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第3章 死者の都
跡形 2
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街を覆う天蓋結界の中にあって、水織川研究センターは、施設自体にも強力な電磁結界が施してある。元々施設にあったもので、地震発生以前から施設の安全障壁となっていたものである。施設閉鎖に伴って結界は、天蓋結界と併せて強化改良され、研究所跡に燻るPSI現象化の残り火を封じ込める役割を担っていた。その結界内への立ち入りコードをドローンは何度も送信するがコードエラーが返ってきていた。
「コードが書き換わっている?」藤川が状況から推察する。「ええ、そのようです……上位の規制庁特級コードが変更されたとしか……」IN-PSIDの持つ管理コードは、管理を丸投げされている割に、規制庁のコードより下位の権限しか与えられていなかった。上位のコードが変更されれば、IN-PSIDの管理コードも無効になる。
「妙だな。変更ならあっちから通知があるはずだが……齋藤?」「いえ、そのような連絡は」
「コードを更新するしかなさそうだな」「申請が必要になりますが?」藤川の判断をオペレーターは面倒気に顔をしかめながら確認する。
「仕方あるまい、申請してくれ」「わかりました。あっちはお役所仕事なんで、2~3時間待たされますよ」そう言いながら、オペレーターは申請手続きを始めた。
「では、手続きが終わるまで、一時休憩としよう。アイリーン、齋藤くん、先に皆さんを各部屋へご案内してくれ」藤川の指示に、アイリーンと齋藤は速やかに応じる。各支部代表らは、彼女たちに案内されそれぞれに割り当てられた部屋へとブリッジを後にした。
「何?彼奴らがあそこに?」
池の水面に撒かれた餌に、鯉が群がる。餌にありつけなかった者供は、ただひたすら、口を開け、次の機会を切望する。老翁はその様に微笑を浮かべながら、再び餌を撒くと、静かに振り向いた。
「は。たった今、『かの国』の者から通達がありました。あそこは半年程前、『林武衆』が消息を絶った時のまま……」全身黒一色に身を包んだ男は、片膝をつき、頭を垂れて報告を続けた。
「……うぅむ……」「あの場所は我らとて立ち入りは困難……故に事後処理もままならず……」
「あの時は、たしかPSI規制庁に出入りさせていた者に工作させたのだったな……あそこに、この件に関わる者は?」「……いえ、ですが、ノーマークでした……」
「くくくっ……所詮、傀儡共が天下るための受け皿……利用価値もない故な……よい、好きにさせておけ」「よろしいのですか?」
「たとえ何が出ようと我らに通ずるものは見出せぬ……『林武』も元よりこの世に存在せぬ……いわば死人……其方らと同じじゃ」
「……はっ」「『かの国』の者には、引き続き状況を報告させよ」
「……『林武』が消息を絶った真相……彼らが解き明かすやもしれんのう……」
己を見下す老翁の口角が、幾分持ち上げられる。その感触を黒づくめの男は感じとりながら、俯いたまま沈黙を守る。
老翁は、黒づくめの男に再び背を向けると、器に残った餌を全て、池に散らした。彼方此方で水飛沫が跳ねる。
「我らはただ……観ておれば良い」「……御意」
<イワクラ>のデッキに吹き付ける日本海の潮風は、夕刻になろうというのに、未だ生温い。数多の人の手が頬を撫でるような感触に、直人は思わず首を竦める。
……痛い……痛いよ……
……死にたくない……
……お母さぁん!……
……いったいわたしが何かしたっていうの!?……
……なんでお前だけ……
……お前だけ生きている?……
先日、インナースペースで聴いた声が蘇る。
デッキの手摺りにもたれかけ、顔を埋めたところで、その声は何度も胸のうちを駆け巡った。
