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第22話 (最終話)
しおりを挟む普段は耳にすることのない、小鳥のさえずりが聞こえてくる。目を開けると、見慣れない天井が目に入り、西園寺は宝来の屋敷に来ていたことを思い出した。そして、同時に蘇ってきた昨日の記憶に、勢いよく体を起こす。
(夢……じゃないよな)
鈍い腰の痛みがあれは現実だと訴えてくる。西園寺は布団を剥がして、目の前にある姿鏡の前に立った。体のあちこちについた赤い印が目に入ってくる。
「うなじは大丈夫か……」
念のため確認してみたが、手触りからして歯形はついていない。西園寺はほっと胸を撫でおろした。
あれ程嫌悪していたセックスを西園寺は、昨日のうちにやってしまった。アルファとのセックスは、脳がとろけるほどの快感だった。目を閉じれば、西園寺の体を触る熱い手の感覚が今でも蘇ってくる。
「んっ」
昨日、執拗に触られた乳首は少し触れるだけで敏感に感じてしまうようになってしまっている。
(腫れてるじゃないか……)
赤く、いつもより倍に膨れ上がっている西園寺の乳首には、歯型のようなものがいくつもついていた。
「くそっ」
見ているのも恥ずかしくなって西園寺が鏡に背を向けたところ、前触れもなくドアが開いた。
「起きたのか。朝食が出来そうだから起こしに来たんだ」
部屋に入ってきたのは近衛だった。近衛は白いコーヒーカップを片手に西園寺を見つめる。近衛の顔を見ると、西園寺の脳内により鮮明に記憶が蘇ってきてしまう。昨日、あんなことがあったのに、どんな顔をしていればいいのか分からず西園寺は視線を逸らして小さく頷いた。
「……ああ」
西園寺が素っ気なく返事をすると、近衛は腕を組んで壁にもたれかかり、妖美な笑みを浮かべた。
「それより、早く服を着た方がいい」
「え?」
舐めるようにじっくりと下から上に見つめられ、西園寺は自分が下着しか身に着けていないことに気づいた。
「そんなうぶな反応するな。また襲いたくなるだろ」
「なっ」
近衛は、顔を真っ赤にして、両手で体を隠す西園寺を見つめ、早くリビングにくるようにと言い残して去っていった。同性なのだから、裸を見られたくらいでそこまで恥ずかしがる必要もないのに、咄嗟に隠してしまった自分が恥ずかしく、西園寺は頭を掻きむしった。
「何で俺だけこんなに狼狽えてるんだよ」
西園寺とは違い、近衛はいつもと変わらず飄々としている。何だか、それがとてつもなく悔しかった。
「ああ、もうっ」
こうして、部屋にとどまっていても仕方がない。西園寺はベッドに投げられてあったバスローブを身に着けリビングへと向かった。扉を開けるといい匂いが漂って来る。これは、味噌の香りと焼き魚の匂いだ。
「あ、おはよう旭ー」
「おはよう」
椅子に座った一条と宝来が声を掛けてくる。やはり、二人も平常通りだ。
「朝食、今丁度できたよ。食べられそう?」
「ああ」
宝来の問いかけに西園寺は頷いて、椅子に座った。
机には、湯気の上がる味噌汁と形の奇麗な卵焼き、それから焼き魚と白ご飯が並べられている。きっと三人で作ってくれたのだろう。
「悪いな。俺、お前らにお礼するとか言っといて、やってもらってばかりだ」
「いいんだよ。僕は旭と一緒にいることがご褒美だから。冷めないうちに早く食べよ!」
宝来はそう言って、手を合わせて食事を口に運んだ。
「いただきます」
味噌汁を口に運ぶと、優しい味噌の味が西園寺の口の中に広がる。味も薄くもなく、濃くもなく丁度いい。
「旭、体はどう?」
正面に座る一条が、西園寺に尋ねた。
「ああ、大丈夫だ……」
その時、西園寺はふと気が付いた。ヒートの後は大抵、体がだるく感じるはずなのに、今日は嘘のように軽いのだ。何故だろうと首を傾げていると、一条が安心したように笑みを浮かべた。
