INNER NAUTS(インナーノーツ) 〜精神と異界の航海者〜

SunYoh

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第一章 久遠なる記憶

記憶の間 5

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 光形成されたキーボードの上を、長く尖った白指が、忙しなく舞う。キーが押されるたびに、目線の高さにフォログラム投影された画面の中で、文字が澱み無き川の清水のように、流れてゆく。
 
 白衣の背に、漆黒の長い髪を一房に束ねた長身の男は、机に向かう姿勢を崩すこと無く、タイピング作業を続けている。男は、立ち上がった光ディスプレイとキーボードの間で、まるでシステムの一部となった、作業機械のようだ。
 
 その男、神取は、昼下がりのIN-PSID長期療養棟の医局で、彼の日課である研修レポートをまとめながら、同時に、後々、彼の職場となる、関西の新医療機関に向けた、業務マニュアルの原案草稿を作成している。
 
 書類の作成には、この時代、脳波変換型インターフェイスもあり、作業効率は、そちらの方が遥かに良いとされているが、神取はキーボードを好んでいた。——というより、むしろ、彼の桁外れの霊力は、脳波変換型機器を故障させかねないため、使用を控えている、というのも理由の一つではあるが——
 
 テキストの入力がひと段落した神取は、ぬるくなったコーヒーに口をつけながら、長期療養棟に入居する、患者らの医療データをチェックする。今のところ、患者らに異変はない。
 
 ……くくっ……お頭ともあろうお人が。暇そうではないか? ……
 
 神取以外、人のいない医局の影溜まりから、しゃがれた声が聞こえてくる。耳に響く声ではない。
 
 ……そう言う其方は、何か収穫があって来たのだろうな……
 
 コーヒーを含みながら、神取は、"心の声"で答える。影は次第に人の形を取りながら、神取の背後へと寄ってくる。霊体であるその姿を捉えられるものは、神取以外、いない。
 
 ……『三宝神器』…………動き出したぞ……
 
 全身に刀傷を刻んだ、黒尽くめの忍びの姿がそこにあった。
 
 忍びの霊体、玄蕃は、神取の背中に語りかける。
 
 ……御所が開発を進めていた、大型霊威感応装置と言ったか? 一体、何に使う装置か? ……
 
 振り向く事もなく、神取は問う。
 
 ……目的はまだ……だが三つ、わかったことがある……
 
 ……三つ? ……話せ……
 
 ……うむ、まずは一つ。『三宝神器』には、その名のとおり……三人の霊媒が、必要となる……
 
 ……三人? ……
 
 ……『神主』『斎王』そして……
 
 ……『神子』……
 
 ……『神子』……だと? ……
 
 神取は、柳眉を顰めた。
 
 ……『三宝神器』をもって執り行う『祭』において、三役のうち、『神子』が最も重要な役割を果たす……
 
 ……『祭』? ……
 
 ……仔細については、御老体も、あの尼御前も一切、口にせぬ……
 
 ……なるほど……とにかく、その装置を用いるのに、『神子』が欠かせぬ存在であると……
 
 ……いかにも……
 
 ……あとの二つは? ……
 
 ……一つは、その所在よ。今朝方、御所を御老体と尼御前が出て行った。『試し』をするというのでな……向かった先は、道程からして、十中八九、あの『封印の地』……
 
 ……何⁉︎ ……
 
 椅子を回転させ、神取は振り向く。玄蕃は、黒頭巾の中で、口角を上げているように見える。
 
 ……そしてもう一つ。あの、烏衆の三人……
 
 ……ひょうかいじん? ……
 
 ……左様。……諏訪での失態で、御所に軟禁されていたが、早朝、御所から連れ出された……彼らの向かった先もまた……
 
 ……『三宝神器』か……
 
 ……そう見て間違いなかろう……ちょうど三人。おそらく、その『試し』とやらに用いられるのは、想像に難くない……状況からして、まともな扱いをされぬこと、明白。クククッ、諏訪の一件、少々、深入りし過ぎたのではないか? あの三人にしてみれば、とんだとばっちり……ぬぐ⁉︎……
 
