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第八部 三章「真実と痛みの理由」

「痛みの理由を教えて:中編」

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 ――ボクは……どうすればいいのかな……?

 イロハは、思い、考えた。
 考える事は苦手だ。物事は知らない事が多く、正しいモノは教えられた事だけ。
 魔女はイロハを肯定し続けてきた。
 出会ってから、自分のいた場所を壊す事すら……。当然の判断であり、正しい行いだと。彼女は否定などなしなかった。
 イロハは否定される事を、彼女から離れて経験した。
 否定される事は、嫌な気分もした。自分が間違っていると言われ、わからなくなった。
 それでも…………

「……先輩は、そこから抜け出したいの……?」

 ふと、そう目の前の魔銃使いに問いかける。
 その様に、フレズベルグは唖然として目を丸めた。
 
『……イロハ?』

 何度目かの息切れか。イロハの問いに、クロトは再び目を向ける。
 膝を抱えていたイロハは身を立たせ、クロトを見下ろしながら銃口を向けた。
 その魔銃の中に【不死殺しの弾】がある可能性は十分にある。
 動けない今、放たれれば確実に当たる事だろう。
 ゴクリと喉を鳴らし、クロトは問いに対して睨みながら応答。

「……だったら、なんだよ?」

「ボクは……先輩に聞きたい……かも? 先輩は……ボクの言う事に……答えてくれる?」

「……」

「ボクはわからないから。……先輩に聞きたい。答えてくれたら、……それ、はずしてあげてもいいよ」

 イロハの役目は、此処でクロトを見張る事だ。その役目を放棄するかの如くある。
 その意図などクロトにはわかるはずもない。最悪、答えしだいで銃を撃つ可能性も有り得る。
 ……だが、逆に答えなければこの拘束がはずれる事もない。
 間を開けてから、クロトは決断する。

「言ってみろよ」

 イロハの質問。イロハがクロトに問いたいもの。
 魔女と再会。そこから今までイロハはとてもらしくない様子でいる。
 ただの楽観的で、頭が悪く、間の抜けた子供。鬱陶しいほどの、気楽な表情を長く見ていない気がした。
 その答えが、これから問われる質問の中にあるのだろうと、なんとなく思えた。

「先輩。ボクがフレズベルグに願ったもの……覚えてる?」

 イロハの【願い】。自身に与えられる【痛み】の消去。すなわち痛覚の遮断だ。
 イロハにとって最も体に刻まれた恐怖。イロハにとってのトラウマともいえる。
 【願い】からイロハはあらゆる【痛み】を感じない不死へと変化した。
 もはや常識かの様な答えに、簡単にクロトは頷く。

「それがどうした……? 今更」

 そう、今更でしかない。
 何故そのような話をこの場で持ち出すのか。

「ボクはね、【痛い】のが嫌いだ。【痛み】がなければ、苦しくない。だから、ボクはフレズベルグに願ったんだ。……こんな【痛み】、いらないって。…………でも、ね」

 イロハは、自分の胸に手を当て撫でる。
 そして、どこか苦しそうに衣服を掴み、震えた声で呟く。



「…………【痛い】んだ…………」


 
 零れた涙の様な、辛く苦しいと訴える、たった一言。
 それが、クロトやニーズヘッグ、そしてフレズベルグにとって、どれだけ有り得ないと思える光景だったか。
 あのイロハが。【痛み】を感じないはずのイロハが、この時初めて口にした。
 ――【痛い】、と。

「【痛い】んだよ……っ。ここが……すごく………………【痛い】」

 胸の【痛み】を訴え、イロハの足元に、ぽたり、ぽたりと涙の雫が落ちる。
 イロハは訴える。【痛み】を言葉にして。

「なんで……? ボクは、もう【痛い】なんて事、ないはずなのに……っ。わかんない……、わかんないよっ」

 ついにイロハは立つ事すらままならず、膝をついて泣き崩れた。
 何もわからないまま、わからない【痛み】に襲われて……。

「助けてよ……っ。【痛い】……よっ。なんで、【痛い】のさ……。教えてよ、先輩っ。…………怖い。【痛い】のは……怖い……。やだよぉ……、こんなの…………っ」

 胸を押さえながら、襲い掛かる恐怖に助けを求める。
 【痛み】が怖くて、恐ろしくて。どうしようもなく、ただ助けを求め続けた。
 イロハに何故【痛み】が蘇ったのか。契約は未だ継続している。破棄されたわけでもないというのに、痛覚が蘇るなどあるはずがない。
 なら、イロハの感じる【痛み】とは、いったいなんなのか。
 
 濡れそうな翡翠の瞳が、ゆっくりと伏せられる……。





 しとしと……。雨が降る。
 冷たく、寂しさと怯えた様な雨粒は、暗闇に潜むフレズベルグを濡らした。
 その雨粒を、過去にも似たものを感じた事があった。
 
 それは、雨の中で濡れたを見つけた日だった。

 曖昧な意識。彩りもない深淵の暗闇で、長く眠っていた意識がこの時蘇る。
 何も見えない暗闇でも、しとしと、と雨が降っている感覚はあった。
 重く見えない鎖を纏わせ、重みに状況が整理されていく。

