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一章 一ノ瀬兄弟

脅す理由 2

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 ―――そこから三日。凛は意を決して綾瀬に連絡して、階段を上った。一歩ずつ、一歩ずつ。綾瀬の部屋のインターフォンを鳴らしてドアを開ける。
 綾瀬は困ったような顔をして、リビングのソファに凛を案内する。凛もまたどういうふうにすればいいのか分からない。綾瀬がマグカップにお茶を入れて持ってきてくれた。テーブルをはさんで向かい側に座り、綾瀬は真面目な顔で静かに言った。

「この前、びっくりドンキホーテに行ってきた」
「んん!? ……それはハンバーグの方? 驚くほど安い方?」

 何でそんな話をいきなりするのか分からないが、とりあえず凛はツッコんだ。なぜ動画で脅してくるのか……聞き出すまでに時間が途方もなくかかりそうだな、と思った。綾瀬はまるで昨今の世界情勢でも話しているかのように真剣だ。

「安い方。焼き芋をいっぱい買ってきた」
「何で焼き芋を!?」
「おいしいから。冷蔵庫で冷やすともっとおいしい……食べる?」
「まぁ、おいしいなら……」

 凛は分からなかった。ひょっとしてこの人は……無口で何を考えているのか分からないのに優しくて……生真面目な天然さんなのではないか? その日は焼き芋を少し食べてお茶を飲んで一時間くらいして帰った。夜は少し眠れた。



 それから三日後。凛は思い切って画像の消去を求めてみた。綾瀬の身体が一瞬、こわばる。切れ長の瞳。射抜くような鋭い目線。

「綾瀬さん。画像消してほしい」
「だめ……絶対消さない。これを見ろ」

 綾瀬は重苦しい顔をしながら凛にスマホを見せつける。そこには凛のあられもない姿……ではなく、短い足と丸っこい身体を持つ愛らしい瞳の犬が映し出されていた。

「…………犬?」
「……あれ?」
「綾瀬さん、これ、ホーム画面じゃん……犬、飼ってるの?」
「うん、実家のコーギーで……エカチェリーナ」
「高貴な名前!」
「あだ名はいぬ五郎」
「何で!?」

 もう訳が分からない。その日はひたすら犬やら猫の話を二時間ぐらいして帰った。全く本題には入らなかった。夕ご飯が少しだけ食べられるようになった。



 それから三日後。もはや凛は最初からあきらめて、綾瀬の寝室に入って漫画を物色しはじめた。意外とラインナップが豊富だ。

「あれ、同じ漫画が二冊ある」
「うん。この前間違えて三冊目を買ってしまったから、あげる」
「ねぇー! 十八巻だけもらっても全然分からないんだけど!?」
「十七巻までを貸す。これ、面白い」
「うん、じゃあ読んだら持ってくる……」
「この表紙の奴が死ぬ」
「ネタバレやめて!」

 その日はひたすら三時間ぐらい漫画の話をして、ついでに動画配信サイトでアニメを見て終わった。凛の食欲はだいぶ戻ってきた。嘔吐下痢の症状はほぼなくなった。



 一週間、一か月が過ぎた。性行為は全くしていない。凛は気軽にメッセージを送って、何も考えずに綾瀬の部屋に入る。ソファに鞄を置いて、テレビを勝手につける。深まる秋、冷える室内。綾瀬はエアコンの温度を上げて凛の隣に座る。

 凛は何げなく綾瀬を見た。しっかり綺麗に筋肉のついた大人の男性だ。長袖を着ているのに腕も足もがっしりしているのが分かる。日焼けした浅黒い肌。オシャレで流行に敏感な兄とはまた違ったかっこよさがある。この三か月で美容室に行ったのか、サイドをすっきりと刈り上げたショートにアシンメトリーな前髪……すごく似合っていた。そういえば、凛は最近の綾瀬の事を何も知らない。ホットココアが入ったマグカップを両手で持って飲みながら、聞いてみた。

「ねえ、仕事何してるの?」
「水泳のインストラクター。近くのスイミングスクールの社員」

 スポーツが得意とは聞いていたが、まさかそれで生計を立てているとは。誰しもが一度は聞いた事のあるような大企業が、事業の一環として経営しているスイミングスクールだ。凛は驚いた。綾瀬は少し嬉しそうな顔をする。

「今度、泳ぎに来る?」
「俺、泳げないよ」
「……教えるから大丈夫。来てくれると、うれしいな」

 柔らかではにかむような笑顔。凛は不覚にも胸が高鳴る。可愛い、と思って……慌てて首を振る。忘れかけていたけど……この人は、動画で脅して無理矢理行為をしてくる人なんだ。でも、なぜか不器用な優しさを持っていて、少し天然で、年上なのに可愛い所がある。そんな人がなぜ?
 ……凛は今まで思っていたけれど口にしなかった事を、ついに言葉にした。


「ひょっとして、綾瀬さんは……俺の事、好きなの?」
「…………!」


 綾瀬の身体が一瞬びくっと震え、眉毛が困ったように寄せられる。先ほどまでの笑顔が消えてしまったのが、凛は少し悲しかった。綾瀬はうつむいて、今にも泣きそうで……泣くのをこらえているような顔をしていた。しばらくの沈黙。それを破った、今にも消えそうな声。


「好き、凛ちゃん……ずっと、ずっと好きだった」


 大きな体を丸めて、ソファに足を立てて座り、顔を膝に埋める綾瀬。自分より年上でがっしりした身体をしているのに、まるで子どものようだった。うすうす、そうなのかもしれないと思っていた。でも、凛は兄の事が好きで……だから、考えないようにしていた。

「動画で脅すなんて最低なのに……凛ちゃんが航の事を好きなの、知ってたのに……こんな事、やってしまった。ごめん……」
「…………」
「ひどいこといっぱいしてごめんなさい。許されるとは思っていない。……画像も動画も全部消す。もう絶対こんな事はしない……」
「え……?」
「いっぱい話せて、嬉しかった……さよなら、凛ちゃん」


 スマホを操作して綾瀬が画像と動画を全て消した。それを凛はぼんやりと見ていた。行為をしないでほしい、脅してくる理由が知りたい、画像を消してほしい。それが願いで……全部叶ったはずなのに、なぜか胸の中にぽっかりと穴があいてしまったみたいだった。

 綾瀬を見る。顔は見えなかったが、肩が震えていて……裁きを受けている人のようにうなだれていた。凛はただ、綾瀬のうなじを見つめる事しかできなかった。

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