上 下
189 / 293
第4章 燔祭

因縁生起 1

しおりを挟む
「一度ならず、二度までの失態……儂はこれでも、其方らに恩情をかけて来たつもりぞ……」

「申し訳……御座いませぬ」

森ノ部の郷へ忍ばせた、部下、かいじんが、森部に捕らわれたという報告は、すぐに御所へと届けられていた。

「……諏訪へ参りたいと……」「はい……直に指揮を取り、立て直します」

「ふむ……」

風辰翁は、腕を組み、兵の具申を如何したものかと思案する。

「良いではありませぬか?今は少しでも森部の情報を押さえるべき時……」このところよく顔を出している夢見頭の尼僧が、思わぬ助け船を出す。兵は、不審に思いながらも平伏して風辰翁の判断を待つ。

「……相わかった。森部はかつて、我らと接触を持った輩。二人が烏である事にも気付くであろう……奴の狙い、必ずや探り出せ」「はっ!」

「……それと『神子』だ」

「兵どの」風辰翁の脇に正座した尼僧が、口を開いた。

「……我が夢見らは、『神子』は、ほぼ間違いなく諏訪へと戻ると申しております。『神子』は今、我らには欠かせぬ存在。森部の手に渡り、殺されるようなことがあってはなりません。今度こそ、神子を手に……」

「必ずや……では、すぐに立ちます」

兵は、一礼して素早く立ち上がる。

かい……と申したか?」

不意に背中に投げかけられた老翁の言葉に、兵は、歩み出した足を止める。

「血を分けた兄妹きょうだい……さぞや心配であろう?」兵の背は凍りつく。

「……我らは、烏にございます。アレも、私も、もとより死した身……いざという時の覚悟は」風辰翁に背を向けたまま、兵は答える。

「なればよい……行け」「はっ……」兵は振り返る事なく、その場を後にした。

「私情に走るか……使命に血を捧げられるか……ここが正念場よのう、兵よ」


IMC中央モニターの中で、諏訪一帯のマップ上に示されたPSI現象化臨界収束率を示すパターンが、サーモグラフィーのように色分けされ、10秒間隔でリアルタイムに更新される。諏訪湖中心部は、高危険率を示す、赤系統の色で塗りつぶされたままだが、結界で囲んだ外側は、諏訪湖からの距離に応じて、黄から安全域となる青系統の色を示している。

「よく保っているな、今度の結界は」東は、モニターを眺めながら呟いた。

「ですね。エネルギー消費も座標補正や、機器の稼働分だけなので、一週間程度なら十分持ちそう……との事です」

通信モニターに映る<イワクラ>のアイリーンは、IMSの如月らと共に、現場で作業に当たっている特殊結界工作チームからの報告をそのまま伝えた。

「あ、何か追伸があります」「ん?」

「今回の実証試験で、我々の研究は、十分な結果を得たと確信する。従って、私の研究室への研究費増額を是非とも願いたい……だそうです」アイリーンは、苦笑混じりに伝えた。「はぁ?」東の厳つい顔も、思わず崩れてしまう。

「こんな時に……図太い神経だな、あの松永ってのは……」松永瑛二。追伸の送り手の名だ。今回の結界工作の立役者であり、若干二十四歳にして、教授となったPSI工学博士である。

「わたし、あの人苦手……」アイリーンは、東に聞こえるように呟いた。「う~む……」東も同意せずにはいられない。

天才と目されるが、性格にはやや難ありな様子で、現場のIMSからの苦情もちらほら聞こえていた。通信士として直接やりとりする機会のあるアイリーンには、同情するばかりだ。

「どうします?」「……片山さんに転送しておいてくれ。上手くやってくれるだろう」「ですね……」

「よし!」気持ちを入れ替えんとばかりに、東は声を上げた。

「シミュレーションの続きだ、アイリーン!」

「あ、ちょっと待ってください」「どうした?」

「お茶にしませんか?」

時間を見れば午後四時を過ぎている。昼過ぎからぶっ通し、夢中で結界現場との調整と、シミュレーション作業をしていたことをアイリーンの一言で東は自覚した。

「そ、そうだな。すまない。一息入れよう」

「ありがとうございます」「それじゃあ、再開は十五分後……では、また後で」そう言うと、東は通信回線を切ろうとする。

「あ、チーフ。お茶の場所……わかりますか?」アイリーンに言われて、東は手を止める。そう言えば、いつもアイリーンが気を利かせて淹れてくれていた。

「ふふ、ナビしますから。そのままにしててください」アイリーンの声のトーンが、いつもより明るいような気がしながら、東はアイリーンに教えられるまま、休憩ブースへと向かう。


