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第2章 死域への転移
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フラムは生きていた。
魔塔の現場を確認した人々は、まるで削岩機に削られたかのような破壊痕からして二人の生存は絶望的と判断していたが、フラムは五体満足で生存していたのだ。
閃光に包まれた瞬間に酷い浮遊感と魔力の衝撃に襲われたために意識を失っていたが、フラムは朝の目覚めと同じ感覚で意識を取り戻した。
最初に視界に入ったのは曇天だった。
「……えーと」
大の字になっていた身を起こして辺りを見回せば、どうやら屋内のようである。
石床に寝ていたせいか体が少し痛むが、これといった異常もなく立ち上がる。
屋根はなく壁も朽ち果てており、廃墟となった建物の一室で横になっていたのだと理解した。
しかし経緯は分からない。
「実験中に魔石から光に包まれて……」
それ以降の記憶はなかった。
事故にあったことは間違いないが、どうやら怪我をするようなことはなかったようだ。
仮に魔石が爆発でもしていたのなら、間近にいた自分が無事なはずはない。
しかし病院のベッドで目覚めるのならともかく、廃墟にいるのは解せなかった。
部屋には何もなく、ただの小部屋だ。
仕方なく扉もない部屋を出たフラムだが、彼の眼前に広がったのは。
「森」
「森だな」
鬱蒼と生い茂った深い木々と、見知った人物。
リリムだった。
相も変わらず、黒いローブととんがり帽子を目深に被った不審者ルックである。
切り株に腰掛け、フラムに背を向けて森へ視線を向けていた。
「リリムさん、あの後どうなったのですか?」
「君とまったく同じだよ。目覚めたらさっきの小部屋にいて、ここがどこかも分からない」
「……転移?」
「ワタシも同じ結論だよ、フラム君」
空間転移、という現象は現在の技術にはない。
というか自然エネルギーを操るだけの現代魔術で空間転移などという現象は起こしようがない。
しかし古代遺跡から発掘された文献には転移という単語が散見されていたため、超古代文明においては存在していた技術ではないか、という解釈がなされている。
それが魔術的なものか科学的なものかは不明だが。
そして二人が実験していた魔石は古代文明の遺物である。
「これは魔力を貯蔵することで空間転移を起こす装置だった、ということかもしれないね。もっとも、すっかり魔力は空っぽになってしまったようだが」
そう言ってリリムが手の中で転がして見せたのは全魔石だった。
しかし元は濃紫色だったものが水で洗い流したかのように薄まり、今は限りなく無色に近い。
個人で魔力を充填できるはずもなく、今や正真正銘のがらくたと言って良いだろう。
淡々と現状を分析してみせるリリムに対し、フラムの心情は落ち着かなかった、
ここはどこか。
安全なのか。
家に帰れるのか。
父は心配しているだろうな。
不安に苛まれるのは11歳という年齢から考えれば当然であるし、それはフラムが大人びているという点は関係がない。
このような状況であれば例え大人であっても同じだろう。
だからこそ、どっしりと構えて冷静に受け答えするリリムは頼もしかった。
彼女は最年少で魔塔に入った、国に認められた国家魔術師である。
そんな彼女が一緒だということでフラムは少しの落ち着きを取り戻し、リリムに歩み寄った。
「リリムさん、どうしましょうか」
「…………」
「リリムさん?」
沈黙したリリムに疑問を持ったフラムはとんがり帽子で隠れた彼女の顔を覗き込む。
そして、ぎょっと驚いた。
彼女の綺麗な金色の瞳は、決壊したダムのように大量の水を流していた。
有り体に言えば、大泣きしていた。
これでもかと涙が流れ、顎から滴り落ちてローブを濡らしている。
泣き声を上げていないのは残ったプライドか年上の意地か。
声を上げたら最後、心も崩壊すると理解しているからか。
「フラム君、ワタシ、お家に帰れるかなあ……」
リリム・フィアノームは今年で十六歳になる才女である。
しかし箱入り娘で研究一筋だった彼女は思いのほか打たれ弱かった。
五歳下の少年に臆面もなく泣き顔を晒し、薄っぺらい虚勢をあっさり手放すくらいには余裕がなかった。
そんな彼女を前にして、フラムは思う。
僕が頑張ろう、と。
