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第1章 炎の資質
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フラムが住む街は、マギ王国のアークボルト領にあり、領主の膝元である。
国策として魔術師を重用しており、優れた使い手は国の管理下にある。
国仕えである国家魔術師は給金と待遇が良く、国民にとって憧れの職業と言えるだろう。
国家魔術師であるフィアンマはアークボルト領の筆頭魔術師であり、三十代前半という若さで責任あるポストに納まっている点から見ても、頭抜けて優秀な魔術師であることが分かる。
最も、領主が実力至上主義を謳う変わり者であるという点も大きな理由の一つではあるが。
そんな彼の悩みは、責任重大な職務――ではなく、年上の部下の扱い――でもなく、一人息子の育成だった。
「火槍よ・射貫け――ファイアランス」
フラムの期待を裏切り、燃え盛る槍が右手から放たれることはなかった。
あれから五年、フラムは魔術の勉強を欠かしたことはない。
しかし、彼が使える魔術はたったひとつ、ファイアボールだけ。
火属性に適性があるものなら、どんな出来損ないでも扱える、低級魔術。
それどころか火属性に適性の無い物ですら、割と使えてしまう魔術ですらある。
自分の右手に視線を下ろし、フラムは深い溜息を吐く。
これなら溜息の吐き方のほうがよっぽど上達したなと、自嘲的な笑いすら浮かべて見せた。
時刻は早朝。
出勤前に庭先にいる息子の様子を窓から見ていたフィアンマは、険しい表情であることを考えていた。
認めたくはない。
決して認めたくはないが、フラムには魔術の才能がない。
それは、今までずっと思いながらも心のどこかで否定していた、いや否定したかったことだった。
本人がどんなに望んでも、事実として息子は低級魔術ひとつしか使えない。
親として息子の味方でいたかったが、心を鬼にして別の道を勧めるのもまた親の役目。
フィアンマは、そんな悩みを抱えていたのだった。
「フラム。俺は仕事に行ってくる」
「うん。僕も準備したら行くよ。行ってらっしゃい」
「ああ、行ってきます」
フラムはいつも通りに父を見送ると、荷物をまとめて家を出る。
マギ王国には教育機関が存在しており、義務ではないものの入学が強く奨励されている。
半国営であるため学費は非常に安く、一般的な家庭であれば問題なく通える程度であり、こと教育においてマギ王国が先進的なことは明らかであった。
学ぶ内容については最低限の一般教育と本人の希望に合わせた学習種目も選択可能で、農業や畜産などの一次産業から、戦士や魔術師を鍛えるカリキュラムも存在しており、そこは本人の資質や希望もあるが、親の意向に従う場合もあるだろう。
最も、国の経営面において推奨される職種は毎年変わっており、国策として農業に力を入れたい場合は農学学科の学費が無料になる、などのコントロールもある程度行われている。
さて十歳になったフラムだが、魔術を学ぼうという姿勢は変わらない。
ならば魔術を専攻しているかといえばそうではなく、彼は魔戦士を育成する学科を選択していた。
魔戦士とは、主に武芸と魔術の両方を扱う者を指す。
魔術においては適性の有無により使い手が分かれるが、適性があるからと言って全員が魔術師になりたがる訳ではない。
大魔術師の素養を持ちつつも剣を好む者も居るだろう。
剣だけを扱うなら戦士、魔術のみであれば魔術師という区別があり、その両方を齧るものは総じて魔戦士と呼ばれているのだ。
フラムは火属性の適性を持つものの、扱える魔術はファイアボールただひとつ。
現実的に考えて、魔術一本を選択するのは無理だった。
しかしそれでも魔術に関わりたい、ある種の抵抗として魔戦士を選択したのが経緯であった。