「前に言ったよね。薬で強制的にヒートを押さえるのは、欲望に蓋をすることだって」
「ああ」
「だから、今回ので発散出来たんじゃない?」
「そう、なのか……」
正解は分からないが、薬品開発者の父親の下で勉強している一条の言う事なら本当なのかもしれない。薬で押さえている時は、体が締め付けられているような苦しさに悩んでいた西園寺だったが、今は開放感に満ち溢れている。
あれだけ、頑なに嫌がっていたアルファとの交わりで、今まで悩んできた体の疼きが抑えられるなんて、皮肉なことだ。しかし、やり方は強引だったにしても、こうして知ることができたのはある意味西園寺にとっては良かったのかもしれない。
オメガが何故パートナーを作るのか、それが今日初めて西園寺は理解できた。
(でも、不思議だな……)
近衛の屋敷では、三人に触れられると嫌悪を感じたが、昨日は全く感じなかった。やはり、三人との関係が改善されたことが関係しているのだろうか。
「……聞いてもいいか? なんでこんな俺が好きなんだ?」
西園寺は、ずっと疑問に思っていたことを三人に聞いた。距離を取っていた時は、冷たい態度をとることだってあったし、逆に嫌われてもおかしくなかった。可愛げだってないし、女性の様に豊満な体を持っているわけでもないのに、一体どこを好いてくれているのか、未だに分からない。
「うーん。好きだから好きなんだよね。まあ、それぞれに理由はあるんだろうけど」
西園寺の隣に座る宝来が微笑みながら言った。
「でも俺は、お前らにひどい態度ばっかりとってきたし……。別に俺じゃなくても、お前らなら相手に困らないだろ……」
悔しいが西園寺から見ても三人は男前だ。体格だって男らしいし、顔も整っている。ずっと学校も同じだったから、三人が女子に言い寄られているのは何度も見たことがある。その子たちと比べると、西園寺はどの部分でも負けているだろう。
「旭は自分の長所を知らなさすぎる」
唐突な近衛の言葉に西園寺は首を傾げた。
「長所?」
「ああ。お前は頑張り屋だ。勉強だって、生徒会長だってそもそも両立するのが難しいのに、平気でこなしてる」
「でも、俺なんかお前らと比べたら……」
「旭、いい加減他人と比べるのはやめろ。お前にはお前の良さがあるんだから」
三人に比べたら、自分の存在はちっぽけなものだ。ずっとそう思ってきた西園寺は、近衛がそう否定してくれたことが少し嬉しかった。
「そうそう、あと前向きな所とか。なんでもやってみよう精神の旭好きだよ。それに、旭は周りからの信頼が厚いよね。生徒会に入ってると分かるけど、皆旭を信頼してるよ」
あまり褒められたことのない西園寺はどんな顔をしていればいいのか分からなかった。けれど、西園寺がこんなに温かい気持ちになれたのは、第二性が発覚して以来、初めてだった。
父親からは常にベストを求められ、西園寺もそれに応えようと必死で、自分がしてきた努力に気づけないでいたのかもしれない。少し恥ずかしいけれど、三人は自分の努力を認めてくれている。それだけで、西園寺は心が軽くなった。
その日食べた朝食は、どんな高級料理店で出された食事よりもおいしかった。じんわりと優しい味が染みわたってきて、ぽかぽかと西園寺の胃袋を温めていった。
その後、荷物をまとめ終わった西園寺達は、宝来家のリムジンで自宅へと向かっていた。
四人がゆったりと座れるほどの広めの車内で、会話が尽きたところを見計らい、西園寺が話題を切り出した。
「決めた。俺、お前らとは番関係を結ばない」
ふとした西園寺の発言に、三人が一斉に西園寺の顔を見やる。
「なんで……?」
「もしかして、ここにいる誰とも番関係になりたくないとか?」
宝来と一条が、責め立てるように西園寺に聞いた。予想通りの反応に西園寺は苦笑いしつつ、言葉を付け足す。
