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第4章 燔祭
因縁生起 1
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「一度ならず、二度までの失態……儂はこれでも、其方らに恩情をかけて来たつもりぞ……」
「申し訳……御座いませぬ」
森ノ部の郷へ忍ばせた、部下、皆と陣が、森部に捕らわれたという報告は、すぐに御所へと届けられていた。
「……諏訪へ参りたいと……」「はい……直に指揮を取り、立て直します」
「ふむ……」
風辰翁は、腕を組み、兵の具申を如何したものかと思案する。
「良いではありませぬか?今は少しでも森部の情報を押さえるべき時……」このところよく顔を出している夢見頭の尼僧が、思わぬ助け船を出す。兵は、不審に思いながらも平伏して風辰翁の判断を待つ。
「……相わかった。森部はかつて、我らと接触を持った輩。二人が烏である事にも気付くであろう……奴の狙い、必ずや探り出せ」「はっ!」
「……それと『神子』だ」
「兵どの」風辰翁の脇に正座した尼僧が、口を開いた。
「……我が夢見らは、『神子』は、ほぼ間違いなく諏訪へと戻ると申しております。『神子』は今、我らには欠かせぬ存在。森部の手に渡り、殺されるようなことがあってはなりません。今度こそ、神子を手に……」
「必ずや……では、すぐに立ちます」
兵は、一礼して素早く立ち上がる。
「皆……と申したか?」
不意に背中に投げかけられた老翁の言葉に、兵は、歩み出した足を止める。
「血を分けた兄妹……さぞや心配であろう?」兵の背は凍りつく。
「……我らは、烏にございます。アレも、私も、もとより死した身……いざという時の覚悟は」風辰翁に背を向けたまま、兵は答える。
「なればよい……行け」「はっ……」兵は振り返る事なく、その場を後にした。
「私情に走るか……使命に血を捧げられるか……ここが正念場よのう、兵よ」
IMC中央モニターの中で、諏訪一帯のマップ上に示されたPSI現象化臨界収束率を示すパターンが、サーモグラフィーのように色分けされ、10秒間隔でリアルタイムに更新される。諏訪湖中心部は、高危険率を示す、赤系統の色で塗りつぶされたままだが、結界で囲んだ外側は、諏訪湖からの距離に応じて、黄から安全域となる青系統の色を示している。
「よく保っているな、今度の結界は」東は、モニターを眺めながら呟いた。
「ですね。エネルギー消費も座標補正や、機器の稼働分だけなので、一週間程度なら十分持ちそう……との事です」
通信モニターに映る<イワクラ>のアイリーンは、IMSの如月らと共に、現場で作業に当たっている特殊結界工作チームからの報告をそのまま伝えた。
「あ、何か追伸があります」「ん?」
「今回の実証試験で、我々の研究は、十分な結果を得たと確信する。従って、私の研究室への研究費増額を是非とも願いたい……だそうです」アイリーンは、苦笑混じりに伝えた。「はぁ?」東の厳つい顔も、思わず崩れてしまう。
「こんな時に……図太い神経だな、あの松永ってのは……」松永瑛二。追伸の送り手の名だ。今回の結界工作の立役者であり、若干二十四歳にして、教授となったPSI工学博士である。
「わたし、あの人苦手……」アイリーンは、東に聞こえるように呟いた。「う~む……」東も同意せずにはいられない。
天才と目されるが、性格にはやや難ありな様子で、現場のIMSからの苦情もちらほら聞こえていた。通信士として直接やりとりする機会のあるアイリーンには、同情するばかりだ。
「どうします?」「……片山さんに転送しておいてくれ。上手くやってくれるだろう」「ですね……」
「よし!」気持ちを入れ替えんとばかりに、東は声を上げた。
「シミュレーションの続きだ、アイリーン!」
「あ、ちょっと待ってください」「どうした?」
「お茶にしませんか?」
時間を見れば午後四時を過ぎている。昼過ぎからぶっ通し、夢中で結界現場との調整と、シミュレーション作業をしていたことをアイリーンの一言で東は自覚した。
「そ、そうだな。すまない。一息入れよう」
「ありがとうございます」「それじゃあ、再開は十五分後……では、また後で」そう言うと、東は通信回線を切ろうとする。