彼が通うのはアークボルト第三技術学校、通称『三技』と呼ばれる特に特徴のない学校である。
中にはある職種に特化した学校、それこそ魔術学校なる機関も存在しているが、この学校は主だった分野を総合した学校であり、あえて特徴を挙げるのであれば規模が大きいという点である。
フラムはこの三技に通い三年目、五年制である学校の折り返しにいるのだった。
「よお、フラム」
「やあ、リュスカ」
校門が見えてきた辺りでフラムの肩を叩いたのは、金髪碧眼の男子だった。
男子、と言ってもその身長はフラムが見上げるほどで、大きさだけ切り取ってみれば大人と遜色のないサイズである。
僅かに幼さが残る顔付きと少し高い声がなければ、まったく子供には見えない。
フラムと同い年であるという事実を初対面で言い当てた人物は過去ひとりとして存在しないほどに。
「相変わらず湿気たツラしやがって。戦士科との模擬訓練、きちんとやれるんだろうな?」
「それはもちろん、全力を尽くすよ。僕だって負け越しじゃあ成績に響くからね」
「相変わらず真面目な野郎だなぁ。成績云々より、男として勝負事に燃えて来いよ」
「真面目野郎に座学テストの度に泣き付くのはどこの誰だったかな」
「それはそれだ」
リュスカと他愛ない会話を交わしつつ、二人は校舎に向かって歩いていく。
膨大な生徒数に比例して大きな後者は五階建てであり、硬岩製の建物は小国の城塞並みに堅牢だ。
魔術大国であるマギ王国では建築物の多くは魔術製であり、公共の建物はこのような傾向にあるのだった。
二人は三階を目指し、足を進めていく。
「そういえば、今日はキスカ先輩と一緒じゃないのな」
「ん、五階生は今日テストらしくて、朝早くに登校して勉強するってさ」
「今年で卒業だしなあ。キスカ先輩は魔術師の高等学校に進学志望だっけ」
「らしいね。昔は魔術の勉強を嫌っていたのになあ」
他愛のない会話を交わしながら、二人は自分たちの教室に辿り着いた。
席の離れているリュスカと別れ、自席に着く。
他人事のように話していたことではあるが、三階生である彼らにとっても進路については遠い未来の話ではない。
ざっくり分ければ進学か就職かという二択だが、当然ながら単純に決まるはずもなく。
本人の希望、素養、環境、時期、時の運、様々な要素を鑑みて選択しなければならない。
しかし、悩んで時間を浪費すればそれだけ準備期間も短くなってしまう。
そんな中、フラムは未だに自分の進路を定められずにいた。
「魔術師は無理。それだけは確定しているけどね」
フラムの呟きは諦念に満ちた自己否定だった。
言い聞かせることで、自分を説得する。
自分の才能が乏しいことは客観的事実であり、それを受け入れてから彼の進路選択は始まるのだ。
聡明な彼であっても、それを受け入れるのには五年の月日がかかってしまったが。
しかし、いざ魔術師という選択肢を外してみても、フラムは自分のやりたいことが思いつかなかった。
何せ物心つく頃から魔術だけを学んできたのだから、他の何かに興味がなかったのだ。
魔戦士として剣術も修めてはいたが、強くも弱くもない平凡。
友人のリュスカは天性の剣才があり、自分の行く道をはっきりと見定めている。
年上の幼馴染であるリュスカは魔術師を志して努力している。
しかし、自分には何もない。
フラムは袋小路に追い詰められたような焦燥を感じていた。
放課後。
フラムは街の中心にある魔塔に向かっていた。
かつて自身の魔力適性を調べた施設であるとともに、父親であるフィアンマの勤務先でもある。
最もフィアンマは領主館に赴くことも多く、会えない日の方が多い。
まだ魔術師になることを諦めていなかった一年前、フィアンマの勧めで魔術師のメッカである魔塔を見学したのだ。
職権乱用であることは否めないが、しかし実利のあることでもあった。
当時、魔術実験の被験者として均一な魔術を操る者を魔塔は募集しており、ならばと推薦されたのがフラムである。
