272 / 293
第一章 久遠なる記憶
記憶の間 4
しおりを挟む
『娃……よう、出てきてくれた……』
目の前の、霞のような人影から放たれる気配は、どこか冷たい。鯀は、何も返事を返さないこの人影に向かって、言葉を投げかけているようだ。
『み、見ておくれ、あの見事な城壁を。これで、来る水害からも、都を、其方らを守れようぞ! 人は、人の力は、不可能を可能にするのだ!』
<天仙娘娘>の全周パネルをぐるりと取り囲む城壁が、浮かび上がっていた。
「何、今……何と?」劉は、細長い目を大きく見開いて、右隣にシートユニットを寄せる楊に確認する。
「だから! 一瞬だけど、<アマテラス>のPSIパルスらしき反応があったのよ!」狐顔をニンマリさせて、楊は答えた。
「マジか! あいつらが? まさか、アタイらを探しに……?」明明は、先程、ブリッジ床に散らばった辣条を拾い集めながら言った。袋に残っわずかに食べれそうなモノ見つけると、嬉々として口の中に流し込む。
「どうかしらね~~? あっちもぉ~遭難してるのかもよぉ~」静に擦り寄るようにしながら、智愛は言う。相変わらず、精には邪険にされているが、智愛はめげる様子もない。
「否……」劉は、冷静に思考を巡らせていた。
「……八卦羅針盤が見つけた可能性です。きっと脱出の糸口になるはず。総員、ダイレクト接続の上、全周探索!<アマテラス>を見つけましょう!」
「ふふ、ど~やらぁ~パフェ、食べに行けそうね。静」智愛は、シートユニットから身を乗り出して、静の腕に自分の腕を絡めながら言った。
「ん、あ……ああ」意外にも、今度は智愛を嫌がる風もなく、静は、正面を見据えたまま、気のない返事を返す。
「ど~うしたの?」智愛は、怪訝そうに静を見上げる。
「いや、正面の……」「変よね~~。なんでこの人だけ、ハッキリ映らないのかなぁ~」
「そこ、なぜか波長ギャップのせいで、ビジュアル構成がうまく機能してないのヨ。とりあえず、そこはいいから!」シートユニットを動かしながら、既に周辺探索を開始した楊が、説明する。
「けど……羅針盤が……」羅針盤は、揺ら揺らと迷うように左右に触れながらも、正面を指そうとしている。静には、そう見えていた。
『……なぜ……なぜなのだ……』唸るような声が聞こえる。
「また、この声!」シートに戻った明明は、ウンザリしたとばかりに、舌打ちした。
すると、何者かが語り始める。白い靄の人物のようだ。
『聴け! 皆の者! 私は予言を伝えに参った』
『禍が来る。何をもってしても、避け得ぬ禍が! 季節下り、稲穂が首を垂れる頃……かつてない大雨が何日もの間降り注ぐ! 西の湖から、堤を越えて、川と水路に沿う平地の田畑、村々に溢れた水が襲い来る。さらに、この都には、土砂と岩を抱く高波が押し寄せ、跡形もなく飲み込んでしまうであろう! 一刻の猶予もない! 皆、早々に都を離れ、高き地へと逃れるがよい!』
宮中の者らは、唖然となっていた。
『あ、娃! 待ってくれ!』
『摂政、貴方には、子と民を託す。すぐに避難の準備を』
『な、何を言う! あの壁を見よ! あの高さを超えて流れ込む高波など、あろうはずもない! それに、ようやく皆、飢饉から立ち直り、ここでの生活を取り戻したのだ! それを無碍もなく出て行けなど、どの口が言えよう⁉︎これまで、どれだけの労力と犠牲を払ってきたことか、娃!』鯀は、声を荒げていた。
その鯀の言葉は、<アマテラス>のブリッジにも響いている。その度に娃と心を重ねるアムネリアの、胸を潰されるような苦悶を、直人は感じ取っていた。
『我が言葉が聴けぬと申すか、摂政! 王は我ぞ!』<アマテラス>のブリッジに投影されるフォログラムの娃は、表情一つ変えず、威厳に満ちていた。
『娃……治水は……都の再建は、儂と其方の願いではなかったか? なぜ、今になってそのようなことを!』
「……願い……わたし……たちの……雨桐……」
鯀の言葉は、<アマテラス>からの通信を見守る、容の瞳を大きく見開かせていた。瞳を潤すものが、身体の異常による水ではない、生暖かさを感じさせながら、容の頬を伝う。
『……天運、ここに極まれり……人は、天には抗えぬ』
冷酷な娃の言葉の刃を前に、誰一人声が出ない。
『……なぁにぃ……我らの治水を……其方は……』鯀の声は打ち震えていた。
『伝える事は、伝えた……急げ』
娃は、群がる宮中の者達の間を通り抜けていく。彼女の威厳に、畏れを成したように、皆、通路の端に寄り彼女に道を譲って、恭しく頭を下げる。
『待て、娃……其方は、どうするつもりだ⁉︎』
娃は歩みを止め、鯀に背を向けたまま口を開く。
『我は、この都也……ここを離れるわけには、ゆかぬ。……さらばじゃ』
『娃……』『お……お母様……』背後に、子供のすすり泣く声を感じながら、娃は自室へ戻ると、心張り棒を施し、戸を背にして崩れ落ちた。
『ああ……』
『尤……嬉姫(娃と鯀の娘)よ……許せ……皆を救うには、これしか……』
一方、<天仙娘娘>のブリッジは、小刻みに震えていた。同期して、固く拳を握り締め、険しい形相を見せる、フォログラムの鯀の肩が震えている。
