美味しい珈琲と魔法の蝶

石原こま

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[外伝]リドルの美味しい珈琲

4.リドルと魔具技師

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「あなたじゃなきゃダメなのよ!!」



 そう言って、リドル様に縋り付く女性の姿を見た時、私は動揺を隠せなかった。

 買ってきたばかりのワインの瓶が割れる音が室内に響く。

 思わず、リドル様の顔を見つめて立ち尽くしてしまう。

 そのすぐ隣には、美しい黒髪に深い青色の瞳をした高貴な女性。

 クレア王女殿下に違いない。



 ああ、やはりそうなのか。

 リドル様は、遂に美味しいコーヒーを淹れてくれる方を見つけられたのだなと思った。



 ◇



「ああ!俺だって美味しいコーヒーが飲みたい!!」



 リドル様がそう天に向かって叫んだのは、もう一年以上前のことだ。



「なぜ…なぜ、こんなことを?だって、リドル様だってアメリアさんのことを。」



 辺境伯領との往復も同行し、超長距離口述筆記魔具の設置なども手伝っていた私は、余計な口出しだと分かっていたけれど、そう言わずにはいられなかった。

 けれど、リドル様はそんな私の問いかけに、



「だって、好きな子には幸せになってもらいたいだろ?だから、相手が俺じゃなくたっていいんだ。それにルバートは本当に・・・本当にいい奴だから、アメリアのことを絶対に幸せにしてくれるよ。」



 と呟いた。

 そして、私の方を振り返って、



「大丈夫。俺にも、すぐ特別美味しいコーヒーを淹れてくれる子が見つかるって!だって、俺、結構いい男だろ?」

 

