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第2章 魔界幻想

あの日、あの時 4

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 ……直人‼︎ ……
 
 響き渡る声に、直人は顔を上げる。
 
 暗く淀んだ"直人の幻影達"には、動揺が走る。
 
 ……パパ……
 
 ……パパだ……
 
 ……パパぁ‼︎ ……
 
 子供達は、水槽の中で、再び嬉々として渦を巻く。
 
 ……待って! ……
 
 騒ついていた"水達"の動きが、その声に縛り付けられる。
 
 ……ねえ、ここ……入っちゃダメって、言われてたとこだよ……
 
 ……こんなところで見つかったら……
 
 ……パパ……きっと怒るよ……
 
 ……また嫌われちゃうよ……
 
 ……嫌われる⁉︎ ……
 
 ……やだよ……
 
 ……やだ、やだ! ……
 
 ……嫌われたくないよぉ……
 
 ……隠れなきゃ……
 
 ……そうだ、隠れよう! ……
 
 ……隠れよう! ……
 
 ……あそこ! ……あの大っきいのに! ……
 
 水槽群の水達は、俄かに色めき立つ。
 ゴボゴボと掻き乱れながら、水槽奥深くに潜り込んでいく音が、彼方此方で木霊する。
 
 その様子は<アマテラス>ブリッジ、メインパネルにも反映される。いくつもの反応プロット点が、船前方で一つになっていく。
 
「……反応群、収束……波動収束率高まる……」
 
 サニの報告に、カミラはその反応の危険性を察知した。
 
「第二PSIバリア、出力最大! シールド展開準備!」
 
 
 ……直人! 何処だ、直人! ……
 
 直人とサニが見上げると、<アマテラス>に覆い被さる<セオリツ>が、ゆっくりと頭上を横切り、区画中央にある浄水タンクへと接近しつつあった。
 
 ……ダメだ、父さん! ……それ以上近づいたら! ……
 
 直人の叫びは、父に届く筈はない。だが、叫ばずにはいられない。
 
 ……オレに……オレに近づくな‼︎ ……
 
 この先に起きる事の全ての記憶は、未だ無意識のうちにある。だが、直人にはわかっていた。この先に起こるであろう事を。
 
 浄水タンクへと逃げ込んだ、直人の幻影達の声が、また聴こえてくる。
 
 ……パパ……
 
 ……見つかっちゃったかな……
 
 ……怖いよぉ……
 
 ……ねぇ……パパに会いたいよぉ……お弁当あげようよ……
 
 ……ダメ! 絶対怒られる……
 
 ……怒られるよ……
 
 ……やだ……
 
 ……大丈夫、ここに隠れてれば……
 
 ……ここに……
 
 ……ここ……
  
 
 半開きの窓から一陣の柔らかい風が舞い込み、亜夢の丸みを帯びた瞼を、そっと持ち上げた。
 
「亜夢さん?」神取の呼びかけに、亜夢は気づかない。
 
 その瞳の奥に、神取は小さな焔の揺らめきを認める。"神子"と思しき意識とは、また別の意識が宿る可能性を、神取は彩女の報告と、先日の一件から推測していたが、その推測は確信へと変わりつつあった。しかしその『存在』の発する気質は"神子"とは真逆、対極である。生への渇望、本能のそれに近い。
 
「あなた……は……だれ……」
 
 不意に亜夢から溢れた言葉が、自分に向けられたものではない事を、神取はすぐに理解する。亜夢は横になったまま、先日と同じように、腕を持ち上げ、何かを感じ取っている。
 
「……あ……なた……と……」
 
 亜夢の瞳の奥にある焔が一層揺らめく。神取は指を伸ばし、印を切る体勢をとる。"神子"の意識が、例の異界船に集中した事で、鎮まっていた炎のような気質を持つ、もう一つの存在が、再び目を覚まし始めているのだろう。
 
 玄蕃に張り巡らさせた、部屋を取り囲む結界が反応している。(元々、この施設の各部屋に設けられた結界を利用しつつ、その力を増幅させている)これがなければ、再び、先日同様、見境なくその熱を発散させていたかもしれない。再び暴走を起こせば、その炎は彼女の周辺だけでなく、自らの身も焼くであろう。
 
