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第2章 魔界幻想

幻夢は囁く 6

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「……ふむ……身体への影響は、認めず。パーソナルPSIパルスに若干の乱れはあるが、異常という程でもない」
 
 直人の検査結果からは、特筆するような異常値は出なかった。検査担当医は、直人のこのところの不調は、ごく平均的なストレスによる影響ではないかと、推察した。
 
「……何か、悩んでいる事とか、ないのかね?」
 
「……」直人はしばし考え、気にかかる事を思い出す。このところ、頻繁に来る母からのメール……確かにあれは煩わしい……がストレスを感じる程でもないし……
 
「あるよねぇ! セ・ン・パ・イ」
 
 直人が考え込んでいると、サニがニヤけながら嬉々として割り込んで来た。
 
「愛しのあ・の・ひ・と」
 
 誰の事を言わんとしているか、直人にはすぐわかった。今の今まで、意識にはなかったが、サニのひと言は、直人に彼女を想起させ、同時に、彼の心拍数を跳ね上げさせるには十分だった。
 
「そういえば最近、見かけねぇな」ティムも便乗する。
 
「ち……違うよ! そんな事じゃ……」
 
「まぁたまたぁ~」サニは、直人の反応にニヤケ顔を浮かべ、彼の肩を人差し指でクリクリと弄りながら、冷やかし続けた。その手を、ハエを追うように払いのける直人。
 
「なんだ、恋の悩みか」「せ、先生まで! そんな……」
 
「まぁ、そういう事なら健全だ。良い良い。大いに悩みなさい。仕事に支障ない程度にな」
 
 検査医は、問題解決と言わんばかりに、検査結果の端末入力を終えた。
 
「ち……違います!」「えっ、じゃあ、なんとも思ってないの、あの人の事?」サニは、空かさず突っ込む。
 
「いや……それは……その……」直人は、口ごもるしかない。
 
 その時、検査室の扉が不意に開く。
  
「あれ、みんなお揃いで。どうしたの?」
 
「あっ……」
 
 真世がそこに立っていた。
 
 さしあたり、祖母に頼まれたのであろう、数種類の薬箱を載せた台車を運んで来ていた。計ったようなタイミングに、一同、声を失う。
 
「んっ? 何?」
 
 一気に赤面した直人は、振り返ることもできず、そのまま顔をうつ向けていた。噂の主が誰なのか、納得した検査医は、頼んでいた薬の補充を受け取ると、検査室に集まった彼らを、厄介払いでもするかのように、部屋から追い立てた。
 
 
「そっかぁ……訓練大変そうだね。大丈夫? 風間くん?」
 
「……ん、あ、うん、もう何ともないよ」
 
 ティムが、経緯を掻い摘んで真世に伝えている。直人の錯乱には触れず、気分が悪くなったのだ、とだけ伝えているようだ。相変わらず、ティムとは気が合うらしく、真世は、ティムの最近の訓練の話題などに、愉しそうに耳を傾けている。
 
「全く、ティムも、もうちょい気を利かせろっての、ねぇ、センパイ」
 
「な……何のこと……」直人は、サニから顔を背けてしらばっくれる。面白くないとばかりに、サニは顔をしかめた。
 
 直人とサニは、いつの間にか、ティムと真世の後に続くような形になりながら、真世について、病院区画への通路までやって来ていた。
 
「それじゃ、あたしはここで」不意に真世は、そこで立ち止まった。
 
「……!」直人は、ハッとなって顔を上げる。何か言葉をかけなきゃ……っと尻込みしているようだ。サニは呆れ顔で、一息ため息をつく。
 
「あ、そーだ! 明日、日曜だし、これからみんなで飲みにいかない⁉︎ 真世さんも一緒に、ね?」見兼ねたサニが、声を上げた。
 
「お、イイね! たまには行こうぜ、真世?」ティムも話に乗っかり、真世を誘う。
 
「あ……あたし? ……ごめんなさい。今夜は、母についてないと……」
 
「たまにくらい、大丈夫だろ?」ティムが、もう一押しする。
 
「……天気が良かったから、昼間、庭に連れ出したんだけど……そのあとちょっと、体調崩したみたいで……あたしが無理させたから……」真世は顔を曇らせる。
 
「そっか……」さすがにティムもそれ以上は誘えなかった。
 
「ごめんね、みんなで楽しんできて。それじゃ」そう告げると、真世は、病院棟の方へと歩みを進める。一度振り返り、三人に手を振ると、そのまま病院棟の方へと姿を消す。
 
「あ~らら、残念ね、センパイ」「……いいよ、べつに……」直人は、サニの言葉に、淡々と返す他なかった。
 
 
 日本海へ傾きつつある夕陽は、ガーデン一帯をオレンジ色に染め上げる。それとは対照的に、樹々の間には、インナースペースの深奥へと誘うかのような闇が、至る所で口を開く。昼間の人気の無くなったガーデンに、今日一日の命の終わりを惜しむかのように、夏蝉が高らかな合唱を響かせていた。
  
 神取は、人目を避けるように、防砂樹林の生い茂る、小高い丘状になった一角へと足を向ける。
 
 その先には、日本海の日没を臨む、小さな展望台を兼ねる休憩所があった。ベンチを一つ陣取ると、神取は持ち出したタブレットで、施設入居者らのカルテの閲覧を始めた。いくつかカルテを送っていくと、一人の少女に目が留まる。
 
 ……その娘です……
 
 樹々の間の闇から、女の声が囁きかける。
 
 ……彩女か……
 
 闇の中から、白拍子の姿をした式神、彩女がぬぅっと姿を見せる。彼女の姿は、肉眼に映るものではない。
 
 ……大義であった……
 
 ……勿体のう、お言葉……
 
 ……其方の報告で、『御所』も動き出している……私も、ようやくここに出入りできるようになった……私自ら、この娘との接触をはかる……
 
 ……旦那様自ら……
 
 ……うむ……
 
 刻一刻と、陽は、水平線の彼方へと姿を隠しつつある。
 
 ……やはり"この城"、内側からも、容易くは落とせぬな……
 
 闇を深める樹々の間の影から、別の声が木霊する。
 
 ……玄蕃、あんたもこっちへ来たんかい? ……
 
 ……拙者は頭と共にある……当然の事……
 
 霊力を有するものであれば、忍の姿をした式神が、闇より出現する様子を、捉えることが出来たかもしれない。彼の姿も、彩女と同じく神取にのみ見えている。
 
 ……結界は強固だ……加えて、霊感機能を備えたカラクリが、あちこちで作動している……
 
 ……その出で立ちも然り……玄蕃は、神取が着用しているユニフォームを睨める。
 
 ……これか? ……
 
 ……うむ……建屋のカラクリと連動して、結界を展開している……建屋の結界に比して貧弱だが、思念波の類に一定の遮断効果があるようだ……
 
 ……どおりで……旦那様がこちらにいらしても、我らの思念波が、思うように伝わらないわけだ……忌々しい……
 
 ……気休め程度と思っていたが、侮れんな……
 
 神取は、ユニフォームに視線を落とすと、苦笑気味に呟いた。
 
 ……旦那様、是非ともお召し替えを……
 
 ……そうもいかぬ……
 
 神取は、おもむろに立ち上がる。
 
 展望台の先に広がる日本海は、既に水平線の彼方へと夕陽を押しやっていた。
  
 ……我らの目的は、この娘……いや、『神子』の奪取にある……だが問題は、どうやってここから連れ出すかだ……
 
 神取は式神らに背を向けたまま、赤く染まる水平線の彼方を見据えながら、彼に下された『勅命』を静かに反芻していた。
 
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