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第4章 燔祭

御子神様 4

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「森部様!」「教祖様ぁ!」「御神託は……今朝の地震はいったい……」

咲磨に群がっていた人だかりは、境内奥の社殿から出てきた数名の神官と、その中心を練り歩く、縮れた長い白髪を垂れ流した、狩衣姿の老人の方へと一斉に向かっていった。

老人は、色素が抜け、所々にシミを浮かべた肌に大粒の汗を拭かせ、髪は千々に乱れたままだった。

「とぉ様~~!」

神官らの中に、白衣姿の父を見つけた咲磨が、嬉しそうに駆け出す。

「サ、サク……あっ!?」

咲磨に気付いた老人が、父の前に進み出て、二人の間を隔てる。行く手を遮られた咲磨は、立ち止まるしかなかった。

「お……おお……おおお……」

教祖の老人は、咲磨の正面に立つと、ギョロリと目玉を浮き上がらせ、彼の全身に浮き上がる痣を舐めまわすように見回す。

老人は無造作に咲磨の華奢な肩を鷲掴みにして、声を張り上げた。

「見事!見事じゃ!!これぞ、まさにご神意!!でかしましたぞ、御子神様!!」

「まっ、待ってください!森部殿!!何をおっしゃられます!」焦りを顕に、咲磨の父親らしき神官が、咲磨と森部の間に分け入り、森部と呼ばれた老人の腕から咲磨をもぎ取った。

「まさか、"御子神"である咲磨が!?そんな馬鹿な!!」

「ばかとは何だ、ばかとは!息子の顔をよう見てみぃ!」

森部に遮られ、しっかりと息子の顔を見ることができていなかった。森部の言葉に、息子の顔を覗き見る。咲磨の変わらず穏やかな笑顔には似つかわない痣模様が、赤々と浮かび上がっていた。

「こ……これは!?」

「心配しないで。すぐに治るよ」

咲磨は微笑んでみせる。父親、須賀慎吾は、この時ばかりは息子の笑顔にさえ、表情を曇らせたままだった。

「……?」キョトンとなって咲磨は父を見上げる。

「我が愛する、郷の民よ、兄弟らよ!」

彼らをそのままに、教祖、森部は、群がった彼の信徒らへ、高らかと咆哮した。

「今朝の大地の怒りは、我ら洩矢大神のご神意なり!!」

痩せ細った小柄な身体にも関わらず、よく通る森部のしゃがれ声は、騒ついていた信徒らを一瞬のうちに虜にしてしまう。

信徒らは、頭を垂れたまま、彼らの教祖の高説を恭しく拝聴している。

「神々の御神威にも触れようという、昨今!にも関わらず、愚かな人間どもは、神への畏れを未だ忘れ去ったまま!このままでは、神々のお怒りは募るばかり……」

弁舌止まぬ老人を神取の細目が、観察する様に捉えていた。成る程、どうもこの森部にも僅かばかりの霊力はある。教祖を名乗るだけの事はあるらしい。

更に神取は、老人を囲む人だかりの中にも、別の霊気を僅かに感じ取っていた。寧ろ、鍛え抜かれた闘気、あるいは練気といったものであろうか?

郷の信者らの中に混じり込み、気配を隠しているが、神取には手に取る様にわかる。何故なら、その気は、神取がよく知る者たちの気配なのだから……

……烏衆?……

神取は、感じた先へと視線を運ぶ。若い新婚カップルのような男女が二人。最近、入信したばかりのような風体だ。

女が、神取の視線に勘付いたのか、咄嗟に顔を俯けた。

「二十年前の大震災を思い起こせ!!今より十日のうちに、あの震災を上回る厄災が、この地上を覆うであろう!荒ぶる神のお怒りが、地を揺らし、天を焼き、悪しき魂を喰らい尽くす!」

