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第一章 久遠なる記憶

重なり合う時の中で 2

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『や、やめろ! やめてくれぇええ‼︎』
 
 モニターの中で、痩せ細った、刈り上げ頭の男が急に暴れ出す。保護カプセルを内側から、何度も叩き、そこから出せと喚き散らしているようだ。
 
「ちっ! 麻酔切れか? おい、お前ら、何とかしろ!」モニターの中の男を監視していた焔凱は、苛立ちも隠さず、その場の医療スタッフらに命じた。彼らの意識は、強力な暗示下にある。焔凱の命令に、医師らは淡々と作業を始める。だが、状況が改善する兆しはない。
 
『嫌だ、イヤだ! やめろぉおおお‼︎』
 
 不思議なことに、男の喉元に一筋の線が浮かび上がる。線は、盛り上がりを見せながら、パックリと口を開け、そこから赤々とした血液のようなものを噴き出す。
 
「ま、マジかよ⁉︎」モニターを覗き見る熾恩は、顔を青ざめさせる。
 
「霊障痕⁉︎ だがコレは⁉︎」霊障の類の現象も見慣れた焔凱も目を丸めている。医療モニターを確認する限り、肉体的な傷は、そう深くはないが、患者の意識は、はっきりと傷を認識しているようだ。患者の顔はどんどん青ざめ、呼吸が細くなっていく。
 
「お、おい! まずいぞぉ~! こっちの感応率も落ちてきた! 何とかしろぉ~! あの船、見失っちまう」そう言いながら飛煽は、持ち込んだ精神感応装置の感応率をキープしようと調整に取りかかる。
 
「このままだと、コイツの意識が、勝手に死んだと思い込んで、ホントに御陀仏だぜぇ~~」
 
「えっ⁉︎ それじゃあ?」
 
「ああ、そいつの意識が死んじまったらぁ~~、オレたちゃそこで、ゲームオーバー」
 
『どうした? 状況を報告せよ』
 
 医院長室で様子を窺っていた彼らのリーダー、煌玲が通信モニター越しに確認を求めてくる。
 
「そ、それが……」焔凱が答えようとした、その時。
 
「お、おい、ヤメろ!」
 
 飛煽の素っ頓狂な声に、焔凱が振り向くと、熾恩は無造作に、感応器の接続モジュールを握りしめ、自身の念を設備に流し込み始めていた。
 
「熾恩!」焔凱は、熾恩を止めようと、彼の元へ駆け寄る。
 
「へっ! 繋がんなくなっちまうなら、こっちから乗り込むっきゃないだろっつーの!」「いいから、よせ!」焔凱は熾恩の手を装置から引き離そうとする。
 
「へへっ! オッさん! 一緒、来いや‼︎」「何⁉︎」
 
 熾恩は、もう片方の手で、焔凱の腕を取ると、そのまま焔凱の腕を空いている接続モジュールに押し当てた。熾恩は、焔凱の腕の上にも念を込めて、焔凱の思念を身体から引きずり出す。
 
「ぬぉお⁉︎」
 
 装置の感受センサーが、激しく発光し、二人の思念が、ターゲットの哀れな兵士の意識を足掛かりに、システムに潜入し始めたことを告げる。
 
『熾恩! 焔凱!』「チッ! やりやぁがったぜぇ~」
 
 二人の身体は芯を失ったように、その場にへたれ込んでいった。
 
 
 ****
 
『ついに……来たか……定めの時が……』
 
 <アマテラス>ブリッジに、再び娃の音声が戻って来ると、時空間転移の靄に包まれていたモニターの映像が、次第に、何かの形を作り出す。娃の王宮の、私室のようだ。
 
 時間軸は、娃があの"予言"を告げてから、約一月程度が経っていた。
 
 茅葺きの屋根に、早朝から激しく打ち付ける風雨が、建物全体を揺らす。まるで、恐怖に身を震わせるように……
 
 娃は、部屋に設られた祭壇に向かい、静かに祈りを捧げている。ふと、胸元にしまった宝玉を取り出した娃は、しばし、その輝きに魅入る。
 
 揺れる灯火に、深い青緑の妖光が、意識深くに何かを語りかけて来るようだ。
 
『……わかっておる……大珠よ……この地は栄えすぎた……それが大地の意志であるなら……』
 
『逃れることは"もう"せぬ……』
 
 大珠を握りしめた、娃の意識にぎる心象をモニターが描き出す。
 
 ——蠢く何かに囚われ、苦しみもがく人影。その影を捉えて離さない、蛇の群れのような存在——
 
「何⁉︎」直人は、思わず声を上げていた。一瞬の映像は、助けを求めているように見える。
 
「PSIパルス! ……<天仙娘娘>? いや、あの鯀か?」アランは、一瞬の反応に、即座に対応する。
 
「発信源は⁉︎」「いや、掴めていない!」
 
 カミラの確認に、アランは苦々しげに返す。そうしている間に、娃は、閉じこもっていた宮中から、外へと駆け出していた。
 
『……‼︎ ……鯀!』
 
 吹き荒れる風雨が容赦なく、不用意に飛び出した女王を打つ。狼狽して、娃は柱の影に退く。
 
『せ、正王母様!』『正王母様ぁ‼︎』
 
 声のする方へ見やれば、宮中やその軒先で、固まって風雨を凌ぐ、王宮の家臣達。それから、逃げ遅れたのか、否、あえて残ったのか……民の姿も見える。ざっと三百名ほどはいるだろうか?
 
