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第3章 死者の都

遺されしものたち 4

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「おやおや、どうかしましたか?」

「か……神取先生!」女性看護師は、自分の般若の如く歪んだ形相を神取に見せてしまったことに気付くと、慌てて笑顔を取り繕った。神取が柔和な笑顔を投げかけると、彼女は恥じらうように俯いてしまう。

昨日から神取は、亜夢の担当チームに加えられていた。

一昨日、亜夢の付き添いを買って出たのをきっかけに、彼女の担当医が、まだ自分一人(他の入居者も数人掛け持ちしている)だった事から、神取に担当補佐になるよう提案したのだった。好都合な提案を断る理由もない。そのまま、神取は亜夢の担当チームに納まったのである。

神取はそのまま部屋に進み入る。

「どうですか、様子は?……ん?お昼ご飯も案外食べましたね」

「かんどり!」神取の姿を認めた亜夢は、嬉しそうに駆け寄る。

二日前に目覚めた際、最初に視界に入ったのが神取だった為か、亜夢はすっかり神取に懐いてしまっている。看護師達の間では、"刷り込み"と囁かれていた。おそらく表層意識がはっきりと目覚めたのはこの時が最初だったのであろうと神取は考えている。

「こ、こら!神取"先生"でしょ!」看護師が諫めるが、亜夢は神取の手をとると一緒にテレビを見るようにせがむ。

「もう!先生!亜夢ちゃん、全然野菜とか食べてくれないんですぅ。先生からもなんか言ってやってくださいよぉ!」亜夢は、神取の陰に隠れ、舌を出して看護師を挑発する。

ムッとする看護師を甘い微笑みで制しながら、神取は食事の残りを確認する。

「……おや、ホントだ……まぁ、でもやっと食べられるようになってきたところですからねぇ……あまり無理させなくても」「いーえ!偏食はクセになるから、満遍なく食べなきゃダメって、おばーちゃんも言ってました!」

「おばーちゃん……ねぇ」これ以上ない理屈と言わんばかりの看護師の言い分に、神取も亜夢に同情を禁じ得ない。


「何らかの変化……所長、それはいったい……」東の顔は、生真面目を絵に描いたような面持ちで問う。「……東くん……」藤川は目を細めてしばらくの間、東の顔を覗き込み、そっと目を閉じて口を開く。

「……君を見ていると、若い頃の自分を思い出すよ」貴美子が隣でぷっと噴き出していた。

「……はぁ……?」東は、何かおかしな事でも言ったか?と言いたげに、カミラとアランに助けを求めるように視線を投げかけた。二人は藤川の言わんとした事に気付いたのか、視線を宙に浮かせてごまかして見せた。

「……偶然か必然か、魂の奥底で結びついた"彼女"と直人が再び巡り逢ったのだ……」ますます困惑の色に染まる東を見兼ね、「……まあ、"心境の変化"ってところかしらね」と貴美子が笑いを含んだまま、夫の言葉を端的にまとめた。

「……"心境の変化"ですか……」東は硬い顔のまま腕を組み、椅子に深く腰掛け直した。カミラ、アラン、そして貴美子は苦虫を噛むように笑いを押し殺す。藤川はふぅっと短く溜息を漏らすと、再び口を開く。

「ともかくだ……確かにその"心境の変化"に関しては、憶測の域を出ない。だが、変化自体はPSIパルスのデータにもハッキリと現れている……見たまえ」細かく波形を刻む二系統のPSIパルスを模式化した図となってモニターにプロットされていく。

「亜夢の心の中に潜む『メルジーネ』と『サラマンダー』……」藤川は一同の方へと向き直る。「非常に希なケースだが、この二つの魂『ツインソウル』が一つの肉体を共有している。それが今の亜夢だ」

「ツイン……ソウル……」カミラは、亜夢の心の中へと飛び込んだ、先月のミッションを思い返し息を呑む。あれは、まさに二つの魂がはっきりと形作られる過程だったのだと理解する。

藤川は続ける。

「亜夢への二度目のミッションの後、彼女の表層意識には『メルジーネ』と呼んでいる一方の魂が優勢に現れた状態のまま、もう一方の魂、『サラマンダー』と"共存"していた。ところが、2日前を境に、表層にいた『メルジーネ』が、個体無意識層に後退している。それによって『サラマンダー』、すなわち亜夢の『セルフ』ともいえる魂が表層意識にも現れるようになってきているのだ」