 とはいえ、"神子"の気質のみでも、彼女の肉体を支えることは出来ないようだ。
 
 神取は、彼女の肉体は、この二つの気質のバランスの上で、ギリギリに保たれているのだと、見抜いていた。
 
「危うい……実に危うき存在……」神取は、亜夢の見開かれた瞳の先を追う。どうやら、この焔の気質もまた、神子の想念の方へと向かっているようだ。
 
「此奴も異界船か……。一体、あの船に何があるというのだ……」
 
 
 ……ねぇ、ここ……
 
 ……うん……
 
 ……ここ、なんか気持ちいいね……
 
 ……ママみたい……
 
 ……えぇ? ……ママ……もっと怖いよぉ……
 
 ……そうだね……ママ……怖い……
 
 ……パパもママも……いっつも怒るもんね……
 
 ……ここはあったかい……優しい……
 
 ……ここに居たい……
 
 ……ずっと居たいね……
 
 ……うん……
 
 ……ここに居よう……ここが一番いい……
 
 
 浄水タンクは、流れ込んだ泥水で、瞬く間に黒々と色付き、水流は、蛇のようにその身を捩りながら、幾つもの渦を作り出す。
 
 
 ……直人! そこか⁉︎ 今、助ける! ……
 
 浄水タンクの異変を捉えた<セオリツ>は、速度を上げて、彼我の距離を縮めていく。
 
 ……パパが来るよ……
 
 ……どうせ嫌いなんだ……ぼくのことなんか……
 
 ……帰りたくない……
 
 ……どんどんこっちに来る……
 
 ……しっ! 静かにして! ……
 
 ……ねぇ、どうする⁉︎ ……
 
 <セオリツ>の船体を包むPSI バリアが煌めき、船速を増していく。幼き"直人達"の意識が"閉じ籠った"浄水タンクへ、突入するつもりだ。
 
 ……直人……パパ……お前には淋しい思いをさせていた……今日だって……
 
 ……直人……こんな事になってから俺は……何でお前との時間を、もっと大切にできなかったのか……
 
 ……お願いだ……帰ってきてくれ! ……もう一度、パパにお前の笑顔を見せてくれ! ……
 
 直人の意識に、身を引き裂くような父の悔恨の念が流れ込む。
 
 ……もういい、父さん! 父さんの想い……わかっているから……父さん! ……
 
 <セオリツ>が接近するにつれ、浄水タンクの黒々とした水流が逃げ場を探すようにのたうち周り、いくつもの渦が絡み合い、やがて一つの坩堝を形成する。
 
 ……パパ……帰ろうって……
 
 ……帰ってもどーせ独りぼっちだよ……
 
 ……誰も……ぼくなんか……
 
「PSIブラスター起動! エネルギー供給を開始している!」「何!」
 
 アランの叫びと同時に、PSI ブラスター全門にエネルギーストリームの閃光が迸る。連動してモニターに映し出された照準が、正面の浄水タンクを捉えた。
 
 ……突入口を開く! 耐えてくれよ、直人……
 
「ブラスター、発射態勢!」「っ! 着弾の衝撃に備え!」インナーノーツらは、成り行きを見守るしかなかった。
 
 ……照準、良し。PSIブラスター発射! ……
 
 <セオリツ>船首のブラスターが光を放つと同時に、<アマテラス>の全6門のブラスターから、稲光を伴う螺旋ジェット状のエネルギー弾が発射され、<セオリツ>から放たれた光の筋へと、絡み合う蛇のように縒り合わさっていく。
 
 一筋の光芒となったエネルギー流は、そのまま浄水タンクの中央へと命中する。
 
 衝撃波と閃光が、空間を包み込む。
 
 ……うっ……ぁぁぁあ‼︎ ……
 
 ……センパイ‼︎ ……
 
 その衝撃に動揺する"幼い直人ら"の狂騒が、直人の意識に襲いかかる。サニは、その直人の背を庇うように縋りついて、その場に意識を保つ。
 
 ……どうしよう! ……
 
 ……やっぱり、パパ怒ってる⁉︎ ……
 
 ……ねぇ、パパと帰ろうよ! ……
 
 ……やだ! ……やだよ! ……
 
 ……怖いよぉ……
 
 ……出たくない! ……帰りたくない‼︎ ……
 
 ……ぼくは……ここが良いのに‼︎ ……
 
 ……もう! ……パパ、早くあっち行ってよ‼︎ ……
 
 ……助けて‼︎ ……
 
 <セオリツ>は二射、三射とPSI ブラスターを射かけながら、距離を縮めていく。
 
 ……直人! ……そこから出て来てくれ! ……直人! ……
 
 PSI ブラスターが着弾する度に、浄水タンクのガラス状の外壁に亀裂が伸び、幼い直人らを形作っていた水が、染み出してくる。
 
 ……と……父さん……
 
 その一射一射に乗せた、直哉の言葉にならない想いが、直人の意識にも響き、<アマテラス>のブリッジにある、直人の肉体の瞳を潤す。
 
 ……もう少しだ……そのまま……出て来い、直人! ……
  
 浄水タンク内の水は、ブラスターで熱せられたように激しく渦を巻き、今にも浄水タンクの"殻"を打ち破らんばかりである。直人の意識もまた、同期して激しく揺さぶられていた。
 
 ……がぁあっああああ‼︎ ……
 
 ついにブラスターの最期の一矢が、浄水タンクの外殻へと突き立つ。
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