『申し訳、ございませぬ! 低地の平民街も、地下から水が上がって来ており、この祭祀の丘に、逃げ遅れたものを避難させております!』
 
 宮廷護衛兵を束ねる男が答える。
 
『構わぬ……されど、なぜ、まだ留まっていたのだ? ここもいずれ……』
 
『この都を捨てるなど……』『そうです、我らも正王母様と共に!』『正王母様‼︎』
 
『お前たち……』
 
『母上様!』『嬉姫……ああ……其方まで……』
 
『大丈夫でさぁ! あの、鯀様と築いた壁がある!』『そうだ! 鯀様の言うとおり、あの壁があれば!』
 
 そう口にする皆の表情は明るい。
 
『母上様……父上様は、なすべき事を、立派に成し遂げたのです。皆は、父上様を心から信頼しています。だから、母上様も、どうか父上様を……』
 
 はっと息を呑む声にならない声が、親子の会話を見守るインナーノーツには、聞こえたような気がした。
 
『鯀……其方という男は……そうか……そういうことか……』
 
 娃は、胸元の大珠を固く握りしめていた。あの大男の温もりが、大珠から伝わってくる……そんな気がした。そう、これが人の温もり……。あの人の想い……。
 
『……お前たちの申すこと、さもありなん……。壁が、しばしの時を稼ごう。舟は? この丘に集められるか⁉︎』
 
『は、はい! 今ならまだ、何とか下から引き上げられるかと』
 
『万が一に備え、ありったけの舟を用意せよ!』『はは!』
 
 分厚い黒雲に包まれた空。晴れ間を一切見せない、暗黒に包まれた終末の世界。それでも、大珠を握れば、不思議と胸の内が暖かかくなる。
 
『……鯀。今更、其方のことが、少しだけ……わかったような気がする……』
 
 娃は、今まで一度も、鯀には見せたことのない笑顔を浮かべていた。
 
  
 ****
 
「……麗……ちゃん……」
 
 水が溜まり、まるで湯船のようになった保護カプセルの中で、雨桐が自分を呼ぶ声を、容ははっきりと聞いた。
 
 精神麻酔がまだ、効いているはずで、今、彼女のすぐ隣のカプセルに、容が入れられようとしている事を察する事は、できるはずがない。
 
 けれど、彼女はわかっている。容が、そこにいる事を……。容にはそう思えた。
 
「雨桐……待ってて……」
 
 その一言を封じるように、カプセルのカバーが閉じられていく。すぐに精神麻酔が施され、次第に容の意識は、深く落ちてゆく……
 
 
 ****
 
『正王母様! なんとか、舟の用意は整いました!』
 
 <アマテラス>は、娃の意志に導かれるまま、まるで時間軸を飛石のようにスキップしながら、進んでいる。
 
『皆、乗れそうか?』『い……いえ……それは……』
 
『……水は、どの程度か?』『低地の居住地は、地下から水が溢れてほぼ浸かり……外は、壁の半分程まで……』
 
 壁の各部署の監視場所から、規則的な法螺貝を吹き鳴らす音が聞こえる。防災にあたる官吏らは、その合図から情報を判別して、女王に報告した。
 
『水かさはます一方となろう……もはや猶予もない。準備のできたものから、順次、城壁南西を成すあの山へ! あの場には、摂政より、いざという時のための避難所を設けたと聞いている。舟を往復させ、全員ここから離れるのだ!』女王は毅然と命じる。
 
『さ、されど! いくらなんでも、この祭祀の丘までは……』『左様にございます! ここで、水が引くまで凌げれば……』
 
『ならぬ!』
 
 娃の一言が、その場に漂い始めた、一時の安堵の空気を凍りつかせる。
 
『私は、この丘を含む都の全てが、水と土砂の底に沈むのを、何度となく夢の中に見た……手遅れにならぬうちに……頼む……』
 
 女王が深く頭を垂れ、懇願するのを見れば、もう誰も異論を唱えることはできない。これは、想像を絶する天変地異……確実に都は、水の底に沈むのだ。皆、少しずつ、その事を実感を持って受け入れ始める。
 
『し、しかし……城壁の中もすでに荒れたうみの如き有り様……この嵐の湖の中、自在に舟を操れるものなど……』
 
 そう口走る老家臣を押し退け、刺青のある、浅黒い肌を持つ、荒々しい男達が進み出る。男達は、両手に櫂を持つようにして、船を漕ぐ仕草をして見せる。鯀の連れてきた、あの倭人の集団だと、娃はすぐに悟った。
 
『其方らが、舟の漕ぎ手を?』
 
 娃の言葉を理解したのか、倭人の長らしい男が力強く頷いた。彼らには、どことなく、鯀と似通った安心感がある。
 
『……感謝する……』
 
 娃は、迷う事なく彼らの申し出を受け入れた。
  
『……そうだ……』
 
 この謁見の間の奥にある、祭壇に向かう娃。袋状の何かを取って戻ると、倭人の長にそれを授けた。中身を確認する長の顔が綻ぶ。
 
『この地の、稲の種籾……王宮の蔵にも備蓄がある。いくらでも持ってゆくが良い』
 
『せ、正大母様⁉︎』『良いのだ、蔵を開けてやれ』
 
『蓬莱か……さぞ、良きところであろうな……』
 
『米は我らの子……どうか其方らの地に、根付かせておくれ』
 
 倭人の一団は、膝を落とし、女王に深く一礼すると、すぐに王宮の外へと向かった。
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