 と言って、笑った。



 私だって、リドル様には幸せになって欲しいと思っていた。

 リドル様に特別美味しいコーヒーを飲んで欲しかった。

 けれど、それは私にはできないことだった。

 なぜなら、私は魔力が少ないから。

 この世に生きる全ての生き物には魔力があるが、その量には大きく差がある。

 コーヒーに魔法をかけられるほどの魔力は、普通は貴族の血でも引いていないと難しい。

 けれど、私はただの魔具技師の娘。

 そんな豊富な魔力などあるはずもない。

 だから、私の手で、美味しいコーヒーが淹れられるコーヒーメーカーを作りたかった。

 リドル様に、美味しい魔法のコーヒーを飲んで欲しかったのに。



 ◇



「これ、君が直したの?すごいね。もし良かったら、俺の会社で働かない?」



 リドル様が私の故郷の島を訪れ、そう言ってくれたあの日、私は自分の人生が大きく拓けたような気がした。



 父は、国内でも名の知られた魔具技師だった。

 超絶技巧で知られ、国内で唯一『特級』という称号を許されてた人だった。

 私は、幼い頃から、そんな父の作った様々な魔具を見て育った。

 体の大きな父のその無骨な指先が細かい部品を削り出し、そして組み立てていく様を見ているのは本当に楽しかった。

 ままごとや人形遊びをするより、父の仕事を一緒に手伝うのが好きで、父の工房は私の遊び場だった。

 幼い頃は、そんな父の仕事を継ぐと当たり前のように思っていたし、それが叶わないことだなんて気づきもしなかった。

 けれど、夢は簡単には叶わなかった。

 なぜなら、私は女に生まれてしまったからだ。



 魔具技師になるためには、中等学校を卒業後、専門の魔具技師養成学校に入学するのが普通だ。

 けれど、魔具技師養成学校に入学できるのは、男性のみと決まっていた。

 それでも夢を諦められず、どこかの魔具工房で働けないかと父の伝手を頼ったりしてみたものの、女は魔具技師に向いていないと門前払いされる日々。

 リドル様から新しい魔具開発の参考にしたいから、父の時計を見せてもらえないかと打診があったのは、ちょうどそんな時だった。

 チャンスだと思った。

 もし、ここで自分の腕を披露できれば、雇ってもらえるのではないかと思った。

 けれど、それでも女のままでは難しいと思った。

 幸いなことに、父親似の私は背が高く、痩せぎすで胸も目立たない。

 女にしては声も低くて、中等学校の文化祭の演劇では、いつも男役を務めており、友人たちからはその辺の男よりずっとカッコいいと言われていたのだった。

 だから、もしかしたら誤魔化せるのではないかと思った。

 母には反対されたが、このチャンスを逃したくなかった。

 リドル様を迎える朝、私は男物の服を着て、髪にハサミを入れた。

 父譲りだという亜麻色の髪は私の唯一の自慢だったが、それよりも夢を叶えたかった。

 私の計画は予想以上にうまくいき、リドル様は会社に来ないかと誘ってくださった。

 そうして私は、シンシアではなくシンと名乗ることに決め、王都行きの船に乗ったのだった。



 そんな私が再び髪を伸ばし始めたのは、一言で言えば、未練だったのだと思う。

 男として生きると決めたはずだったのに、女の自分を捨てきれなくなってしまったのだ。

 理由は分かっている。

 それは、私が抱いてしまったリドル様への特別な想いのせいだ。

 初めは、私の腕を認めてくれたことが嬉しかった。

 魔具技師学校すら出ていない私のことを馬鹿にすることもなく、私の腕を必要としてくれた。

 技術者として認めてもらえるだけでいいと思っていた。

 けれど、それはいつしか違う気持ちに変わっていった。

 その想いはすぐに叶わないのだと知ることになるのだが。。。



 口述筆記魔具の開発が落ち着いた頃、リドル様は突然コーヒーメーカーを作りたいと言い出した。

 リドル様がコーヒー好きなのは知っていたが、口述筆記魔具とは全く違う分野だったので、不思議に思ったのを覚えている。

 やがてそれは、一人の女性のためなのだと知った。

 リドル様がアメリアさんを研究室に連れてきた時のことは、忘れられない。

 大学の後輩だという、その優しそうな面差しの女性を目の前にしたリドル様は、明らかに浮かれていた。

 アメリアさんは実家が経営するコーヒー農園の助けになる技術や魔術などを学ぶために大学へ通っているのだということだった。

 この国で、大学まで進む女性は珍しい。

 平民だということだったが、祖先を辿れば、おそらく貴族の血が入っているのだろう。

 魔力が強いとのことで、立ち振る舞いにも品があった。

 男の格好をして、油にまみれた指先をした自分のことを急に恥ずかしく思った。

 髪を伸ばそうと思ったのは、その頃だったように思う。

 アメリアさんは第一印象の通り本当に優しい女性で、付き合いが長くなればなるほど、私なんかが敵う相手ではないと思うようになった。

 ちなみに、アメリアさんにはすぐに性別を知られてしまった。



「シンって、女の子よね?」



 コーヒーメーカーの開発のため、こちらの研究室に来ていたアメリアさんは、こっそり私に尋ねた。



「絶対に言わないでいただきたいんです。」



「でも、リドル様はシンが女の子だからって、今更、クビにしたりしないと思うわ。だって、こんなにシンのことを頼りにしてるんだもの。」



「それでも言わないで欲しいんです。リドル様にいらぬご迷惑をおかけしたくないんです。」



 私がそう言うと、アメリアさんは何故か悲しそうな顔をして「確かにそうね」と呟いた。

 聞けば、眠り姫病研究室の紅一点であるアメリアさんは、女性であることを理由に特別扱いを受けることも多く、思うように研究に参加させてもらえないこともあるのだという。

 それから、アメリアさんと私は年が近かったこともあり、すぐ仲良くなった。

 性別を偽って生活する私にとって、アメリアさんは唯一心を許せる存在でもあった。

 親しくなってきた時、アメリアさんがリドル様ではない方に想いを寄せていることを知った。

 眠り姫病研究室の主任研究員である公爵令息のルバート様だ。



「不相応な想いだってことはわかっているわ。でも、ルバート様が研究を続けられる限り、おそばにいられたらいいなと思って。」



 この国では高位貴族と平民の結婚は難しい。

 だから、アメリアさんの恋は叶わないだろうと思った。

 と同時に、いずれはリドル様の想いに気づき、アメリアさんはリドル様と結ばれるのだろうとも思った。

 

