なつふうみかん

青井かいか

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「衝動的に人を殺す人がいるんだから、衝動的に自分を殺す人もいるよ」
 その日、――はあっさりと屋上から飛び降りて死んだ。なんてバカなんだろう。笑っちゃうよね。

 〇

 夏休みが始まる二か月前くらいかな。私が住んでいる賃貸マンション505号室の隣に、自称天才小説家が引っ越してきた。
 自称天才小説家は言った。
「私は天才なんだけど、中々小説を完結させられないんだよね」
 私は言った。
「書いた小説、見せてくださいよ」

 自称天才小説家の家にお邪魔して、手渡された小説は全て未完だった。
 真っ白なA4サイズのコピー用紙の上に踊る小さく黒い文字たち。確かにそれは小説で、三十ページくらいの物語を五つくらい読ませてもらったけど、全て一番続きが気になる所で終わっていた。
「これ、続きはないんですか?」
「続きはないよ」
「なんてもん読ませるんですか」
「いつか書くよ、いつかね」
 そんな自称天才小説家さんがこの世に出した小説は、たった一冊しかないらしい。
「じゃあ、それのタイトル、教えてください」
「うーん、どうしよっかな」
「そういえば、あなたの名前、まだ知らないんですけど」
 すると、自称天才小説家はいたずらっ子の笑みで唇に人差し指を当てた。
「ひ、み、ちゅ」
 その日から私は、彼女を勝手に『ミカンさん』と呼ぶことにした。

 翌日、ミカンさんが入居した部屋の表札を見ると、下手くそな筆文字で『天才小説家ミカン』と記されていた。
 変な人であることに間違いはない。

 私は屋上が好きで、頻繁にそこを居場所にしていた。
 私が通う学校にある旧校舎の屋上は、表向きは閉鎖されているのだけど、その実誰でも入ることができる。
 なぜなら、屋上の扉にかけられた鍵は安物のダイヤルロック式の南京錠で、その解錠ナンバーは大体の生徒の間に知れ渡っているからだ。
 先生たちがそのことを把握してないわけがないのだが、なぜだか黙認されていた。
 だけど、そうやって自由に入れる屋上に立ち入る者は案外少ない。というかほとんどいない。
 理由は単純。めちゃくちゃ汚い。
 バキバキに壊れたベンチやらテーブルやらがそこら中に転がって、花壇から風に煽られて散らばったと思われる土や砂や雑草まで散乱している。雨水に晒され、埃やらなんやらのゴミと入り混じってとにかく汚い。
 五年くらい前まで、この屋上は生徒たちの歓談スペースだったらしい。でも、屋上から飛び降りて自殺した生徒がいたとかで、閉鎖されて今に至る。
 らしい。
 閉鎖するにしてもしっかり片付けて厳重なロックをしたらいいのに、とたまに思うけど、先生たちも忙しいのだろう。
 まあ、私としては今の状況が都合いいわけだけど。
 私は二、三メートルくらいある金網フェンスを手でカシャカシャ鳴らしながら屋上を歩き、塔屋の上にのぼる。
 給水塔の日陰になっているところに持ってきたビニールシートを広げて、私はその上に寝転がる。
 夏の日差しがとても眩しい。腕をアイマスク代わりにして、背負ってきたリュックを枕代わりにして、私は目を瞑る。
 うだるような暑さだけど、たまに涼やかな風が吹いて心地よかった。
 運動場の方からは、夏休みでも元気よく活動している運動部の掛け声が、校舎内からは吹奏楽部の軽快な演奏が響いてくる。
 空は青く、雲は白い。蝉の鳴き声がうるさい。
 夏のにおいがした。
「夏だなぁ」と呟いてみる。
 視線の先を小鳥が気持ちよさそうに飛んでいく。
「空を飛べる翼が欲しいなぁ」と呟く。
 毎日こうして、なんてこともないことを考えて、のんびり過ごしたいと思う。
 そういう点で言えば夏休みは最高だ。宿題がなければ、もっと最高なのにな。

 屋上から見える茜色の夕焼けを見届けてから帰宅する。
 運動がてらマンションの階段を上がって五階フロアに辿り着くと、部屋の前の塀に寄り掛かるようにして、月を眺めながら蜜柑(みかん)を食べているミカンさんがいた。
 ミカンさんは私に気付くと、食べかけの蜜柑をこちらに差し出す。
「食べる?」
「なぜ蜜柑?」
「私の名前の由来だからね」
「ミカンさんの由来はこの蜜柑じゃないですよ」
「え、違うの?」
「違います」
「蜜柑食べる?」
「食べません」
 そう断ると、ミカンさんは気を悪くするでもなく残りの蜜柑を口に放り込んで、「すっぱ」と言った。
「蜜柑はなんですっぱいんだろうね」
「甘いやつもありますよ」
「確かに」
 ミカンさんはクスクス笑う。そして、足元にあったコンビニ袋から500ミリリットルのビールの缶を取り出した。
 ミカンさんは塀の上に缶を置き、その上に蜜柑の皮を置いた。
「はい、アルミ缶の上にある蜜柑」
 私にどういう反応をしろというのか。
 私が困惑していると、ミカンさんはビール缶のプルタブをカシュっと開けて口に付けた。
「蜜柑はすっぱいけど、ビールは苦いね」
「ビールって美味しいんですか?」
「うーん、そこまで?」
「じゃあなんで飲むんですか?」
「なんでだろうね」
 そう言って無邪気に笑うミカンさんは、幼い子供みたいだった。

 土砂降りの雨の日、学校の屋上にも行けないのでミカンさんの家にお邪魔しようとインターホンを鳴らす。すぐに返事があった。
「開いてるよ」
「お邪魔します」
 扉を開けてお邪魔する。洒落たオーディオから流れる『翼をください』が部屋を満たしていた。
 居間にいたミカンさんは、ローテーブル前のクッションに座ってパソコンに向かっていた。カタカタキーを叩いている。
「小説書いてるんですか?」
「うん、そう」
「お邪魔しない方がよかったですかね」
「だったら君を中には入れないよ」
「確かに」
 ミカンさんは大きく伸びをしてノートパソコンを閉じると、私を見た。
「君ってよく私の家に来るけど、他に友達がいないの?」
「えらく直球な質問ですね」
「じゃあ、君は孤高を愛する狼なの?」
「だったらここには来てませんよ」
「確かに」
 ミカンさんは笑う。
「いじめられてるんですよ、学校で」
 私がそう言うと、ミカンさんは「えらく直球に言ったね」と言った。
「いじめはよくないね」
 ミカンさんの表情は真面目だった。
「よくないです」
「よくないね」
「なんか、ウザいらしいです」
「君が?」
「はい」
「そっか。でもそれでいいと思うよ、君は。と、私は思うね」
「どうしてですか?」
「なんとなく」ミカンさんは無責任に言った。「私も昔は似たようなこと言われてた気がするけど、今、十分楽しいし」
「いいことですね」
「いいことだね」
「まぁ、なんにせよ、今は夏休みなので色々気楽ですけど」
「それはいいことだ。私も夏休み欲しいなぁ」
「ミカンさんは毎日が休みみたいなもんじゃないんですか?」
「分かってないぁな」
 ミカンさんはチッチッチと言いながら指を振った。チッチッチと言いながら指を振る人を見るのは初めてだった。
「休みは、忙しい日々の中にあるからこそ、輝くんだよ。お腹が空いてる時に食べるご飯が一番おいしいみたいに」
「なるほど」
「それに私は小説家だから、毎日が仕事してるようなもんなんだよ。休みじゃない」
「そうなんですか?」
「そうだよ。寝ても覚めても小説のことばかり考えてるからね」
「今もですか?」
「そうだよ。今も、君との会話をどう小説に活かしてやろうかと考えてる」
「これ、小説にされるんですか」
「かもしれないね。そしていつか出版されて全国に羽ばたくかも」
「怖いですね」
「怖いねぇ」
「その前にまず、ミカンさんは小説を完結させないといけませんね」
「確かに」
 ミカンさんは笑った。

