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第2章 死域への転移

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 遺跡に戻った二人は、果実で空腹を満たしていた。
 最初にフラムが実の半分を食べ、時間が経っても体に変調がないことを確認してからの食事である。
 その他、胡桃のような実やドングリに似た植物を煮て食すなど、食料を少し確保することに成功した。
 日が高いうちにこれらをできるだけ集め、リリムのローブを背負い袋のように縛って保存する。
 幸いにして気候は温暖であり、しばらくは寒さに凍える心配はなさそうだった。
 やがて、日が沈んだ頃。

「事前に話した通り、眠る際は交代だね」

「ああ。建物内に葉っぱでも敷いて寝る他あるまい」

 遺跡内には魔獣が侵入した形跡、例えば毛や糞などはなかった。
 であれば無駄に相手を刺激する可能性のある火は点けず、月明りの中で眠ることとした。
 リリムとしては一緒にローブにくるまって眠るという案も捨て難かったのだが、しかし見張りは必要である。
 それに、少し体が触れただけで動揺するのでは、同衾など耐えられるとも思えなかった。
 いくら未成年であるとはいえ、男と一緒に眠るなど倫理的にも駄目だ。
 しかし今後寒い日があったら仕方なく身を寄せることがあるかもしれないし、心の準備は絶対に必要だ。
 などと、余計なことを考えて悶々としていたリリムであったが、やがて意識を手放したのだった。

 そんな煩悩が背後で膨らんでいるとは知らず、フラムは遺跡の入り口付近に腰を下ろして真面目に周囲を見張っていた。
 夜行性の生き物もいるのだろうが、昼間に聞こえていた魔獣の息遣いも今は大人しくなっており、一見して平和に見える。
 ふと空を見上げれば、大小二つの月が綺麗に並んでおり、その光景は故郷と変わらない。
 しかし、丸い月を背景に細長い竜のような生き物が通り過るのを見て、まったく異なる場所であることを相認識させられるのだった。

「ドラゴンが普通に居るんだもんなあ」

 その後、寝過ごしたリリムが深く謝罪するという出来事があったものの、フラムも眠りにつくのであった。

 翌朝。
 朝食を取りつつ話し合った結果、二人は進路を北に取った。
 まっすぐ直線的に東へ向かえば、目的地まで最短距離であることは明白である。
 しかし、それは不可能であると二人は考えた。
 起伏もあるし、森の中をまっすぐ進むのは難しい。
 であれば、いったん北の海岸に向かい、その後海岸沿いを東に二千㎞進んだ後に南下した方が確実だと踏んだのである。
 海岸の形状と地図を比較する方が素人にも易しく、海からも食料を入手できる。
 もしかしたら船が通りかかることもあるかもしれない。
 こうして、二人は死域へと足を踏み入れるのだった。

「海岸まではおよそ十日だったか」

「うん。地図の縮尺から見て120㎞くらいだと思う。食料確保も含めればそのくらいだと思うんだけど」

「何もなければ、だな」

「あと、雨が降ったら基本動かない。小雨程度なら葉っぱを傘にするのも手だけど、風邪ですら命に関わるし」

 ひたすらに北方向へ進む。
 時折、剣山の位置を確認して大きく進路が逸れていないかを確認する。
 食べられそうな動植物がないかを確認する。
 お互いの体調を確認する。
 基本的に前後に並ぶ形で歩き、後ろにいる者は背後の警戒も行う。
 前後は時間経過で交代し、緊張感が途切れないように工夫した。
 とにかく安全を最優先に、二人はひたすら歩き続けた。

「リリム、伏せて」

 フラムが前方に発見したのは、出発してから初めて見る中型以上の生き物だった。
 猪型で、頭部に黒い魔核がある魔獣である。
 魔核はその生物の重要箇所にある場合がほとんどであり、頭や胸に多い。
 体の一部が強大な魔獣の場合、大きな角や牙についていることもある。
 猪は単体だったが、体高は1.5m、横幅も1m弱あり、大きな牙が口から露出していた。
 ファイアボール一発程度で沈むような相手ではないだろう。