 ――そうか。私はあの魔女に負けたのだったな。これが、負けた敗者の末路か……。

 果てのない牢獄に戒めとなる枷。自由を奪われた鳥は、この状況を受け入れるしかなかった。
 そんな、何処かもわからない世界で、フレズベルグは導かれる様に誘われる。
 雨と共に響く声に引かれ、見つけたのは人間の少年ことりだった。
 
『……【痛い】。…………こんなの、【痛い】だけだよ』

 かすれた、泣き声混じりの子供の声。
 【痛み】に恐れ、悲しみ泣く子供。その少年をと思ったのは、その背に翼を宿していたからだ。
 自分にない黒に染まった、澱みのない漆黒の翼。自身の白は違い、その真逆である翼も目を奪うほどの美しさがあった。

 ――何故、その様に【痛み】を感じている?

 少年は【痛み】の原因である翼に恐怖していた。
 背は酷く痛々しい傷跡があり、無理にその翼を体に宿している。
 フレズベルグは鎖を重々しく引きずらせながら、少年の翼に触れる。
 翼に刻み込まれたのは【痛み】の恐怖と、それから逃れたいという、純粋で自由を求めた儚い【願い】だ。
 フレズベルグは知る。自分の与えられた役目を。
 拒否権のない【願い】を叶えるという役目を。
 【願い】はただ一つ。――【痛み】の拒絶。
 
 ――例え強制であったとしても、私はお前の【願い】を叶えよう……、哀れな黒翼の子供よ。

 自分から進んで、フレズベルグは【願い】を聞き届ける。

 どうかその美しき翼を怖がらないおくれ。
 その翼はお前の心が生み出したものなのだから。
 【痛み】で翼を恐れるなら、泣かなくて済むのなら、その【痛み】を私が消そう。
 
 ――だから、どうか泣かないでおくれ……。

 




 ――どうか。この哀れな翼を救ってくれ……。

 再び【痛み】に苦しむ者がいる。
 雨は止まず、このままではこの空間そのものが壊れてしまいそうだ。
 【痛い】のだろう。苦しいのだろう。恐ろしいのだろう。自分が理解できない【痛み】ほど、恐ろしいものはないだろう。
 なら、どう言葉にすれば良いのか、フレズベルグは何度も考えた。
 イロハには二つの道がある。

 このままクロトを縛り、魔女のために貢献する。
 クロトを解放し、魔女に仇名す裏切者になる。

 前者をフレズベルグは選んでしまう。それはイロハのためでもあった。
 イロハは魔女を恩人として慕っており、彼女のためにあろうとする意を組んでのこと。これまで魔女の役目に従ってきたのも、それがあっての事だ。
 残念だがこのまま苦しみに耐え、魔女のためにある道。
 後者を選ぶという事をしないのは、相手が魔女だからというものが大きな問題となっている。
 大悪魔すら足元に及ばない魔女に、魔銃使いとはいえ二人の人間が挑むには不利がある。
 なら、このまま何も知らずに事が終わる方がマシとすら考えれた。
 だが、同時に願ってしまった。
 自分で救えない愚かで哀れな存在を、どうか救ってほしいと……。
 
 その時、自分では選べなかった道筋が見えた。






「……お前、本当はどう思ってんだよ?」

 泣き崩れるイロハに、クロトは問いかける。
 
「……?」

 問いの意味がわからなかったのか。再度クロトは問う。

「どう思ってんだよ? 今のこの状況を……、あの魔女がしようとしている事を、お前はどう思ってんだよ!」

 強く問われ、頭が混乱する。
 自分の思い? ……わからない。
 この状況? ……わからない。
 魔女のしようとしている事? …………わからない。

「そんなの……わかんないっ。――わかんないよ!!」

 泣き、叫ぶ。
 問いの全てがわからない。
 そして、

「自分の事なんて、わかんない。……教えて、もらってないからっ。自分の事なんて、誰も……マスターも教えてくれなかった……!」

 声を出す度に胸の奥が軋む様に【痛み】を帯びる。
 もはや訳のわからない自分ですら怖くあった。
 そんな自分という存在を知るという事にすら触れられずにいる。
 
「自分の事なんて、誰かから教えてもらうもんじゃねーだろうが!!」

「……っ!?」

「お前の思ってる事とか、気持ちなんてのは、お前が一番わかってる事だろうが!!」

 知らない事が多いから、教えてもらわないとわからない。
 教えてもらわないと、できない。
 クロトの声が強く胸を打ち、奥が更に【痛む】。
 
「正直に言ってみろ! お前が今思っている事を! ――思ってる事全部、言葉にして言いやがれ!!!」
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