 朝起きると、外から激しい雨音が聞こえていた。まだ雨は止みそうにない。
 二日連続ミカンさんの家にお邪魔するのも迷惑かなと思ったので、私は傘を差して外に出かけることにした。
 学校に向かう途中にある小さな公園。その横を通った時、私は足を止めた。
 公園の寂れたブランコに、傘も差さずに一人ポツンと座る女の子がいた。
 雨音が傘やアスファルトを叩くリズムに包まれながら、私はその女の子を見つめる。
 うるさいくらいの雨音をすり抜けるようにして、歌声が聞こえた。
 女の子がキィキィと微かにブランコを揺らしながら、歌っていた。流暢に発音される英語の歌で、綺麗で儚い歌声だった。どこかで聞いたことがあるような気もする。
 ずぶ濡れになって歌い続ける女の子は、とても可愛らしかった。大人数アイドルグループの人気投票で毎回一桁前半をキープできそうなくらいには、可愛かった。
 そんな女の子に視線を奪われて、その場を動けないでいると、彼女が私に気付いた。
 女の子は怪訝そうに眉根を寄せて、私を見ていたが、すぐに視線を逸らした。
 私はそのままその場を通り過ぎようとしたけれど、私から目を逸らした女の子の仕草が、人を警戒する野良猫みたいで、ふと、あることを思い出した。
 自然と足が止まる。
 私はいつだったか、ミカンさんが地球で鏡を破壊した日のことを思い出した。

 ミカンさんと知り合って一か月くらいの頃。
 ミカンさんの家に行くと、ミカンさんが古びた地球儀を全力で回していた。
「なにやってるんですか」と尋ねると、「やさしくなりたくて」と返ってきた。
「ミカンさんらしいですね」
「そう?」
 ミカンさんは地球儀を手で叩いて回しながら言う。
「やさしさって、なんだろうね」「哲学ですか?」「哲学なのかなぁ」「哲学なんじゃないですか?」「そもそも、哲学ってなんなの?」「なんなんでしょう」
 哲学とはなんなのか。これも哲学なのかもしれなない。
 ミカンさんは言う。
「例えばさ、土砂降りの雨の中、捨てられた子猫が弱ってるとするじゃない?」
 するらしい。
「それを見たら、君はどうする?」
「えっと……」数秒考えてから、「分かりません」
 正直に答えた。
「君は正直だね」
 ミカンさんは楽しげに笑う。そして続けてこう言った。
「じゃあ、聞き方を変えよう。土砂降りの中で捨てられた子猫を見かけた時、君はどうするのが一番の優しさだと思う? 一、『持っていた傘を差してあげる』。二、『拾って家に連れて帰って、温かいご飯をあげる』。三、『側に座って、一緒に濡れてあげる』。四、『見なかったことにして立ち去る』。さてどれだ」
「心理テストですか?」
「かもね」
 地球儀を回しながら、ミカンさんは悪戯っぽく笑う。
 私は少しだけ悩んでから、答えを言おうとしたのだけど、その瞬間、ミカンさんがガタガタ音を鳴らしながら回していた地球儀の地球が、台から外れて吹っ飛んでいった。
 くるくると回る青と緑のコントラストが色鮮やかで、それは見事と言わざるを得ない軌道を描いて部屋の隅にあるスタンドミラーに突っ込んだ。パリンと砕ける澄んだ音と、ミカンさんの悲鳴が響いた。

