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第9章

73話

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 朝霧がたち込めるヤンサの大通りを行くエレナ。
 商人たちが仕入れをしているこの時間は、いくら大通りとは言え人が少ない頃合いだ。そこまで濃くない霧ではあるのだが、肌にぺたぺたという感触と共に若干の寒気を感じさており、エレナは時折寒そうに肩を擦っていた。
 目的地は暴れん坊アルベルトの宿。彼女の性格上、納得のいかないものはとことん追求しなければ気が済まないようだ。時折、ぶつくさと独り言を呟きながらも歩く速度は緩めず、眠たそうに大きなあくびをしていた。ギルドマスターの件に関して、彼女は気になって仕事ができないくらいに悩んでいたのだ。思い悩んだ結果、なかなか眠りにつくことができず、早朝からこうして大通りをぶらつきながら時間を潰しているのである。

「ふぁあ……そろそろ向かっても大丈夫よね?」

 相手がまだ寝ていた場合、それは迷惑極まりない行為でしかない。
 いつもめんどくさそうにしている与一のことだ。朝から押しかけたら、嫌そうな顔をするに違いない。だが、エレナは与一と知り合ってからは日が浅い。そんなことを知るはずもないので、文句のひとつやふたつくらい言われることだろう。

「まったく。なんで私が出向かなきゃいけないのよ……」

 正直なところ、ギルド経由で呼び出すことだってできた。しかし、与一がギルドに顔を出すことが稀であることは受付嬢を通じて知っている。滅多に顔を出さないのだから、もやもやしているこの時期に話を聞けないのは辛いのだ。

「はぁ、調合師ってみんなあんな感じなの?」

 大海原の上を流れている雲へと嘆いた。
 
「とりあえず、もう少し詳しく聞かないとわからないのよね……」

 とぼとぼ、と。重い足取りで港手前まで来たエレナは、どこか落ち着きのない物腰で宿を見やった。



 珍しく買い出しに出ていないルフィナが、厨房の机へと突っ伏していた。同じくアルベルトも、朝の買い物へと足を向けることなく椅子に座って腕を組んでいる。そんなふたりを見ながら、与一は溜め息をこぼした。

「ルフィナは商人なんだから、さ。無理に前にでる必要なんてないんだぞ?」

 昨晩、落ち込んで厨房を後にしたルフィナへのフォローをする与一。だが、与一の声が耳に届いていないのだろうか。ルフィナはぴくりとも動くことはせずに、ただただ突っ伏しているだけだった。

「ほっとけ、与一。こいつは、昔っからこんな感じだからよ」
「そ、そうなのか……まぁ、そこまで気にすることはないと思うんだけどなぁ」

 ここまで元気のないルフィナを見るのは初めてで、与一はこれ以上どうフォローすればいいのかわからなくなってきていた。アルベルトは気に掛けるどころか、放っておけと言い出す始末。付き合いが長い間柄だからそこ、こういう可愛い場合はどう対処すればいいのか理解しているのだろう。

「落ち込んでないで元気だしてくれよ、ルフィナ」
「……無理です」
「なら、買い物にでも行くか?」
「そんな気分ではありません……それに、今外に出たら危険かもしれないじゃないですか」
「っう、それは否定できないな」

 現在、外で情報を集めているのはカミーユ、カルミア、エドワードの三人である。
 地の利があるカミーユはともかく、カルミアは気配を消すことに長けており、エドワードはその視力を生かして街中をくまなく眺めれる場所へと向かっていた。この三人が手を組んで情報屋をやれば、かなり稼げるのではないのだろうか。

「やることって言っても、これ以上調合しようにも詰めるものもないし、瓶もないからポーションも作れないからなぁ」
「瓶、ですか?」
「俺が作るのは丸薬っていってさ、元となる粉塵を丸めたものなんだ」
「つまりはあれだ。あれ……飴だろ?」

 ルフィナとの会話に割って入ってきたアルベルト。丸薬のことを飴と言い出すところを見るに、まったくもって理解をしていないようにも思える。一度見たことがあるからこそ、大体の形と使い道を知ってはいるようなのだが、口に含めて溶かすものではなく、飲み込むものだとまではわかっていないようだ。

「飴ではないな。あれは、飲み込んでから3分間程効果を得られるものなんだ」
「そいつはおめぇ、飴じゃないな」
「……いや、だからそう言ってるだろ?」

 頭の中がお花畑なんじゃないのか。と、与一は口が滑りそうになった。

「それは凄いですね。是非とも、うちに納品してほしいくらいです」

 ぐにぃ、と。首を横へ向け、与一を視界に捉えたルフィナが力なく発言する。

「はは。まぁ、それは考えてやらんこともないけどなぁ。もし納品するようだったら、それは俺がお金に困って死にそうになった時くらいだと思うぞ」
「無一文の名は伊達じゃないってことだろ?」
「今はもう無一文じゃない──」

 机に身を乗り出しそうになった与一。

「まだ支払いができる状態じゃないのよね」

 そこへ、厨房を扉を開けて中へと入ってきたエレナが会話に参加する。
 与一とアルベルトがなぜここにいるのか。と、目線を向けるのだが、エレナは自身の結っている片方の髪を指でくるくるといじりながら、他所を見た。

「前に言ったでしょ。なにかあったら聞きに来るって」
「言ってたな。来るなとも言ったぞ」

 そんな与一の返答に、エレナは一瞬身を強張らせた。

「な、なによ! こっちは気になって聞きに来たのっていうのに!」
「いや、今はそれどころじゃないんだって……」
「はぁ!? また巻き込まれてるの? それに、なんでルフィナさんが落ち込んでるのよ」
「与一、話してやれ。そうすりゃ、そこでガミガミ言ってるチビも帰るだろ」
「誰がチビよ、誰が! 暴れん坊にだけは言われたくないわ!」
「んなッ!? おめぇ、王都にでもいたのか!?」

 がたた、と。椅子を倒しながら立ち上がるアルベルト。
 王都にいた頃の通り名で呼ばれ、久しく呼ばれていなかったこともあって動揺が隠せなかったようだ。目の前で言い合いになったふたりを眺めながら、与一はルフィナの隣に椅子を持ってくるきてちょこん、と。座って、情報収集に出かけている三人が戻ってくるのを待つのであった。
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