕立てたいと思いますので、そのお見立てを」
婚礼のお支度のなかでも、着物の色や柄を選ぶのは、一番楽しくて、心弾む事だった。
侍女たちによって、ざわざわと沢山の着物や反物が運ばれてくる。
致高さまはそれを苦虫を噛み潰したような表情で見ている。
「まぁ、綺麗」
私は、染めあがってきたという朽葉色の萩の模様の入った反物を手にとった。
それを肩に当ててみて、致高さまを振りかえる。
「どう?似合いますかしら?」
「……全然、似合わない」
放り出すように呟くと、致高さまはそのまま立ち上がり、ろくに挨拶もしないで出ていってしまった。
「なぁに、失礼しちゃう」
頬をふくらませる私に、楓がクスクス笑って言った。
「致高さまは拗ねておいでなのですよ。可愛がっておられた妹君をお婿さまにとられてしまうような気がして」
「……そうかしら?」
楓は、槙野の娘で私には乳姉妹にあたる子だ。
子供の頃から、致高さまと3人で本当の兄妹のように親しく育った。
控えめでしとやかで、優しくて。
致高さまに言わせると、私などよりずっとお姫様らしい娘、なのだそうだ。
「本当にねぇ。致高さまもそろそろ、ご内室をお貰いにならなければ 。北の方さまにご進言しておこうかしら」
反物を幾枚も床の上に広げてみせながら、槙野がぶつぶつと呟く。
「槙野ったら。私の縁談が決まったからって、誰も彼もが早々と結婚しなければならないものでもないでしょう。余計なお世話というものよ」
けれど、槙野は妙に考え深げな顔をして、
「いいえ。やはり殿方も女も早くに身を固めて落ち着いた方がよろしいのですわ。いらざる面倒を招かずにすみます。特に姫さまがご婚儀のあとも、こちらのお館におとどまりになるとなれば尚更のこと……」
と、後半は独り言のように呟いた。
それを訝しく思いながらも、私は次々と目の前に広げられる、色とりどりの布を前にして、すぐにそちらに夢中になってしまった。
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