「なるほど……確かに……」今度は東の理解も早かった。

「亜夢の『セルフ』が表層意識に定着し始めている……その意味するところは……」


……"自我の目覚め"……か……

「かんどり!!ねぇ、……かんどりっ!!」亜夢は、ほうれん草のお浸しの入っていた小鉢を自慢気に見せてくる。小鉢は空になっていた。ほうれん草を放り込んだ口をまだモグモグと動かしながら、大きな目を丸く見開き、瞳を輝かせている亜夢。

「おっ、食べれるじゃないですか。では、いきますよ」神取は大きく息を吸い込むと、少しだけ膨らませていた風船に、さらに一息吹き込んだ。風船は、ここに来るときに持ち込んだ自前の白衣のポケットに、たまたま入っていたものだった。(白衣の規定はなく、着用も自由。神取は仕事着として愛用していた白衣をそのまま、規定のユニフォームの上に羽織っている)

以前、関西の勤め先で子供を担当した際、大人しく診察を受けようとしない子供の対応に困惑した神取を見兼ね、看護師が咄嗟にご褒美の品を渡し、機嫌をとったことがある。

その時の子供は、他のおもちゃを貰ったのだが、「子供の相手をするのに少し持っていたら良いですよ」と看護師に勧められ、風船やら小さなおもちゃを数個、無作為にポケットに突っ込んでいたのだった。

亜夢と担当看護師の「食べる、食べない」の応酬がまた白熱してきたのを見兼ねた神取は、風船を少しだけ膨らませてみせた。案の定、亜夢は風船に喰いつく。食べたらちょっとずつ膨らませていくと、亜夢をのせてみたところ、俄然やる気になって残った食事を頬張り始めたのである。

「……ふぅっ……」風船が中程に膨らんだところで、吹き込み口を固く摘んでまた止める。

「えぇ~~もっとぉ!」「ダメですよ、ほら」と言ってサラダの残りを指差す。

「もう嫌!」ブンブンと首を振る亜夢。「ほう、では」そう言うと、風船の空気を少しだけ抜いて見せる。

「だ……ダメえぇ!!」と亜夢は、サラダを一口頬張る。これでいいでしょ!と言いたげに神取に挑戦的な視線を投げかける亜夢に、軽く首を振り、さらに空気を抜く仕草をしてみせる。「うぅぅ!!」亜夢は握ったフォークをサラダに突き立てる。

「お上手なんですね、"子供"の相手」尊敬する様に目を輝かせ、看護師が声を弾ませた。

「いえいえ、そんなことは」

……飴と鞭……ふっ……式神の調教と要領は同じか……

「またまた、ご謙遜!」看護師は作ったような満面の笑みを浮かべながらまくしたてる。「よかったね、亜夢ちゃん!それじゃあ、わたしは次の患者さんの世話があるのでぇ~~」そう言いながら看護師は、ゆっくりと出入り口の方へ後退りしていく。

「ではぁ~~神取先生~~あとよろしくお願いしまぁす!」「ちょっ……ちょっと!」神取が呼び止めるより早く、看護師は室外へと抜け出しドアを閉め切った。

「あっ……」同時に手の中の風船がしゅるしゅると音をたてながら、蓄え込んでいた空気を吐き出していた。

「かんどりぃ~~」恨めしそうな亜夢の声に振り向くと、亜夢は空になったサラダのボール皿をこれ見よがしに指差している。

「はいはい……」渋々、神取は再び大きく息を吸い込むと、もう一度、風船に息を吹き込む。亜夢は再び目を輝かせて、膨らんでいく風船をジッと見つめている。

修行時代、紀伊の山中で心肺を鍛えたとはいえ、一気に風船に空気を何度も送り込むのは意外と大変だった。三分の二程膨らませたところで、口を風船から外すと、神取はふと我に帰る。

……何をやってるのだ……私は……

すると、先程閉じられたドアが、再びわずかに開くと、出ていったばかりの看護師が、顔を覗かせて声を上げた。

「あ、先生!そのコ、今週の土曜日、誕生日らしいんです。私達、ちょっとした誕生会企画してるんで、先生もよかったら!」言うだけ言うと、再びドアが閉め切られた。

「誕生日……ですか」亜夢は嬉しそうに神取の風船を見つめ、どこまで大きくなるのか、期待に胸を膨らませているようだった。神取は再び大きく息を吸い込む。
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