「あ、チーフ。お茶の場所……わかりますか?」アイリーンに言われて、東は手を止める。そう言えば、いつもアイリーンが気を利かせて淹れてくれていた。
「ふふ、ナビしますから。そのままにしててください」アイリーンの声のトーンが、いつもより明るいような気がしながら、東はアイリーンに教えられるまま、休憩ブースへと向かう。
刻一刻と変化する状況に、IN-PSID本部と現場を監督する<イワクラ>は、昨日の午後から、三交代で監視にあたっていた。並行して、多元量子マーカーから転送されてくる情報解析と、AIが弾き出した、対『ヤマタノオロチ』ミッションの百とおり程あるシミュレーションの検証作業をこなしている。
交代人員は、IN-PSID本部側を東、藤川、片山が担当し、<イワクラ>側をアイリーン、齋藤、IMSオペレーターの一人チーミン(志明:台湾人男性)が担当する。
この時間は、東、アイリーンが担当していた。
「ありました?」オペレーションブースの方からアイリーンの声がする。東は、アイリーンに教えられたとおり、休憩ブースの戸棚で急須と「川根茶」と書かれた茶葉を見つける。合成ではない一級品だ。
「淹れられます?」「ん?……ああ、大丈夫だ」
言われてみれば、茶を自分で淹れるのも久しぶりだ。コーヒー党ばかりのIMCで、日本茶を飲むのは東くらいだったので、飲みたい時は自分で淹れていたものだ。アイリーンが淹れてくれるようになったのはいつからだったか……自分で淹れると味にバラつきがあったが、アイリーンが淹れたのは、最初から美味かった。そんな事をふと思い返していた。
「あ、冷蔵庫に羊羹もありますよ」「ああ、ありがとう」
東は、茶と羊羹をトレイに乗せると、オペレーションブースへと戻った。アイリーンは、既に持ち込んでいたタンブラーと菓子箱を並べている。
「ふふ、用意がいいな」「マイ(齋藤)からお菓子、分けてもらったんです。あ、紅茶は持ち歩いてますよ。ティータイムは欠かせませんからね」
英国人の伝統を彼女は大切にしている。普段の勤務の合間でも、緊急事態やミッションでなければ、時間を作っているようだった。
「そうか」と言いながら、自分で淹れた茶に口をつける東。……渋い表情を浮かべる。
「……湯冷ししました?」「湯冷し?」東の茶は、我流だった。そんな事はやった事もない。以前なら何とも思わなかったであろうが、このところ、すっかりアイリーンの淹れた味に慣れきっていた。
「ドリンクバーのお湯の温度、コーヒーとかに合わせて、高めに設定してますから……」
こうして離れてみると、アイリーンが裏で色々、やってくれていた事に改めて気づく。ミッションの資料の整理にしてもそうだ。彼女が予め、整理してくれているから仕事もやりやすい。
東がそんな事を考えているとは、気づく様子もなく、アイリーンは、静かに自分のティータイムを楽しんでいる。
東も羊羹を口に運ぶ。これも自分の好みにピタリと来る優しい甘さだ。
「ふふっ……」「えっ、何ですか、チーフ?」
「……いや、君のような人を嫁にできる男がいたら、さぞ幸せだろうと思ってね……」苦い茶を、東は苦笑しながら啜った。
「……ヤだな、チーフにそんな風に言われるの……」タンブラーを置いたアイリーンは、急に声のトーンが暗くなる。
「えっ……」一時の沈黙が生まれる。
「……あ、やだ!何言ってるんですか!」すると今度は、急に顔を上げて、明るい笑顔を見せる。
タンブラーの紅茶をまた一口啜ると、アイリーンは悪戯な笑みを浮かべて口を開く。
「チーフだって、案外、良い旦那になると思いますよ。田中くんのこととか……」
田中は、身重の妻がいる為、土日くらいはと、東が今回の三交代から外していた。
「当然だろう。本当はもう少し、ゆっくりさせてやりたいところだが……」
「ふふ、風間くんの事だって。もう辛い想いさせたくないから……所長にもあんなに食い下がって」
「アイリーン……それは買い被りだ。危険な因子は極力排除しないと……」「いいじゃないですか」「は?」「私が勝手にそう思ってるだけですから」
アイリーンはそう言うと、笑顔を一つ浮かべて見せた。
何だか妙な空気になってきた。そう思った東は、キョロキョロとあたりを見ますと、シミュレーションのモニターに目が留まる。
「と、ところでアイリーン……これは、何だろうな?」
