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第9章

69話

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 宵が深くなりゆく頃合い。
 ヤンサの街の屋根の上を駆け抜ける人影がひとつ。屋根から屋根へと飛び、速度を落とさないように着地し、そのまま次の屋根へと駆ける。

「今日も特に問題はなさそうだね」

 下を行く人々を眺めながらフードを外すカミーユ。
 夜の情報収集は屋根上から行ったほうが効率がいいのだ。移動から情報収集の範囲、人に見つかりにくい行動。いくら彼女が運動神経がいいからと屋根から屋根の間には、馬車が2、3台ほど通れる広さの通りもある。現実的に考えたら不可能に近いのだが、カミーユには魔法という概念があった。

「今日は人が少ないね……関所の方はどんな感じかな!」

 たん、と。屋根を踏み、瞬く間に跳躍する。
 彼女が身に纏うは風。風の精霊との相性とも良いらしく、彼女がなぜ精霊の声が聞こえるのかは、風に関連する魔法を使用できるからなのであろう。
 ぴょんぴょん、と。慣れた足取りで屋根を飛び越え、大きな一歩で常人離れな速度で駆け出す。その速さ故、道行く者の視界に捉えられる前に移動できるのだ。夜ということもあるが、日中はすぐに見つかってしまうので控えているのである。

「さて、関所はそろそろ閉まるけど……ん?」

 関所手前の屋根にて腰を落とし、前方に見える大きな門を眺めていると。

「あの人は……──ッ!?」

 身に覚えのある老人を見て、カミーユは慌てた足取りでその場を後にした。



 海岸に寄せられる波の音が辺りに木霊する。
 月明かりが遠目に見える大海原に反射して、幻想的な光景を飾っており、満天の星々がより一層深々とした夜を演出している。そんな、眼前に広がる景色を眺めながら宿の入口の傍に寄りかかっている与一の姿があった。
 人差し指と中指に挟まれたタバコ。流れる白煙は風によってどこか遠くへと運ばれていく。だらしなく伸びきった髪が遊ばれ、反対の手でそれらを押さえながら再度タバコを吹かす。

「ふぅ……なんか、平和って言葉が合いそうだな」

 目の前に広がる命の母──海があるのだ。ひとり黄昏てもおかしくないほどの絶景。と、いっても過言ではないのだ。

「にしても、ここ数日は慌ただしかったな。一難去ってまた一難、か」

 件の夜から、仕事を始めてからの現在に至るまでの間に個性豊かな仲間とも知り合い、与一の日常には様々な色が見え始めていた。だが、心のどこかでこの世界を見てみたいという小さな好奇心があるのも事実。

「いつか、いろんなところにも行ってみたいな……」

 そう呟き、タバコを咥える。そこへ。

「与一君! 大変だよ、あの爺さんが帰ってきたんだ!」

 しゅた、と。宿の屋根から飛び降りてきたカミーユ。

「うわぁッ!? び、びっくりするだろ!」

 咥えていたタバコをぽろ、と。落とし、与一は少し怒った口調で話しかけた。
 突然目の前に人が降ってくれば驚くだろう。それも、独り言を呟きながら黄昏ているとなると恥ずかしさと驚きの2連続でもあるのだから、与一が羞恥に怒るのは仕方がないことだ。
 けろ、と。何を言っているのかわからないと言いたそうな表情を浮かべるカミーユを前に、与一は咳払いをする。

「ご、ごほん。それで、ジジィが戻ってきたって?」
「うん。さっき、関所で見たんだ。どこか急いでいるような、なんか思い詰めているような……そんな表情だったんだ」
「なにかあったんじゃないか? でも、あのジジィが焦るってどういう状況なんだろうな」
「……な、なんで、冷静なんだい? 普通、また何かしらに巻き込まれるのかもしれないって勘ぐらないかい?」

 タバコを拾い上げながら、落ち着きのないカミーユとは逆に淡々とした口調の与一。

「ふぅ。前に、『いずれ、わかる』って言ってたからなぁ。たぶん、もうすぐここに来るんじゃないか?」
「そんな呑気な──」
「小僧ッ! 早く、逃げるのじゃ!」

 カミーユが言葉を並べている最中に、遠方から老人の声が聞こえてきた。

「ほら、来ただろ?」

 そう言うと、与一は壁から背を離してタバコを仕舞う。

「何をもたもたしておる! 早く身支度をせんか!」

 とてとて、と。その歳に見合わない小走りで寄ってきた老人が、与一の腕をぐいぐいと引く。

「ちょ、ジジィ! その前に説明しろ!」
「話をしている暇はないのじゃ! やつが来る! 今は、一刻の時間も惜しいのじゃ!」
「やつ? 爺さん、また問題を持ってきたのかい!?」
「わしではない! それよりも、やつが小僧の場所を嗅ぎつけたらすべておしまいなのじゃ!」

 状況がわからない与一は、困惑の表情を浮かべるばかりだ。だが、そんな与一を助けようと必死になのが伝わったのか、カミーユはすぐさま宿の中へと駆け込んでいった。

「まずは説明をしろって! やつって誰のことを言ってるんだ? 流石に、詳細がわからないとこっちも動けないだろ!」
「えぇい! この馬鹿者! お主の命がかかっておるのじゃぞ!」
「わかったわかったから!」

 いい加減うっとおしく感じたのか、与一はその腕を振り払うと老人を見やった。

「なぜ理解しないのじゃ! お主の命を狙った連中の親玉が、今この街に近づいておるのじゃぞ!」
「だ か ら! それを最初に言え! このクソジジィ!」
「ふぁッ!? だ、誰がクソジジィじゃ! この馬鹿者、無職、穀潰し!」
「はぁ!? 逆ギレかよ! 最初から要件を言えって言ってただろうが! このハゲ!」
「は、ハゲ!? わしの頭は、まだふっさふさ──」

 老人が言葉を連ねようとした瞬間、宿の扉がばぁん、と。勢いよく開けられた。

「おい、爺さん。詳しくは中で話てくれねぇか? おめぇもだ与一。俺の宿の前で、ぎゃんぎゃん叫んでんじゃねぇよ」

 どこか機嫌の悪そうなアルベルトが、今までに見た事のないほど真剣な表情を浮かべながら出てきた。
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