 気付けば、ずぶ濡れのまま歌う女の子に歩み寄って、「それ、なんて曲?」と尋ねていた。彼女は私に気付き、歌うのをやめた。そして、短く曲名を答えた。知らない曲だった。
「英語上手だね」
 私がそう言うと、彼女は面倒臭そうに、迷惑そうに私を見た。一人にしてくれ、というオーラがビンビン伝わってくる。構わず私が女の子の隣のブランコに腰掛けると、彼女は増々嫌そうな顔をした。濡れたブランコにお尻を降ろすと、中々気持ち悪い。
 女の子はわざとらしくため息を吐くと、立ち上がり、私に背を向けた。
「待って」
 思わず呼び止める。無視されたら諦めようと思っていたけど、女の子は振り返って私を見た。
「なに?」
 トゲトゲした言葉と視線が、私を射抜いた。
 呼び止めたのは私だけど、特に言葉は用意していなかった。というか、私は一体なにをやっているのだろう。
「傘」
「は?」
「傘、忘れたの?」
 女の子は顔をしかめる。「なんなんだコイツ」と、私を見る目がそう言っていた。
 目は口ほどにものを言う。
「ウザい、死ね」
 斬り捨てるようにそれだけ言って、女の子は公園を出て行った。
「ウザい」という言葉が頭の中でリフレインする。
「よく言われる」
 誰に言うでもなく一人で苦笑して呟いた私の言葉は、雨の音に呑み込まれた。
 傘を閉じる。濡れたい気分だった。私を叩きつける大きな雨粒が、どこか救いのように思えた。体が冷える。
「うーむ」
 なんとなく唸ってみる。人と接するのって、難しい。
 自分から突っ込んでいったといなんに、精神的ダメージが凄い。私はアホか?
 雨に濡れながら家に帰った。

 翌日起きると、風邪を引いていた。外は快晴。小鳥がどこかで鳴いていた。両親は仕事で不在。
「あたまいった」
 ガンガンとハンマーで殴られるような頭痛。洟が出る。咳が酷い。ていうか暑い。熱を測ると、三十七度八分だった。言うほど高熱でもない。でもしんどい。ズズと洟をすする。
「しぬかもしれないな」
 そんなわけがない。でも人っていつ死ぬか分からないらしいよ。誰かが言ってたそんな言葉を思い出す。
「しぬかもしれないな」
 もう一度、呟いた。
 体を引きずって、タンスから市販の風邪薬を発掘し、適当に何粒か飲んでから、浴びる程水を飲んでまた眠りについた。
 
 目を覚ますと、暗かった。スマホで時間を確認すると丑三つ時。どこかで変な鳥が鳴いている。腹が酷い空腹を訴えている。風邪の症状はかなりマシになっていた。
 冷蔵庫を漁ってもろくな食べ物がなかったので、コンビニでも行こうと外に出る。夜風が火照った体に当たって心地よかった。
 気分よくハミングしながらコンビニを目指す。街明かりに照らされた深夜というのは、そこまで暗くないんだなと、少し残念に思った。
 絶妙に曇っていて、星も月も見えなかった。私の隣を、自転車が通り過ぎる。どこか遠くで犬が吠えていた。バイクの騒音が聞こえた。
 横断歩道前の赤信号で止まる。車は通っていない。通る気配もない。渡っちゃおうかなと悩んでいる内に青になる。
 店員以外誰もいないコンビニでフランクフルトとからあげを買ってから、元来た道を引き返す。これが小説なら、きっと偶然知り合いに会ったりするんだろうな、と思いながら歩く。でも誰にも会わない。現実だから。
 そんなことを考えながらフランクフルトをかじっていると、ミカンさんに出会った。
「や」
「ども」
「不良ごっこかい?」
 私を見るミカンさんは楽しげだ。この人は大体いつも楽しげなんだけど。
「ミカンさんこそ深夜徘徊ですか」
「せいかい」
 ミカンさんが首を傾けて笑う。夜空を覆う雲が風に流されて、月明かりが差し込んだ。
「お化けに会えるかと思ってさ」
「会えたんですか?」
「会えないね、なかなか」ミカンさんは残念そうだ。「君はお化けはいると思う?」
「いるわけないじゃないですか」
「じゃあ、幽霊」
「お化けも幽霊もいませんよ」
 そもそもその二つに違いはあるのか?
 ミカンさんと隣り合って歩く。
 フランクフルトを胃に収めた私が、からあげの入った箱を取り出して開けると、早速ミカンさんに一つ食われる。断りもなしに。五個しかないのに……。
「たぶんさ」
 ミカンさんはからあげを口の中に入れたまま、もごもご言う。
「昼間に食べる高級ステーキより、深夜に食べるジャンクなからあげの方が美味しいよね」
「かもしれませんね」
 
