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第一章 久遠なる記憶

記憶の間 4

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『娃……よう、出てきてくれた……』
 
 目の前の、霞のような人影から放たれる気配は、どこか冷たい。鯀は、何も返事を返さないこの人影に向かって、言葉を投げかけているようだ。
 
『み、見ておくれ、あの見事な城壁を。これで、来る水害からも、都を、其方らを守れようぞ! 人は、人の力は、不可能を可能にするのだ!』
 
 <天仙娘娘>の全周パネルをぐるりと取り囲む城壁が、浮かび上がっていた。
 
「何、今……何と?」劉は、細長い目を大きく見開いて、右隣にシートユニットを寄せる楊に確認する。
 
「だから! 一瞬だけど、<アマテラス>のPSIパルスらしき反応があったのよ!」狐顔をニンマリさせて、楊は答えた。
 
「マジか! あいつらが? まさか、アタイらを探しに……?」明明は、先程、ブリッジ床に散らばった辣条を拾い集めながら言った。袋に残っわずかに食べれそうなモノ見つけると、嬉々として口の中に流し込む。
 
「どうかしらね~~? あっちもぉ~遭難してるのかもよぉ~」静に擦り寄るようにしながら、智愛は言う。相変わらず、精には邪険にされているが、智愛はめげる様子もない。
 
「否……」劉は、冷静に思考を巡らせていた。
 
「……八卦羅針盤が見つけた可能性です。きっと脱出の糸口になるはず。総員、ダイレクト接続の上、全周探索!<アマテラス>を見つけましょう!」
 
「ふふ、ど~やらぁ~パフェ、食べに行けそうね。静」智愛は、シートユニットから身を乗り出して、静の腕に自分の腕を絡めながら言った。
 
「ん、あ……ああ」意外にも、今度は智愛を嫌がる風もなく、静は、正面を見据えたまま、気のない返事を返す。
 
「ど~うしたの?」智愛は、怪訝そうに静を見上げる。
 
「いや、正面の……」「変よね~~。なんでこの人だけ、ハッキリ映らないのかなぁ~」
 
「そこ、なぜか波長ギャップのせいで、ビジュアル構成がうまく機能してないのヨ。とりあえず、そこはいいから!」シートユニットを動かしながら、既に周辺探索を開始した楊が、説明する。
 
「けど……羅針盤が……」羅針盤は、揺ら揺らと迷うように左右に触れながらも、正面を指そうとしている。静には、そう見えていた。
 
『……なぜ……なぜなのだ……』唸るような声が聞こえる。
 
「また、この声!」シートに戻った明明は、ウンザリしたとばかりに、舌打ちした。

すると、何者かが語り始める。白い靄の人物のようだ。
 
『聴け! 皆の者! 私は予言を伝えに参った』
 
『禍が来る。何をもってしても、避け得ぬ禍が! 季節下り、稲穂が首を垂れる頃……かつてない大雨が何日もの間降り注ぐ! 西の湖から、堤を越えて、川と水路に沿う平地の田畑、村々に溢れた水が襲い来る。さらに、この都には、土砂と岩を抱く高波が押し寄せ、跡形もなく飲み込んでしまうであろう! 一刻の猶予もない! 皆、早々に都を離れ、高き地へと逃れるがよい!』
 
 宮中の者らは、唖然となっていた。
 
『あ、娃! 待ってくれ!』
 
『摂政、貴方には、子と民を託す。すぐに避難の準備を』
 
『な、何を言う! あの壁を見よ! あの高さを超えて流れ込む高波など、あろうはずもない! それに、ようやく皆、飢饉から立ち直り、ここでの生活を取り戻したのだ! それを無碍もなく出て行けなど、どの口が言えよう⁉︎これまで、どれだけの労力と犠牲を払ってきたことか、娃!』鯀は、声を荒げていた。
 

 その鯀の言葉は、<アマテラス>のブリッジにも響いている。その度に娃と心を重ねるアムネリアの、胸を潰されるような苦悶を、直人は感じ取っていた。
 
『我が言葉が聴けぬと申すか、摂政! 王は我ぞ!』<アマテラス>のブリッジに投影されるフォログラムの娃は、表情一つ変えず、威厳に満ちていた。
 
『娃……治水は……都の再建は、儂と其方の願いではなかったか? なぜ、今になってそのようなことを!』
 
「……願い……わたし……たちの……雨桐……」
 
 鯀の言葉は、<アマテラス>からの通信を見守る、容の瞳を大きく見開かせていた。瞳を潤すものが、身体の異常による水ではない、生暖かさを感じさせながら、容の頬を伝う。
 
『……天運、ここに極まれり……人は、天には抗えぬ』
 
 冷酷な娃の言葉の刃を前に、誰一人声が出ない。
 
『……なぁにぃ……我らの治水を……其方は……』鯀の声は打ち震えていた。
 
『伝える事は、伝えた……急げ』
 
 娃は、群がる宮中の者達の間を通り抜けていく。彼女の威厳に、畏れを成したように、皆、通路の端に寄り彼女に道を譲って、恭しく頭を下げる。
 
『待て、娃……其方は、どうするつもりだ⁉︎』
 
 娃は歩みを止め、鯀に背を向けたまま口を開く。
 
『我は、この都也……ここを離れるわけには、ゆかぬ。……さらばじゃ』
 
『娃……』『お……お母様……』背後に、子供のすすり泣く声を感じながら、娃は自室へ戻ると、心張り棒を施し、戸を背にして崩れ落ちた。
 
『ああ……』
 
『尤……嬉姫きき(娃と鯀の娘)よ……許せ……皆を救うには、これしか……』
 
 
 一方、<天仙娘娘>のブリッジは、小刻みに震えていた。同期して、固く拳を握り締め、険しい形相を見せる、フォログラムの鯀の肩が震えている。
 
『……なぜだ……なぜ……儂は、全て其方のために……なぜ、儂を受け入れぬ……儂を認めぬ……』
 
『……良かろう。其方が、そのつもりであれば……』
 
 宮中の者達は、立ち去った白靄の人影が残した言葉に、皆、不安を顔に浮かべ、騒つき始めた。
 
『皆の者! 案ずることはない! 正王母は、仰られた。ご自身は、この都、そのものであると! 正王母ある限り、この都は滅びぬ! あの壁が、皆の命と、生活を必ずや守り抜く!』
 
 鯀の力強い言葉に、皆は次第に顔を上げていく。
 
『そ、そうだ! この都が、滅びるはずなかろう!』『あ、ああ! あの壁があれば!』『我々は、鯀様と共に!』『鯀様!』
 
『お父上様……』
 
『大丈夫だ……』不安気に見上げながら、鯀の手を握りしめる我が子の手を、鯀は優しく握り返していた。
 
『たとえ災禍に見舞われようと、我らは負けぬ! 皆、力を貸してくれ!』
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