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第4章 燔祭

涅槃の彼方へ 1

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……亜夢!……

暗雲に包まれた心象空間で、直人は亜夢を見失っていた。PSI-Linkに接続した自身の意識を締め付けた何かの力は、緩和されたとはいえ、不快な感覚は持続している。

<アマテラス>にも危機が迫っている事を直人は、ひしひしと感じ取っていた。

……なおと!……

直人の眼前にゆらりと焔が立ち上がり、亜夢が雲の中から現れる。

……なに!?これ!!もぅ!!……

亜夢も同じ感覚なのだろう。不快感を隠さない。

……大丈夫?……

……うん……あの人が……助けてくれた……

……アムネリア?……

亜夢は、小さく頷く。

……時がないって……

……ああ、急ごう……

……うん……あ、あそこ!!……

何かを見つけた亜夢は、駆け出す。

……まっ、待って!……


すると、目の前には、風雨に耐え凌ぐ茅葺の古代建築らしき建物が浮かび上がる。その様式から、時代は縄文末期、あるいは弥生時代初期の頃であると推測された。

亜夢へと指向する直人の意識は、いつの間にか、その建物の中へと入り込んでいた。長老らしき人物を囲み、十数名の人影がひしめいている。亜夢の姿は見えない。


……何故?何故、我らの子らを!?どうかしている!!……気付けば、直人はその場の一人の男となって、声を発していた。

……しかし、逆らえばどうなることか……それに我らにとっても、今や彼らの米は……

……ワシらのムラへ来たモンが言うには、はるか西方や南の方は、稲作によって肥え、いくつものクニが生まれているそうじゃ……

……強きクニは、弱きクニを襲う。我らも今、あの者らと共にクニづくりを進めねば、いずれ……

……だからといって!そんな事でこの雨風が鎮まるのか!?御裂口ミシャクジさまは、本当に『生贄』なるものをご所望なのか?……

直人は、また別の若者となって声をあげていた。

膨れ上がる反対の声に、長老は口を閉ざすのみ……その紛糾する寄り合いの様子は、直人の意識トレースによって<アマテラス>のブリッジにも届いていた。直人の意識が"見聞き"したものは、<アマテラス>のブリッジも共有されている。(<アマテラス>改修作業の中で、先の生体記憶トレースシステムを応用し、PSI-Linkダイレクト接続者が五感で感じ取ったと"認識"したものに焦点を絞り、ビジョンと音声へと変換するアルゴリズムが、PSI-Linkシステムに組み込まれていた)


「亜夢……ナオ……急いでちょうだい……」

カミラは、焦る気持ちを抑えながら、モニターを窺う。カミラの目の前で、アムネリアのホログラムの"石化"がジワジワと進行している。アムネリアが完全に石に閉ざされた時、<アマテラス>も同時にこの暗闇の中に封じられるのであろう。

<アマテラス>は、PSI-Linkへの『呪術結界』の干渉を出来るだけ阻止すべく、シールドとPSIバリアの維持に全エネルギーを傾けていた。無駄なエネルギー消費を抑えるため、ブリッジの照明すら落とし、非常灯の灯る中、固唾を飲んで直人と亜夢の動向を見守る。

「……けど、咲磨の『セルフ』と同調できても……どうやってこっから抜け出るんすか?咲磨の身体も閉じ込められてるんじゃ……」ティムは、投げやりな口調で疑問を口にする。

「『セルフ』から力を借りて、まずはこの呪縛を跳ね返す。そのエネルギーがあれば、『PSI 波動砲』の次元超越効果で、あの入り口の障害物を粉砕出来るかもしれない……アラン、あれの除去に必要なエネルギーを計算しておいて」

ブリッジ中央に示された<アマテラス>の稼働状況表示と、呪術結界に耐え得る予測リミット、咲磨の身体を救えるリミットをカウントダウンする夫々のタイマーを凝視したまま、カミラは言い放つ。

