星火禁滅の火球使い

ブートレガー文学

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第3章 禁種と覚醒

3-1

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 地図上では小さな突起にしか見えない半島だが、長さ20㎞近くともなれば遠距離から見ても歪曲した海岸線にしか見えない。
 しかし明らかに北方向に延びる地形は、目的としていた場所であると二人が判断するに充分な変化だった。
 二人はずっと海岸線を移動していたが、同じように右手にはずっと森が続いていた。
 これは半島においても例外ではなく、大陸から飛び出た地形の分だけ森も延長されている。
 つまり、半島を無視して直進するには森を横断する必要があった。

「今まで通り海岸線を行けば安全だけど、地図で見るに40㎞くらい余計に歩くことになるね」

「……直進しないか? そろそろ森で食糧確保しなければならないタイミングだ。合理的だと思うが」

「う~ん。でも、絶対に魔獣は居るし、最初の森より木の密度が増しているんだよね」

 二人が最初に散策した遺跡付近の森は葉の大きな南国風の木々だけだったのだが、今は広葉樹の勢力が増してきていた。
 背が高いため行く手を葉に遮られるということはないが、薄暗さと視界の狭さは格段に上がっている。
 比例して森に棲む魔獣を先んじて発見する確率は下がるだろう。
 もし奇襲を受けて怪我をすれば、二人に治療の手段はない――というのは少し前の話だ。

「ワタシも多少の治療はできるようになったが、大怪我の治療は長時間を要するだろうな」

 リリムは新たに命属性の魔術を修得していた。
 厳密に言えば元から修得途中であった治療魔術の修練を移動中にも継続し、見事にものにしたのだ。
 もちろん自分の適性属性ではないために魔力の消費効率や効能は適性者と比較して二割程度まで落ちるだろう。
 この効率の悪さから己の非適性属性を習得する者は少ないが、命属性に限っては一定数存在する。
 何せ、怪我や病気の治療に対する唯一の属性なのだ。
 非効率であろうと、戦闘を生業にする者が命属性魔術を修得することは珍しいことではなかった。
 最も、研究者であるリリムがそれを行うのは奇特なのだが、彼女については今更である。
 しかしちょっとした擦り傷の治療にも1~2分程かかるため、戦闘中の使用は望めそうもない。

「だが、海岸線はあの様子だぞ」

 リリムが直進を提案した理由はもう一つある。
 今までは一定の距離を保っていた海岸と森が急接近し、二人が歩くスペースが狭くなったのである。
 岸壁であるために海面までは高さがあり、落ちれば岩にぶつかって死ぬ可能性もあるだろう。
 近くなった森から魔獣の奇襲を受けて海に落下、そんなリスクが発生していたのだった。
 それならば最初から森の中を歩くのもアリなのでは、というのがリリムの考えだ。
 その説明に対してはフラムも納得し、結局は直進することに決めるのだった。
 直進距離は20㎞程度、森という地形を考慮しても二日程度で抜けられるはず、という要因もあった。

「よし、進もう。ただ、間違って南に進まないように北西を進んで海岸線にぶつかるように進もうか。少し移動距離は長くなるけど」

「それくらいの安全策は必要だろう。異論はない」

 二人は森の手前で一泊した後、一気に突っ切るべく日の出とともに森へ入った。
 警戒しつつ常に魔術を発動できるよう身構え、周囲警戒を怠らずに進む。
 結果として、二人はこの選択を後悔することになる。
 死域と呼ばれる大陸を無事に進んでいることで油断や慢心があったのかもしれない。
 その代償は、痛みと恐怖で支払われることになるのだが、今の彼らは知る由もなかった。

「静かな森だね」

「ああ。魔獣の影すらないな」

 二人が森に入ってから半日が経った。
 しばらく進めば見たことのある果実が豊富に実っており、獣に食べられた形跡もない。
 目的の物がすぐに見つかったことに喜びつつ、あまりにとんとん拍子なことに肩透かしを覚えるほどであった。
 戦闘に発展するかはともかく、今まで魔獣の出現頻度はかなり高かった。
 それが、この森に入ってからは皆無。
 最初こそ安堵していたが、それはやがて疑心に裏返っていく。
 この森は、何かおかしい。

「リリム、なるべく足を止めずに行こう」

「同感だ。なんだか、寒い」

 背筋に悪寒が走り、自分を抱きしめるように両腕を擦る。
 この感覚は森に入ってから度々感じていた現象だった。
 まるで目に見えない何かが自分の背をそっと撫でている、そんな想像が頭を過る。
 根拠のない想像は、急に暗い場所に来たせいで精神的に参っているのか、何かの兆候か。
 いつもであれば森のあちこちで聞く不快な鳥の鳴き声でさえ、無音の中では待ち遠しくなるほどであった。
 先頭を行くフラムと離れ過ぎないように早足になった、その時。
 ふと、リリムは背後に何かの気配を感じて弾かれたように振り返った。
 身を護るように身を縮め、悲鳴を押し殺して体ごと動く。

