224 / 293
第4章 燔祭
涅槃の彼方へ 1
しおりを挟む……亜夢!……
暗雲に包まれた心象空間で、直人は亜夢を見失っていた。PSI-Linkに接続した自身の意識を締め付けた何かの力は、緩和されたとはいえ、不快な感覚は持続している。
<アマテラス>にも危機が迫っている事を直人は、ひしひしと感じ取っていた。
……なおと!……
直人の眼前にゆらりと焔が立ち上がり、亜夢が雲の中から現れる。
……なに!?これ!!もぅ!!……
亜夢も同じ感覚なのだろう。不快感を隠さない。
……大丈夫?……
……うん……あの人が……助けてくれた……
……アムネリア?……
亜夢は、小さく頷く。
……時がないって……
……ああ、急ごう……
……うん……あ、あそこ!!……
何かを見つけた亜夢は、駆け出す。
……まっ、待って!……
すると、目の前には、風雨に耐え凌ぐ茅葺の古代建築らしき建物が浮かび上がる。その様式から、時代は縄文末期、あるいは弥生時代初期の頃であると推測された。
亜夢へと指向する直人の意識は、いつの間にか、その建物の中へと入り込んでいた。長老らしき人物を囲み、十数名の人影がひしめいている。亜夢の姿は見えない。
……何故?何故、我らの子らを!?どうかしている!!……気付けば、直人はその場の一人の男となって、声を発していた。
……しかし、逆らえばどうなることか……それに我らにとっても、今や彼らの米は……
……ワシらのムラへ来たモンが言うには、はるか西方や南の方は、稲作によって肥え、いくつものクニが生まれているそうじゃ……
……強きクニは、弱きクニを襲う。我らも今、あの者らと共にクニづくりを進めねば、いずれ……
……だからといって!そんな事でこの雨風が鎮まるのか!?御裂口さまは、本当に『生贄』なるものをご所望なのか?……
直人は、また別の若者となって声をあげていた。
膨れ上がる反対の声に、長老は口を閉ざすのみ……その紛糾する寄り合いの様子は、直人の意識トレースによって<アマテラス>のブリッジにも届いていた。直人の意識が"見聞き"したものは、<アマテラス>のブリッジも共有されている。(<アマテラス>改修作業の中で、先の生体記憶トレースシステムを応用し、PSI-Linkダイレクト接続者が五感で感じ取ったと"認識"したものに焦点を絞り、ビジョンと音声へと変換するアルゴリズムが、PSI-Linkシステムに組み込まれていた)
「亜夢……ナオ……急いでちょうだい……」
カミラは、焦る気持ちを抑えながら、モニターを窺う。カミラの目の前で、アムネリアのホログラムの"石化"がジワジワと進行している。アムネリアが完全に石に閉ざされた時、<アマテラス>も同時にこの暗闇の中に封じられるのであろう。
<アマテラス>は、PSI-Linkへの『呪術結界』の干渉を出来るだけ阻止すべく、シールドとPSIバリアの維持に全エネルギーを傾けていた。無駄なエネルギー消費を抑えるため、ブリッジの照明すら落とし、非常灯の灯る中、固唾を飲んで直人と亜夢の動向を見守る。
「……けど、咲磨の『セルフ』と同調できても……どうやってこっから抜け出るんすか?咲磨の身体も閉じ込められてるんじゃ……」ティムは、投げやりな口調で疑問を口にする。
「『セルフ』から力を借りて、まずはこの呪縛を跳ね返す。そのエネルギーがあれば、『PSI 波動砲』の次元超越効果で、あの入り口の障害物を粉砕出来るかもしれない……アラン、あれの除去に必要なエネルギーを計算しておいて」
ブリッジ中央に示された<アマテラス>の稼働状況表示と、呪術結界に耐え得る予測リミット、咲磨の身体を救えるリミットをカウントダウンする夫々のタイマーを凝視したまま、カミラは言い放つ。
「次元超えであの質量を……か?」「他に手があって?」
「わかった……」希望は殆どなさそうだと思いながらも、アランは解析結果から必要なデータを取得し、即席の計算プログラムを構築し始めた。
……御裂口さまは何も語りはしませぬ……
……ただ、あるがままなのです……
