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第四部 一章 「その名は無色」

「無色」

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 ――最悪だ……っ。

 ニーズヘッグは堪えきれない事態に、とうとう頭を抱えてしまった。
 そうさせたのは、自身が脆弱と決めつけた人間だ。

 ――なんなんだよコイツ!? ……ヤバい。こんな事が世に知られれば俺の立場が危うい! 俺一応、不本意だがあの四の王ドラゴニカに属してんだぞ!? ふざけんなよっ。この炎蛇である俺が……よりにもよって人間なんかにこんな……っ。

 恥をかかされた。人間に。それも女に。
 幸いなのは火精霊サラマンディーを先に追い払っておいた事と、この事を誰にも見られていない事だ。
 それは確かなのだが、ニーズヘッグには見られた前提の思考で焦ってしまう。

 ――ホントにやめろ! フレズベルグが知ったら俺自殺したくなる! そんな心底呆れた顔で「愚か者」言うなぁ! 俺半世紀くらい泣いてやるからな!?

 ……と。心の中で騒ぎ立て終わったニーズヘッグ。
 次に、いつまでもその動揺した様子を眺めていた人間を睨み付ける。

「お前なんだよ! 自分の命くらい大事にしろよ!!」

 これは説教だ。
 世に誕生して数百年。ニーズヘッグですら命は惜しい。
 悪魔や魔族であっても、人間よりも長命にして丈夫な造りになっていようと。その命は一つしかない。
 死は生きる者として恐怖対象だ。
 それをこの人間は平然と手放せる事が容易くある様子。
 
「……だって。私、死ぬのべつに怖くないし。誰も悲しまないもの」

 再度。ハッキリと彼女は言い、意思を曲げようとしない。
 当たり前と。非常識な事を口にした。
 
「――何が、怖くないだ!」

 恥をかかせ。その上悪魔の前で宣言。
 理に反するのは人間。
 説教すらものともしないたたずまいに、さすがの炎蛇も怒りが湧き上がる。
 ……同時に。理解できない生命に、若干の恐怖すらあった。
 炎蛇の皮衣は揺らぐと形を刃に変える。瞬時に刃先は女性の首元にへと突きつけた。

 ――さあ、恐怖しろよっ。その透かした面剥いで、さっきのは嘘だと泣いて許しを請えよ!

 内に揺らぐ不安を取り除きたかった。
 この異常な者が偽りであるという事実がほしかった。
 全ては騙されただけだと。無様であったがそれでもいいと……。

 ……しかし。その願いは彼女に届くことはない。

 目を丸くした女性は恐れる事はない。
 むしろ、澄んだ空色の瞳を輝かせニーズヘッグを見上げる。

「すっごーい! その綺麗な羽衣、こんな事もできるんだぁ!」

「……なっ!?」

 炎蛇の皮衣に興味津々。ついにはその刃にすら触れようとする。
 
「あっ、アホか!! マジで切れたらどうすんだよ!? 危ねぇだろうが!!」

 本気で彼女を傷つけるつもりのなかったニーズヘッグは、即座に羽衣を引っ込める。
 
「あ……。えぇ~、触らせてくれないのぉ?」

「なんでそうなるんだよ!」
 
 別の意味で、ニーズヘッグはその人間の事が怖くなった。 
 自分が予想したことを尽く裏切る人間。
 逆に興味しかない女性はまだ羽衣を触ろうと詰め寄り、手を伸ばしてくる。

「いいじゃーん。減るもんじゃないし~」

「やめろ! 気安く俺の相棒に触んな!! 何する気だよ!?」

「ちょっとだけぇ」

「なんなんだよ、お前! いったいなんなんだよ!?」

「私? 私は――

「ちげーよ!! 誰もお前の名前なんか聞いてねーっつーの!! 俺が言いたいのは――」

 自分の名前を聞かれたのかと、女性は名乗る。
 その名は――クリア。
 クリアはニーズヘッグにへと更に詰め寄り、

「――キミの名前は?」

 と。期待した眼差しを向けてくる。
 待ち遠しそうに目すら離さない。
 ……その時。ニーズヘッグの中で何かが折れた音がした。

「……二、…………ニーズヘッグ」

 全てが嫌になり、心屈した炎蛇。
 もう、どうにでもなれだ。


「――【炎蛇のニーズヘッグ】だよ! もういいだろう、勘弁してくれよ……っ」


 泣き言と共に、ニーズヘッグはその場に座り込み、最後の反抗意思としてそっぽを向く。
 悪魔を負かしたクリア。祝福する者はその場にいなくとも関係ない。
 彼女は心底嬉しそうな顔をして悪魔の名を復唱する。

「……ニーズヘッグ。――ニーズヘッグ君!」

 呼び方を決めたクリア。
 目線をニーズヘッグに合わせ、なんのつもりか手を差し出す。

「――よろしくね。ニーズヘッグ君」

 これは……だ。
 悪魔には……、それどころか他者には理解できない者がそこには存在している。
 平然と悪魔に笑みを浮かべ。なんの警戒もなく、同じ生き物の様に見る。
 無差別。誰にも止められない、覆せない、染められない。
 自分に真っ直ぐで、正直で、色の付けようがない。
 ――まるで。な人間。

   ◆

 一人の人間との出会いは、ニーズヘッグという炎蛇の日々に多大な影響を与えていた。
 
「……」

 火山に生息する火蜥蜴であるリザードの巣。その洞穴を空いた隙に拝借したニーズヘッグは、枯れ枝で地面を削る。
 特に何か書くというわけではなく。ただうじうじと沈んだ気を紛らわしていた。
 稀に小言で「助けてフレズベルグ……」とSOSを呟く。

