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第1章

第3話

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「なんだっ、ここ……」

 辺りの光景に、アキは言葉を失う。目の前に広がっていたのは、今までに見たこともないような景色。雲一つない晴天の下、美しい純白とコバルトブルーに統一された建物が並び、その奥には、壮大な海が一望できる。


 何か祭りごとでもあるのか、所々に見たこともない国旗や、派手な花飾りがあしらわれている。

 勢いで逃げ出してきたが、知らない場所となると、どこへ向かえばいいのか分からない。あちこちに伸びている道のどれに進もうかと右往左往していると、逃げ出してきた教会のドアが勢いよく開いた。


「いたっ! あそこだ!」

「えっ」


 振り向くと同時に、屈強な体をした男たちに体を押さえつけられる。両腕を捕らえられ、首を掴まれ下を向かされたその瞬間、水たまりに反射した己の顔が映った。


「あれ……、俺、じゃない……」



 目の前にある顔は、何年も見てきた自分の顔とは違う、全く別人だった。白髪で血色のない白い陶器のような肌に、宝石の様に美しい碧色の瞳。体格は女の様に華奢で中性的な見た目の少年だ。


「誰これっ! なに、なんでっ」


「頭おかしいのか、この王子。あろうことかルーシュ様の頬を引っぱたくなんて」


 アキが目を見開いて水たまりに映る自分を見ていると、体を押さえている一人の男があざけ笑う様に言った。


「口を慎みなさい! この方はブロン国の第二王子ですよ!」


 すかさず隣から怒号が飛ぶ。その声に顔を上げると、肩を上下しながらアキを見下ろしている一人の青年と目が合った。眼鏡をかけ、知的に見える。


 その青年は、膝を折ってアキの視線に合わせた。


「ノア様、ブロン国の方々が控室で待っておられます。至急、そちらに向かってください」


「え……? ブロン……、何ですか?」


 上手く聞き取れなかったアキが聞き返していると、青年は深くため息をついた。


「今はふざけている場合ではありません。お連れしてください」



 青年がそう言うと、アキの体が持ち上がる。半ば強引に引きずられる形で歩かされ、辿り着いたのは、あるドアの前。兵士たちが後ろにいるため、逃げ出すことは不可能だと悟ったアキは、大人しくドアを開けて部屋の中へと足を踏み入れる。中には、貴族のような恰好をした背の低い中年の男性がいた。



アキの姿を見るなり、

「何を考えているんだ、ノア!」

 とすさまじい剣幕で怒鳴りつけ、アキの頬を叩いた。 脳が揺れるくらい強烈な一発だ。


「ノワールの国民にどう謝罪するんだ! え? 相手の顔に泥を塗りやがって!」

 中年の男は唾を飛ばしながら、アキを怒鳴りつける。ぽかんと口を開けているアキにしびれを切らしたのか、男はアキの襟元を掴み拳を振り上げた。

 また殴られる、そう目をつむった瞬間。部屋の外からノックが聞こえてくる。

「部屋の外まで怒鳴り声が聞こえてきましたよ、ブラン国、元国王様」

姿を現したのは、先ほど式場にいた美しい顔の男と、さっきのメガネをかけた男。

「それより、この状況。一体どういうことか、説明していただけますかね」

 メガネの男が一歩前に出て、責め立てるような口調で聞いた。

「も、申し訳ありません……」

 中年の男はアキの襟元から手を離し、慌てて頭を下げる。

「これは冷戦関係にあった、ブロン国とノワール国が初めて平和同盟を結ぶため、両国のオメガを国王の妃に迎え友好をはかろうというもの。しかし、ノア様の行いはノワール国を侮辱しているようにしか見えない。これは、同盟を結ぶつもりはないと解釈してよろしいでしょうか?」

「いいえっ、そんな! めっそうもない」

 中年の男は汗が噴き出した顔を激しく左右に振った。

「申し訳ありません、今、ノアにはきつく言い聞かせておりますので……」

「式場にお集まり頂いた皆さんにも、待ってもっらっている状態です」

 さらに圧をかけるように、メガネの男が言い放った。

「はいっ……、直ちに説得いたしますので」

 中年の男はくるりとノアの方を振り返り、肩を掴んだ。

「分かってるだろ? ブロン国のオメガはお前しかいないんだ。分かってくれ。この同盟を破談にすれば、また国民が多く死ぬかもしれないんだぞっ」


 男に肩を激しく揺さぶられながら、アキは段々と今自分が置かれている状況が理解できてきた。



 まず、アキは、長谷川アキとしてではなくここではノアと呼ばれている。何故だか、別の少年にアキの意思が宿ってしまっているのだ。

(これはいわゆる、転生って感じのやつ?)


 いつも娯楽として楽しんでいた漫画やアニメの世界でしか見たことがない出来事が、実際に自分の身に起きているという事が信じられないが、考えても今は何も分からないので置いておこう。


 そして、アキの意思が宿ってしまったノアという人物はブラン国とノワール国の仲を取り持つために差し出されたいわゆる人質的なポジションにいる。「オメガ」というものは良く分からないが、大体の流れは掴めた。


(はあ……、なんだこれ……)


 転生するにしても、目を覚ます場所が結婚式だなんて。なんていうタイミングなんだろうか。そして、良くも分からないおじさんに平手打ちを食らった。



(色々カオスすぎるだろ)



 しかし、状況が分かったところでこれからどうしていけばいいのだろうか。アキが頭を掻いていると、中年の男がノアの肩を力を込めて掴んだ。


「な? ノア、頼むよ……」

 男の顔を見た瞬間、アキの脳裏に嫌な記憶が思い浮かんだ。今までずっとアキを苦しめ続けていた、大人達の顔と、この中年の男の顔は瓜二つだ。
 アキの人生が変わってしまったのは、二十歳の時だった。両親は離婚していて、二人きりで生活していた父親が交通事故にあったのだ。かなりの重体で、一人で生活をすることが出来なくなってしまった。


 初めこそ、親戚も一様に心配していたが、介護の話になると皆一斉に怪訝そうな顔をした。


『血のつながった家族なんだから、世話をするのはアキ君だよ。ね? そうだよね?』

 誰が世話をするのか、親戚一同で集まった場で、そう発言したのは叔父だった。 機嫌を窺う様な表情、それでいてどこかずうずうしい、そうアキは思った。


 それから、叔父の意見に親戚が乗っていき、最終的に、

『アキ君しかいないんだよ』


 という言葉で、その場は締めくくられた。それからアキは通っていた保育士の専門学校をやめ、父親の介護に明け暮れるようになった。恋愛も、自分の人生も諦め、ただひたすら体の不自由な父親と二人向き合う生活。それを二十歳から八年間続けてきたのだ。

 ノーとは言わせない言葉での威圧、人に厄介事を擦り付けるための、あの叔父の顔を、アキは決して忘れていなかった。それが今、目の前にいる中年の男と重なったのだ。
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