『……なぜだ……なぜ……儂は、全て其方のために……なぜ、儂を受け入れぬ……儂を認めぬ……』
『……良かろう。其方が、そのつもりであれば……』
宮中の者達は、立ち去った白靄の人影が残した言葉に、皆、不安を顔に浮かべ、騒つき始めた。
『皆の者! 案ずることはない! 正王母は、仰られた。ご自身は、この都、そのものであると! 正王母ある限り、この都は滅びぬ! あの壁が、皆の命と、生活を必ずや守り抜く!』
鯀の力強い言葉に、皆は次第に顔を上げていく。
『そ、そうだ! この都が、滅びるはずなかろう!』『あ、ああ! あの壁があれば!』『我々は、鯀様と共に!』『鯀様!』
『お父上様……』
『大丈夫だ……』不安気に見上げながら、鯀の手を握りしめる我が子の手を、鯀は優しく握り返していた。
『たとえ災禍に見舞われようと、我らは負けぬ! 皆、力を貸してくれ!』
目の前の、霞のような人影から放たれる気配は、どこか冷たい。鯀は、何も返事を返さないこの人影に向かって、言葉を投げかけているようだ。
『み、見ておくれ、あの見事な城壁を。これで、来る水害からも、都を、其方らを守れようぞ! 人は、人の力は、不可能を可能にするのだ!』
<天仙娘娘>の全周パネルをぐるりと取り囲む城壁が、浮かび上がっていた。
「何、今……何と?」劉は、細長い目を大きく見開いて、右隣にシートユニットを寄せる楊に確認する。
「だから! 一瞬だけど、<アマテラス>のPSIパルスらしき反応があったのよ!」狐顔をニンマリさせて、楊は答えた。
「マジか! あいつらが? まさか、アタイらを探しに……?」明明は、先程、ブリッジ床に散らばった辣条を拾い集めながら言った。袋に残っわずかに食べれそうなモノ見つけると、嬉々として口の中に流し込む。
「どうかしらね~~? あっちもぉ~遭難してるのかもよぉ~」静に擦り寄るようにしながら、智愛は言う。相変わらず、精には邪険にされているが、智愛はめげる様子もない。
「否……」劉は、冷静に思考を巡らせていた。
「……八卦羅針盤が見つけた可能性です。きっと脱出の糸口になるはず。総員、ダイレクト接続の上、全周探索!<アマテラス>を見つけましょう!」
「ふふ、ど~やらぁ~パフェ、食べに行けそうね。静」智愛は、シートユニットから身を乗り出して、静の腕に自分の腕を絡めながら言った。
「ん、あ……ああ」意外にも、今度は智愛を嫌がる風もなく、静は、正面を見据えたまま、気のない返事を返す。
「ど~うしたの?」智愛は、怪訝そうに静を見上げる。
「いや、正面の……」「変よね~~。なんでこの人だけ、ハッキリ映らないのかなぁ~」
「そこ、なぜか波長ギャップのせいで、ビジュアル構成がうまく機能してないのヨ。とりあえず、そこはいいから!」シートユニットを動かしながら、既に周辺探索を開始した楊が、説明する。
「けど……羅針盤が……」羅針盤は、揺ら揺らと迷うように左右に触れながらも、正面を指そうとしている。静には、そう見えていた。
『……なぜ……なぜなのだ……』唸るような声が聞こえる。
「また、この声!」シートに戻った明明は、ウンザリしたとばかりに、舌打ちした。
すると、何者かが語り始める。白い靄の人物のようだ。
『聴け! 皆の者! 私は予言を伝えに参った』
『禍が来る。何をもってしても、避け得ぬ禍が! 季節下り、稲穂が首を垂れる頃……かつてない大雨が何日もの間降り注ぐ! 西の湖から、堤を越えて、川と水路に沿う平地の田畑、村々に溢れた水が襲い来る。さらに、この都には、土砂と岩を抱く高波が押し寄せ、跡形もなく飲み込んでしまうであろう! 一刻の猶予もない! 皆、早々に都を離れ、高き地へと逃れるがよい!』
宮中の者らは、唖然となっていた。
『あ、娃! 待ってくれ!』
『摂政、貴方には、子と民を託す。すぐに避難の準備を』
『な、何を言う! あの壁を見よ! あの高さを超えて流れ込む高波など、あろうはずもない! それに、ようやく皆、飢饉から立ち直り、ここでの生活を取り戻したのだ! それを無碍もなく出て行けなど、どの口が言えよう⁉︎これまで、どれだけの労力と犠牲を払ってきたことか、娃!』鯀は、声を荒げていた。
その鯀の言葉は、<アマテラス>のブリッジにも響いている。その度に娃と心を重ねるアムネリアの、胸を潰されるような苦悶を、直人は感じ取っていた。
『我が言葉が聴けぬと申すか、摂政! 王は我ぞ!』<アマテラス>のブリッジに投影されるフォログラムの娃は、表情一つ変えず、威厳に満ちていた。
『娃……治水は……都の再建は、儂と其方の願いではなかったか? なぜ、今になってそのようなことを!』
「……願い……わたし……たちの……雨桐……」
鯀の言葉は、<アマテラス>からの通信を見守る、容の瞳を大きく見開かせていた。瞳を潤すものが、身体の異常による水ではない、生暖かさを感じさせながら、容の頬を伝う。
『……天運、ここに極まれり……人は、天には抗えぬ』
冷酷な娃の言葉の刃を前に、誰一人声が出ない。
『……なぁにぃ……我らの治水を……其方は……』鯀の声は打ち震えていた。
『伝える事は、伝えた……急げ』