刻一刻と変化する状況に、IN-PSID本部と現場を監督する<イワクラ>は、昨日の午後から、三交代で監視にあたっていた。並行して、多元量子マーカーから転送されてくる情報解析と、AIが弾き出した、対『ヤマタノオロチ』ミッションの百とおり程あるシミュレーションの検証作業をこなしている。

交代人員は、IN-PSID本部側を東、藤川、片山が担当し、<イワクラ>側をアイリーン、齋藤、IMSオペレーターの一人チーミン(志明:台湾人男性)が担当する。

この時間は、東、アイリーンが担当していた。

「ありました?」オペレーションブースの方からアイリーンの声がする。東は、アイリーンに教えられたとおり、休憩ブースの戸棚で急須と「川根茶」と書かれた茶葉を見つける。合成ではない一級品だ。

「淹れられます?」「ん?……ああ、大丈夫だ」

言われてみれば、茶を自分で淹れるのも久しぶりだ。コーヒー党ばかりのIMCで、日本茶を飲むのは東くらいだったので、飲みたい時は自分で淹れていたものだ。アイリーンが淹れてくれるようになったのはいつからだったか……自分で淹れると味にバラつきがあったが、アイリーンが淹れたのは、最初から美味かった。そんな事をふと思い返していた。

「あ、冷蔵庫に羊羹もありますよ」「ああ、ありがとう」

東は、茶と羊羹をトレイに乗せると、オペレーションブースへと戻った。アイリーンは、既に持ち込んでいたタンブラーと菓子箱を並べている。

「ふふ、用意がいいな」「マイ(齋藤)からお菓子、分けてもらったんです。あ、紅茶は持ち歩いてますよ。ティータイムは欠かせませんからね」

英国人の伝統を彼女は大切にしている。普段の勤務の合間でも、緊急事態やミッションでなければ、時間を作っているようだった。

「そうか」と言いながら、自分で淹れた茶に口をつける東。……渋い表情を浮かべる。

「……湯冷ししました?」「湯冷し?」東の茶は、我流だった。そんな事はやった事もない。以前なら何とも思わなかったであろうが、このところ、すっかりアイリーンの淹れた味に慣れきっていた。

「ドリンクバーのお湯の温度、コーヒーとかに合わせて、高めに設定してますから……」

こうして離れてみると、アイリーンが裏で色々、やってくれていた事に改めて気づく。ミッションの資料の整理にしてもそうだ。彼女が予め、整理してくれているから仕事もやりやすい。

東がそんな事を考えているとは、気づく様子もなく、アイリーンは、静かに自分のティータイムを楽しんでいる。

東も羊羹を口に運ぶ。これも自分の好みにピタリと来る優しい甘さだ。

「ふふっ……」「えっ、何ですか、チーフ?」

「……いや、君のような人を嫁にできる男がいたら、さぞ幸せだろうと思ってね……」苦い茶を、東は苦笑しながら啜った。

「……ヤだな、チーフにそんな風に言われるの……」タンブラーを置いたアイリーンは、急に声のトーンが暗くなる。

「えっ……」一時の沈黙が生まれる。

「……あ、やだ!何言ってるんですか!」すると今度は、急に顔を上げて、明るい笑顔を見せる。

タンブラーの紅茶をまた一口啜ると、アイリーンは悪戯な笑みを浮かべて口を開く。

「チーフだって、案外、良い旦那になると思いますよ。田中くんのこととか……」

田中は、身重の妻がいる為、土日くらいはと、東が今回の三交代から外していた。

「当然だろう。本当はもう少し、ゆっくりさせてやりたいところだが……」

「ふふ、風間くんの事だって。もう辛い想いさせたくないから……所長にもあんなに食い下がって」

「アイリーン……それは買い被りだ。危険な因子は極力排除しないと……」「いいじゃないですか」「は?」「私が勝手にそう思ってるだけですから」

アイリーンはそう言うと、笑顔を一つ浮かべて見せた。

何だか妙な空気になってきた。そう思った東は、キョロキョロとあたりを見ますと、シミュレーションのモニターに目が留まる。

「と、ところでアイリーン……これは、何だろうな?」

諏訪湖のインナースペースの模式図に、幾筋もの何かの反応点が描かれている。

無理矢理、話題を仕事に戻そうとしているなと感じたアイリーンは、紅茶をもう一口啜り、タンブラーに蓋をした。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

