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第一章 久遠なる記憶
真紅のインナーノーツ 1
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「空間変異衝撃! 本船後方に急速接近!」
<天仙娘娘>を飲み込んだ空間変動域は、彼女によって作り出されていた波動収束フィールドを我が物顔に蹂躙し、まるで生物の臓器のように蠢かす。<アマテラス>は、胃に納められ、消化を待つばかりの食物のように、蠕動する空間に翻弄されている。波打つ空間波動が、衝撃波となって<アマテラス>に襲いくる。
「増速! 黒四○! シールド、後方集中展開で凌ぐ! ナオ!」「はい!」
「来ます!」「総員、衝撃に備え!」
衝撃波はシールドで緩和され、船体へのダメージはない。だが、その余波は、船体を激しく揺さぶる。
「まだ! 次元震、第二波計測!」「くっ! このままでは船がもたない! アラン時空間転移は⁉︎」「時空パラメーターを集合ミッション領域に合わせている! このまま跳躍しても、この領域内で堂々巡りだ!」
「チッ! 航路探索しつつ、通常航行で何とか次元浮上するしかない! 急いで、ティム!」「了解! っても、もういっぱいなんすよ!」ティムは、既に最大メモリに達したスロットルレバーを握りしめ、さらに押し込んでいた。
その時、モニターの一角に、雨雲の隙間から差し込む日の光のような光芒が現れた。
「……あ、あの光は⁉︎」いち早く気づいた直人が指を刺す。
「誘導ビーコン⁉︎」
カミラが光の正体を察するのと同時に、通信音声がブリッジに響く。
『こちら<イワクラ>。脱出経路を設定ました! 直ちにこちらの誘導に従って時空間転移してください!』「アイリーン⁉︎」
凛とした中にも優しさを感じる、よく聞き慣れた女性の声に、<アマテラス>ブリッジの緊張が和らぐ。
だが、緊迫した状況は変わらない。カミラは、気持ちを引き締め直し、空かさず指示を下す。
「PSIバリアパラメーターを直ちに誘導ビーコンに同期!」「パラメーターセット……同期した!」カミラの指示に、アランも素早く対応した。
「時空間転移、開始!」
<アマテラス>の船体が虹色に揺めくと、船は磁石に引き寄せられるように、誘導ビーコンの光の筋へと吸い込まれていく。
白転したモニターが回復すると、一転して柔らかな煌めきが降り注ぐ、何処かの水底の風景を映し出し始める。
今回のミッションで、インナースペース突入のエントリースポットとした、中国江蘇省南部と浙江省北部の間に広がる、太湖の底に出た事を皆、すぐに悟っていた。もっとも、そこはこの世、現象界ではない。[現象境界]と呼ばれるインナースペースの入り口であり、この世の姿形の構成情報を保持する、インナースペースの最浅領域である。
上部モニターには、水面の情景が映し出され、翼を広げた怪鳥のような影を落とす。<イワクラ>と呼ばれた、その船の『影』は、親鳥が大きな両翼で我が子を保護するかのように、<アマテラス>を包み込んでいた。
「ふう……なんとか、やり過ごせたぜ」ティムは、シート深くに身を預け、身体中に張り詰めた緊張を緩めていく。
「各部、点検急げ」
カミラの指示に、インナーノーツが持ち場の機器の自己診断プログラムを走らせ始めた時、開いたままになっていた通信回線から、濁声が呼びかけてくる。
『初っ端から災難だったなぁ。インナーさんよぉ』
腕を組んで佇み、モニターを見上げる厳つい男が映し出されている。
「ありがとうございます、助かりました。如月キャップ」
カミラの返答に、IMS(INNER MISSION SUPPORT)リーダー、如月重悟は、鬼瓦のような顔を引きつらせたような笑みを浮かべた。
如月の前の席では、<アマテラス>管制オペレーター、アイリーン・クーパーが、安堵のため息をつき、その隣に座るIMSサブリーダーの齋藤舞は、涼やかな切長の両目でモニターを一瞥すると、自分の作業へと戻る。
『礼は所長に言ってくれ。あのタイミングで誘導ビーコンぶち込めたのは、所長の指示だからな』