実験と言っても様々な条件で魔術を撃つだけの簡単なお仕事であり、魔塔に憧れを持っていたフラムにとっても嬉しいことだった。
等質なファイアボールを連発できるというフラムの特技は実験する側にとって貴重であり、今現在もアルバイト感覚で魔塔に通っているのである。
「こんにちは」
「来たかね、フラム君」
魔塔の一室でフラムを出迎えたのは、魔術師のテンプレートのような格好をした人物だった。
真っ黒なローブに目深に被ったとんがり帽子、手には指揮棒のような杖を持った、怪しい女である。
出会った当初こそ彼女の風貌に怯えてフィアンマの背に隠れたこともあったが、今となっては慣れたもので、むしろ意外と親切ですらある彼女にはフラムも親しく接していた。
魔塔の中でも飛び抜けて若年であるというのも理由の一つだろう。
怪しいことには変わりないが。
机で何か書き物をしていたのを中断し、彼女は両手を広げてフラムを歓迎する。
口調や格好も含め、どうにも大袈裟なポーズをとるのが彼女の癖だった。
「リリムさん、今日も同じ実験ですか?」
「いや。水魔術との相殺実験は充分なデータを取れたからね。今日は新しい実験だよ」
にやりと口元を歪めながらリリムが取り出したのは、何の変哲のない物だった。
掌大の大きさで、ごつごつした自然物で、丸みを帯びた物。
「石、に見えますね」
「うむ、石であることは間違いないが、もちろんただの石ころという訳ではない。これは古代遺跡で発掘された、正体不明の魔石なのだよ」
「はあ」
魔石とは、その名の通り魔力の宿った石である。
人間の胸部の魔核に魔力が宿るように、自然界の無機物にも同じことは起こる。
自然環境に影響されることが多く、火山の近くでは火の魔石、水場の近くでは水の魔石といった具合だ。
非常に分かりやすい自然の産物である魔石であるが故に正体不明というのは不可解である。
最も、リリムの話はいつも大袈裟なので話半分に聞くべし、とはフラムの経験則であった。
「まあ聞き給えよ。魔石の属性は六属性に依ったものか無属性であるのが一般的だが、なんとこれは――よく分からないのだ」
「ええ……」
「魔力は感じるが六属性ではないし、無属性とも異なる。普通、触ればすぐに分かるものだがね。持ってみたまえ」
「はあ」
無造作に突き出された魔石を咄嗟に受け取る。
サイズは掌大で、形状は歪な球状、濃い紫色をしていた。
リリムの言った通り、魔石の属性は触れば分かる。
感覚的なものではあるが、火属性であればそういう風に感じるのだ。
しかし、フラムが握りしめた魔石は違った。
「……なんですかね、これ」
「どおおだ。さっぱり分からないだろう?」
何故か誇らし気に胸を張るリリムはさておき、本当に意味不明だった。
属性判別というのは、人が色や味を五感で判断するのと同じくらいに自然なことである。
砂糖を舐めれば甘いと感じるように、直感的に理解できるのだ。
しかし、この魔石はさっぱり理解できない。
甘いような、辛いような、酸っぱいような、しょっぱいような、何とも表現に困る味なのだ。
かと言って不快感がある訳でもないが。
「それで、これがどうしたんです?」
「魔塔の誰も理解できず、かといって利用価値も思いつかない。元は廃棄される予定だったのだがワタシはふと思ったのだ。……これは、未知の属性なのではないかとね」
重大な秘密を打ち明けるかのように語ったリリムの仮説は斬新だったが、フラムはこう思った。
「また変なことを……」
「おおっと、夢のない子供だよ君は。魔術の深淵を理解し尽くした者など誰もいないというのに、いったい何を根拠にワタシの説を否定するのだね」
「百年以上前に属性研究は世界中が満場一致で無属性含む七属性であると結論が出ていますよ。教科書にも載っています」
「頭が固いなあ、フラム君。ここにロマンは入っていないのか、ね!」