彼の不安は、自分以上の不安を晒している相手がいることで取り除かれたのだった。
「だ、大丈夫ですよリリムさん。意外と近くかもしれませんし、とにかく周りを探してみましょう」
「でも……魔獣がいたら? 盗賊がいたら?」
「そんなの、僕たちの魔術で撃退できますよ。それにほら、リリムさんは若干十六歳にして栄魔勲章を授与された天才ですからね。いやあ頼りになるなあ!」
「そ、そうだね。ワタシは天才、ワタシは凄い、ワタシは天才」
「そうですよ!」
必死に鼓舞するフラムに同調するリリム。
どう見ても自分に言い聞かしているだけのようだが、一時的にでも立ち直ってもらわなければ非常に困る事態であるため、フラムは頑張って盛り上げた。
聡明な子供である。
「……よ、よし。まずは森を出なければならないな!」
「はい。えと、改めて確認しますけど、この森や建物に見覚えはないですよね?」
「ああ。だが闇雲に森を動くより、この建物を調べてみよう。もしかしたら地図とかがあるかもしれない」
「確かに。ところでこれって……遺跡ですかね」
彼らが寝ていた建物は小規模ではあるが遺跡のようであった。
ここでいう遺跡とは、古代文明の名残を残す建造物のことであり、こういった建物は世界の各地で発見されている。
ここまで発展した文明が崩壊していることには様々な推測が成されているが、ここでは割愛する。
「そのようだな。全魔石も遺物であるが、アレが見つかったのはグランノース大陸の西端だと聞いた。仮にここがそうだとしたら、海を跨いで移動したことになるが……」
「まさかの大陸間移動ですか。とにかく、調査してみましょう」
「そうだな」
遺跡は最も大きな建物を五つの小さな建物が囲む形で並んでいる。
残念ながら小さな建物のうち二つは完全に崩壊しており、残りの三つのうち一つはフラム達が目覚めた部屋である。
残りの二つも小部屋だが、そこに特筆すべきものは何もなかった。
錆びた金属の器や朽ちて原型のない物体が残るだけである。
人間かそれに準じた何者かが遥か昔に居たのだろうが、最近の物はない。
自然と最も大きな建物への期待が高まったが、中で発見できたのは一つの金属碑だけであった。
「これは地図ですかね」
「そのようだ。少し今と異なる形だが。世界中の至る場所に点が打たれているが、このうちのどれかが現在地だろうか」
「文字もありますが……読めますか?」
フラムの問いに対してリリムは無言で首を横に振った。
彼もあまり期待はしていなかったために大きな落胆はない。
古代文字に精通している者など極少数である。
改めて地図を見れば、打たれている点は八カ所。
世界は四大大陸に大きく分かれており、そのうちの東西南北に位置する大陸にそれぞれ二カ所ずつ点が打たれていた。
この中で東に当たるのが、フラム達が住んでいたマギ王国があるイストリア大陸であった。
因みに北がグランノース、南がジェサウス、西がウェストピアとなっている。
世界地図を眺めていたフラムだが、ふと思いついたことがあった。
思いついてしまったことがあった。
その考えが正しくないことを祈って、その考えを否定してもらいたくて。
彼は考えを言葉に出すことを決意する。
「あの、実験していたのは夕方ですよね。でも、今は太陽の位置からして朝方です」
「なるほど、時差がある訳か。体感的に気絶していたのは短時間だと思うが」
「つまりおよそ半日の時差がある訳ですよね。そして、対蹠地との時差も半日だそうですから……」
「すまん、対蹠地とはなんだ?」
聞いたことのない単語に首を傾げ、リリムは質問する。
フラムは昔から読書を好んでおり、難解な単語を使ってしまうことがあった。
普段は噛み砕いた言葉に言い直すものだが、それだけ余裕がないのだろう。
または、無意識のうちに分かり易い言葉で表現することを避けていたのかもしれない。
分かり易い絶望を忌避していのかもしれない。
フラムはリリムの問いに対し、口元を引き攣らせてこう答えた。
「この星の裏側のことですよ」
フラムはカラカラに乾いた笑いを浮かべることしかできなかった。
その意味を理解したリリムも一気に顔を青くする。
彼らが住んでいたイストリア大陸の反対側、それはウェストピア大陸である。
マギ王国から遠く離れた場所、それだけならまだ良い。
まだマシだ。
時間を掛けても辿り着けるのならば。