「大きく迂回しよう」

「賛成だ」

 猪との距離は200mほどあったが、向こうも気配か臭いを感じているのか、フラム達が潜む木陰を睨みつけていた。
 しかし動く様子はなく、見た目ほどの獰猛さはないようである。
 だがこれ以上近付けば分からない。
 フラム達はゆっくりと後退り、大きく右に逸れて猪をやり過ごしたのだった。

「肉食でなかったのか、空腹でなかったのか、とにかく良かったよ」

「あの距離なら低級魔術の連発か、ワタシの中級以上なら勝てるかもしれんが、しかし戦闘を避けるに越したことはないな」

「うん、あくまで戦闘は最終手段だ」

 その後、度々魔獣を発見した。
 しかし背の高い植物がない森は見通しが良く、警戒しつつ進めば出会い頭に襲われる、というようなことにはなり難い。
 慎重に進み、先に発見すれば戦闘には発展しなかった。
 しかし、先に発見できない場合もある。

「フラム、後ろだ!」

 リリムが気付いた時には、既に魔獣は50mの距離にまで迫っていた。
 それまでは息を潜めていたのだろうが、ふと振り返ったリリムに発見されるや否や、急激な加速で二人に迫る。
 それは一見して大型犬のような魔獣だったが、頭部が岩のようにゴツゴツした特徴を持っており、それが三頭。
 見える限りは、という話であり、もしかしたら他にもいるかもしれない。
 牙を剥き出しながら距離を縮める魔獣に対し、二人は迷うことなく魔核に力を込めた。

「ファイアボール!」
「サンダーボルト!」

 火球より速度に優れる紫電は先頭の一頭に命中し、犬型は勢いをそのままに地面に転がった。
 少し遅れて到達した火球に対し、残る二頭の犬型は左右に横っ飛びで回避し、さらに二人に迫った。
 一頭をやられたせいか、怒りに満ちた唸り声を上げている。

「私が吹き飛ばす! 牽制しろっ!」
「ファイアボール!」

 リリムの指示に従い、フラムは最速で火球を連発する。
 彼のファイアボールには相変わらず精密であり、戦闘時と平時とを比較しても乱れがない。
 二秒に一発のペースで火球を乱れ撃ちし、地面を狙うことで相手の足止めを行った。
 ちなみに地面を狙うのは周囲への延焼を防ぐ意味もある。

「水流よ・並べ・昇れ・押し流せ――スプラッシュ・ウォール」

 やがてリリムの詠唱が完成し、地面に向かって杖が鋭く振るわれる。
 直後、犬型の真下から高圧の水流が立ち上り、凄まじい勢いで吹き飛ばした。
 きりもみ回転しながら打ちあがった犬型は周囲の木々より高い位置まで飛び、血を吐きながら自由落下した後は既に息絶えていた。
 リリムの放った魔術は壁として敵前に張るのが本来の用途だが、命中させれば今回のような芸当も可能である。
 フラムの牽制火球により相手の速度が下がったからこそ可能なことだった。

「周囲は?」

「たぶん平気かな。少なくとも敵影は見えないよ」

「そうか。……やれやれ、戦闘訓練など嫌々だったのだが、今となっては感謝しかないな」

「本当だね。僕は無事帰ったら徴兵制を父上に進言するよ」

「はは、気が触れたと思われそうだな」

 軽く笑うほどの余裕を持って二人は犬型に近寄る。
 遠くから石を投げて生死を確認し、三体の獲物を確保した。
 二人は考える。
 さて、これをどうするべきか。

「まあ、食べるよね」

「そうだな、果実だけでは無理だし。フラムは解体得意か? ワタシは一回しかやったことがないから自信がないんだ」

「僕はまあ、何回か。それに失敗しても三頭いるから。とりあえずやってみよう。リリムも覚えてね」

「分かった」

 フラムはベルトに挟んでいた石ナイフを取り出す。
 これは途中で見つけた硬度の高い石を磨いた手製だ。
 とんでもなく切れ味は悪いが、ちょっとした植物の蔦を切ることはできる。