諏訪湖のインナースペースの模式図に、幾筋もの何かの反応点が描かれている。
無理矢理、話題を仕事に戻そうとしているなと感じたアイリーンは、紅茶をもう一口啜り、タンブラーに蓋をした。
「申し訳……御座いませぬ」
森ノ部の郷へ忍ばせた、部下、皆と陣が、森部に捕らわれたという報告は、すぐに御所へと届けられていた。
「……諏訪へ参りたいと……」「はい……直に指揮を取り、立て直します」
「ふむ……」
風辰翁は、腕を組み、兵の具申を如何したものかと思案する。
「良いではありませぬか?今は少しでも森部の情報を押さえるべき時……」このところよく顔を出している夢見頭の尼僧が、思わぬ助け船を出す。兵は、不審に思いながらも平伏して風辰翁の判断を待つ。
「……相わかった。森部はかつて、我らと接触を持った輩。二人が烏である事にも気付くであろう……奴の狙い、必ずや探り出せ」「はっ!」
「……それと『神子』だ」
「兵どの」風辰翁の脇に正座した尼僧が、口を開いた。
「……我が夢見らは、『神子』は、ほぼ間違いなく諏訪へと戻ると申しております。『神子』は今、我らには欠かせぬ存在。森部の手に渡り、殺されるようなことがあってはなりません。今度こそ、神子を手に……」
「必ずや……では、すぐに立ちます」
兵は、一礼して素早く立ち上がる。
「皆……と申したか?」
不意に背中に投げかけられた老翁の言葉に、兵は、歩み出した足を止める。
「血を分けた兄妹……さぞや心配であろう?」兵の背は凍りつく。
「……我らは、烏にございます。アレも、私も、もとより死した身……いざという時の覚悟は」風辰翁に背を向けたまま、兵は答える。
「なればよい……行け」「はっ……」兵は振り返る事なく、その場を後にした。
「私情に走るか……使命に血を捧げられるか……ここが正念場よのう、兵よ」
IMC中央モニターの中で、諏訪一帯のマップ上に示されたPSI現象化臨界収束率を示すパターンが、サーモグラフィーのように色分けされ、10秒間隔でリアルタイムに更新される。諏訪湖中心部は、高危険率を示す、赤系統の色で塗りつぶされたままだが、結界で囲んだ外側は、諏訪湖からの距離に応じて、黄から安全域となる青系統の色を示している。
「よく保っているな、今度の結界は」東は、モニターを眺めながら呟いた。
「ですね。エネルギー消費も座標補正や、機器の稼働分だけなので、一週間程度なら十分持ちそう……との事です」
通信モニターに映る<イワクラ>のアイリーンは、IMSの如月らと共に、現場で作業に当たっている特殊結界工作チームからの報告をそのまま伝えた。
「あ、何か追伸があります」「ん?」
「今回の実証試験で、我々の研究は、十分な結果を得たと確信する。従って、私の研究室への研究費増額を是非とも願いたい……だそうです」アイリーンは、苦笑混じりに伝えた。「はぁ?」東の厳つい顔も、思わず崩れてしまう。
「こんな時に……図太い神経だな、あの松永ってのは……」松永瑛二。追伸の送り手の名だ。今回の結界工作の立役者であり、若干二十四歳にして、教授となったPSI工学博士である。
「わたし、あの人苦手……」アイリーンは、東に聞こえるように呟いた。「う~む……」東も同意せずにはいられない。
天才と目されるが、性格にはやや難ありな様子で、現場のIMSからの苦情もちらほら聞こえていた。通信士として直接やりとりする機会のあるアイリーンには、同情するばかりだ。
「どうします?」「……片山さんに転送しておいてくれ。上手くやってくれるだろう」「ですね……」
「よし!」気持ちを入れ替えんとばかりに、東は声を上げた。
「シミュレーションの続きだ、アイリーン!」
「あ、ちょっと待ってください」「どうした?」
「お茶にしませんか?」
時間を見れば午後四時を過ぎている。昼過ぎからぶっ通し、夢中で結界現場との調整と、シミュレーション作業をしていたことをアイリーンの一言で東は自覚した。
「そ、そうだな。すまない。一息入れよう」
「ありがとうございます」「それじゃあ、再開は十五分後……では、また後で」そう言うと、東は通信回線を切ろうとする。
「あ、チーフ。お茶の場所……わかりますか?」アイリーンに言われて、東は手を止める。そう言えば、いつもアイリーンが気を利かせて淹れてくれていた。
