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第4章 燔祭

前夜祭 3

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日本海沿線を、車はひた走る。

海を見たいと言う咲磨の気持ちを汲んで、慎吾はエアハイウェイではなく、海岸線沿いの国道を選んだ。

IN-PSIDを出て二時間半ほど。森部からの電話の後、慎吾は精神的な疲れからか、オートパイロットの運転席で眠りに落ちていた。

咲磨は父をそのままに、流れゆく景色を楽しんでいた。

新潟、阿賀野川近くに差し掛かる。晴れ渡った空の下、日本海も穏やかな様相を見せていた。

「とぉ様」「……」「ねえ、とぉ様ってば」

後部座席から咲磨は、父を揺すり起こす。

「ん?」「あれ、何?ほら、あれ」

「ん……あれは……島?」

ナビマップで確認するが、佐渡ヶ島にはだいぶ距離がある。

「蜃気楼だ……珍しいな」「しんきろう?」「光の屈折で、遠くの陸地や船が浮き上がって見えたりするんだ」

「へぇ~~。すごい!すごいね!」「砂漠なんかでも見えることがあるらしいんだが……」

「砂漠!……砂漠かあ。ネットでしか見たことないけど……どんなところなんだろう?」

窓の外に目を輝かせる咲磨に、慎吾は言葉が出ない。

「世界にはもっと面白いもの、いっぱいあるんだろうなぁ~~。見てみたかったなぁ」

「くっう……」儚げに呟く咲磨の声が、慎吾の胸を締め付ける。

「とぉ様?」「……」「ねえ、どおしたの?」

「……咲、俺は……俺にはな……郷を、皆んなを守る義務がある……咲、それはお前にも……」

父親の声は震え、体は硬直し、今にも心が壊れそうになるのを必死に堪えているようであった。

息子を連れて、このまま逃げる選択肢もあるのに、何故かそれを許せない。

……森部……森部は……あれも苦労しているのだ……類い稀な、霊性を持つだけにな……森部を支えてくれ……そして、奴の行き過ぎを止めるのもまた、我ら、須賀の役目だ……

……慎吾……森部と共に、郷を……ここは良いところだ……郷を……頼む……

「お、親父……」

慎吾の胸の内で、父親の遺言が蘇る。


……きゃあああああ!!……

朝早く、母の叫び声に、父と飛び出した慎吾は、玄関先に、死の匂いを感じていた。

玄関先には、刃物を突き立てられたまま、グッタリと横たわる野良猫の死骸が置かれていた。

そこへひらりと舞い落ちる紙切れがひとつ。

『地震はお前のせいだ!須賀は人殺し!』

玄関を振り返りみると、『呪ってやる』『一家全員血祭り!』など、誹謗を書き並べた貼り紙で覆われていた。

父は無言で猫の死骸と、その貼り紙を片付けていた。

その翌年、心労が祟った母は亡くなった。

……奥さん、亡くなったってよ。やっぱり祟られてたんだよ、あの家……

…………森部様のお言葉は、本当だったんだ……それに逆らうから……天罰が下ったんだ……

……裏切りモン!……とーちゃん言ってたぞ。お前んちが裏切ったからあの地震が来たって!……須賀は死なにゃならんってよぉ!……

…………えぇ、うそぉ……しんちゃん、お願い、早く死んでぇ!地震来ちゃうぅ!!……

……ハハハハハハハハ!!……


『人身御供』……それこそが、大災害を防ぐ唯一の方法だと言い出した森部に、慎吾の父は、真っ向から反対した。だが、二十年前、あの地震が起きてしまった。郷にも多くの被害が出て、その哀しみ、苦しみ怒りのやり場を須賀家に求めた。

母が亡くなって、さすがに治安の悪化も招きかねないと、見兼ねた森部からのお達しもあって、郷の復興も進むにつれ、苛めは徐々に鳴りを潜めた。『人身御供』の信仰も、今や古参の信者らに留められ、『御子神』の奇跡を求めてきた最近の末端の信者らは、そのような事も知らない。

だが、咲磨が御子神とされて持て囃される様になるまでは、須賀家への"制裁"は、影で続いていたものだ。

慎吾にとって、郷は決して良い場所ではなかった。

いつだって出たかった。

……逃れ……るな……逃れ……ては……ならぬ……

郷を離れようとすれば、胸の中で何かがそれを許さない。逃げてはならないのだ……。この郷の、須賀の宿命から……。

……禍が来る……

……御子神様とて、ご神意に従い、我々民草を救うことにこそ喜びを見出される。そうは思わぬか?……

森部の言葉が、有無を言わせず、慎吾の身体を鷲掴みにする。


……親父……こうすることしか……もう……

自動で動くハンドルの動きを止めんばかりに、慎吾は握りしめている。

『現在、オートパイロット専用車線を走行中です。この車線でのマニュアル操作は、禁止されています』

オートパイロットが、無機質な警告メッセージをあげ、慎吾はびくついて手を離す。咲磨は父親の震える肩にそっと手を重ねる。

「大丈夫……おとさま……大丈夫だよ」

「咲……」

慎吾は、肩に置かれた咲磨の手に自分の手を重ねる。

咲磨の温かさが身体を包み込む。慎吾の顔に僅かばかり、穏やかさが戻ってきた。



「……信じられます?あの子を……生贄になんて……」

主要メンバーが去った集会室で、俯き、堪えていた感情を噴き出すように幸乃は呟いた。部屋には貴美子が残っている。

「大丈夫。きっとうまくいくわよ」貴美子は、ドリンクサーバーでジャスミンティーを淹れると、幸乃に勧めた。

「ありがとうございます……」幸乃は、それを一口飲む。気持ちが少しだけ和らぐ。

「でも、いったい何故……人身御供なんて、また、とんでもないことを……」

「……人と神との繋がりは、すっかりと絶えてしまった……それを取り戻すには、もはや人を神に捧げる他ない、森部はそう考えているのでしょう……私のような末端の信者には、そんな事、明かしたりはしません……私も動物を使った、見立ての祭祀を行っていたことは、旦那から聞いてましたが……森部がここまで狂っていたなんて……」

そこまで話すと、幸乃は再び俯いてしまった。

貴美子は、ジャスミンティーを含みながら、静かに幸乃を見つめる。

「……あんなものが……」

胸の奥につかえていた何かを吐き出すように、幸乃は再び口を開く。

「あんな遺跡が見つからなければ……」「遺跡?」

「……二十年前の震災の後、あの郷で縄文時代の古代祭祀の遺跡が見つかったのはご存じ?」

「ええ、あの郷について少し調べてみてたら、出てきたわよ。地震で崩れた跡から見つかったのよね。古代の葬儀の痕跡ということだけど、未だよくわかっていないんだとか」

「それは表向き……隠しているんです。国家ぐるみで……本当は、そこで人間を捧げた生贄祭祀が行われていた形跡があったんです……しかも、年代も発表されたものよりもっと古くて……今のところ世界最古級……縄文草創期頃のものである可能性がありました」

「まさか……」

「なぜ、隠されているのか……はっきりしたことはよくわからない。あの遺跡の本当の姿は、とうとう世間に公表されることはなかった……強い圧力がかかっているようで……」

「圧力?」

幸乃は小さく頷いた。

「でも、それは森部には都合が良かったんです。今、そこは森ノ部教団の聖域にされて祀られている。彼らの信仰の拠り所として……」

幸乃の話に貴美子は、薄ら寒いものを感じていた。

「『人身御供』って……自然崇拝の原始的な行為……そう思われます?」「えっ……ええ……アニミズムやシャーマニズムとよく一緒に説明されるわね」

「……そういう一面はあります……ですが、人が人の命を神に捧げる……この本質は、『高度に階層化された社会』の維持」

貴美子は、ハッとなって顔を上げた。

確かに、縄文時代には、高度な社会が既にあったことは知られている。だが、それは現代で言うところの『コミュニティ』に近い。支配層、被支配層が厳然と区別される社会は、農耕と共に、もっと後の時代に興ってきたものであると考えられてきたはずだ。

「……つまり、日本の縄文草創期か、それ以前に、高度な階層社会、"文明"を持った集団があそこに居たという事……古代史を書き換えられるだけの可能性がある遺跡だったのです。現に、あの遺跡からは、縄文時代にはあり得ないようなものもいくつか見付かってます。『学術的』ではないと無視されてますけどね……」

小さな微笑みを浮かべて、幸乃は、カップに口をつける。

「お詳しいのね」貴美子は、カップを置くと、幸乃の方へ身を乗り出していた。

「私、考古学の研究生だったんです。十年程前、その遺跡の発掘調査をしたのがウチのゼミで……学生だった私も発掘作業を手伝いにあそこへ……そこで現地のガイドをしてくれたのが、夫……とても優しい人で……」

哀しげに思い出を振り返っている様子だ。貴美子は、席を立つと、幸乃の震える肩にそっと手を置いた。

「当時はピクニック気分でしたよ。"あんなもの"が出るまでは……あんなおぞましいものが……」

思い出したくないものを思い出した幸乃はそれ以上語ることを体が拒んでいた。

両手で自分の体を抱きしめるようにして震えを抑え込む幸乃に、貴美子はそれ以上、声をかけることができなかった。
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