 静寂。

 しかし、そこには何もいなかった。
 ただただ暗い森が続いているだけである。
 感じた気配は決して錯覚などではなく、にも関わらず何もいないのだ。
 呆然と闇を眺めていたリリムだが、諦めたように向き直る。

「どうしたの?」

「いや……何でもない」

 フラムは不思議そうに首を傾げていた。
 彼は何も感じていないようであり、自分だけが覚えた違和感は気の迷いだろうと結論付けたリリムだが、あるものを見つけて硬直する。
 こてんと可愛らしく首を曲げたフラムの背後、少し離れた位置を歩いている者。
 後ろ姿で顔は見えない。
 薄汚れたシャツ、見覚えのある背中、そして何より燃えるような赤い髪。
 ほんの5m先にいたそいつは、彼女たちの会話に気付いたのだろう、立ち止まってこちらを振り返った。
 まるでスローモーションのようにゆっくりと感じたのは、リリムの理解が追い付かなかったのだろう。
 視線が交わったその相手は――フラムだった。
 不思議そうな顔をしていた彼が、愛しい彼のあどけない表情が、みるみる染まっていく。
 驚愕に染まって、リリムの名を叫んだ。

「リリムっ!!」

 耳朶を打つ悲痛な声の主がフラムであるならば。
 目の前で首を有り得ない角度に傾げているフラムは。
 血を満たした器のように目を充血させているフラムは。
 耳まで割けた口から不揃いな牙を見せているフラムは。
 混乱の極致に陥ったリリムの疑問はひとつ。
 目の前のフラムは――なんだろうか。
 直後、胸に痛烈な衝撃が走り、彼女の意識は弾け飛ぶ。
 凄まじい勢いで木に衝突したリリムに対し、それを実行した存在は何もしなかった。
 目の前の獲物より、背後に迫る濃厚な怒気の持ち主のほうに興味が移ったのである。
 激昂とは対照的にフラムの魔核に収束する魔力は理想的な流れで魔術を形成し、滑らかに火球を現出させた。

「ファイアボール!!」

「面白い」

 僅かな挙動で火球を躱したそいつは、すでにフラムの姿をしていない。
 山羊のような頭部を人の体に乗せた人外は流暢に言葉を発し、窪んだ目を細めて笑う。
 フラムは沸騰した頭の隅で、そいつを禁種だと認識した。
 禁種とは、魔獣の突然変異とも、邪神に魅入られた人間の成れの果てとも言われている。
 出自こそ不明だが、彼らが人類の敵であるという事実だけははっきりしていた。
 とある国の王族を暗殺した禁種。
 戦場に降り立ち両軍を滅ぼした禁種。
 病原菌を振りまいた禁種。
 悪意が具現化したかのような存在であり、人を苦しめ殺すことに喜びを見出す性質を持つ。
 そして、総じて強大だった。
 フラムの目の前にいる山羊頭も例外ではない。
 人語を解し、黒いボロ布を身に巻き付け、二本足で直立する山羊の化物。
 純粋なる悪、人を害する存在、リリムを気付付けた敵。

「ファイアボール、ファイアボール、ファイアボールっ!!」

「気色悪いほどに等質じゃ。こと精密性については儂よりも上だがの。小僧、まさかこれしか使えんのか?」

 掌に火球を作り出した山羊頭は、問い掛けの体裁とは裏腹に確信めいた笑みを浮かべた。
 飛来した二つの火球を踊るように回避し、残るひとつに自分の火球をぶつけ、巨大な業火の破裂を生み出した。
 膨れ上がった炎が相殺により消えていくのを愉快そうに眺めていたが、消えゆく炎を突き破って現れた新たな火球に対しては流石に目を見開いた。

「むっ?」

 咄嗟に左手で防いだものの、焼け焦げた手は黒煙を上げた。
 焦るような負傷ではない。
 しかし、攻撃を受けたこと自体が問題だった。
 醜悪な笑みを消し去り、能面のような無表情に切り替えた山羊頭は、静かに殺気を滲ませた。
 足元から忍び寄る夜霧のような殺意はフラムの足元にまで届いたが、しかし彼は怯むことなく魔力を練る。
 その瞳は未だ怒りに燃えていた。

「小賢しい。略詠唱と無詠唱の使い分けかの。だが、二度目はない」

 フラムは一切言葉を聞かず、ただ視線だけをリリムに向けた。
 仰向けに転がった彼女に意識はなく、身動ぎひとつない。
 衣服を染めている血染みは鮮やかで、右手と右足は衝突のショックで明後日の方向に折れ曲がっている。
 まさか、という考えが頭を過るほどの惨状。

「貴様は苦しめてから殺して」

 山羊頭の言葉を無視し、フラムは地を蹴った。
 一定の距離を取っていた状態では策を弄してもまともに当たらず、そして言葉通り二度は通用しないだろう。
 そして、強大な力を持つ禁種相手に魔術の撃ち合いを挑んだところで勝機は薄い。
 ならばゼロ距離で手数を武器に短期決戦を挑む。
 フラムは右手に火球を作りつつ、真正面から立ち向かった。

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