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第一章 久遠なる記憶

記憶の間 1

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 幻妖に揺らめく、小さな灯りと、窓から差し込む銀色の月の光が交わるところに、痩せこけた小さな人影が立ち現れている。
 
『王……太母様……』娃の戦慄く声が、<アマテラス>のブリッジを震わせた。
 
「あ、あの婆さん……か?」ティムは、唇を震わせて呟いた。
 
 <アマテラス>ブリッジのモニターに、青白く浮かび上がった老婆は、まるで憑き物が落ちたかのように、かつての権勢の影は無く、生気すら感じられない。
 
『ふぉふぉふぉ……久方ぶりに祖母に会えたというに』皺に覆われた顔をくしゃっとさせて、老婆は言う。
 
『ご存命で……あられましたとは……』平伏し、娃は、畏まっている。
 
『摂政に頼み、死んだ事にしてもろうてたのじゃ』『え?』
 
 思わず、娃は顔を上げる。
 
『其方の父が、身罷った事を告げに参った折、奴は、儂の幽閉を解くと申し出た……だが、断った。儂を担ぎ出すものが、いないとも限らんかったのでな。奥でくたばった事にさせてもろうた』
 
 老婆は言いながら、娃の方へと進み出る。
 
『ふぉほほ……すっかりこの奥の暮らしに馴染んでしまってのう……ここは外の喧騒から離れていられる……それ以来、あやつは、何かと便宜を計ってくれている。お陰で、不自由なくやっておるわ』
 
『良き夫を持ったの、娃』老婆は、娃の肩にそっと手を添え、微笑んだ。
 
『お婆様……』
 
 ……? ……亜夢? ……
 
 ふと直人は、仄かな熱の気配を感じ、振り返った。フォログラムの娃は、俯いている。光像の裡側には、微かに、温かな光が灯っていた。
 
『……何も言わずとも良い。好きなだけ、ここにいると良い』
 
 老婆は、かつての、あの王太母と同一人物とは思えない、穏やかな眼差しで、娃を包み込む。
 
『其方に見せたいものがある……ついて参れ』
 
 微睡の中に溶け込むように、モニター景色が切り替わって言った。
 
 細く狭い、階段廊下を降りてゆくと、奥宮の下層には、かなり広い、地下空間が広がっている。石積みで覆われたその空間は、今のこの地の建築物をも、はるかに凌ぐ遺構であると、娃にもすぐに理解できた。
 
『ここじゃ。ここは、奥宮の最奥……我らが祖、"真の"この地の主らが眠る処』
 
 代々の女王、あるいはその眷属のものであろうか? 幾つもの、立像が立ち並ぶ。
 
 神格化され、生前の面影はわからない、恐ろしき表情をした幾つもの像(土器が大半ではあるが、中には、木製で、漆の朱塗りの像や、青銅製らしきものもある)が、娃の立ち入りの是非を問うかのように、見下ろしていた。
 
『真の?』『うむ……数百年前、我が民族の多くは、この地を離れ、今やこの国は、近隣から流入した、多民族からなっている……最初に、この地に王国を築いた、国大母の系譜。その血筋も、限られた、儂等王族に残されるのみ』
 
『娃……其方にも、その血が受け継がれておるのだ』
 
 墓所を抜けると、そこは宝物庫らしき小部屋となっていた。老婆が、灯明皿に火を移すと、室内が、艶やかな、乳白や青緑の色に照り変える。壁棚状になった至る所に、翡翠の装飾品、玉壁、玉琮が、所狭しと並んでいる。
 
「わぁお……」サニは、目を輝かせた。サニだけではない。決して煌びやかではないが、その眩きと荘厳さを兼ね備えた光は、インナーノーツ、見守るスタッフら皆、一様に魅了していた。
 
