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第9話
しおりを挟む生徒会会議が終わり、教室を出ても、宝来はいつもの様に廊下で待ち伏せてはいなかった。呪縛の様に後ろを引っ付いてくる、宝来がいないと心穏やかに一日が終われそうだ。西園寺はほっと胸を撫でおろし、校門へ向かって歩いた。
夕方五時。グラウンドからは、部活に精を出す野球部やサッカー部の掛け声が聞こえてくる。来週には春の大会を控えている為、この時期は皆、気合が入っているのだろう。蘇芳学園高校はどの部活動も強豪で、毎回、インターハイに出場する選手たちも多い。そんな中、暴力事件があったなんて事が発覚してしまえば、蘇芳学園高校代表として大会に出る選手たちの顔に泥を塗るようなものではないだろうか。
それに、一年生だって入ってきたばかりだ。入学して早々怖がらせるわけにはいかないだろう。早く対処をするには一体どうしたらいいのか、思考を巡らせている時、西園寺の歩みが止まった。
「あいつら……」
目の前の渡り廊下を歩く、一条と近衛の姿が視界に入ってきたのだ。西園寺は次の瞬間、走り出していた。とにかく、二人に話を聞かなければ何も始まらない。
「どこに行ったんだっ」
先ほど二人を発見した渡り廊下に到着した西園寺は辺りを見回した。しかし、二人の姿はどこにも見当たらない。蘇芳学園高校の校舎は、西棟と東棟に分かれている。二人が向かった先は東棟の方だった。どうやら、東棟にある教室を手当たり次第に探すしかなさそうだ。
「けど、何でこの時間帯に……」
時刻は午後五時を過ぎている。授業はもちろん終わっているし、もう教室に要はないはずだ。不思議に思いながらも、西園寺は走って二人を探し、ようやく見つけ出した頃には全身が汗でびしょぬれだった。
一条と近衛は改装中の第二体育館にいた。しかし、そこにいるのは一条と近衛だけではなく、十人くらいの生徒が二人を囲むようにして立っていた。大勢で仲良くおしゃべりをしている雰囲気ではない。
(何してるんだ……?)
西園寺は事の行方を気配を消して見守っていた。ある程度離れた場所で身をひそめているのだが、その張り詰めた空気が伝わってくるほど険悪な雰囲気だった。何かを話している声は聞こえてくる。しかし、途切れ途切れで内容までは分からない。それでも、今は何だか突撃していかない方が良い気がしてそっと耳を澄ませている時だった。
「あさひ」
という言葉が聞こえてきたのだ。一瞬、聞き間違いかと思ったが、西園寺には確かにそう聞こえた。
(俺……の事じゃないよな?)
一条と近衛の交友関係を全員把握しているわけじゃない。もしかしたら、西園寺の他にも「あさひ」という名前をした友人がいることも考えられる。
けれど、この張り詰めた空気の中、自分の名前が出てきたら誰だって焦る。西園寺が固唾を飲んで成り行きを見守っていると、一瞬場が静まり返った。
そして、乱闘が始まってしまった。二人を囲っていた十人の内の三人が、二人に殴りかかる。しかし、一条も近衛も、運動部なだけあって華麗に身をかわし三人を撃退した。それからは、殴り合いに発展し、状況が混乱していく。
(本当だったんだな……)
一条と近衛が暴力事件を起こしていると聞いた時、西園寺はイマイチ信じることができなかったけれど、この状況を見れば一目瞭然だった。拳が人にぶつかる打撃音が妙に生々しく耳に響く。人が地面に倒れていく非日常的な光景は身の毛がよだつほど恐ろしかった。西園寺はただ、見ていることしかできなかった。生徒会会議では「話してみる」なんて偉そうなことを言ったけれど、西園寺が行って止められる騒ぎではない。
心なしか、体が震えてきている気がする。なんだかもう、目の前の光景を見ていられなくて、西園寺は目を逸らして耳を塞いだ。
「……さひ……、旭」
聞きなれた声がすると思い目を開けると、そこには宝来がいた。
「どうしてこんなところにいるの?」
入り口で身を縮めていた西園寺を、宝来は不思議そうに見つめた。
「あ……、今、あいつらが……、殴り合いしてて……、それで」
宝来と距離を置いていたことも忘れ、たどたどしく状況を説明すると、宝来は体育館の中を覗いた。
「ああ、でももう終わったみたいだよ。ほら」
こともなげに言う宝来に促され、西園寺はやっとの思いで立ち上がり中を覗いた。
「ひっ」
西園寺は目の前の異様な光景に小さく悲鳴を上げた。一条と近衛の足元には、何人かの生徒が倒れていて、二人の制服には返り血のようなものがついている。
血に染まった一条と近衛は、西園寺の知っている二人ではなかった。倒れている生徒を見下ろす目が恐ろしく冷たい。
(でも、行かないとだめだよな)
生徒会の皆の為にもこんなこと早くやめさせなければならない。西園寺はここから逃げ出したい気持ちを押さえて体育館の中へ足を踏み入れた。
「……なに、やってるんだよ」
西園寺の声に一条と近衛が振り返った。二人は驚いたように目を見開いている。
「なんで旭がここに?」
「お前らを、渡り廊下で見かけたから追いかけてきたんだ。それより……何で暴力なんて他人に振るうんだよっ! あいつらが何かしたのか!」
恐怖で足が震えるなんて感覚は、生まれて初めてだった。一条の質問に答える西園寺の声は震えていた。
一条と近衛は何も言わない。悪びれる様子は全くなく毅然とした態度で立っている。
(どうして黙ったままなんだ……?)
西園寺には話したくないことなのかもしれない。いや、話す価値すらないと思っているのかもしれない。しかし、どんなことがあっても、暴力を振るっていい理由にはならない。
「恥ずかしくないのか、こんなことして……」
自分の言葉なんてきっと二人には届いていないのだろう。そう西園寺は思った。けれど、この学校の生徒会長として注意しとかなくてはならない。
「学校の皆が怖がってる。二度と同じことはするなよ。次、また同じことがあったら、お前たちの親に報告して、何としてでも退学処分にしてやるからな」
西園寺はそれだけ言い残して、出口まで走った。情けないけれど、あれ以上あの場所にいると、本当に立っていられなくなりそうだった。
足早に去っていく西園寺の背中を見つめながら、一条がため息をつく。
「はー、本当疲れた。てゆうか、何で俺らが怒られないといけないの」
「仕方がないだろ。旭は何も知らないんだから」
ふてくされる一条を宥め、頬に跳ね返ってきた相手の血を拭いながら、近衛は宝来に目を向けた。
「俊、分かってるな?」
近衛の言葉に、宝来は頷く。
「うん、大丈夫。旭は俺が守るから」
宝来は決意に満ちた表情を二人に向けた。
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