ワイルド・ソルジャー

アサシン工房
SF
時は199X年。世界各地で戦争が行われ、終戦を迎えようとしていた。 世界は荒廃し、辺りは無法者で溢れかえっていた。 主人公のマティアス・マッカーサーは、かつては裕福な家庭で育ったが、戦争に巻き込まれて両親と弟を失い、その後傭兵となって生きてきた。 旅の途中、人間離れした強さを持つ大柄な軍人ハンニバル・クルーガーにスカウトされ、マティアスは軍人として活動することになる。 ハンニバルと共に任務をこなしていくうちに、冷徹で利己主義だったマティアスは利害を超えた友情を覚えていく。 世紀末の荒廃したアメリカを舞台にしたバトルファンタジー。 他の小説サイトにも投稿しています。

MMS ~メタル・モンキー・サーガ~

千両文士
SF
エネルギー問題、環境問題、経済格差、疫病、収まらぬ紛争に戦争、少子高齢化・・・人類が直面するありとあらゆる問題を科学の力で解決すべく世界政府が協力して始まった『プロジェクト・エデン』 洋上に建造された大型研究施設人工島『エデン』に招致された若き大天才学者ミクラ・フトウは自身のサポートメカとしてその人格と知能を完全電子化複製した人工知能『ミクラ・ブレイン』を建造。 その迅速で的確な技術開発力と問題解決能力で矢継ぎ早に改善されていく世界で人類はバラ色の未来が確約されていた・・・はずだった。 突如人類に牙を剥き、暴走したミクラ・ブレインによる『人類救済計画』。 その指揮下で人類を滅ぼさんとする軍事戦闘用アンドロイドと直属配下の上位管理者アンドロイド6体を倒すべく人工島エデンに乗り込むのは・・・宿命に導かれた天才学者ミクラ・フトウの愛娘にしてレジスタンス軍特殊エージェント科学者、サン・フトウ博士とその相棒の戦闘用人型アンドロイドのモンキーマンであった!! 機械と人間のSF西遊記、ここに開幕!!

入れ替われるイメクラ

廣瀬純一
SF
男女の体が入れ替わるイメクラの話

高校生とUFO

廣瀬純一
SF
UFOと遭遇した高校生の男女の体が入れ替わる話

アンチ・ラプラス

朝田勝
SF
確率を操る力「アンチ・ラプラス」に目覚めた青年・反町蒼佑。普段は平凡な気象観測士として働く彼だが、ある日、極端に低い確率の奇跡や偶然を意図的に引き起こす力を得る。しかし、その力の代償は大きく、現実に「歪み」を生じさせる危険なものだった。暴走する力、迫る脅威、巻き込まれる仲間たち――。自分の力の重さに苦悩しながらも、蒼佑は「確率の奇跡」を操り、己の道を切り開こうとする。日常と非日常が交錯する、確率操作サスペンス・アクション開幕!

サクラ・アンダーソンの不思議な体験

廣瀬純一
SF
女性のサクラ・アンダーソンが男性のコウイチ・アンダーソンに変わるまでの不思議な話

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

天日ノ艦隊 〜こちら大和型戦艦、異世界にて出陣ス!〜 

八風ゆず
ファンタジー
時は1950年。 第一次世界大戦にあった「もう一つの可能性」が実現した世界線。1950年4月7日、合同演習をする為航行中、大和型戦艦三隻が同時に左舷に転覆した。 大和型三隻は沈没した……、と思われた。 だが、目覚めた先には我々が居た世界とは違った。 大海原が広がり、見たことのない数多の国が支配者する世界だった。 祖国へ帰るため、大海原が広がる異世界を旅する大和型三隻と別世界の艦船達との異世界戦記。 ※異世界転移が何番煎じか分からないですが、書きたいのでかいています! 面白いと思ったらブックマーク、感想、評価お願いします!!※ ※戦艦など知らない人も楽しめるため、解説などを出し努力しております。是非是非「知識がなく、楽しんで読めるかな……」っと思ってる方も読んでみてください!※

処理中です...