 小さな公園の寂れたブランコに、ミカンさんと隣り合って座る。
 ミカンさんは足をパタパタさせながら、駄々をこねるように言う。
「あー、お化けに会いたいな」
「無理だと思いますけどね」
「なんで?」
「だって、そんなのいる訳ありませんし」
「そんなの、分かんないよ。だって誰もお化けが居ないことを、証明できてないんだから」
 月並みな台詞だ。そう言ってお化けの存在を証明した人の話を聞いたことがない。
「ね、君の夢はなに?」
 不意に、ミカンさんがそんなことを聞いてくる。
「夢、ですか?」
「うん、そう、ドリーム」
「夢は特にないです」
 私がそう言うと、ミカンさんが今まで見たことないくらい大きく目を見開いた。どうやら驚いているらしい。
 確か昔は小説家になりたいとか思ってた気がするが、本当に軽く思っていただけで、自称天才小説家の前でそんな昔の夢は語りたくなかった。
「夢がないなんてことあるの?」
「そういうミカンさんは夢があるんですか? 大人なのに?」
「大人なのに、か」
 ミカンさんは微苦笑する。
「大人にだって夢はあるよ。いくらでもね。一つ夢を叶えても、叶えなくても、新しい夢はどんどん出てくる」
「アイアム、ア、ドリーマー」と言いながら、ミカンさんは自分を指差した。そして「そうだなぁ」と思案顔になる。
「私の今の一番の夢は、魔法少女になることかな」
 本気か冗談か分からず、反応に困った。普通なら冗談で済ませる所だが、この人の場合大真面目に言っている可能性が否定できない。
「魔法少女に、なりたいんですか?」
「なりたいねぇ」
「なぜ魔法少女?」
「だってさ、魔法少女だよ? 魔法を使えて、少女なんだよ? うら若き乙女なんだよ? なりたいに決まってるじゃん」
「ミカンさん、まだ若いじゃないですか」
 まぁ、ミカンさんの本当の年齢は知らないんだけど、少なくとも見た目は若い。
「自分より歳下の君に言われても素直に喜べない……」
 ミカンさんはすねたようなふくれっ面を見せると、ブランコを漕ぎ始めた。キィキィと、どこか物哀しげな音が鳴る。
「どんな魔法を使いたいんですか?」
「魔法は魔法だよ。どこまでも自分にとって都合がいい、そういう魔法」
「よく分かりません」
「例えば今、私はビールを飲みたいけど、手元にはない。でも魔法があれば、動かなくてもパッと手元にビールを持ってこれる」
「急に夢が安っぽくなりましたね」
「安い夢なんてないよ。結局夢ってのは今その時、その人が一番実現したいことなんだから。だから夢は、その人にとって、とても高くて価値のあることなんだよ。それがどんなものであっても、ね」
「つまりミカンさんは今、なによりもまずビールが飲みたいと?」
「違う違う。言ったでしょ、私の夢は魔法少女。つまり私は、若くて可愛い女の子のまま、どこまでも都合のいい魔法を使えるようになることを、望んでるの」
「それはまた、欲張りな夢ですね」
「欲張りじゃない人間なんていないよ」
「そうかも、ですね」
 だとしたら、私に夢がないのはなぜだ? しいて言うならなんだろう。小説家は昔の夢だし……、空を飛んでみたい、とか? 
「私はね、魔法はあると思うんだ」
 ミカンさんはテンポ40のメトロームくらいのリズムで、ブランコを漕ぎながら言う。
「魔法はね、あるんだよ。魔法だけじゃなくて、みんなが現実にないと思い込んでるけど、一部の誰かがソレはあるんだって強く望んで信じてるものは、全部現実にあるの。魔法も、超能力も、天国も、地獄も、異世界も、来世も、宇宙人も、UMAも、未来人も、お化けも幽霊も」