ふと、落とした視線の先に仄暗い海面がタプン、タプンと<イワクラ>の舷側に打ち付けながら、上下している。
……いっそ……このまま……
意識が水面に絡みとられるまま、直人は水面の心地よいリズムに身を預けようとしていた。
「ここにいたか」不意に掛けられた声に、直人は引き戻される。
「しょ……所長」
直人は、とっさに手摺りから身を離し、姿勢を正す。藤川は気にする風もなく、直人の隣に立つと、水織川の天蓋結界の方を見やった。
「……もうじき、七時か。慰霊祭、夜の部が始まる……今年は20周年で、結界周辺からスカイランタンを一斉にあげるそうだ。電磁結界もイルミネーションの演出に一役買うことになっとる……ふふ、なんとも因果なもんだ」
直人は藤川の視線を追うように、柔らかな眩い光を放つ結界に覆われた街を見詰めた。
「今はあんなでも、お前の故郷だ……お前はあの街で産まれた」
藤川の瞳には、結界の向こう側に、生命息づくかつての街並みが、はっきりと映っているのだ。直人にはそう思えた。
「お前が産まれたあの日、私と貴美子も付き添っていた……ふん、風間のヤツ、自分は取引先の接待だとか言って逃げおって……」
「えっ?」「あのバカ、上手くいってなかったんだよ、直哉と……まあ、アイツに頼まれんでも付き添うつもりだったがな」
藤川は、当時の状況を昨日の事のように語り出す。
直人の出産は難産で、出てきた時には、へその緒が首に絡みつき、泣き声もなかったらしい。早朝の出産で、待合室でうたた寝していた藤川夫妻が、分娩室から嬉々として浮き足立った直哉が、飛び出してきたのに気付いて目を覚ましたときには、すでに出産から30 分ほど経っていだという。
「保育器に入れられたお前さんと対面した時には、貴美子も私も、そりゃ本当の孫のように喜んだもんだ……真世の時には出産に立ち会えなかったのもあってな」
「……直哉も、聖美さん(直人の母)も、勇人も……皆んなお前の誕生を喜んだ……お前は、祝福されて産まれてきた子だ」
飾り気のない藤川の言葉は温かい。
「所長……おれ……俺は……」
言いかけた直人は、藤川が不意に見せた穏やかな微笑みに、それ以上、言葉を続けることができない。
藤川は、結界の方へと視線を戻す。
「……あの地震の後……それこそ血の滲むような毎日だった……絶えることのない世間からの批判、罵詈雑言の数々……莫大な賠償と責任、被災者への生活保障……いっそ死を選んだ方がどれだけ楽であったか……何度もその誘惑に駆られた」
直人ははっと目を見開いた。
「……私がそれでも生きようと思ったのは何故だと思う?」
藤川の問いに直人は、何一つ答えることができない。藤川が再び静かに口を開く。
「……直哉への誓い……そして、お前だ」
その言葉を何処かへ運ぶかのような海風が、二人の間を吹き抜けていった。藤川は続ける。
「直哉はPSIの利用が加速すれば、いずれインナースペースからの反動が脅威となることを予期し、PSIクラフトの研究に没頭していた……当時は、国策もあって、PSIの利用推進ばかりが優先されてな、直哉の研究はJPSIO内でも厄介もの扱い……私も研究棟を与え、個人的に協力するくらいが精一杯だったのだ……もっと彼を支援できていれば……」藤川は暫く、口を閉ざした。穏やかな波の音だけが、静寂を埋めていた。
「彼の願いはただ一つ、お前達次の世代が安心して暮らせる世の中を作る……彼の願いとお前を残して逝くことは、どうしてもできんかったよ……」藤川は、直人を見やることもなく、自戒するかのように呟いていた。
『こちら、オペレーションブリッジ。探査準備が整いました。1845探査行動を開始します。関係者は至急ブリッジへお越しください。繰り返す、こちら、オペレーションブリッジ……』
「呼び出しだ。では参ろうか」