「……くそ。なんなんだよ、あの女」

 魔界でも名の知れた大悪魔。
 噂はそれぞれだが、名を知る大抵の魔族は恐れおののくもの。
 その大悪魔が半泣き状態でいた。
 巣穴からは気まずそうにリザードたちが覗いており、鳴き声を出しづらい状況。

「この俺が人間と対等なわけがない。……ああっ、マジでイライラする!!」

 怒鳴ると巣穴からは爆炎が、ボン! と溢れる。
 気を少しでも晴らせばニーズヘッグは巣穴から堂々と退出。外で待っていた小刻みに震える火蜥蜴に詫びを入れた。

「悪いなお前ら……。今度デカい魚でも――」

 差し入れでもすると約束を交わそうとした。
 その時だ。


「あ。ニーズヘッグ君、おはよー」






 一瞬だった。
 巣穴から出てきたニーズヘッグは、光の如く速さで巣穴にへと再度潜り込む。
 ――クリアだ。
 証拠にもなく、クリアがニーズヘッグの前に姿を表わす。
 その姿を見たと同時に、ニーズヘッグは逃げるように姿を潜ませてしまった。
 顔を少し出し、警戒の眼差しがクリアにへと向けられる。

「……なんで、また此処にくんだよ」

 クリアと出会って数日間。彼女は毎日のようにこの場に訪れていた。
 時には出くわさない様に隠れ。会えば何食わぬ顔で先ほど同様の挨拶を交わしてくる。

「どうしたのニーズヘッグ君? かくれんぼ? でもこの子たちのお家使っちゃダメだよ?」

「せめて質問にくらいまともに答えろよな!? しかも俺様に説教!? 何様だよお前!!」

「何様って……、私は私だよ? そんな様付けするようなほどじゃないし」

「だったら俺に説教すんなよ! 言っとくが、俺は魔王だろうが従うつもりは毛頭ないからな!? 俺は束縛されるのがすんげー嫌いなんだ!」

「……確かに、そうだよね」

 ようやく話が通じたのか。ニーズヘッグの言葉にクリアは深く考え込む。
 急に納得されるも拍子抜けだが、それならと安心もしてみる。

「わ、わかればいいんだよ……。だから……、人間がこんなとこにもう二度と――」

「雨が降ったりすると家の中で過ごさないといけないの、私も嫌いだなぁ。でも、雨の中の散歩も悪くないんだよ? 今度ニーズヘッグ君もどう? いつでも誘いに来るよ?」

 クリアは、理解をしていない様子だ。
 呆れを通り越し、その場にバランスを崩し倒れてしまった。
 
 ――もうやだ……、この人間。

 ただニーズヘッグは、この人間との関わりを断ちたかった。
 自分の縄張りへ平然と訪れ、悪魔や温厚とはいえ付近の魔物にすら恐れを抱かない。
 無警戒、理解不能な生き物に翻弄される日々から逃れたい一心。
 
「この子たち可愛いね。瞳もつぶらだし、ぷにぷにしてる」

「お前本当になんなわけ!? 一応そいつら暴れ出すと群れになってそこら中焼け野原にするからな!? そんくらいはできるからな!?」

「でも可愛いよ? 私好きぃ♪」

 小さな子供の火蜥蜴を抱きクリアは満足そうだ。
 丸目の体と熱体勢のある分厚く柔らかな皮膚を持つ蜥蜴。確かにクリアの言うとおり瞳はつぶらであり可愛らしい見た目だ。
 しかし、開いた口には確かに牙もあり、引っ込んではいるが鋭い爪もある。
 主に群れで行動し仲間に何かあれば、それは集団を敵にするのと同じ。
 もしクリアが無意識にこの火蜥蜴に害を与えてしまえば、それこそ袋の中の鼠。
 
「もういいから! お前らもマジで悪かったから! あっち行ってろ!」

 焦って怒鳴りながらニーズヘッグは火蜥蜴たちをその場から追い払う。
 四つ足で身をよじらせながら、いそいそと火蜥蜴たちは巣穴の中にへと入っていく。
 もちろん。クリアの抱いていた子供も急いでその後を追った。

「さようならぁ。……どうしてニーズヘッグ君、怒ってるの?」

「お前は空気読めない奴なわけ? そうなの? そうだろ!」

 クリアの行動は未だに掴めない。
 言動そのものが通常と異なり、正に異常だ。
 普通の人間ならば魔物に好意を抱いたりなどしない。魔物も魔族も、人間にとっては害なのだから。
 時に利用し、時に消そうとする。
 にもかかわらず、クリアはずっとこうだ。

「……お前、もう帰れよ」

「なんで? まだ全然お話してないよ?」

「…………っ」

 いっそ恐怖で追い払えればと思った。
 しかし、命の危機だけでクリアはその態度を曲げようとしない。既に刃を突きつけ実証済みだ。
 魔界のようには行かず。この人間の対処は難関となっている。

「じゃあ、どうすれば帰るわけ?」

 クリアが満足すればそれで彼女は帰るだろう。
 要望を聞いてみれば、クリアは瞳を輝かせる。

「私、ニーズヘッグ君のこと、もっと知りたいな! ニーズヘッグ君ってなんでこっちに来たの? あとその羽衣すごく綺麗だよね。すごく触りたいなぁ。それとそれと――」

 ――眩しい。
 好奇心の塊であるクリア。その輝きが眩しすぎ、思わず目を背けた。
 隙を突いて触ろうとするため、羽衣は触れられぬよう逃げる。
 クリアは幾つも質問をしてきた。
 だが、ニーズヘッグは黙秘を通す。
 それは話す理由もなければ道理もないからだ。
 人間と馴れ合うことは大悪魔としての威厳に関わる。
 黙り続けるも、それでもクリアは批判などしない。彼女は自分の知りたいことを次々と口に出すのみだ。
 
 
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