フラムの頭を指でつつき、呆れたような仕草を見せるリリムだが、本当に呆れたいのはフラムである。
こういった根拠のない仮説や論法は彼女の悪い癖ではあるのだが、一見して突飛なアプローチが功を奏した実績もあるだけに始末に負えない。
リリムが若くして魔塔に入ったのも、誰もが無理だと考えていた実験を成功させたからである。
彼女は優れた雷と水の魔術師であり、上級魔術の詠唱を短縮したという実績があった。
それも一気に十一種類の魔術を。
彼女が考案した詠唱法は『リリム式詠唱法』と称され、国王から優れた魔術師に送られる栄魔勲章も授与されている。
その他にも多くの成果を上げている偉大な魔術師であり、間違いなく天才である。
天才は変人である、という生きた証明でもあるのだが。
「……確かにロマン溢れるお話ですね。御伽噺にある時空魔術とか空間魔術とか、そういう類のものですか?」
「そうそう。『時魔術師ティムス』は名著だね」
「『七天魔術師のグリヴァー』も傑作ですよね」
「まったくもってその通りだ。いやあ、フラム君は良い趣味をしているね」
「しかしそれは創作ですよ」
「もちろん分かっているさ。だけどね、実際に属性の分からない正体不明の物体があるのは事実だ。こいつを理論的に説明できない以上、ワタシの説を否定するのはナンセンスではないかね。ん~?」
「暴論ですよ」
「ワタシの理論は証明するまでゴミとまで言われたのだ。暴論だなんて上等ですらあるよ」
口では全く勝ち目が見出せないフラムはやがて反論を諦めた。
口どころか魔術でも負けているのだし、それに目の前の女性は実質的に上司である。
そして言葉では否定してみても、リリムの理論は魅力的だった。
例え才能がないと自覚した今であっても、フラムは魔術が好きなのだ。
未知の魔術的物体が目の前にあれば興味はあるし、解明したい。
それが本当に未知の属性であれば素敵だ。
彼はロマンチストなのだった。
国策として魔術師を重用しており、優れた使い手は国の管理下にある。
国仕えである国家魔術師は給金と待遇が良く、国民にとって憧れの職業と言えるだろう。
国家魔術師であるフィアンマはアークボルト領の筆頭魔術師であり、三十代前半という若さで責任あるポストに納まっている点から見ても、頭抜けて優秀な魔術師であることが分かる。
最も、領主が実力至上主義を謳う変わり者であるという点も大きな理由の一つではあるが。
そんな彼の悩みは、責任重大な職務――ではなく、年上の部下の扱い――でもなく、一人息子の育成だった。
「火槍よ・射貫け――ファイアランス」
フラムの期待を裏切り、燃え盛る槍が右手から放たれることはなかった。
あれから五年、フラムは魔術の勉強を欠かしたことはない。
しかし、彼が使える魔術はたったひとつ、ファイアボールだけ。
火属性に適性があるものなら、どんな出来損ないでも扱える、低級魔術。
それどころか火属性に適性の無い物ですら、割と使えてしまう魔術ですらある。
自分の右手に視線を下ろし、フラムは深い溜息を吐く。
これなら溜息の吐き方のほうがよっぽど上達したなと、自嘲的な笑いすら浮かべて見せた。
時刻は早朝。
出勤前に庭先にいる息子の様子を窓から見ていたフィアンマは、険しい表情であることを考えていた。
認めたくはない。
決して認めたくはないが、フラムには魔術の才能がない。
それは、今までずっと思いながらも心のどこかで否定していた、いや否定したかったことだった。
本人がどんなに望んでも、事実として息子は低級魔術ひとつしか使えない。
親として息子の味方でいたかったが、心を鬼にして別の道を勧めるのもまた親の役目。
フィアンマは、そんな悩みを抱えていたのだった。
「フラム。俺は仕事に行ってくる」
「うん。僕も準備したら行くよ。行ってらっしゃい」
「ああ、行ってきます」
フラムはいつも通りに父を見送ると、荷物をまとめて家を出る。