「そう言う事じゃなくて……。別に、絶対に番関係を結ばなくちゃいけないってこともないだろ……」
世の中には、番関係を結ばず、複数のアルファと関係を持ち続けるオメガも存在している。不特定多数のアルファと関係を持つ事は、ふしだらだと考えていたが、今はその気持ちが全く分からない訳ではない。
番関係はオメガ一人に対して、アルファかベータ一人しか結べない。この中の一人と番を結ぶことになれば、他の二人とは関係が結べないという事になるし、そもそも三人の中から誰か一人を選ぶなんて、西園寺は一生かかっても無理だと思った。
「でも、番関係を結ばないと、ヒートの度に辛い思いをするのは旭だ」
冷静な口調で問いかけてくる近衛に、西園寺はゆっくりと頷いた。
「その事なんだけど……。ヒートの時は、お前らにお願いしてもいいかなって……」
自分で言っといて、途端に恥ずかしくなる。顔に熱が集まってくるのを感じ、西園寺は咄嗟に俯いた。
(やっぱり言うんじゃなかった)
この話題を切り出す直前まで西園寺は悩んでいた。正直、抱かれることに慣れた訳じゃない。けれど、オメガとして生きていくうえでヒートからは逃れられない。パートナーを作った方が良いという斎藤の言葉を思い浮かべた時に、真っ先に浮かんだのが三人だった。
実際に昨日体を重ねても、嫌悪感はなかったし、悩んでいた体のだるさも全く感じなかった。頼って欲しいという三人の言葉に甘えてみたが、やっぱり口に出すと恥ずかしくてたまらない。
「旭」
一条に名前を呼ばれ、西園寺の背筋がすっと伸びた。
(何て言われるんだろう、もしも拒否されたら俺、恥ずかしさで死ねる……)
「可愛すぎ。もう一回言って」
「え?」
西園寺が顔を上げると、いつの間にか一条と宝来が近づいてきていた。
「うん、僕ももう一回聞きたい!」
宝来が西園寺の体を抱きしめる。
「おいっ、やめろ」
図体のでかい宝来は腕力も強い。西園寺は呼吸ができず、苦しくてもがいた。
「で、どうなんだよっ、返事は」
「いいに決まってる。二人もそうだろ」
西園寺の問いに近衛が即答し、一条と宝来も当然と言った面持ちで頷いた。
(よかった……)
西園寺は安堵した。自分の弱い部分を支えてくれる人がいるということは、とても心強いことだ。
「ありがとな」
自分の口から素直に感謝の言葉が漏れたことに、西園寺は驚いた。数週間前まではこうして、三人と話していることも想像できなかったのに、今はこうして一緒の車に乗ってたわいもない会話を交わしている。
(長い時間、かかったよな)
三人と距離を置いた数年間、どうして一度も話をしてみようと思わなかったのか。オメガと診断され、自分の事でいっぱいいっぱいだったこともあるけれど、過ぎた時間を思えば西園寺は悔しくて仕方がなかった。
でも、あと高校を卒業するまでの約一年、卒業してからだってそれぞれ環境は変わるかもしれないけれど、今まで関わり合わなかった時間を取り戻す機会はいつだってある。
「西園寺様、ご自宅に到着いたしました」
使用人に声を掛けられ首を巡らせれば、いつの間にか自宅に着いていた。
「また明日、学校でね」
開けられたドアから西園寺が車外に出た時、宝来にそう声を掛けられた。
(また、明日か……)
昔はよく別れ際にそうやって別れていた。久しぶりに聞いた言葉に西園寺の心が和む。
「ああ、また明日」
西園寺は三人を乗せた車が見えなくなるまで見送り、家の門を潜った。
明日からまた学校が始まる。いつもと変わらない日常のはずなのに、まるでなにか新しい事が始まりそうな、そんな予感に西園寺の気持ちはいつになく弾んでいた。
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