<イワクラ>を映し出すモニターのウインドウに並んで、日本に拠点を置く、IN-PSID本部IMCの映像も回復していた。インナーノーツの視線に、藤川は、豊かな白髭を少し持ち上げて応える。
真夏の太陽が照り付ける、太湖の中央付近に浮ぶ、直径五キロメートルに及ぶ円形メガフロートは、IN-PSID China支部の施設エリアである。
インナーミッションを現象界からサポートするIMS。その彼らが運用するインナーミッション支援船<イワクラ>は、現在、メガフロート南部に設けられた専用ポートに停泊し、IN-PSID Chinaとの共同ミッションにあたり、<アマテラス>の現象界側時空間拠点、及び管制拠点として活動していた。
<アマテラス>は、湖面に浮ぶ<イワクラ>の誘導に従い、<イワクラ>の船底部に"のめり込んで"ゆく。<イワクラ>の船底部は、インナースペース活動中の<アマテラス>が、一時寄港可能な次元コネクションポートが設けられており、このポートにドッキングすることによって、<イワクラ>からの補給、及び現象界との時空間座標ズレの調整などが可能となる。
『無事なようだな。船のダメージは?』
IMCを映し出す通信ウィンドウの中で、東が問う。
「シールド増槽を二割消耗した程度です。ミッションに支障はありません。ですが、<天仙娘娘>は……」カミラは、眉を顰めて答えた。
『わかった。如月キャップ、増槽の補給を頼む。それから<天仙娘娘>だが……』China支部からの報告を確認しながら、東は続ける。
『……China支部の集団ミッションシステムは、まだ正常稼働している。どうやら無事なようだ』
東の報告にインナーノーツは皆、胸を撫で下ろす。
『だが……』東の横から、通信ウィンドウに入り込んだ藤川が、説明を引き継いだ。
『それも<天仙娘娘>のPSIパルスを何とか検出できているだけで、通信も、時空間座標の特定もできない。おそらく次元深度レベル5の何処かにハマっている。 現象界側からの捜索は不可能だ』
和らぎかけたブリッジの空気は、すぐに緊張を取り戻す。その緊張を嫌うかのように、サニは口を尖らせていた。
<天仙娘娘>を飲み込んだ空間変動域は、彼女によって作り出されていた波動収束フィールドを我が物顔に蹂躙し、まるで生物の臓器のように蠢かす。<アマテラス>は、胃に納められ、消化を待つばかりの食物のように、蠕動する空間に翻弄されている。波打つ空間波動が、衝撃波となって<アマテラス>に襲いくる。
「増速! 黒四○! シールド、後方集中展開で凌ぐ! ナオ!」「はい!」
「来ます!」「総員、衝撃に備え!」
衝撃波はシールドで緩和され、船体へのダメージはない。だが、その余波は、船体を激しく揺さぶる。
「まだ! 次元震、第二波計測!」「くっ! このままでは船がもたない! アラン時空間転移は⁉︎」「時空パラメーターを集合ミッション領域に合わせている! このまま跳躍しても、この領域内で堂々巡りだ!」
「チッ! 航路探索しつつ、通常航行で何とか次元浮上するしかない! 急いで、ティム!」「了解! っても、もういっぱいなんすよ!」ティムは、既に最大メモリに達したスロットルレバーを握りしめ、さらに押し込んでいた。
その時、モニターの一角に、雨雲の隙間から差し込む日の光のような光芒が現れた。
「……あ、あの光は⁉︎」いち早く気づいた直人が指を刺す。
「誘導ビーコン⁉︎」
カミラが光の正体を察するのと同時に、通信音声がブリッジに響く。
『こちら<イワクラ>。脱出経路を設定ました! 直ちにこちらの誘導に従って時空間転移してください!』「アイリーン⁉︎」
凛とした中にも優しさを感じる、よく聞き慣れた女性の声に、<アマテラス>ブリッジの緊張が和らぐ。
だが、緊迫した状況は変わらない。カミラは、気持ちを引き締め直し、空かさず指示を下す。
「PSIバリアパラメーターを直ちに誘導ビーコンに同期!」「パラメーターセット……同期した!」カミラの指示に、アランも素早く対応した。
「時空間転移、開始!」
