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第一章 久遠なる記憶

黒龍の目覚め 3

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「四時方向! 波動収束反応! イレギュラー級‼︎ ビジュアル構成確認、上部パネルに投影します!」レーダー盤に向き直ったサニが、即座に報告を挙げる。
 
「何⁉︎」上部パネルに投影された映像に、インナーノーツ一同は、目を見開いた。
 
 先程までの濁流とは比べものにならない、大濁流——否、水に削り取られた大量の土砂を含む、大土石流——『山津波』だ。
 
 その流れは速く、既に都の目と鼻の先にまで押し迫っている。この時を待ちわび、蓄えていたエネルギーを一気に解放したかのように、勢いは止まるところを知らない。
 
 避難を終えた者たちの絶叫が、<アマテラス>のブリッジに響き渡る。だが、インナーノーツには、何の打つ手もない。ただ、茫然と見守る他なかった。
 
 その間、娃は静かに振り返り、北の山手の方を見上げた。連動した正面モニターが、その山の中腹あたりの相柳の陣を捉える。
 
 そこに、鯀がいる事を、娃は感じ取っていたのであろうか? モニターに映る映像は、自動的に鯀の姿を捉え、フォーカスしていく。
 
「あれは、鯀……」言いながら、直人は、思わず娃の光像を振り返りみる。娃は、ただ静かに微笑んでいた。
 
「えっ⁉︎」娃のフォログラムの視線と目が合った瞬間、直人は、彼女が何かを自分に伝えたように感じた。
 
 だが、直人は、その言葉を確かめることはできない。
 
 
 一瞬の出来事だった——
 
 娃のフォログラムが、<アマテラス>のブリッジから姿を消し去ると同時に、土石流は、易々と城壁を乗り越えていく。秘宝を求めて城壁まで辿り着いた相柳の兵らも、逃げる暇もなく、一緒くたに飲み込まれてしまった。
 
 土石流は、最期まで残った祭祀場の台部に打ち付けると、土砂が層となって積み重なり、祭祀場の高さを悠に超えて、高く舞い上がる。
 
 土砂を含んだ巨大高波が、王宮を、奥宮を飲み込む。娃の立つ物見台をも、いとも簡単に薙ぎ倒し、娃ごと飲み込んでゆく。
 
 まるでそれは大蛇が、狙った獲物を丸呑みするかのような光景だ。
 
『あ、娃いいいい‼︎』
 
 <アマテラス>のブリッジに、割れんばかりの、あの男の絶叫が届く。
 
 土砂と水の絨毯が、そこに人の作りしものなど、元から何一つなかったかのように、全てを覆い尽くしていった。
 
 
 ****
 
『所長! インナーミッション対象者の容態が!』本部IMCのモニターに、<イワクラ>で<アマテラス>のミッション管制に当たっているアイリーンが、雨桐のモニター監視映像とバイタルデータを転送してくる。
 
 身体活動を示すグラフが、下降する一方だ。
 
「まずいぞ、このままでは、インナーミッションを維持できない! 所長⁉︎」
 
 インナーミッション対象者の肉体が死に至れば、インナーノーツらの帰還も困難になる。東は、彼らの回収判断を藤川に無言で迫っていた。
 
「いや、まだだ!」「し、しかし」
 
「なぜ、雨桐の魂が、この時空間に導かれたのか……何かあるはずだ。ミッションの限界時間は?」「あと一時間弱です」
 
「アイリーン、とにかく彼女の肉体の生存維持をChina支部には徹底させてくれ!」『はい!』
 
『インナーノーツ、もう少しだけ頑張ってくれ! 必ず<天仙娘娘>を連れて帰還するんだ!』「わかりました。最善を尽くします!」通信モニターを通した、IMCの藤川の指示にカミラは、毅然と応答する。
 
「……とはいえ……娃のPSIパルスは? もう……」「ああ、収束率が下がる一方だ……このままでは、この時空間情報も……」
 
 娃が、一人の人間として、生きて認識していたこの時空間情報は、次第に集合無意識的な渾然一体としたものへと変わってゆくはずだ。確かに『個』を識別する娃のPSIパルス情報は発散し始めている。だが、<アマテラス>のいる時空間情報の揺らぎは、不思議なほど少なく、安定していた。
 
 カミラとアランは、不審に感じながら、モニターを見つめている。
 
『案ずることはない……娃の意志は、まだ、この船にある』インナーノーツの思いを読み取ったかのように、アムネリアが口を開く。
 
『……我が、あの者の想いを……』アムネリアは、顔を上げ、真っ直ぐ、前方モニターにフォーカスされた、鯀を見据える。
 
「アムネリア……」直人と、アムネリアの瞳が重なり合う。今こそ成すべき事を成す時だと、彼女の瞳が、物語っているようだ。アムネリアの隣に立つ亜夢に目をやれば、いったい何を期待しているのか、焔を灯した大きな瞳を輝かせている。
 
 直人は、決意を示すように、二人に小さく頷くと、静かに立ち上がった。インナーノーツの皆の視線が、直人に集まる。
 
「娃は、この時、この場所へ、オレたちを連れてきた。おそらく、この時、この場の、あの鯀と、再び巡り会うため……」
 
 直人は、PSI-Linkシステムを通して、感じ取っていた感覚を、言葉を選んで言語化してゆく。
 
 インナーノーツの一同は、静かに直人の言葉に耳を傾ける。
 
「この時、この場の鯀と……」
 
 確かめるようにカミラは言う。直人は、一つ頷いて、続けた。
 
「ここまで、辿ってきた記憶……それは、鯀との関わりの記憶だった。オレたちに、この船に想いを託すため。娃の……鯀への想いの全てを、蘇らせるために」
 
 直人は、正面モニターに向き直ると、そこに映る憔悴しきったように惚けている、鯀を見据えた。
 
「行こう、皆んな。今なら鯀のPSIパルスに同調できるはず。<天仙娘娘>も、鯀の中で助けを待っているはずだ!」
 
 インナーノーツは、直人の静かでいて、強い意志を感じさせる言葉に、大きく頷いていた。
 
「ならば急ぎましょう! ミッション時間は残すところわずか。これより、鯀の心象世界に突入。娃の記憶を届けつつ、<天仙娘娘>を救出する! ただちに行動開始します!」「了解!」カミラの指令と共に、インナーノーツは、即座に動き出す。
 
 土石流に掻き消された都の上空で、<アマテラス>は船首を下げつつ、大きく旋回する。『鳳山』の頂きで、避難民らは、身を寄せ合いながら、晴れ間から舞い戻る鳳凰に祈りを捧げている。
 
 娃の娘は、鳳凰に母の意志を感じ取ったのか、託された大珠を掲げて、頭上の鳳凰を見守っていた。直人は、気丈なその娘の姿をモニターの中に認め、彼女の父母への強い思慕を受け止めていた。
 
 旋回を終える<アマテラス>。針路前方に鯀を捉え、徐に前進を始めた。
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