マギ王国には教育機関が存在しており、義務ではないものの入学が強く奨励されている。
半国営であるため学費は非常に安く、一般的な家庭であれば問題なく通える程度であり、こと教育においてマギ王国が先進的なことは明らかであった。
学ぶ内容については最低限の一般教育と本人の希望に合わせた学習種目も選択可能で、農業や畜産などの一次産業から、戦士や魔術師を鍛えるカリキュラムも存在しており、そこは本人の資質や希望もあるが、親の意向に従う場合もあるだろう。
最も、国の経営面において推奨される職種は毎年変わっており、国策として農業に力を入れたい場合は農学学科の学費が無料になる、などのコントロールもある程度行われている。
さて十歳になったフラムだが、魔術を学ぼうという姿勢は変わらない。
ならば魔術を専攻しているかといえばそうではなく、彼は魔戦士を育成する学科を選択していた。
魔戦士とは、主に武芸と魔術の両方を扱う者を指す。
魔術においては適性の有無により使い手が分かれるが、適性があるからと言って全員が魔術師になりたがる訳ではない。
大魔術師の素養を持ちつつも剣を好む者も居るだろう。
剣だけを扱うなら戦士、魔術のみであれば魔術師という区別があり、その両方を齧るものは総じて魔戦士と呼ばれているのだ。
フラムは火属性の適性を持つものの、扱える魔術はファイアボールただひとつ。
現実的に考えて、魔術一本を選択するのは無理だった。
しかしそれでも魔術に関わりたい、ある種の抵抗として魔戦士を選択したのが経緯であった。
彼が通うのはアークボルト第三技術学校、通称『三技』と呼ばれる特に特徴のない学校である。
中にはある職種に特化した学校、それこそ魔術学校なる機関も存在しているが、この学校は主だった分野を総合した学校であり、あえて特徴を挙げるのであれば規模が大きいという点である。
フラムはこの三技に通い三年目、五年制である学校の折り返しにいるのだった。
「よお、フラム」
「やあ、リュスカ」
校門が見えてきた辺りでフラムの肩を叩いたのは、金髪碧眼の男子だった。
男子、と言ってもその身長はフラムが見上げるほどで、大きさだけ切り取ってみれば大人と遜色のないサイズである。
僅かに幼さが残る顔付きと少し高い声がなければ、まったく子供には見えない。
フラムと同い年であるという事実を初対面で言い当てた人物は過去ひとりとして存在しないほどに。
「相変わらず湿気たツラしやがって。戦士科との模擬訓練、きちんとやれるんだろうな?」
「それはもちろん、全力を尽くすよ。僕だって負け越しじゃあ成績に響くからね」
「相変わらず真面目な野郎だなぁ。成績云々より、男として勝負事に燃えて来いよ」
「真面目野郎に座学テストの度に泣き付くのはどこの誰だったかな」
「それはそれだ」
リュスカと他愛ない会話を交わしつつ、二人は校舎に向かって歩いていく。
膨大な生徒数に比例して大きな後者は五階建てであり、硬岩製の建物は小国の城塞並みに堅牢だ。
魔術大国であるマギ王国では建築物の多くは魔術製であり、公共の建物はこのような傾向にあるのだった。
二人は三階を目指し、足を進めていく。
「そういえば、今日はキスカ先輩と一緒じゃないのな」
「ん、五階生は今日テストらしくて、朝早くに登校して勉強するってさ」
「今年で卒業だしなあ。キスカ先輩は魔術師の高等学校に進学志望だっけ」
「らしいね。昔は魔術の勉強を嫌っていたのになあ」
他愛のない会話を交わしながら、二人は自分たちの教室に辿り着いた。
席の離れているリュスカと別れ、自席に着く。
他人事のように話していたことではあるが、三階生である彼らにとっても進路については遠い未来の話ではない。
ざっくり分ければ進学か就職かという二択だが、当然ながら単純に決まるはずもなく。
本人の希望、素養、環境、時期、時の運、様々な要素を鑑みて選択しなければならない。
