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第7章
53話
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ヤンサの街から北上し、オルサルド小大陸中心部に位置する王都『ドレスティーヌ』。
神殿のような細かい彫刻の施された白い城が中央にそびえ立っており、四方には小さな塔が各方角にひとつずつ建てられている。屋根に使われている青い煉瓦が特徴であり、見上げる高さの城壁が円を描いてそれらを囲っている。城壁から離れたところには、多くの住宅地と露店のたくさんある広場や、あちらこちらへと続いている水路などがあり、この都に訪れるものは皆、口を揃えて絶対に迷う。と、言うのだ。
中央から伸びている大きな通りは、多くの馬車や荷馬車が行き交い、道行く人々の数はヤンサと比較すると倍以上だ。大きな通りをつなぐかのように、半円上の小さな通りが点々としており、城下町全体を覆うように四角い壁が外敵からの進行を妨げるように立っている。
そんな、ドレスティーヌ城下町の一角、一階建ての小さな酒屋にて。昼間だというのにも関わらず、店内へと足を踏み入れたひとりの老人の姿があった。
カウンター席しかないこの店で、老人は席に着くわけでもなく、店の準備をしている店主をちらりと見やる。
「……エドワードの爺さん、なのか?」
店に来た老人を確認した店主が、彼の名を呼んだ。
「ふぉふぉふぉ、覚えておったか」
「なぁに、いっつも店で顔を真っ赤にして、うちの女房に絡んでた爺さんのことくらい覚えてるさ」
そう言い終え、持ち上げたグラスを拭き始める店主。
その姿を見た老人──エドワードは一瞬だけ微笑み、すぐに真剣な眼差しを向ける。
「酒を飲みに来た……わけではなさそうだな。なにがあった」
「察しが良くて助かるわい。なに、わしを飼い慣らしたと勘違いしていた連中を、根絶やしにしてやろうと思うてのう」
「……嫁さんの仇は討てたのか」
「思わぬ形で、のう。じゃが、わしがなんのためにあやつらの元にいたのかも知らずに、説教を垂れる馬鹿者がおってな、そやつに借りを返さねばならないのじゃ……」
カウンター越しの椅子に座り、指を絡めてそこに額を押し付けるエドワード。
「我が身可愛さに、関係のない者まで巻き込んでしまったからのう……」
「それは、仕方がないんじゃないか? そういう連中の中に紛れ込むんだ。ひとつやふたつ、非道なことをしないと危なかったんだろ?」
小さく唸るエドワードの元へと、店主は水をグラスに注いで差しだした。
彼自身、セシルを攫ったことに関しては罪悪感を覚えていたのだ。そして、自身の目的のためとはいえ、与一とアルベルト、カミーユを巻き込んでしまったことに後ろめたい気持ちすら抱いている。
水を差しだしてくれた店主に向ける目は、優しく、穏やかな雰囲気すら感じさせるものだった。エドワードは、妻の仇のためだけに黒ずくめの男たちに紛れていたのだから、あの時の彼は周りに悟られまいと必死だったのだろう。
「仕方がないの一言で、あの小僧が納得するとは思えぬ」
「はは、爺さんの口からそんな言葉が出てくるとはな。あんた、昔っから他人には興味がなさそうだったのによ。逆に気になってきちまったじゃないか。その馬鹿者ってやつがよ」
「わしの一回りも、二回りも若い、めんどくさがり屋の働かない馬鹿者じゃがな」
店主は小さく笑った。老いた人間に、自分よりも人生経験の少ない若者が説教するなど、滅多にあることではないのだから。それを、あまり他人に興味を示さない老人が詳しく話しているのだから、自然と笑いが込み上げてくるというものだ。
「そうか。なら、ここに来た目的は──」
「んむ、情報を買いたい。あやつらの頭が今どこで、なにをしているのか」
「本気か? 仇を討ったんだ。これ以上関わらないほうが身のためだぞ」
「先に言うたじゃろう。小僧に借りを返さねばならぬ。とな」
大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出すエドワード。
それを見た店主はグラスを拭くのをやめ、手に持っていたものをカウンターの上へと置いた。
「知ってると思うが、相手は非道なんてもんじゃないんだぜ?」
「それでも、じゃ。きっと、あやつの元には報告が届くはずじゃ。部下が死んだと知れば、あやつは小僧に報復しようとするに違いない」
「……はぁ。わかったよ、昔からのよしみだ。金は後でいい」
店主の言葉に、エドワードは頷き、水を飲もうとグラスを手に取った。
「簡潔に言うぞ。あんたの考察の通りにことは進んじまってる」
「んなッ!? それは、どういうことじゃ!」
ダン、と。グラスをカウンターに叩きつけるエドワード。
「そのまんまだぜ。あいつらの頭は、昨日の夕方に大人数を連れて王都を出た」
「……こうしては、おれん! このままでは、小僧の元へと再び危機が迫ってしまうではないか!」
「馬で寝ずに飛ばせば追い越せるはずだ。その馬鹿者とやらのことを気に入ってんだろ? 早く行きな」
申し訳なさそうに眉を寄せる店主。
「すまぬ、恩に着るぞ!」
血相を変えたエドワードは、短く感謝を述べると同時に老体に見合わぬ速さで酒屋を飛び出していった。
与一の知らないところで、面倒事の火種が大きくなりかけている。それだけは阻止せねば。と、エドワードは足早に城下町の中を進んでいく。
「まさか、このような事態になるとは……早く、小僧に知らせなければ──ッ!!」
