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第3章 禁種と覚醒

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 フラムは目を覚ました。
 地下に居るため朝か夜かも分からないが、体の疲労がすっかりとれていることから長時間寝ていたのではと予想する。
 薄暗い照明を頼りにして隣に視線を向けるが、そこはもぬけの殻だった。

「リリム!?」

「落ち着け、ここにいる」

 小部屋の隅で椅子に腰掛けていたリリムは、跳ね起きたフラムを静かに制した。
 トレードマークのとんがり帽子を膝の上に置き、何処か疲れた様子である。
 眠っていたフラムに対する行為についてレックレスへ口止めするのが難航したこともあるが、単純に彼女は空腹だった。
 失血してから食事を摂っておらず、口にしたのは自分の魔術で出した水だけ。
 レックレスは食事を勧めてくれたが、フラムに事情を聞くまでは不要だと固辞したのである。

「リリム、体の調子はどう?」

 体を起こしたフラムが歩み寄るが、リリムは椅子に座ったまま彼を見上げるに留まった。
 相当にしんどいのだろう。

「空腹以外は概ね悪くない。それより、ワタシが眠っていた間の経緯を教えてくれ」

「うん。じゃあ食事しながらにしよう。レックレスには会った?」

「ああ、あの軽薄な男か。味方で良いのか?」

「うん。取引を交わしたんだ。ああ大丈夫、不利な内容じゃない。それも後で話すよ」

 契約と聞いて柳眉を逆立てたリリムを諭し、フラムは彼女に肩を貸して立ち上がらせる。
 リリムは普通に歩けるのだが、折角だからと甘えることにした。
 小部屋を出てリビングらしい大部屋に出れば、テーブルで茶を啜るレックレスが相変わらずの軽い調子で片手を上げた。

「よお、フラム、リリム。体はどうだ?」

「良いよ。食事を摂りたいから外に出たいのだけど」

「外で何するんだ?」

「採取や狩り。昨日の戦闘で手持ち食料は失くしたし」

 フラムが背負い袋にしていたローブは戦闘中に中身をぶちまけてしまったのである。
 ローブこそ回収したものの、中身は汚損しており、今は何もない状況だった。
 しかしここ三十日ほどの死域生活により狩猟民族と化したフラムに不安はない。
 また狩れば良いのである。

「水臭いこと言うなよ。俺様たちは仲間だろ。分けてやるから座ってな」

「そういうお前は胡散臭いがな」

「はっはー。いいから大人しくしてなむっつりちゃん」

「ぐぬぬ……」

 毒を吐くリリムをあっさりと躱し、レックレスは奥へと消えていった。
 明確な弱みを握られている彼女にできることはない。
 恨みの込められた視線を彼が消えていった扉にぶつけるのが精いっぱいなのだった。

「むっつりって何?」

「何でもない」

「そ、そう」

 取り付く島もないリリムの態度にフラムは疑問を引っ込めた。
 君子危うきに近寄らず、彼は聡明なのである。
 やがて、レックレスが持ってきたのは肉や果物を乾燥させた保存食だった。
 適正な作り方をしたのだろう、普段フラム達が食べていた野性味溢れる食事よりもよほど上等であり、二人は文句なく平らげる。

「ここじゃ火は起こせない。乾きもんで悪いな」

「いや、充分だったよ。ありがとう」

「感謝するが、このお茶は苦いな」

 食後の不味いお茶までしっかり頂き、一息つく頃にはリリムの体調もかなり良くなっていた。
 やはり単純に体力が落ちていただけであり、睡眠と食事が重要だったのだろう。
 そのせいか再び睡魔に襲われつつある彼女だったが、事情も聞かずに眠る訳にもいかず、フラムに話を催促する。

「えーと、まず僕が禁種になった経緯からだけど」

 リリムを襲った禁種との戦闘。
 自爆覚悟の魔核への魔力注力。
 そこからの覚醒と勝利。
 レックレスとの邂逅と対話、そして取引。
 それらを無言で聞いた後、リリムは深々と頭を下げた。
 フラムはもちろん、レックレスに対しても。

「フラム、ありがとう。君はまたワタシを助けてくれた。そして済まない。ワタシが油断したばかりで苦労をかけてしまった」

「そんなこと……」

「そしてレックレス。あなたにも感謝を。ワタシの命ばかりでなくフラムの治療含め多くを提供してもらった。禁種の件については、当然ながらワタシも協力させてほしい」

「気にすんな。優秀な魔術師なら歓迎だ。フラムから聞いたが、雷と水の双属性使いなんだろ? 特に水は有用だからな」

「リリム、契約は僕が交わしただけなんだから……」

「ふん。君はワタシがそんな言葉では止まらないと、分かって言っているのだろう?」

「……まあね」

「いやはやまったくお熱いことで。今後の予定を詰めても良いかい、ご両人?」

 両手を上げて降参のポーズをとるレックレスだが、流石の彼も今回ばかりは本心から参った様子だった。
 フラムとリリムは当人たちこそ意識してないものの、三十日以上も過酷な状況で共生した結果、非常に距離が近いのである。
 それはリリムの好意だとかは関係なく、危険地帯をともに動くに当たってその方が安全だから、という色気のない理由だった。
 結果としていつも寄り添うような格好であるし、基本的に二人が別行動をとることもない。
 徐々に距離を詰めたため二人は疑問に思わず、結果として客観的に見るレックレスにとっては恋人同士にしか見えなかった。
 そのため、半ば確信を持ってフラムに彼女との関係は恋人かと尋ねた際、それを否定されたときには内心かなり驚いたのである。
 二人のいる特殊な環境下ではそれも有り得るのかと自分を納得させるには至ったが。