 けれど、アメリアさんは身分差を乗り越えて、ルバート様と結婚した。

 しかも、一度すれ違ってしまった二人を結びつけたのはリドル様だった。

 なんでそんな馬鹿なことをするんだろうと思ったこともあったが、リドル様の性格を考えれば、二人の気持ちを知りながら何もしないなんて、そんな卑怯なことはできなかったのだろう。

 そんなリドル様だからこそ、誰よりも幸せになって欲しいと思っていた。



 ◇



 だから、本当は喜ぶべきことなんだということは分かっている。

 けれど、素直にそう思えない自分がいた。

 最近、リドル様が頻繁にクレア王女に呼び出されていることは知っていた。

 今、会社の売上があまりよくないため、リドル様はクレア王女の魔力の安定に欠かせない霧発生装置の調整という仕事を引き受け、定期的に通っている。

 けれど、本来は週に一度程度でいいはずなのに、ここ最近は三日と空けずに呼び出されていたのだ。

 クレア王女は眠り姫病にかかったことで知られ、魔力の保有量は歴代最高と言われている方だ。

 その魔力量は本当に常人離れしているようで、うちの会社に置いてある普通の口述筆記魔具の魔動装置に直接魔力を送り込んで動かすという、製作者からすれば想定外の方法でリドル様を呼び出していた。

 こんなに頻繁に呼び出されるなんて、明らかに不自然だった。

 初めは、本当に霧発生装置の不具合なのだと思い、私が行った方がいいのではないかと言ったこともあったのだが、リドル様は頑なに私の同行を許さなかった。

 そのうち、街で囁かれている噂を耳にした。

 クレア王女は近々、女公爵になられるとのことで、私には貴族の常識は分からないのだが、女公爵位というのは身分の低い夫と結婚する時に与えられることが多い爵位なのだという。

 それを聞いた時、その相手はリドル様に違いないと思った。

 クレア王女ほどの方なら、リドル様に特別な魔法をかけたコーヒーを淹れるのは簡単なことだろう。

 もう、魔法のコーヒーメーカーの出番はない。



 ◇ 



「ご、、、ご来客だったのですね。申し訳ありません。手元が狂ってしまいまして。」



 我に返って、慌てて言葉を紡ぐ。

 明らかに不自然な行動を取ってしまい、どうしようかと焦る。

 とりあえず、割れたワインの瓶を片付けようとすると、クレア王女が私の方に向かって歩いてくるのが見えた。



「もしかして、貴方がリドルの亜麻色の従者なのね!」



 美しい瞳が、真っ直ぐ私を見つめている。

 初めはリドル様との時間を邪魔されたことを不快に感じているのかと思ったが、そうではないようだ。



「馬鹿馬鹿馬鹿、それ以上近づくな!シンに変なこと言ったら、お前、ほんっとに許さないからな!」



 リドル様が何故か、突然大声を上げた。

 相手は王女殿下だと言うのに、随分と親しげだ。



「いいじゃないの!ずっと会いたかったんだもの!」



 クレア王女は目の前まで来て、私の顔をマジマジと見つめてくる。

 そして、そのまま観察しているような目つきで、私の周りを一周した。



「あら?あなたって・・・。」



 そう呟いた後、足をとめ、もう一度私を見つめる。

 そして、何か深く考え込むような表情をして俯いた。

 何やらブツブツと一人言を言っている。

 

「ど、、、どうかされましたか?」



 私が思わずそう声をかけると、クレア王女は急に顔を輝かせて、



「そういうことなのね!言ってくれれば良かったのに!でも、大丈夫。今、いい解決策を思いついたわ!ありがとう、リドル!全部、私に任せて!」



 と言って、リドル様の方に一瞬振り返ったあと、再び勢いよく私に向き直った。

 そして、今度は私の両手をとって、ブンブンと振り回し、



「あなたも、ありがとう!!本当に感謝しているわ!」



 と言い残して、嵐のように去って行った。
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