すれ違う人々が、何事か。と、振り返る中。エドワードは頬を伝う嫌な汗を拭いながら、人混みの中へと消えていった。
神殿のような細かい彫刻の施された白い城が中央にそびえ立っており、四方には小さな塔が各方角にひとつずつ建てられている。屋根に使われている青い煉瓦が特徴であり、見上げる高さの城壁が円を描いてそれらを囲っている。城壁から離れたところには、多くの住宅地と露店のたくさんある広場や、あちらこちらへと続いている水路などがあり、この都に訪れるものは皆、口を揃えて絶対に迷う。と、言うのだ。
中央から伸びている大きな通りは、多くの馬車や荷馬車が行き交い、道行く人々の数はヤンサと比較すると倍以上だ。大きな通りをつなぐかのように、半円上の小さな通りが点々としており、城下町全体を覆うように四角い壁が外敵からの進行を妨げるように立っている。
そんな、ドレスティーヌ城下町の一角、一階建ての小さな酒屋にて。昼間だというのにも関わらず、店内へと足を踏み入れたひとりの老人の姿があった。
カウンター席しかないこの店で、老人は席に着くわけでもなく、店の準備をしている店主をちらりと見やる。
「……エドワードの爺さん、なのか?」
店に来た老人を確認した店主が、彼の名を呼んだ。
「ふぉふぉふぉ、覚えておったか」
「なぁに、いっつも店で顔を真っ赤にして、うちの女房に絡んでた爺さんのことくらい覚えてるさ」
そう言い終え、持ち上げたグラスを拭き始める店主。
その姿を見た老人──エドワードは一瞬だけ微笑み、すぐに真剣な眼差しを向ける。
「酒を飲みに来た……わけではなさそうだな。なにがあった」
「察しが良くて助かるわい。なに、わしを飼い慣らしたと勘違いしていた連中を、根絶やしにしてやろうと思うてのう」
「……嫁さんの仇は討てたのか」
「思わぬ形で、のう。じゃが、わしがなんのためにあやつらの元にいたのかも知らずに、説教を垂れる馬鹿者がおってな、そやつに借りを返さねばならないのじゃ……」
カウンター越しの椅子に座り、指を絡めてそこに額を押し付けるエドワード。
「我が身可愛さに、関係のない者まで巻き込んでしまったからのう……」
「それは、仕方がないんじゃないか? そういう連中の中に紛れ込むんだ。ひとつやふたつ、非道なことをしないと危なかったんだろ?」
小さく唸るエドワードの元へと、店主は水をグラスに注いで差しだした。
彼自身、セシルを攫ったことに関しては罪悪感を覚えていたのだ。そして、自身の目的のためとはいえ、与一とアルベルト、カミーユを巻き込んでしまったことに後ろめたい気持ちすら抱いている。
水を差しだしてくれた店主に向ける目は、優しく、穏やかな雰囲気すら感じさせるものだった。エドワードは、妻の仇のためだけに黒ずくめの男たちに紛れていたのだから、あの時の彼は周りに悟られまいと必死だったのだろう。
「仕方がないの一言で、あの小僧が納得するとは思えぬ」
「はは、爺さんの口からそんな言葉が出てくるとはな。あんた、昔っから他人には興味がなさそうだったのによ。逆に気になってきちまったじゃないか。その馬鹿者ってやつがよ」
「わしの一回りも、二回りも若い、めんどくさがり屋の働かない馬鹿者じゃがな」
店主は小さく笑った。老いた人間に、自分よりも人生経験の少ない若者が説教するなど、滅多にあることではないのだから。それを、あまり他人に興味を示さない老人が詳しく話しているのだから、自然と笑いが込み上げてくるというものだ。
「そうか。なら、ここに来た目的は──」
「んむ、情報を買いたい。あやつらの頭が今どこで、なにをしているのか」
「本気か? 仇を討ったんだ。これ以上関わらないほうが身のためだぞ」
「先に言うたじゃろう。小僧に借りを返さねばならぬ。とな」
大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出すエドワード。
それを見た店主はグラスを拭くのをやめ、手に持っていたものをカウンターの上へと置いた。
「知ってると思うが、相手は非道なんてもんじゃないんだぜ?」
「それでも、じゃ。きっと、あやつの元には報告が届くはずじゃ。部下が死んだと知れば、あやつは小僧に報復しようとするに違いない」
「……はぁ。わかったよ、昔からのよしみだ。金は後でいい」
店主の言葉に、エドワードは頷き、水を飲もうとグラスを手に取った。
「簡潔に言うぞ。あんたの考察の通りにことは進んじまってる」
「んなッ!? それは、どういうことじゃ!」
ダン、と。グラスをカウンターに叩きつけるエドワード。
「そのまんまだぜ。あいつらの頭は、昨日の夕方に大人数を連れて王都を出た」
「……こうしては、おれん! このままでは、小僧の元へと再び危機が迫ってしまうではないか!」
「馬で寝ずに飛ばせば追い越せるはずだ。その馬鹿者とやらのことを気に入ってんだろ? 早く行きな」
申し訳なさそうに眉を寄せる店主。
「すまぬ、恩に着るぞ!」
血相を変えたエドワードは、短く感謝を述べると同時に老体に見合わぬ速さで酒屋を飛び出していった。
与一の知らないところで、面倒事の火種が大きくなりかけている。それだけは阻止せねば。と、エドワードは足早に城下町の中を進んでいく。
「まさか、このような事態になるとは……早く、小僧に知らせなければ──ッ!!」
すれ違う人々が、何事か。と、振り返る中。エドワードは頬を伝う嫌な汗を拭いながら、人混みの中へと消えていった。
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