「さて、二人には俺の目的を話そう――と思ったが。……招かれざる客が来たようだ」

「客?」

「とりあえず外に行くぞ。そうだな、俺の自己紹介の続きだ。禁種の先輩として、その力を見せてやるよ」

 軽薄な雰囲気を封じ込め、レックレスは立ち上がった。
 彼は見た目や雰囲気では察しにくいが、戦闘に関しては達人である。
 それは禁種としての力を差し引いても、命魔術師として彼が秀でているに他ならない。
 彼は禁種との闘いに当たりフラム達を鍛える算段だったが、教える側の実力を示すにはどうしたものかと悩んでもいた。
 渡りに船であった。
 事態が呑み込めない二人を無言で促し、地上へと上がる。
 薄暗い地下から上がったことで陽光が目を刺すが、意に介さずレックレスはある一点を睨みつけていた。

「犬の魔獣?」

 茂みを揺らし、現れたのは一匹の犬型魔獣だった。
 怪我をしているのか、足を引きずるような挙動で草木を掻き分けて現れたそれは、三人に犬歯を見せ付ける。
 口の端を吊り上げ、笑ったのだ。

「こ、ろす」

 犬型魔獣が言語を発したことに驚いたのはリリムだけだった。
 フラムは既に臨戦態勢に入っており、リックレスが手で制していなければとっくに魔術を展開していただろう。
 そのリックレスも中折れ帽子を脱ぎ、普段は見せない真剣な表情をしていた。
 リリムは彼の額にある第三の瞳に気付き、驚きで目を見開く。
 事前に聞いていなければ小さな悲鳴すら上げていたかもしれない。
 彼の第三の瞳はまっすぐに犬型魔獣を捉えていた。
 超魔紋の刻まれた瞳を通せば、もはや犬型などに見えてはいなかったが。

「見えるか、フラム」

「……グランホムラ。超魔紋は禁種の擬態を暴くのか」

「なっ、奴はフラムが倒したのではなかったのか!?」

「そのつもりだったんだけど」

 そんな会話の間に犬型はその姿を変貌させていく。
 人の体に山羊の頭を乗せた異形。
 角は欠損し、全身は焼け爛れ、一部は赤熱し、巨大だった体はかなり縮んでいる。
 体の一部は炭化さえしていた。
 もはや死に体であるのは誰の目にも明らかだったが、超魔紋が刻まれた両目は溢れんばかりの殺意に満ちている。
 殺意しか残っていない、というのが正しいかもしれない。

「二人は下がってろ」

「え?」

 殺意の獣に成り下がったグランホムラを恐れる素振りも見せず、レックレスは一歩前に進み出た。
 疑問の声を上げたフラムに帽子を投げて黙らせれば、横顔だけを向けて不敵に微笑む。

「お嬢ちゃんを守っていな。フラムに取られちまったが、こいつは元から俺様の獲物だったんだ。返してもらっても構わねえだろう?」

 揺るぎない自信を感じさせる発言は二人を下がらせるには充分だった。
 フラムとしても本調子でないリリムに無茶はさせたくない気持ちもある。
 結局、彼女の手を引いてその場から離れた。

「大丈夫なのだろうか」

「僕もレックレスが戦っているところを見た訳ではないけど……少なくとも弱そうには見えない」

 森の中で初めて会った時、フラムは完全に背後を取られていた。
 魔力を内包する生き物が近くに居れば、魔核を持つ者は気配を感じ取ることができる。
 それを隠す技術も存在するが高等技術であり、そしてレックレスのそれは完璧だった。
 それだけで強者の証明である上に、彼は禁種である。
 成りたてのフラムとは違い、鍛錬を経た禁種。
 死に掛けのグランホムラに負けるとは思えなかった。

「リリム、魔術は使えそう?」

「万全ではないがな。防御か?」

「うん。グランホムラは炎の属性だから、水の障壁を張っておいた方が良いと思う」

「分かった」

 背後で水魔術が発動するのを感じながら、レックレスは自然体でグランホムラと対峙していた。
 擬態を解くのも緩慢で、肉体の損傷から動きは鈍い。
 遠からず死ぬ運命にある、それは間違いない。
 情報を聞き出すのは無理そうだと諦め、彼は拳を握りしめた。

「……ぁ」

「おっと。俺様を無視するなよ」

 炎が爆ぜた。
 フラムに向かって無詠唱で放たれたファイアボールをレックレスが片手で握り潰す。
 同じく無詠唱で発動させた自己防護の魔術によるものだ。
 殺意に満ちた視線は相変わらずフラムだけを追っており、言葉を投げても反応する様子はない。
 無視されたレックレスは詰まらなそうに肩を竦め、散歩するかのような歩調で移動した。
 フラム達とグランホムラの間、視線を遮るような格好で。

「こういう時の台詞は決まっている。ここを通りたきゃ、俺様を倒していきな」

 グランホムラは初めて気づいたように、レックレスへと殺意を向けた。

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