しかし、悩んで時間を浪費すればそれだけ準備期間も短くなってしまう。
そんな中、フラムは未だに自分の進路を定められずにいた。
「魔術師は無理。それだけは確定しているけどね」
フラムの呟きは諦念に満ちた自己否定だった。
言い聞かせることで、自分を説得する。
自分の才能が乏しいことは客観的事実であり、それを受け入れてから彼の進路選択は始まるのだ。
聡明な彼であっても、それを受け入れるのには五年の月日がかかってしまったが。
しかし、いざ魔術師という選択肢を外してみても、フラムは自分のやりたいことが思いつかなかった。
何せ物心つく頃から魔術だけを学んできたのだから、他の何かに興味がなかったのだ。
魔戦士として剣術も修めてはいたが、強くも弱くもない平凡。
友人のリュスカは天性の剣才があり、自分の行く道をはっきりと見定めている。
年上の幼馴染であるリュスカは魔術師を志して努力している。
しかし、自分には何もない。
フラムは袋小路に追い詰められたような焦燥を感じていた。
放課後。
フラムは街の中心にある魔塔に向かっていた。
かつて自身の魔力適性を調べた施設であるとともに、父親であるフィアンマの勤務先でもある。
最もフィアンマは領主館に赴くことも多く、会えない日の方が多い。
まだ魔術師になることを諦めていなかった一年前、フィアンマの勧めで魔術師のメッカである魔塔を見学したのだ。
職権乱用であることは否めないが、しかし実利のあることでもあった。
当時、魔術実験の被験者として均一な魔術を操る者を魔塔は募集しており、ならばと推薦されたのがフラムである。
実験と言っても様々な条件で魔術を撃つだけの簡単なお仕事であり、魔塔に憧れを持っていたフラムにとっても嬉しいことだった。
等質なファイアボールを連発できるというフラムの特技は実験する側にとって貴重であり、今現在もアルバイト感覚で魔塔に通っているのである。
「こんにちは」
「来たかね、フラム君」
魔塔の一室でフラムを出迎えたのは、魔術師のテンプレートのような格好をした人物だった。
真っ黒なローブに目深に被ったとんがり帽子、手には指揮棒のような杖を持った、怪しい女である。
出会った当初こそ彼女の風貌に怯えてフィアンマの背に隠れたこともあったが、今となっては慣れたもので、むしろ意外と親切ですらある彼女にはフラムも親しく接していた。
魔塔の中でも飛び抜けて若年であるというのも理由の一つだろう。
怪しいことには変わりないが。
机で何か書き物をしていたのを中断し、彼女は両手を広げてフラムを歓迎する。
口調や格好も含め、どうにも大袈裟なポーズをとるのが彼女の癖だった。
「リリムさん、今日も同じ実験ですか?」
「いや。水魔術との相殺実験は充分なデータを取れたからね。今日は新しい実験だよ」
にやりと口元を歪めながらリリムが取り出したのは、何の変哲のない物だった。
掌大の大きさで、ごつごつした自然物で、丸みを帯びた物。
「石、に見えますね」
「うむ、石であることは間違いないが、もちろんただの石ころという訳ではない。これは古代遺跡で発掘された、正体不明の魔石なのだよ」
「はあ」
魔石とは、その名の通り魔力の宿った石である。
人間の胸部の魔核に魔力が宿るように、自然界の無機物にも同じことは起こる。
自然環境に影響されることが多く、火山の近くでは火の魔石、水場の近くでは水の魔石といった具合だ。
非常に分かりやすい自然の産物である魔石であるが故に正体不明というのは不可解である。
最も、リリムの話はいつも大袈裟なので話半分に聞くべし、とはフラムの経験則であった。
「まあ聞き給えよ。魔石の属性は六属性に依ったものか無属性であるのが一般的だが、なんとこれは――よく分からないのだ」
「ええ……」
「魔力は感じるが六属性ではないし、無属性とも異なる。普通、触ればすぐに分かるものだがね。持ってみたまえ」
「はあ」