一人の少年が立ち上がり、前へと進み出る。
白い絹織物らしい袖付きの着物を纏っている。交易で得た貴重な品なのであろう。そこに集う他の者とは明らかに異なる身なりだ。
……咲磨くん!?……
直人にはそう思えた。
……私が参りましょう……私が御裂口さまと語らいに参ります……良いでしょう?大じぃじ様?……
長老は目を丸めている。
場は静まりかえっていた。おそらく彼らは、この一帯を束ねる一族の者。そのような子を差し出せば、湖畔に住まうあの者らも納得し、自分達の子は見逃がすやもしれない。そんな思いがこの場の者らの口を閉ざしている事を、直人は意識を重ねる男から感じ取っていた。
……なりませぬ!……うぬは、この地の民を束ねゆく男の子ぞ!……行かせはせぬ!……
……姉さま……
血相を変え立ち上がった女性は、その子の姉らしい。朱の渦巻く蛇のような文様を描いた、上質な貫頭衣、大珠や勾玉を身につけた、シャーマンらしき女性だ。
……さくま!……さくま!!……
シャーマンの女性に折り重なって、呼びかけているのは亜夢だった。
……行かないで!……
直人に聞こえる亜夢の声は、そのシャーマンの心の叫びが同調しているようだ。
すると、次第に建屋と人影が闇に溶け込み、直人の意識も男性から解放される。
……大丈夫……御裂口《ミシャクジ》さまはわかってくださる……何故かと?……ふふ……私はあそこから、こちらを"見に"来たもの……ただ元の世に帰るだけにございます……
……嵐が去り、水が引けば、あの者らの気も鎮まりましょう……子らの命も救われます……
心象風景に再び雷雲が渦巻き、礫の如き雨が、意識だけの身に打ちつける。直人は、また何者かの視点を借り、この場を見ているようだ。
多くの群衆が高台に集まり、これから始まる儀式を固唾を飲んで見守っていた。
武装した、異なる民族の顔立ちをした男達が、神輿のようなものに乗せて運んできたその子は、手足を縛られ、足には大きな石袋が括りつけられている。神輿の後ろに連なって、亜夢を重ねた、あのシャーマンの女性も見える。彼女は、一族の者らと共に茫然となって見守る他ない。
白亜麻布の衣を纏う、『すほう』と呼ばれた異民族の神官達が、高台の眼下に渦巻く水面に向かって、祈祷を捧げているようだ。何の言葉を口にしているのか、まるでわからない。時折、"モレク"なる言葉が聞こえる。
……姉さま……哀しまないで……姉さまと暮らした日々……楽しゅうございました……
少年が振り返り、そう口にしたように思えた。
…… !!……
……さくま!!……
少年は、屈託の無い笑みを一つ残し、荒ぶる水の竜に呑み込まれていった。
世界を暗黒に閉ざしていた雨雲の磐戸が開く。雲の切れ間から光が差し込み、やがて風雨は鎮まっていった。
奇跡が起きた。誰しもが、そう胸の奥に刻み込んでいた。
人々はあの少年を讃え、感謝を口にもする。だが、それ以上に、自分達の子らの命が奪われずに済んだ事を何より喜んでいた。一人、あの少年の姉を除いて……
そして、月日は流れた。
この地の者達と異民の者達は、共に土地を切り拓き、稲を育て、野性動物の家畜化を試みる。交易品でもたらされる品は、大半が鉄の農具と武具に変わった。柵を巡らせ、若い男衆が戦いの訓練に集められている集落もある。
愛くるしい笑い声で母の元へと駆け寄り、抱きつく子供。
父親達に連れられ、初めての狩りへと山へと分け入ろうとする少年達は、集落で帰りを待つ家族達に、誇らしげな笑顔を残して旅立つ。
あの少年が生きていれば、同じくらいの年になっていたはずだ。
…………どうして?……
……なぜ、あの子だけ……こんな……こんなことが……
…………さくま………
得体の知れぬ黒々とした流れが、次第に亜夢の魂を紫炎に染めつつあった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
5
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる