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第4章 燔祭
愛別離苦 2
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「海って大きいね……諏訪の湖よりずっと大きい……」
「さくま……ほんと、海好きだね~」
療養棟の食堂に付随する、日本海側に面したベランダは、入居する個室よりも海を広く見渡せた。咲磨は、この場所が大のお気に入りとなっていた。
暑い日差しを避けてか、ベランダの他の利用者は、一組だけだった。ドリンクバーで注いだ好きな飲み物を手に、海に一番近いテーブルに陣どる咲磨と亜夢。
咲磨は、オレンジジュースを一口啜ったきり、椅子の上で膝を抱えるようにして、海の方を向いていた。
斜め隣に座る亜夢は、隠れんぼで無駄に走り回っていたせいか、手にしたりんごジュースは既に空。コップの底の僅かな残りをストローで吸い切ろうと、品のない音を立てている。
「……僕の郷じゃ海、見えないから」
「ふ~~ん、さくまは海、初めて見たの?」
「もっと小さいときに連れて行ってもらったことはあるみたいなんだけど……覚えてない……ほとんど郷から出たことがないんだ……」
「そうなの?さくま、かわいそう」
ベランダの見える食堂内の席で、真世は、二人を見守っていた。
「面倒見てもらって、ありがとう。真世さん。アイスコーヒーでよかったかしら?」「あ、すみません。ありがとうございます」
幸乃は、真世にアイスコーヒーを手渡しながら、対面の席へ座った。幸乃は、クリープとシロップを足して一口啜ると、ほっと一息ついて、ベランダを見やる。
「咲磨くん、しっかりしてますね。むしろこっちが遊んでもらったようなもので……」
真世も幸乃と同じように、コーヒーに味付けをしながら、亜夢の方へチラリと視線を送る。なんだか、母親みたいなことを言ってると気づいた真世は、小さな笑いを一つ溢すと、誤魔化すようにコーヒーを一口啜った。
"保護者"達の視線に気づくこともなく、咲磨と亜夢は、ずっと海を見続けている。言葉を交わしている風には見えない。
「なんか、恋人同士みたいね、あの二人」
二人の背を見つめていた真世には、不思議とそんな感じに見えてしまう。
「そんなぁ~~まだあの子、八歳よ」「え、でも……」
幸乃は、真世の視線を追いかける。
「……ほんとね、なかなかお似合いかも」
そう言って笑い合う二人。真世と幸乃もこの数日の間に打ち解けてきていた。
「死んだら、どこにいくのかな……海がいいな」
「死ぬ?さくま……死んじゃうの?」さっきまで笑顔いっぱいだった亜夢の顔が、急に青ざめていく。
咲磨は、無言のままだ。
「ダメ!ダメよ!死ぬのは。死ぬのは……怖いよ!」「……怖くなんかないよ」
咲磨が決然と言い切るので、亜夢は口をつぐむ。
「……"ぼくたち"は、この世界を見るために来た……」
咲磨がそう言った瞬間、亜夢は自分が自分ではない、いやもう一つ、自分を見つめる自分になったような感覚に襲われる。
「そうでしょ。お姉ちゃん」
……さくま!……だれ?だれとお話ししてるの……さくまぁ!!……
「……!」
意識が混濁している。
「亜夢は、死ぬのは…………我は……」
「"ぼくたち"が生まれたのにはワケがある。そして死ぬことにも……生きるも死ぬも、"ぼくたち"には同じこと……」
「……我は……誰……」
「お姉さん……会えてよかったよ……お姉さん」
……咲磨……それでも……我は……
深夜の療養棟は、静まり返っていた。
そっと目を覚ました咲磨は、ここの暮らしにもなれた母が、すっかり安心して眠っているのを確認する。
咲間が廊下に出ると、ナースステーションや検査室のある方は、灯が灯っている。そちらとは逆に、夜闇に包まれた食堂の方を目指す。
ここ数日、亜夢や子供達と遊び回った記憶が、建物の彼方此方に浮かび上がり、咲磨は一人、微笑みを浮かべていた。
食堂の入り口は開いている。夜間、スタッフが利用する事がある為であろう。だが、今は人の気配はない。
奥へと進む。食堂中央の螺旋階段を登ると、周囲を見渡せる展望スペースになっている。
咲磨は、南に面したベンチに腰掛けると、ポケットに潜ませた指輪型携帯端末を取り出し、指に嵌めた。
咲磨が所有する子供用の端末だ。ここに入居した時には、指から外され見当たらなかったが、隠れんぼをしている最中、クローゼットの中のハンドバッグに隠してあったのを見つけていた。母が隠していた理由は、おおよそ想像がつく。
端末を起動すると、左手にディスプレイが形成される。咲磨は、迷う事なく電話をかけた。
アルバム投影機の映像が、いくつも映し出したままになっているリビングには、酒瓶が転がり、脱ぎ散らかした服が散乱し、ゴミも散らかっている。パック詰めの食事が食べかけのまま放置されたテーブルに、慎吾は、うつ伏し、苦悶を浮かべたまま寝落ちしていた。
脳内に響くベルと、それに連動した左手の振動が、彼の意識を刺激する。
「はい……須賀です」ぼんやりとしたまま、慎吾は電話を受けた。
「……」「もしもし……どちらさん?」慎吾は、機嫌悪く無言のままの電話の向こうへと問う。
「…………とぉ様」「!……さく!咲磨か!?」咲磨の声に、伸吾は跳ね起きた。画面は映っていない。音声だけにしているようだ。
「うん」「今どこだ?……幸乃……かぁ様は!?」父の口は、息子と妻の身を案じる言葉を止めどなく言葉を吐き出している。
「…………とぉ様……苦しい想いさせてごめんなさい……」「さく……」
「もう……もういいんだよ……」「!!」
息子の言葉は、立ちどころに慎吾の心の堰を溶かしてゆく。胸の底に押さえ込んでいたものが、一斉に吹き出すと、涙と嗚咽となって体から溢れ出していた。
「……さく……さクゥ……うう……うう……」
息子の声に、電話の向こうで泣き崩れる父。咽び泣くその声を、咲磨はただ抱きしめるように聞いていた。
「さくま……ほんと、海好きだね~」
療養棟の食堂に付随する、日本海側に面したベランダは、入居する個室よりも海を広く見渡せた。咲磨は、この場所が大のお気に入りとなっていた。
暑い日差しを避けてか、ベランダの他の利用者は、一組だけだった。ドリンクバーで注いだ好きな飲み物を手に、海に一番近いテーブルに陣どる咲磨と亜夢。
咲磨は、オレンジジュースを一口啜ったきり、椅子の上で膝を抱えるようにして、海の方を向いていた。
斜め隣に座る亜夢は、隠れんぼで無駄に走り回っていたせいか、手にしたりんごジュースは既に空。コップの底の僅かな残りをストローで吸い切ろうと、品のない音を立てている。
「……僕の郷じゃ海、見えないから」
「ふ~~ん、さくまは海、初めて見たの?」
「もっと小さいときに連れて行ってもらったことはあるみたいなんだけど……覚えてない……ほとんど郷から出たことがないんだ……」
「そうなの?さくま、かわいそう」
ベランダの見える食堂内の席で、真世は、二人を見守っていた。
「面倒見てもらって、ありがとう。真世さん。アイスコーヒーでよかったかしら?」「あ、すみません。ありがとうございます」
幸乃は、真世にアイスコーヒーを手渡しながら、対面の席へ座った。幸乃は、クリープとシロップを足して一口啜ると、ほっと一息ついて、ベランダを見やる。
「咲磨くん、しっかりしてますね。むしろこっちが遊んでもらったようなもので……」
真世も幸乃と同じように、コーヒーに味付けをしながら、亜夢の方へチラリと視線を送る。なんだか、母親みたいなことを言ってると気づいた真世は、小さな笑いを一つ溢すと、誤魔化すようにコーヒーを一口啜った。
"保護者"達の視線に気づくこともなく、咲磨と亜夢は、ずっと海を見続けている。言葉を交わしている風には見えない。
「なんか、恋人同士みたいね、あの二人」
二人の背を見つめていた真世には、不思議とそんな感じに見えてしまう。
「そんなぁ~~まだあの子、八歳よ」「え、でも……」
幸乃は、真世の視線を追いかける。
「……ほんとね、なかなかお似合いかも」
そう言って笑い合う二人。真世と幸乃もこの数日の間に打ち解けてきていた。
「死んだら、どこにいくのかな……海がいいな」
「死ぬ?さくま……死んじゃうの?」さっきまで笑顔いっぱいだった亜夢の顔が、急に青ざめていく。
咲磨は、無言のままだ。
「ダメ!ダメよ!死ぬのは。死ぬのは……怖いよ!」「……怖くなんかないよ」
咲磨が決然と言い切るので、亜夢は口をつぐむ。
「……"ぼくたち"は、この世界を見るために来た……」
咲磨がそう言った瞬間、亜夢は自分が自分ではない、いやもう一つ、自分を見つめる自分になったような感覚に襲われる。
「そうでしょ。お姉ちゃん」
……さくま!……だれ?だれとお話ししてるの……さくまぁ!!……
「……!」
意識が混濁している。
「亜夢は、死ぬのは…………我は……」
「"ぼくたち"が生まれたのにはワケがある。そして死ぬことにも……生きるも死ぬも、"ぼくたち"には同じこと……」
「……我は……誰……」
「お姉さん……会えてよかったよ……お姉さん」
……咲磨……それでも……我は……
深夜の療養棟は、静まり返っていた。
そっと目を覚ました咲磨は、ここの暮らしにもなれた母が、すっかり安心して眠っているのを確認する。
咲間が廊下に出ると、ナースステーションや検査室のある方は、灯が灯っている。そちらとは逆に、夜闇に包まれた食堂の方を目指す。
ここ数日、亜夢や子供達と遊び回った記憶が、建物の彼方此方に浮かび上がり、咲磨は一人、微笑みを浮かべていた。
食堂の入り口は開いている。夜間、スタッフが利用する事がある為であろう。だが、今は人の気配はない。
奥へと進む。食堂中央の螺旋階段を登ると、周囲を見渡せる展望スペースになっている。
咲磨は、南に面したベンチに腰掛けると、ポケットに潜ませた指輪型携帯端末を取り出し、指に嵌めた。
咲磨が所有する子供用の端末だ。ここに入居した時には、指から外され見当たらなかったが、隠れんぼをしている最中、クローゼットの中のハンドバッグに隠してあったのを見つけていた。母が隠していた理由は、おおよそ想像がつく。
端末を起動すると、左手にディスプレイが形成される。咲磨は、迷う事なく電話をかけた。
アルバム投影機の映像が、いくつも映し出したままになっているリビングには、酒瓶が転がり、脱ぎ散らかした服が散乱し、ゴミも散らかっている。パック詰めの食事が食べかけのまま放置されたテーブルに、慎吾は、うつ伏し、苦悶を浮かべたまま寝落ちしていた。
脳内に響くベルと、それに連動した左手の振動が、彼の意識を刺激する。
「はい……須賀です」ぼんやりとしたまま、慎吾は電話を受けた。
「……」「もしもし……どちらさん?」慎吾は、機嫌悪く無言のままの電話の向こうへと問う。
「…………とぉ様」「!……さく!咲磨か!?」咲磨の声に、伸吾は跳ね起きた。画面は映っていない。音声だけにしているようだ。
「うん」「今どこだ?……幸乃……かぁ様は!?」父の口は、息子と妻の身を案じる言葉を止めどなく言葉を吐き出している。
「…………とぉ様……苦しい想いさせてごめんなさい……」「さく……」
「もう……もういいんだよ……」「!!」
息子の言葉は、立ちどころに慎吾の心の堰を溶かしてゆく。胸の底に押さえ込んでいたものが、一斉に吹き出すと、涙と嗚咽となって体から溢れ出していた。
「……さく……さクゥ……うう……うう……」
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