 前後に揺れながらそう語るミカンさんは、楽しそうだった。「でも君は、きっと、そんなものあるわけない、って言うんだろうね」
 見透かされていた。
「その昔、この地球では天動説が信じられていました。たった五百年前くらいの話」
 ミカンさんの話題はいつも唐突だ。でも案外会話ってこういうものなのかもしれない。
「それがどうしたんですか?」
「いや、今の地球人はみんな地動説を信じてるんだなぁって思ってさ」
「ミカンさんは宇宙人かなにかですか」
「だったらそれは素敵なことだね」
「こちらとしては恐怖ですけどね」
「なんて流されやすい奴らなんだ、地球人は」
 ミカンさんはご立腹だった。
「偉い人が地球は丸いと言えば地球は丸いし、偉い人が天が動いてると言えば天動説を信じるし、偉い人が地球が回ってるって言えば、地動説を信じるんだもん。自分ってものがないのかね」
「だって、そうじゃないですか」
「自分で見て確認したわけでもないのに?」
 屁理屈をこねる子供みたいだと思った。
「ちなみに私は、天動説を信じてます」
 ミカンさんがちょっと真面目な顔になって言った。
「なんでまた」
「私は天邪鬼で傲慢な女なので、他と違う考えを持つ自分をかっこいいと思うし、この世の全ては自分を中心にして回っていると思いたいのです」
「天動説ってそういうことじゃないんじゃ……」
「私の中での天動説はそうなってるの。だから私は、魔法も、超能力も、天国も、地獄も、異世界も、来世もあるし、宇宙人も、UMAも、未来人も、お化けも幽霊もいるって言うよ。この世の全部が、ぜーんぶが、私にとって都合がいい、夢のように楽しい世界であればいいなって思ってる。魔法のように都合のいい奇跡を、いつだって望んでる」
 ――魔法のように都合のいい奇跡を、いつだって望んでる。
 心の中でその言葉を、もう一度繰り返した。
「ねえ、私と賭けをしよっか」
 ミカンさんはブランコを漕ぐのをやめて、とっておきの遊びを提案する子供みたいに、私に言った。
「なんの賭けですか?」
「君は魔法を信じてないよね?」
「えぇ、まぁ」
「でも私は魔法があると思っている。だから、魔法がこの世にあるかないかを賭けよう」
「それ、どうやって勝敗を決めるんですか」
 呆れたような声が私の口からこぼれた。
「そんなの、どっちかが認めればいいんだよ。君が魔法はあると認めれば私の勝ち。私が魔法はないと諦めたら君の勝ち」
「そのルールだと、永遠に決着が着かないと思いますけど」
「じゃあ、こうしよう。期限は、君の夏休みが終わるまで。それまでに決着が着かなかったら、君の勝ちでいいよ」
「随分と強気ですね」
「これくらいしないと、君は勝負に乗ってくれなさそうだからね」
 こんなの、ほとんど私の勝ちのようなものじゃないか。だって、実在するわけがない魔法の存在を、ただ認めなければいいだけの話なのだから。
「それで、なにを賭けるんです?」
「そうだなぁ、じゃあ君が勝ったら、君のお願い事を私がなんでも聞いてあげよう」
「ミカンさんが勝ったら?」
「私のお願いを君に聞いてもらう」
「うーん」
「いや?」
「ミカンさんの場合、なにを言ってくるか分かったもんじゃないので」
「なら、賭けに勝てばいいんだよ」
「まぁ、そうですけど」
「いいじゃん、やろうよ」
「分かりました。その賭け、受けて立ちましょう」
 一度渋ってはみたが、こんな賭け負けるわけがない。勝った時、ミカンさんにどんなお願いしてやろうかとほくそ笑む。
「そうこなくっちゃ」
 ミカンさんは初夏の青空で楽しげに輝く太陽みたいに、ニカッと笑った。
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