娃は、群がる宮中の者達の間を通り抜けていく。彼女の威厳に、畏れを成したように、皆、通路の端に寄り彼女に道を譲って、恭しく頭を下げる。
『待て、娃……其方は、どうするつもりだ⁉︎』
娃は歩みを止め、鯀に背を向けたまま口を開く。
『我は、この都也……ここを離れるわけには、ゆかぬ。……さらばじゃ』
『娃……』『お……お母様……』背後に、子供のすすり泣く声を感じながら、娃は自室へ戻ると、心張り棒を施し、戸を背にして崩れ落ちた。
『ああ……』
『尤……嬉姫(娃と鯀の娘)よ……許せ……皆を救うには、これしか……』
一方、<天仙娘娘>のブリッジは、小刻みに震えていた。同期して、固く拳を握り締め、険しい形相を見せる、フォログラムの鯀の肩が震えている。
『……なぜだ……なぜ……儂は、全て其方のために……なぜ、儂を受け入れぬ……儂を認めぬ……』
『……良かろう。其方が、そのつもりであれば……』
宮中の者達は、立ち去った白靄の人影が残した言葉に、皆、不安を顔に浮かべ、騒つき始めた。
『皆の者! 案ずることはない! 正王母は、仰られた。ご自身は、この都、そのものであると! 正王母ある限り、この都は滅びぬ! あの壁が、皆の命と、生活を必ずや守り抜く!』
鯀の力強い言葉に、皆は次第に顔を上げていく。
『そ、そうだ! この都が、滅びるはずなかろう!』『あ、ああ! あの壁があれば!』『我々は、鯀様と共に!』『鯀様!』
『お父上様……』
『大丈夫だ……』不安気に見上げながら、鯀の手を握りしめる我が子の手を、鯀は優しく握り返していた。
『たとえ災禍に見舞われようと、我らは負けぬ! 皆、力を貸してくれ!』
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
アンチ・ラプラス
朝田勝
SF
確率を操る力「アンチ・ラプラス」に目覚めた青年・反町蒼佑。普段は平凡な気象観測士として働く彼だが、ある日、極端に低い確率の奇跡や偶然を意図的に引き起こす力を得る。しかし、その力の代償は大きく、現実に「歪み」を生じさせる危険なものだった。暴走する力、迫る脅威、巻き込まれる仲間たち――。自分の力の重さに苦悩しながらも、蒼佑は「確率の奇跡」を操り、己の道を切り開こうとする。日常と非日常が交錯する、確率操作サスペンス・アクション開幕!
独裁者・武田信玄
いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます!
平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。
『事実は小説よりも奇なり』
この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに……
歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。
過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。
【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い
【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形
【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人
【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある
【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)
終末の運命に抗う者達
ブレイブ
SF
人類のほとんどは突然現れた地球外生命体アースによって、消滅し、地球の人口は数百人になってしまった、だが、希望はあり、地球外生命体に抗う為に、最終兵器。ドゥームズギアを扱う少年少女が居た
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
天日ノ艦隊 〜こちら大和型戦艦、異世界にて出陣ス!〜
八風ゆず
ファンタジー
時は1950年。
第一次世界大戦にあった「もう一つの可能性」が実現した世界線。1950年4月7日、合同演習をする為航行中、大和型戦艦三隻が同時に左舷に転覆した。
大和型三隻は沈没した……、と思われた。
だが、目覚めた先には我々が居た世界とは違った。
大海原が広がり、見たことのない数多の国が支配者する世界だった。
祖国へ帰るため、大海原が広がる異世界を旅する大和型三隻と別世界の艦船達との異世界戦記。
※異世界転移が何番煎じか分からないですが、書きたいのでかいています!
面白いと思ったらブックマーク、感想、評価お願いします!!※
※戦艦など知らない人も楽しめるため、解説などを出し努力しております。是非是非「知識がなく、楽しんで読めるかな……」っと思ってる方も読んでみてください!※
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる