美味しい珈琲と魔法の蝶

石原こま

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11.ゴルゴーンオオルリアゲハ(1)※ルバート

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 それは、ある日の夕方のことだった。

 その日は確か、高等部の試験期間中で、俺はアメリアが研究室に来ないと油断していた。
 休憩時間に、研究室の自室の奥に隠してあった、それを取り出し、観察していたときのことだった。

「それは、何ですか?」

 突然、後ろから声をかけられ、思わず箱を落としそうになる。

 まずい!と思い、隠そうとした時には既に遅く、アメリアは箱の中を覗き込んでいた。

「珍しい虫ですね?何かの幼虫でしょうか?」

 叫ぶか倒れるかするのではないかと身構えていたのだが、アメリアは全く動じず、むしろ身を乗り出して見ている。

「ご・・・ゴルゴーンオオルリアゲハの幼虫だ。お前、平気なのか?」

 ゴルゴーンオオルリアゲハの幼虫は、ソフィアがこの世の醜悪の極みと評するほどの奇怪な見た目をしている。
 以前、ソフィアの手伝いとして一時出入りしていたソフィアの友人は、これを見て卒倒したのだ。
 あの強心臓のソフィアでさえ、これを初めて見た時は顔を青くしてブルブル震えていたし、今も、絶対に見えるところに置かないでと言われている。

「平気?というのは、どういう意味ですか?何か毒でもあるのでしょうか?」

 アメリアは、この幼虫が特別な毒素でも吐き出しているのだと思ったようだった。

「いや、そういう意味じゃない。見た目が気持ち悪くないのか?という意味で言ったんだ。ちなみに、毒はあるが、直接触れなければ大丈夫だ。」

 俺がそう言うと、アメリアは少しほっとしたような表情を浮かべた。

「実家が農園を経営しておりまして、収穫時期には毎年手伝っておりました。なので、虫などは見慣れているんです。でも、これは見たことがありません。随分と大きいですが、どのような蝶になるのでしょうか。」

 気持ち悪いと言わないだけでなく、アメリアは虫に興味があるようだった。

「幼虫の時は、ちょっと・・・いや、かなり見た目が悪いんだが、成虫になると瑠璃色の美しい蝶になる。特に、サナギから蝶になるときが特別美しく、その時だけ発光する鱗粉を出すんだ。それが貴重な魔力を含んでいてだな・・・。」

 と話し始めて、ふと止まる。
 そういえば、ソフィアに虫のことになると夢中になって話しすぎるから、気をつけろとも言われていたことを思い出す。
 ソフィア曰く、虫の話を聞きたがる女子はいないとのことだった。

 だが、アメリアは違った。

「魔力を含む光る鱗粉ですか?どのような魔力なのでしょう。」

 胸が躍るような気がした。
 アメリアは怖がる様子もなく、ゴルゴーンオオルリアゲハの幼虫に見入っている。

 話してもいいんだよな?と思い、続きを話す。

「ゴルゴーンオオルリアゲハは、王都から南に下ったベレヌス領の森が主な生息域なのだが、そこには天敵となるケルベロスオオトカゲなども多い。だから、サナギから蝶になる一番無防備なその瞬間、ゴルゴーンオオルリアゲハは非常に強い幻覚作用のある鱗粉を出して、周囲にいる敵を動けなくするんだ。俺もまだ見たことはなく、本で読んだだけなのだが、ゴルゴーンオオルリアゲハは夏至の夜に一斉に羽化するから、その時、ベレヌスの森は神々しい光に包まれるらしい。」

 俺は饒舌に話し続けた。
 けれど、アメリアが嫌がっているような様子はなかった。

「その幻覚は人にも作用するのですか?」

 アメリアがこちらを見た。
 少し緑がかった茶色の瞳だった。

 そういえば、これまでアメリアの顔をこんなに近くで見たことがなかったなと気付く。
 これまで見たアメリアは、いつも下を向いて書いていることが多かったからだ。
 こんな瞳の色だったんだなと思い、妙な胸騒ぎがしたことを覚えている。

「ああ、人にも作用する。多くの鱗粉を浴びれば、酒に酔ったような状態になる。一匹くらいでは何も問題はないが、何万匹もの蝶が一斉に羽化するベレヌスの森では、幻覚を見て暴れるものもいることから、ベレヌス領ではその時期、騎士団が森を囲んで、侵入禁止にするらしいぞ。」

 と続けると、アメリアはさらに驚いた顔をする。

「それは知りませんでした。この幼虫は、いつ頃羽化しますか?」

 暦を見て、夏至の日を確認する。

「夏至は再来週だな。」

 そう言うと、アメリアは信じられないことを言い出した。

「私も一緒に観察することはできますか?」

 驚いて、アメリアを見る。
 思ったより近くで見つめ合うことになってしまったことに気づき、気まずくなる。

「あー、俺はいいのだが、いくら研究の一環とはいえ、保護者なしで女子生徒を夜に連れ出すことはさすがに難しいかもしれんな。」

 俺がそう答えると、アメリアはガッカリした顔をした。
 もしアメリアが犬なら、その耳としっぽが垂れていただろう。

「そうですよね…。」

 普段、あまり表情に出さないアメリアが心底残念そうにしている姿に、なんとかできないかと思案していた時、俺はこれまでずっと断って来た高等部からの依頼を思い出した。

「あー、あれだな。高等部の生徒全員に声をかけてみるか。ちょっとリドルに聞いてみよう。」

 俺がそう言うと、「はい!」と弾んだ声で、アメリアが微笑んだ。
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