「次元超えであの質量を……か?」「他に手があって?」

「わかった……」希望は殆どなさそうだと思いながらも、アランは解析結果から必要なデータを取得し、即席の計算プログラムを構築し始めた。


……御裂口ミシャクジさまは何も語りはしませぬ……

……ただ、あるがままなのです……

一人の少年が立ち上がり、前へと進み出る。

白い絹織物らしい袖付きの着物を纏っている。交易で得た貴重な品なのであろう。そこに集う他の者とは明らかに異なる身なりだ。

……咲磨くん!?……

直人にはそう思えた。

……が参りましょう……御裂口ミシャクジさまと語らいに参ります……良いでしょう?大じぃじ様?……

長老は目を丸めている。

場は静まりかえっていた。おそらく彼らは、この一帯を束ねる一族の者。そのような子を差し出せば、湖畔に住まうあの者らも納得し、自分達の子は見逃がすやもしれない。そんな思いがこの場の者らの口を閉ざしている事を、直人は意識を重ねる男から感じ取っていた。

……なりませぬ!……うぬは、この地の民を束ねゆく男の子おのこぞ!……行かせはせぬ!……

……あねさま……

血相を変え立ち上がった女性は、その子の姉らしい。朱の渦巻く蛇のような文様を描いた、上質な貫頭衣、大珠や勾玉を身につけた、シャーマンらしき女性だ。

……さくま!……さくま!!……

シャーマンの女性に折り重なって、呼びかけているのは亜夢だった。

……行かないで!……

直人に聞こえる亜夢の声は、そのシャーマンの心の叫びが同調しているようだ。

すると、次第に建屋と人影が闇に溶け込み、直人の意識も男性から解放される。

……大丈夫……御裂口《ミシャクジ》さまはわかってくださる……何故なにゆえかと?……ふふ……はあそこから、こちらを"見に"来たもの……ただ元の世に帰るだけにございます……

……嵐が去り、水が引けば、あの者らの気も鎮まりましょう……子らの命も救われます……

心象風景に再び雷雲が渦巻き、つぶての如き雨が、意識だけの身に打ちつける。直人は、また何者かの視点を借り、この場を見ているようだ。

多くの群衆が高台に集まり、これから始まる儀式を固唾を飲んで見守っていた。

武装した、異なる民族の顔立ちをした男達が、神輿のようなものに乗せて運んできたその子は、手足を縛られ、足には大きな石袋が括りつけられている。神輿の後ろに連なって、亜夢を重ねた、あのシャーマンの女性も見える。彼女は、一族の者らと共に茫然となって見守る他ない。

白亜麻布の衣を纏う、『すほう』と呼ばれた異民族の神官達が、高台の眼下に渦巻く水面に向かって、祈祷を捧げているようだ。何の言葉を口にしているのか、まるでわからない。時折、"モレク"なる言葉が聞こえる。

……あねさま……哀しまないで……姉さまと暮らした日々……楽しゅうございました……

少年が振り返り、そう口にしたように思えた。

……        !!……

……さくま!!……

少年は、屈託の無い笑みを一つ残し、荒ぶる水の竜に呑み込まれていった。

世界を暗黒に閉ざしていた雨雲の磐戸が開く。雲の切れ間から光が差し込み、やがて風雨は鎮まっていった。

奇跡が起きた。誰しもが、そう胸の奥に刻み込んでいた。

人々はあの少年を讃え、感謝を口にもする。だが、それ以上に、自分達の子らの命が奪われずに済んだ事を何より喜んでいた。一人、あの少年の姉を除いて……


そして、月日は流れた。

この地の者達と異民の者達は、共に土地を切り拓き、稲を育て、野性動物の家畜化を試みる。交易品でもたらされる品は、大半が鉄の農具と武具に変わった。柵を巡らせ、若い男衆が戦いの訓練に集められている集落もある。

愛くるしい笑い声で母の元へと駆け寄り、抱きつく子供。

父親達に連れられ、初めての狩りへと山へと分け入ろうとする少年達は、集落で帰りを待つ家族達に、誇らしげな笑顔を残して旅立つ。

あの少年が生きていれば、同じくらいの年になっていたはずだ。

…………どうして?……

……なぜ、あの子だけ……こんな……こんなことが……

…………さくま………

得体の知れぬ黒々とした流れが、次第に亜夢の魂を紫炎に染めつつあった。
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