『これは! 玉が……いったい、どれ程あるのか⁉︎』
 
 普段から玉器に慣れ親しんでいる娃ですら、目を丸めている。
 
『……手に取ってみよ』
 
 灯明皿の脇に佇む老婆は、火明かりの中で微笑んでいる。娃は、中央に置かれた、古ぼけた大型の玉琮に、何故か無性に惹きつけられる。
 
 ここに納められた玉の殆どは、軟玉であるが、この玉琮は、あの、倭人の宝玉と同じ、青緑に輝く、硬玉を加工したもののようである。
 
 四辺が正確に揃った方柱、その中心を円筒状に狂いなく穴が通る。内側の穴の表面には、びっしりと細かな溝が刻まれている。一体、どのような技術を用いて加工したのか、皆目見当もつかない代物だ。少なくとも、娃の知る限り、硬玉をここまで細工できる技術は、この時代の南都には無い。
 
 恐る恐る、手をかざす。それを、老婆は、静かに見守る。
 
 娃の手が、玉琮に触れた瞬間。
 
 <アマテラス>のモニターが、夥しい数のイメージ映像に覆われ、それらもまた、目まぐるしく、入れ替わり立ち替わり、入り乱れる。
 
 どこの言語ともつかない言葉や、何の音なのかもわからない声音が、ブリッジに響き渡り、インナーノーツは、思わず耳を塞ぐ。
 
『ああ‼︎』
 
 娃と、アムネリアの叫びが、重なる。
 
「アムネリア⁉︎」直人は、思わず声を上げていた。
 
『……⁉︎ お、お婆様! これは、何なのです⁉︎』娃は、混乱と恐れに身体を震わせながら、玉琮から手を離し、後ずさる。
 
『やはりの……娃。其方には見えるか?』
 
『お婆様……え、ええ……』
 
『記憶じゃ』『記憶?』
 
 娃は、何かに気づき、胸元から、鯀より贈られた翡翠の大珠を取り出し、玉琮と見比べる。
 
『ほう……其方、珍しいものを持っているな。それもまた、ここの宝玉と同じじゃろう』
 
 
「記憶……だと?」IMCで見守る藤川は、眉を顰める。「所長。一体、何が……」東は、否、インナーノーツも、スタッフらにも、何が起こっているのか、皆目、見当もつかない。
 
「ううむ……」藤川は、モニターに映し出される、玉琮をただ、凝視していた。
 
『……ここは記憶の間……太古の我らが先祖達の残した遺産。これを其方に託す……それが儂の最後の仕事じゃ』 
 
『最後……』娃は老婆の方へと振り向く。
 
『我ら代々、祭祀を受け継ぐ者は、伝承と共に、この記憶を引き継いできた』
 
 ——天地の秩序は滅び、世、乱れし時、神の依代は来たれり。汝、神子なり。汝に我らの記憶を授けよう。我らの記憶、汝を大いなる源へと誘わん——
 
 娃のフォログラムに、アムネリアの姿が浮き上がって、現れてくる。
 
『み……こ……』
 
 アムネリアは、そっと、その言葉を反復していた。
 
『娃……其方こそ、神子……なり……』
 
 そこまで語ると、壁に寄りかかった老婆は、ずり落ちた。
 
『お婆様? ……お婆様‼︎』
 
 娃は、老婆を抱え起こす。老婆が差し出した、震えるその手を娃は、しっかりと握りしめていた。
 
『……あの時、其方を選んだ……儂は……其方の霊威に……恐ろしかった……儂の坐を……脅かす……と…………赦しておくれ…………』『何を、何を仰せに!』
 
 娃の瞳が潤む。老婆は、静かな微笑みを浮かべた。
 
『……其方こそ……真の神……子……』『お婆様ああぁぁ‼︎』
 
 老婆は、娃の腕の中で、眠るように瞳を閉じ、呼吸を止めた。娃の頬を涙が伝う。
 
 老婆は、この瞬間、娃にこの事を伝えるためだけに、命を繋いでいたのだ……娃が、そう理解した事を、直人は直感しながら、背後に迫る圧迫感に思わず振り向く。同時に、娃の姿を映すフォログラムも振り返っていた。
 
 先ほどの玉琮が、青緑の光を鈍く放っているように見える。娃は、静かに老婆の亡骸を横たえると、導かれるように、玉琮へと歩み寄ってゆく。
 
『もう一度……触れてみよ……と言うのか? ……なれば示せ!』
 
 娃は、意を決して、玉琮に両手を差し出した。
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