 ……黙れ、玄蕃……
 
 神取は、立ち上がって、玄蕃の前へと進み出ると、細長い両目を見開いて、玄蕃を凝視する。その瞳孔が開いてゆくと、玄蕃の霊体は、刀傷から引きちぎられんばかりの霊力に襲われ始めた。
 
 ……ぬぐあぁああ! ……
 
 たまらず玄蕃は、苦痛に呻く。
 
 玄蕃の魂の傷は、神取の霊力の力も借りて繋ぎ止めている。逆に言えば、玄蕃の弱点を神取が握っているのだ。抗えるはずもない。
 
 肉体的な痛覚の記憶と、遠い昔の死の瞬間が、玄蕃の魂を焦がす。
 
 ……其方の減らず口に付き合うほど、私は、"暇"ではない……
 
 玄蕃の霊体は、今にもバラけ、霊界、すなわちインナースペースの深淵へ、情報素子となって叩き落とされそうだ。
 
 …………くっ……うう……わ、わかった……堪忍! ……堪忍‼︎ ……
 
 神取は、霊力を緩め、玄蕃を解放してやる。
 
 ……うぅうう……
 
 玄蕃は、人の形を保ちきれず、彼が現れた影溜まりへと戻っていく。
 
 ……それから、尾行に気をつけよ……
 
 影溜まりに冷ややかな視線を落としながら、神取は言う。
 
 ……なっ⁉︎ まさか⁉︎ ……
 
 ……案ずるな、お前が入ってきた時、既にその目は塞いだ……おそらく、"夢見子"の、千里眼の類だろう……
 
 ……拙者が? なんという失態……
 
 ……いや、夢見子は、無意識の幾つもの表象から、物事を推定する他ない。おそらく、其方や私に辿り着くには、まだかかろう……だが……
 
 言いながら、神取は、机にゆっくりと戻る。
 
 ……あの、尼御前のことだ。こちらを警戒しているに違いない……
 
 ……如何する? まだ、御所の探索を続けるか? ……
 
 ……無論だ……こちらの動きを悟られる前に、向こうの企みを暴く……
 
 ……お頭! ……
 
 玄蕃の声は、幾分、震えている。
 
 ……封印の地……あの地を、穢されてはならぬのだ……
 
 微動だにせず、影を見下ろす神取。もはや、主人へ、何一つ言い返せぬ事を玄蕃は悟る。
 
 ……行け、玄蕃! ……
 
 ……ぎょ……御意……
 
 影溜まりの闇が薄らいでゆく。時間も空間も超越する霊界、インナースペースを通り、玄蕃が"御所"に戻った事を確認すると、神取は机に戻る。
 
 ……封印の地……『三宝神器』……
 
 ……兵……
 
 神取は、目の前のディスプレイを立ち下げると、空白の壁面をしばし見詰めた。
 
 
 ——三週間程前・諏訪——
 
「神取殿……恩に着ます。お陰で、皆と陣を無事、奪還できた……ただ、神子は……」細身の黒づくめの若い男、兵が、俯き加減で言う。
 
「せっかく、神取様に頂いた機会を、私たちは……」男に寄り添う、彼と何処となく似た女、皆が、口惜しげに呟いた。背の高い、気の良さそうな男、陣もまた、顔を曇らせる。

「いえ、あのようなことになるとは、正直、私も驚きましたよ」そう言って神取は、苦笑いを浮かべて見せた。
 
「良いのですか? 貴方も彼を、調べてみたかったと……」
 
「救出されたあの子、咲磨は、IN-PSIDに運ばれるでしょう。調べは、IN-PSIDがやってくれる。だが、あの"神子"の気配……今は、まるで感じられません。おそらくは……」
 
「もう……神子ではない……」
 
「貴方達こそ、これからどうします? 風辰翁が、貴方達を、このまま咎めずに置くことは無い……」
 
「わかっています。されど、御所は我が家……他に行くところなどない。それに、たとえ厳しい沙汰が待っていようと……」
 
兄妹弟きょうだい、共にならば……」

三人はそう言い残し、諏訪の山中へと消えていった——
 
 突如、アラームが鳴り響く。
 
『神取先生!』立て続けに、看護師の切羽詰まった声が、スピーカーから響いてきた。
 
「どうしました⁉︎」神取はすぐに応答する。
 
『すぐ来てください! 実世さんが‼︎』 
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