「ふふ、ナビしますから。そのままにしててください」アイリーンの声のトーンが、いつもより明るいような気がしながら、東はアイリーンに教えられるまま、休憩ブースへと向かう。
刻一刻と変化する状況に、IN-PSID本部と現場を監督する<イワクラ>は、昨日の午後から、三交代で監視にあたっていた。並行して、多元量子マーカーから転送されてくる情報解析と、AIが弾き出した、対『ヤマタノオロチ』ミッションの百とおり程あるシミュレーションの検証作業をこなしている。
交代人員は、IN-PSID本部側を東、藤川、片山が担当し、<イワクラ>側をアイリーン、齋藤、IMSオペレーターの一人チーミン(志明:台湾人男性)が担当する。
この時間は、東、アイリーンが担当していた。
「ありました?」オペレーションブースの方からアイリーンの声がする。東は、アイリーンに教えられたとおり、休憩ブースの戸棚で急須と「川根茶」と書かれた茶葉を見つける。合成ではない一級品だ。
「淹れられます?」「ん?……ああ、大丈夫だ」
言われてみれば、茶を自分で淹れるのも久しぶりだ。コーヒー党ばかりのIMCで、日本茶を飲むのは東くらいだったので、飲みたい時は自分で淹れていたものだ。アイリーンが淹れてくれるようになったのはいつからだったか……自分で淹れると味にバラつきがあったが、アイリーンが淹れたのは、最初から美味かった。そんな事をふと思い返していた。
「あ、冷蔵庫に羊羹もありますよ」「ああ、ありがとう」
東は、茶と羊羹をトレイに乗せると、オペレーションブースへと戻った。アイリーンは、既に持ち込んでいたタンブラーと菓子箱を並べている。
「ふふ、用意がいいな」「マイ(齋藤)からお菓子、分けてもらったんです。あ、紅茶は持ち歩いてますよ。ティータイムは欠かせませんからね」
英国人の伝統を彼女は大切にしている。普段の勤務の合間でも、緊急事態やミッションでなければ、時間を作っているようだった。
「そうか」と言いながら、自分で淹れた茶に口をつける東。……渋い表情を浮かべる。
「……湯冷ししました?」「湯冷し?」東の茶は、我流だった。そんな事はやった事もない。以前なら何とも思わなかったであろうが、このところ、すっかりアイリーンの淹れた味に慣れきっていた。
「ドリンクバーのお湯の温度、コーヒーとかに合わせて、高めに設定してますから……」
こうして離れてみると、アイリーンが裏で色々、やってくれていた事に改めて気づく。ミッションの資料の整理にしてもそうだ。彼女が予め、整理してくれているから仕事もやりやすい。
東がそんな事を考えているとは、気づく様子もなく、アイリーンは、静かに自分のティータイムを楽しんでいる。
東も羊羹を口に運ぶ。これも自分の好みにピタリと来る優しい甘さだ。
「ふふっ……」「えっ、何ですか、チーフ?」
「……いや、君のような人を嫁にできる男がいたら、さぞ幸せだろうと思ってね……」苦い茶を、東は苦笑しながら啜った。
「……ヤだな、チーフにそんな風に言われるの……」タンブラーを置いたアイリーンは、急に声のトーンが暗くなる。
「えっ……」一時の沈黙が生まれる。
「……あ、やだ!何言ってるんですか!」すると今度は、急に顔を上げて、明るい笑顔を見せる。
タンブラーの紅茶をまた一口啜ると、アイリーンは悪戯な笑みを浮かべて口を開く。
「チーフだって、案外、良い旦那になると思いますよ。田中くんのこととか……」
田中は、身重の妻がいる為、土日くらいはと、東が今回の三交代から外していた。
「当然だろう。本当はもう少し、ゆっくりさせてやりたいところだが……」
「ふふ、風間くんの事だって。もう辛い想いさせたくないから……所長にもあんなに食い下がって」
「アイリーン……それは買い被りだ。危険な因子は極力排除しないと……」「いいじゃないですか」「は?」「私が勝手にそう思ってるだけですから」
アイリーンはそう言うと、笑顔を一つ浮かべて見せた。
何だか妙な空気になってきた。そう思った東は、キョロキョロとあたりを見ますと、シミュレーションのモニターに目が留まる。
「と、ところでアイリーン……これは、何だろうな?」
諏訪湖のインナースペースの模式図に、幾筋もの何かの反応点が描かれている。
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