直人の肩を軽く叩き、もう一度、ニッコリと微笑みかけると、藤川はそのまま船内へと戻っていった。直人は、ただ黙って藤川の後に続くしかなかった。
天蓋結界は、西に傾きかけた日差しを浴び一層光輝く。その天蓋の下で、死んだ街を覆うように、わずかに鈍い色を放つ靄が立ち込め始めていたことに、藤川も直人も気付いてはいなかった。
「コードが書き換わっている?」藤川が状況から推察する。「ええ、そのようです……上位の規制庁特級コードが変更されたとしか……」IN-PSIDの持つ管理コードは、管理を丸投げされている割に、規制庁のコードより下位の権限しか与えられていなかった。上位のコードが変更されれば、IN-PSIDの管理コードも無効になる。
「妙だな。変更ならあっちから通知があるはずだが……齋藤?」「いえ、そのような連絡は」
「コードを更新するしかなさそうだな」「申請が必要になりますが?」藤川の判断をオペレーターは面倒気に顔をしかめながら確認する。
「仕方あるまい、申請してくれ」「わかりました。あっちはお役所仕事なんで、2~3時間待たされますよ」そう言いながら、オペレーターは申請手続きを始めた。
「では、手続きが終わるまで、一時休憩としよう。アイリーン、齋藤くん、先に皆さんを各部屋へご案内してくれ」藤川の指示に、アイリーンと齋藤は速やかに応じる。各支部代表らは、彼女たちに案内されそれぞれに割り当てられた部屋へとブリッジを後にした。
「何?彼奴らがあそこに?」
池の水面に撒かれた餌に、鯉が群がる。餌にありつけなかった者供は、ただひたすら、口を開け、次の機会を切望する。老翁はその様に微笑を浮かべながら、再び餌を撒くと、静かに振り向いた。
「は。たった今、『かの国』の者から通達がありました。あそこは半年程前、『林武衆』が消息を絶った時のまま……」全身黒一色に身を包んだ男は、片膝をつき、頭を垂れて報告を続けた。
「……うぅむ……」「あの場所は我らとて立ち入りは困難……故に事後処理もままならず……」
「あの時は、たしかPSI規制庁に出入りさせていた者に工作させたのだったな……あそこに、この件に関わる者は?」「……いえ、ですが、ノーマークでした……」
「くくくっ……所詮、傀儡共が天下るための受け皿……利用価値もない故な……よい、好きにさせておけ」「よろしいのですか?」
「たとえ何が出ようと我らに通ずるものは見出せぬ……『林武』も元よりこの世に存在せぬ……いわば死人……其方らと同じじゃ」
「……はっ」「『かの国』の者には、引き続き状況を報告させよ」
「……『林武』が消息を絶った真相……彼らが解き明かすやもしれんのう……」
己を見下す老翁の口角が、幾分持ち上げられる。その感触を黒づくめの男は感じとりながら、俯いたまま沈黙を守る。
老翁は、黒づくめの男に再び背を向けると、器に残った餌を全て、池に散らした。彼方此方で水飛沫が跳ねる。
「我らはただ……観ておれば良い」「……御意」
<イワクラ>のデッキに吹き付ける日本海の潮風は、夕刻になろうというのに、未だ生温い。数多の人の手が頬を撫でるような感触に、直人は思わず首を竦める。
……痛い……痛いよ……
……死にたくない……
……お母さぁん!……
……いったいわたしが何かしたっていうの!?……
……なんでお前だけ……
……お前だけ生きている?……
先日、インナースペースで聴いた声が蘇る。
デッキの手摺りにもたれかけ、顔を埋めたところで、その声は何度も胸のうちを駆け巡った。
ふと、落とした視線の先に仄暗い海面がタプン、タプンと<イワクラ>の舷側に打ち付けながら、上下している。
……いっそ……このまま……
意識が水面に絡みとられるまま、直人は水面の心地よいリズムに身を預けようとしていた。
「ここにいたか」不意に掛けられた声に、直人は引き戻される。
「しょ……所長」
直人は、とっさに手摺りから身を離し、姿勢を正す。藤川は気にする風もなく、直人の隣に立つと、水織川の天蓋結界の方を見やった。