「まずは首を切って血抜き。他の獣を呼び寄せる可能性があるので、一頭を置いて囮にして移動。その後、解体してまた移動」

「首の切断ならワタシの水魔術でやろう。細かい寸断には向かないからその後は任せるが。そいつらを同じ向きに並べてくれ」

「アクアブレイドだね。分かった、お願い」

 フラム達は初日の話し合いの中で、お互いが何をできるかをすべて把握し合っている。
 リリムが使用できる魔術は二十種類以上あり、これは同年代の魔術師と比較しても非常に多い。
 対して、フラムはファイアボールと剣術だけである。
 実質ひとつだけであり、フラムはかなりへこんだ。
 話は戻り、並べられた犬型に杖を向けるリリム。

「変幻自在の水よ・その力を刃に変えて・我が敵を両断せよ・走れ清浄なる水刃――アクアブレイド!」

 構えた杖の前方に水柱が出現したかと思えば、前方へと薄く高速で射出し、犬型の首を三頭まとめて瞬時に寸断した。
 あくまで水であるため硬い岩などは表面を削るに留まるが、大型犬程度の脊椎なら軽く切断できる強力な魔術である。
 しかし対人の場合は詠唱が長い上に直線的であるため回避が容易であり、リーチも微妙に短い。
 魔獣向けの魔術だと言えるだろう。

「ありがとう。じゃあ足を蔦で縛って気に吊るして、血が止まるまで待機。あ、穴を掘ってそこに血を埋めれば良かったかな。血の匂いが周囲に広がるのを防げたかもしれない」

「次はそうするか。さっさと終わらせて移動しよう」

 その後、切れ味の悪い石ナイフで苦労しつつ解体し、内臓は地中に埋める。
 毛皮は剥ぎ、これも廃棄する。
 二人が毛皮をなめす方法を知らなかったためだ。
 毛皮は回収すると店が買い取ってくれる、という知識しかない。
 食用の肉だけを残し、手ごろな岩陰で調理を開始した。

「焼くよりは煮た方が楽だし、匂いも出ないよね」

「じゃあ昨日と同じだな。アクアボール」

 リリムが指先に出現させたのは人の頭部ほどある水球だ。
 泡を浮かべながらその場で静止している。

「ファイアボール」

 同様にしてフラムが火球を出現させ、二つを触れ合わせることで水を沸騰させる。
 その中に解体した肉を蔦で縛って吊り餌のように投入し、煮え上がるまで待つ。
 鍋がないが故の悲しい工夫であった。
 これを遺跡の小部屋に転がっていた錆びた金属製の器によそえば。

「完成、犬型魔獣の丸煮、赤い謎フルーツ添え」

「わー、お肉!」

 フォークはないため、枝を削った串で食す。
 食器も一つしかないため、仲良く顔を並べてつついた。
 ちなみに金属製の器はフラムが砂で必死に磨いたため、ある程度の光沢を取り戻している。
 厚みがないため鍋代わりにできないのが残念であった。
 とにかく、そのお味は。

「獣臭い」

「味が薄い」

「筋っぽい」

「単純に美味しくない」

 大不評だった。
 家畜でもない野生の獣を味付けもせずに煮ただけなのだから、当然の結果である。
 しかし文句は言えないし、食べないという選択肢を取る余裕はなかった。
 その辺りの草を香草代わりに入れればマシになるかもしれないし、改善の余地はある。
 逆に言えば改善の余地しかない。
 今後も魔獣肉は食べていく必要があるし、課題は山積みだ。

「でも、温かい」

「うん」

 それでも、肉を食べて活力の出た二人の瞳には希望が宿っていた。
 食事の大切さが身に染みた。
 余った煮込みは低木の大きな葉に包み、夕食にする予定である。
 頑張れば明日の朝にもいけるかもしれないが、暖かな陽気であるために腐るだろうと予想し、食事はその日限りと限定する。
 もはや狩猟民族のような暮らしだが、どうしようもない。
 二人は黙って食事を続けるのだった。
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