彼らが青褪めた理由は、ウェストピア大陸の別名にある。
死域ウェストピア。
そこは、魔獣の楽園である。
魔塔の現場を確認した人々は、まるで削岩機に削られたかのような破壊痕からして二人の生存は絶望的と判断していたが、フラムは五体満足で生存していたのだ。
閃光に包まれた瞬間に酷い浮遊感と魔力の衝撃に襲われたために意識を失っていたが、フラムは朝の目覚めと同じ感覚で意識を取り戻した。
最初に視界に入ったのは曇天だった。
「……えーと」
大の字になっていた身を起こして辺りを見回せば、どうやら屋内のようである。
石床に寝ていたせいか体が少し痛むが、これといった異常もなく立ち上がる。
屋根はなく壁も朽ち果てており、廃墟となった建物の一室で横になっていたのだと理解した。
しかし経緯は分からない。
「実験中に魔石から光に包まれて……」
それ以降の記憶はなかった。
事故にあったことは間違いないが、どうやら怪我をするようなことはなかったようだ。
仮に魔石が爆発でもしていたのなら、間近にいた自分が無事なはずはない。
しかし病院のベッドで目覚めるのならともかく、廃墟にいるのは解せなかった。
部屋には何もなく、ただの小部屋だ。
仕方なく扉もない部屋を出たフラムだが、彼の眼前に広がったのは。
「森」
「森だな」
鬱蒼と生い茂った深い木々と、見知った人物。
リリムだった。
相も変わらず、黒いローブととんがり帽子を目深に被った不審者ルックである。
切り株に腰掛け、フラムに背を向けて森へ視線を向けていた。
「リリムさん、あの後どうなったのですか?」
「君とまったく同じだよ。目覚めたらさっきの小部屋にいて、ここがどこかも分からない」
「……転移?」
「ワタシも同じ結論だよ、フラム君」
空間転移、という現象は現在の技術にはない。
というか自然エネルギーを操るだけの現代魔術で空間転移などという現象は起こしようがない。
しかし古代遺跡から発掘された文献には転移という単語が散見されていたため、超古代文明においては存在していた技術ではないか、という解釈がなされている。
それが魔術的なものか科学的なものかは不明だが。
そして二人が実験していた魔石は古代文明の遺物である。
「これは魔力を貯蔵することで空間転移を起こす装置だった、ということかもしれないね。もっとも、すっかり魔力は空っぽになってしまったようだが」
そう言ってリリムが手の中で転がして見せたのは全魔石だった。
しかし元は濃紫色だったものが水で洗い流したかのように薄まり、今は限りなく無色に近い。
個人で魔力を充填できるはずもなく、今や正真正銘のがらくたと言って良いだろう。
淡々と現状を分析してみせるリリムに対し、フラムの心情は落ち着かなかった、
ここはどこか。
安全なのか。
家に帰れるのか。
父は心配しているだろうな。
不安に苛まれるのは11歳という年齢から考えれば当然であるし、それはフラムが大人びているという点は関係がない。
このような状況であれば例え大人であっても同じだろう。
だからこそ、どっしりと構えて冷静に受け答えするリリムは頼もしかった。
彼女は最年少で魔塔に入った、国に認められた国家魔術師である。
そんな彼女が一緒だということでフラムは少しの落ち着きを取り戻し、リリムに歩み寄った。
「リリムさん、どうしましょうか」
「…………」
「リリムさん?」
沈黙したリリムに疑問を持ったフラムはとんがり帽子で隠れた彼女の顔を覗き込む。
そして、ぎょっと驚いた。
彼女の綺麗な金色の瞳は、決壊したダムのように大量の水を流していた。
有り体に言えば、大泣きしていた。
これでもかと涙が流れ、顎から滴り落ちてローブを濡らしている。
泣き声を上げていないのは残ったプライドか年上の意地か。
声を上げたら最後、心も崩壊すると理解しているからか。
「フラム君、ワタシ、お家に帰れるかなあ……」
リリム・フィアノームは今年で十六歳になる才女である。
しかし箱入り娘で研究一筋だった彼女は思いのほか打たれ弱かった。
五歳下の少年に臆面もなく泣き顔を晒し、薄っぺらい虚勢をあっさり手放すくらいには余裕がなかった。
そんな彼女を前にして、フラムは思う。
僕が頑張ろう、と。
彼の不安は、自分以上の不安を晒している相手がいることで取り除かれたのだった。
「だ、大丈夫ですよリリムさん。意外と近くかもしれませんし、とにかく周りを探してみましょう」