「……もうじき、七時か。慰霊祭、夜の部が始まる……今年は20周年で、結界周辺からスカイランタンを一斉にあげるそうだ。電磁結界もイルミネーションの演出に一役買うことになっとる……ふふ、なんとも因果なもんだ」
直人は藤川の視線を追うように、柔らかな眩い光を放つ結界に覆われた街を見詰めた。
「今はあんなでも、お前の故郷だ……お前はあの街で産まれた」
藤川の瞳には、結界の向こう側に、生命息づくかつての街並みが、はっきりと映っているのだ。直人にはそう思えた。
「お前が産まれたあの日、私と貴美子も付き添っていた……ふん、風間のヤツ、自分は取引先の接待だとか言って逃げおって……」
「えっ?」「あのバカ、上手くいってなかったんだよ、直哉と……まあ、アイツに頼まれんでも付き添うつもりだったがな」
藤川は、当時の状況を昨日の事のように語り出す。
直人の出産は難産で、出てきた時には、へその緒が首に絡みつき、泣き声もなかったらしい。早朝の出産で、待合室でうたた寝していた藤川夫妻が、分娩室から嬉々として浮き足立った直哉が、飛び出してきたのに気付いて目を覚ましたときには、すでに出産から30 分ほど経っていだという。
「保育器に入れられたお前さんと対面した時には、貴美子も私も、そりゃ本当の孫のように喜んだもんだ……真世の時には出産に立ち会えなかったのもあってな」
「……直哉も、聖美さん(直人の母)も、勇人も……皆んなお前の誕生を喜んだ……お前は、祝福されて産まれてきた子だ」
飾り気のない藤川の言葉は温かい。
「所長……おれ……俺は……」
言いかけた直人は、藤川が不意に見せた穏やかな微笑みに、それ以上、言葉を続けることができない。
藤川は、結界の方へと視線を戻す。
「……あの地震の後……それこそ血の滲むような毎日だった……絶えることのない世間からの批判、罵詈雑言の数々……莫大な賠償と責任、被災者への生活保障……いっそ死を選んだ方がどれだけ楽であったか……何度もその誘惑に駆られた」
直人ははっと目を見開いた。
「……私がそれでも生きようと思ったのは何故だと思う?」
藤川の問いに直人は、何一つ答えることができない。藤川が再び静かに口を開く。
「……直哉への誓い……そして、お前だ」
その言葉を何処かへ運ぶかのような海風が、二人の間を吹き抜けていった。藤川は続ける。
「直哉はPSIの利用が加速すれば、いずれインナースペースからの反動が脅威となることを予期し、PSIクラフトの研究に没頭していた……当時は、国策もあって、PSIの利用推進ばかりが優先されてな、直哉の研究はJPSIO内でも厄介もの扱い……私も研究棟を与え、個人的に協力するくらいが精一杯だったのだ……もっと彼を支援できていれば……」藤川は暫く、口を閉ざした。穏やかな波の音だけが、静寂を埋めていた。
「彼の願いはただ一つ、お前達次の世代が安心して暮らせる世の中を作る……彼の願いとお前を残して逝くことは、どうしてもできんかったよ……」藤川は、直人を見やることもなく、自戒するかのように呟いていた。
『こちら、オペレーションブリッジ。探査準備が整いました。1845探査行動を開始します。関係者は至急ブリッジへお越しください。繰り返す、こちら、オペレーションブリッジ……』
「呼び出しだ。では参ろうか」
直人の肩を軽く叩き、もう一度、ニッコリと微笑みかけると、藤川はそのまま船内へと戻っていった。直人は、ただ黙って藤川の後に続くしかなかった。
天蓋結界は、西に傾きかけた日差しを浴び一層光輝く。その天蓋の下で、死んだ街を覆うように、わずかに鈍い色を放つ靄が立ち込め始めていたことに、藤川も直人も気付いてはいなかった。
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