無造作に突き出された魔石を咄嗟に受け取る。
サイズは掌大で、形状は歪な球状、濃い紫色をしていた。
リリムの言った通り、魔石の属性は触れば分かる。
感覚的なものではあるが、火属性であればそういう風に感じるのだ。
しかし、フラムが握りしめた魔石は違った。
「……なんですかね、これ」
「どおおだ。さっぱり分からないだろう?」
何故か誇らし気に胸を張るリリムはさておき、本当に意味不明だった。
属性判別というのは、人が色や味を五感で判断するのと同じくらいに自然なことである。
砂糖を舐めれば甘いと感じるように、直感的に理解できるのだ。
しかし、この魔石はさっぱり理解できない。
甘いような、辛いような、酸っぱいような、しょっぱいような、何とも表現に困る味なのだ。
かと言って不快感がある訳でもないが。
「それで、これがどうしたんです?」
「魔塔の誰も理解できず、かといって利用価値も思いつかない。元は廃棄される予定だったのだがワタシはふと思ったのだ。……これは、未知の属性なのではないかとね」
重大な秘密を打ち明けるかのように語ったリリムの仮説は斬新だったが、フラムはこう思った。
「また変なことを……」
「おおっと、夢のない子供だよ君は。魔術の深淵を理解し尽くした者など誰もいないというのに、いったい何を根拠にワタシの説を否定するのだね」
「百年以上前に属性研究は世界中が満場一致で無属性含む七属性であると結論が出ていますよ。教科書にも載っています」
「頭が固いなあ、フラム君。ここにロマンは入っていないのか、ね!」
フラムの頭を指でつつき、呆れたような仕草を見せるリリムだが、本当に呆れたいのはフラムである。
こういった根拠のない仮説や論法は彼女の悪い癖ではあるのだが、一見して突飛なアプローチが功を奏した実績もあるだけに始末に負えない。
リリムが若くして魔塔に入ったのも、誰もが無理だと考えていた実験を成功させたからである。
彼女は優れた雷と水の魔術師であり、上級魔術の詠唱を短縮したという実績があった。
それも一気に十一種類の魔術を。
彼女が考案した詠唱法は『リリム式詠唱法』と称され、国王から優れた魔術師に送られる栄魔勲章も授与されている。
その他にも多くの成果を上げている偉大な魔術師であり、間違いなく天才である。
天才は変人である、という生きた証明でもあるのだが。
「……確かにロマン溢れるお話ですね。御伽噺にある時空魔術とか空間魔術とか、そういう類のものですか?」
「そうそう。『時魔術師ティムス』は名著だね」
「『七天魔術師のグリヴァー』も傑作ですよね」
「まったくもってその通りだ。いやあ、フラム君は良い趣味をしているね」
「しかしそれは創作ですよ」
「もちろん分かっているさ。だけどね、実際に属性の分からない正体不明の物体があるのは事実だ。こいつを理論的に説明できない以上、ワタシの説を否定するのはナンセンスではないかね。ん~?」
「暴論ですよ」
「ワタシの理論は証明するまでゴミとまで言われたのだ。暴論だなんて上等ですらあるよ」
口では全く勝ち目が見出せないフラムはやがて反論を諦めた。
口どころか魔術でも負けているのだし、それに目の前の女性は実質的に上司である。
そして言葉では否定してみても、リリムの理論は魅力的だった。
例え才能がないと自覚した今であっても、フラムは魔術が好きなのだ。
未知の魔術的物体が目の前にあれば興味はあるし、解明したい。
それが本当に未知の属性であれば素敵だ。
彼はロマンチストなのだった。
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秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
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