「でも……魔獣がいたら? 盗賊がいたら?」
「そんなの、僕たちの魔術で撃退できますよ。それにほら、リリムさんは若干十六歳にして栄魔勲章を授与された天才ですからね。いやあ頼りになるなあ!」
「そ、そうだね。ワタシは天才、ワタシは凄い、ワタシは天才」
「そうですよ!」
必死に鼓舞するフラムに同調するリリム。
どう見ても自分に言い聞かしているだけのようだが、一時的にでも立ち直ってもらわなければ非常に困る事態であるため、フラムは頑張って盛り上げた。
聡明な子供である。
「……よ、よし。まずは森を出なければならないな!」
「はい。えと、改めて確認しますけど、この森や建物に見覚えはないですよね?」
「ああ。だが闇雲に森を動くより、この建物を調べてみよう。もしかしたら地図とかがあるかもしれない」
「確かに。ところでこれって……遺跡ですかね」
彼らが寝ていた建物は小規模ではあるが遺跡のようであった。
ここでいう遺跡とは、古代文明の名残を残す建造物のことであり、こういった建物は世界の各地で発見されている。
ここまで発展した文明が崩壊していることには様々な推測が成されているが、ここでは割愛する。
「そのようだな。全魔石も遺物であるが、アレが見つかったのはグランノース大陸の西端だと聞いた。仮にここがそうだとしたら、海を跨いで移動したことになるが……」
「まさかの大陸間移動ですか。とにかく、調査してみましょう」
「そうだな」
遺跡は最も大きな建物を五つの小さな建物が囲む形で並んでいる。
残念ながら小さな建物のうち二つは完全に崩壊しており、残りの三つのうち一つはフラム達が目覚めた部屋である。
残りの二つも小部屋だが、そこに特筆すべきものは何もなかった。
錆びた金属の器や朽ちて原型のない物体が残るだけである。
人間かそれに準じた何者かが遥か昔に居たのだろうが、最近の物はない。
自然と最も大きな建物への期待が高まったが、中で発見できたのは一つの金属碑だけであった。
「これは地図ですかね」
「そのようだ。少し今と異なる形だが。世界中の至る場所に点が打たれているが、このうちのどれかが現在地だろうか」
「文字もありますが……読めますか?」
フラムの問いに対してリリムは無言で首を横に振った。
彼もあまり期待はしていなかったために大きな落胆はない。
古代文字に精通している者など極少数である。
改めて地図を見れば、打たれている点は八カ所。
世界は四大大陸に大きく分かれており、そのうちの東西南北に位置する大陸にそれぞれ二カ所ずつ点が打たれていた。
この中で東に当たるのが、フラム達が住んでいたマギ王国があるイストリア大陸であった。
因みに北がグランノース、南がジェサウス、西がウェストピアとなっている。
世界地図を眺めていたフラムだが、ふと思いついたことがあった。
思いついてしまったことがあった。
その考えが正しくないことを祈って、その考えを否定してもらいたくて。
彼は考えを言葉に出すことを決意する。
「あの、実験していたのは夕方ですよね。でも、今は太陽の位置からして朝方です」
「なるほど、時差がある訳か。体感的に気絶していたのは短時間だと思うが」
「つまりおよそ半日の時差がある訳ですよね。そして、対蹠地との時差も半日だそうですから……」
「すまん、対蹠地とはなんだ?」
聞いたことのない単語に首を傾げ、リリムは質問する。
フラムは昔から読書を好んでおり、難解な単語を使ってしまうことがあった。
普段は噛み砕いた言葉に言い直すものだが、それだけ余裕がないのだろう。
または、無意識のうちに分かり易い言葉で表現することを避けていたのかもしれない。
分かり易い絶望を忌避していのかもしれない。
フラムはリリムの問いに対し、口元を引き攣らせてこう答えた。
「この星の裏側のことですよ」
フラムはカラカラに乾いた笑いを浮かべることしかできなかった。
その意味を理解したリリムも一気に顔を青くする。
彼らが住んでいたイストリア大陸の反対側、それはウェストピア大陸である。
マギ王国から遠く離れた場所、それだけならまだ良い。
まだマシだ。
時間を掛けても辿り着けるのならば。
彼らが青褪めた理由は、ウェストピア大陸の別名にある。
死域ウェストピア。
そこは、魔獣の楽園である。
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