<アマテラス>の船体が虹色に揺めくと、船は磁石に引き寄せられるように、誘導ビーコンの光の筋へと吸い込まれていく。
白転したモニターが回復すると、一転して柔らかな煌めきが降り注ぐ、何処かの水底の風景を映し出し始める。
今回のミッションで、インナースペース突入のエントリースポットとした、中国江蘇省南部と浙江省北部の間に広がる、太湖の底に出た事を皆、すぐに悟っていた。もっとも、そこはこの世、現象界ではない。[現象境界]と呼ばれるインナースペースの入り口であり、この世の姿形の構成情報を保持する、インナースペースの最浅領域である。
上部モニターには、水面の情景が映し出され、翼を広げた怪鳥のような影を落とす。<イワクラ>と呼ばれた、その船の『影』は、親鳥が大きな両翼で我が子を保護するかのように、<アマテラス>を包み込んでいた。
「ふう……なんとか、やり過ごせたぜ」ティムは、シート深くに身を預け、身体中に張り詰めた緊張を緩めていく。
「各部、点検急げ」
カミラの指示に、インナーノーツが持ち場の機器の自己診断プログラムを走らせ始めた時、開いたままになっていた通信回線から、濁声が呼びかけてくる。
『初っ端から災難だったなぁ。インナーさんよぉ』
腕を組んで佇み、モニターを見上げる厳つい男が映し出されている。
「ありがとうございます、助かりました。如月キャップ」
カミラの返答に、IMS(INNER MISSION SUPPORT)リーダー、如月重悟は、鬼瓦のような顔を引きつらせたような笑みを浮かべた。
如月の前の席では、<アマテラス>管制オペレーター、アイリーン・クーパーが、安堵のため息をつき、その隣に座るIMSサブリーダーの齋藤舞は、涼やかな切長の両目でモニターを一瞥すると、自分の作業へと戻る。
『礼は所長に言ってくれ。あのタイミングで誘導ビーコンぶち込めたのは、所長の指示だからな』
<イワクラ>を映し出すモニターのウインドウに並んで、日本に拠点を置く、IN-PSID本部IMCの映像も回復していた。インナーノーツの視線に、藤川は、豊かな白髭を少し持ち上げて応える。
真夏の太陽が照り付ける、太湖の中央付近に浮ぶ、直径五キロメートルに及ぶ円形メガフロートは、IN-PSID China支部の施設エリアである。
インナーミッションを現象界からサポートするIMS。その彼らが運用するインナーミッション支援船<イワクラ>は、現在、メガフロート南部に設けられた専用ポートに停泊し、IN-PSID Chinaとの共同ミッションにあたり、<アマテラス>の現象界側時空間拠点、及び管制拠点として活動していた。
<アマテラス>は、湖面に浮ぶ<イワクラ>の誘導に従い、<イワクラ>の船底部に"のめり込んで"ゆく。<イワクラ>の船底部は、インナースペース活動中の<アマテラス>が、一時寄港可能な次元コネクションポートが設けられており、このポートにドッキングすることによって、<イワクラ>からの補給、及び現象界との時空間座標ズレの調整などが可能となる。
『無事なようだな。船のダメージは?』
IMCを映し出す通信ウィンドウの中で、東が問う。
「シールド増槽を二割消耗した程度です。ミッションに支障はありません。ですが、<天仙娘娘>は……」カミラは、眉を顰めて答えた。
『わかった。如月キャップ、増槽の補給を頼む。それから<天仙娘娘>だが……』China支部からの報告を確認しながら、東は続ける。
『……China支部の集団ミッションシステムは、まだ正常稼働している。どうやら無事なようだ』
東の報告にインナーノーツは皆、胸を撫で下ろす。
『だが……』東の横から、通信ウィンドウに入り込んだ藤川が、説明を引き継いだ。
『それも<天仙娘娘>のPSIパルスを何とか検出できているだけで、通信も、時空間座標の特定もできない。おそらく次元深度レベル5の何処かにハマっている。 現象界側からの捜索は不可能だ』
和らぎかけたブリッジの空気は、すぐに緊張を取り戻す。その緊張を嫌うかのように、サニは口を尖らせていた。
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