信徒らから、恐怖と驚愕の悲鳴が沸き起こる。口々に救いを求め縋り付くのを、幹部らが押し留めていた。

「鎮まれぇ!!」

教祖の一喝は、再び境内に静寂を呼び戻した。

「神は畏れを知る、正しき民はお救いくださる。正しき民とは、誰じゃ?他ならぬ、森部の真理を尊ぶ者達……すなわち我らじゃ!神への畏れを失わぬ限り、我らは滅びぬ!」

「おおおおお!!」

「今こそ、我らが宿願を成す時!これより一週間の後、"祭り"を執り行う!我らが神への忠誠を示す、大祭おおまつりじゃ!!」

信者らは歓喜に沸く。

「祭り……」彼らとは対処的に、咲磨の母親は、まるで別世界へと紛れ込んだ異邦人のように、途方にくれたような顔のまま、呆然と彼らを見つめていた。

神取は、咲磨と、彼の父親の方へと視線を移す。俯き、どこか苦悩を滲ませた彼もまた、熱狂の外に居るようだ。そんな父親を、咲磨はただ不思議そうに、仰ぎ見るだけだった。 


——

「何?神取様が、森部の郷に……よもや…………そうか……わかった…………」「如何した?ひょうよ」御所の庭の片隅で、部下の報告の電話を受けていた兵(ひょう)は、背につたい這い上がる冷血動物のような感触に、咄嗟に通信端末を片付け振り返る。

兵は、その場で片膝を着いて腰を落とし、報告する。

「……各地に派遣している烏らから、今朝の地震の被害状況の報告が、続々と届いております……おさのお見立てどおり……やはりこの地震は……」「うむ……」

地震の被害は、諏訪盆地から、南西へと走る中央構造線沿いにも波及。ここ、紀伊半島の中央付近に位置する御所一帯も、僅かではあるが物損等の被害があった。

風辰翁は、自ら御所の被害状況を、配下の者を連れ、巡回確認を行なっていたところで、別ルートで同じく巡回に当たっていた兵と出会したのである。

「おお、そうだ。兵よ、諏訪の方から、報告はあったか?」

兵は目を丸めた。今、まさにそこに送り込んだ配下の者から、連絡を受けていたところだったのだ。

「確か、あそこにも何人か入れておったな……何と言ったか」

風辰翁は口を閉し、横目で兵を窺った。

「森ノ部……森ノ部の郷にございます……」

「そう、その森ノ部……森部じゃ」「は、森部は、我らがかつて支援した恩を忘れ、勝手に独自の教義をもって教団を起こし、街を占有した奴等です。故に、常に監視を置いているに過ぎませぬが……それが何か?」

「兵よ、儂がそのような話を聞きたいとでも、思うたか?」

兵は、咄嗟に顔を伏せる。全身の筋肉が硬直していく。

「……い、いえ……」

兵は、そう声を絞り出すのが精一杯だ。

俯く兵の肩に、風辰翁の閉じたままの扇子が乗る。兵は、冷えた汗の雫が背中を滑り落ちるのを感じていた。

「『御子神』……」

風辰翁の重くゆっくりと吐き出す声が、扇子を通して、兵の身体を圧迫してゆく。

「森部のところには、そう呼ばれる童がおるな。知っておろう?」「…….は」

「その者、『神子』である」

兵の両目が飛び出さんばかりに見開いていた。

兵は確信した。風辰翁は、既に知っていたのだ。林武衆が為そうとしていたことの全容を……それでいて、兵の出方を窺っていたのだということを……

林武衆が描いた、風辰翁失脚のシナリオは、ここに潰えたのだ。

「林武の朝臣殿は、そうお考えであったようだのう」

風辰翁の薄い唇が、弧を描き、口角が持ち上がる。

「……はい……」

認めるしかなかった。

林武衆の意志を継いで、風辰翁の企てを明らかにする……兵ら、残された八人の烏衆幹部の悲願もまた、ここに断たれたのだ。

林武衆亡き後、風辰翁の掌の上で転がされていただけだったと、痛感するばかりだ。

風辰翁は、扇子を兵の肩から外すと、兵に背を向け続けた。

「諏訪の烏共に伝えよ。一刻も早く、『御子神』の正体を探れ。神子の片鱗が見られし折りは、直ちに捕獲せよ、とな」「は!」

老翁は、連れを引き連れ、その場を後にしようと足を踏み出す。

「兵よ、儂は其方を気に入っとる……だが、このような事、二度目は無い。しかと励め」

「御意……」片膝を着き、頭を下げたまま、兵は老翁らを見送る。

最後に続いた気配が、兵の前で一時止まる。

「……あのお方は、我らの夢のうちより、常に正しきものを浮き彫りになさる……火遊びは、大概になされませ」

兵が顔をあげると、全身を白き法衣に包んだ中年の尼僧が、兵を見下ろしていた。風辰の抱える、夢を通して異界を見るという、『夢見』の長であろう事は、兵にも直ぐにわかった。

兵は、再び首を垂れる。

踵を返し、尼僧が去っていくまで、兵はその場から動くことができなかった。
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