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第1章 誘い
初夏のプレリュード 3
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時刻は午後二時を少し回ったところだ。
「おやっさん達も来ればよかったのにな。絶品だったぜ、あの牡蠣」
岩牡蠣は全て食べ尽くされている。
ティムが満足げに、デザートのメロンを頬張りながら嘯く。彼らには悪いが、あの連中が来たら、せいぜい一つ食べられればいい方だったろう。ティムは幸い三つ、平らげた。
「ああ、彼らならお前たちがミッションに出ている間、届いたばかりのをつまんでいたぞ」呆れ顔を浮かべた東の報せに、ティムの満面の笑みが一瞬にして引きつった。
アルベルトの食の嗅覚は鋭い。どこからか嗅ぎつけて、午前のミッション中に、パーティーの情報を藤川に確認して来たようだ。もともと藤川は声をかけるつもりでいたし、パーティーに誘ったが、午後は<アマテラス>のメンテナンスが予定されている、という理由で、岩牡蠣だけでいいからよこせ、と交渉して来たらしい……
「あんのオヤジ……」インナーノーツらのミッション(インナースペースの調査を兼ねた訓練ミッションではあるが……)の間、牡蠣を堪能しているアルベルトのほころんだ満面の笑みがありありと浮かんで来る。きっと内緒で、ワインの一本でも持ち込んだに違いない。
……ティムよ……オマエは三つか? ……オレは四ついったぞ……シャブリとの相性は最高よ……
見える! 見えるぞ! あいつらが岩牡蠣を囲んで一杯やってる光景が……
「くそっ!」ティムはその光景を振り払うように、メロンを口いっぱいに頬張った。
「センパイは、真世さんいなくて淋しいんでしょ?」「な……何だよ!?」唐突なサニのカマかけに動揺する直人。
「きっとママのところよ」「え?」
サニが何気に口にする言葉。その意味を直人は知らない。
「あれ、……(モグモグ)知らんの?」ティムが頬張ったメロンを口に残したまま、話に割り込んで来た。
「えー、センパイ達、幼馴染じゃなかった?」言いながら、サニは……やっぱりね……と内心呟く。
「……昔の話だよ。再会したのもここの大学に入ってからだし……」
「そっか。彼女のお母さん、まあ、所長の娘さんだがな……」
ティムは知っている話を直人にする。
二十年前、同時多発地震で被災した真世の一家は、幸い命に別状は無かったが、その直後から真世の母、実世は数年のうちに心身を次第に病み、やがてそれは『PSI シンドローム』の症状であると認定された。(同時多発地震の頃はまだPSI シンドロームは仮説とされ、医療制度も整っていなかった)
相次ぐ震災の最中、真世の父親は行方不明になり、真世と幼い二人の子供を守り育てる重責と、疲労が重なったためではないかと考えられているが、はっきりした原因は不明。
魂と肉体の連結が弱まっているという。そのため、衰弱した肉体に魂を繋ぎ止めるための、定期的な身体維持療法を長期にわたって受け続けているが、効果的な治療法は見つかっていない。発症当初は別の医療施設で治療を受けていたが、十年程前にIN-PSIDの医療機関が設立された直後、こちらの長期療養施設に移された。
真世は、IN-PSID附属病院でPSI シンドローム心理療法士の研修の傍ら、今や施設から出ることも出来ない母の看護を手伝っている。
「そ……そうなんだ……あのお母さんが……」
直人はほとんど何も知らなかった。直人が真世と初めて会ったのは、二十年前。"あの震災"の直後……
直人も被災者の一人で、心身を患い、長期に渡って医療機関で過ごした。震災で亡くなった父の上司であった藤川が、直人の入院を手配したその病院(当時数少ないPSI起因の病例を扱っていた)には、真世の母、実世も震災前からこの病院に通院していたため、直人と真世はここで出会うこととなる。
直人の母と実世は友人同士で、実世は自身の通院の際、母に会いに彼の部屋を尋ねる事が度々あった。そこについて来ていたのが、真世——
幼い同い年の直人と真世は次第に打ち解けあっていったが、直人はその後、症状が回復したことを機に、母の実家のある松本に移住。それ以来、藤川からIN-PSID附属大学への推挙話が来るまで交流は薄れ、直人は真世や実世がどうしていたのか、全く聞く機会がなかった。
「詳しいね……」
直人は自分が知らない真世を、ティムから伝え聞いている。
「そっか、お前、一年の頃からインナーノーツ候補生の"特科"だったもんな」
そう、直人は藤川の推薦もあり、インナーノーツとしての資質のある者を見極め(この目的は学生らには明かされていない)、基礎教育する『特別研究科』に入学直後から編入した。ちなみにサニもこの"特科"の後輩である。
「オレは真世と同じ、普通科上がりだからなぁ。あの頃から真世ファンは多かったから、色々と情報は耳に入ってきたわけよ」
「そういうアンタもでしょ」と突っ込むサニに、ティムは「バカいうな。こう見えても、オレは友情をとるタチなんでね」と直人と肩を組んでみせる。
「なあナオ。彼女のことで悩んでんなら、いつでも力貸すぜ」「あ...ああ」真顔でそう囁くティムに空返事で答える直人。
そうだろうよ……。直人は真世がティムと親しげに連れ立って話をしたりしているのを何度か目撃している。ティムは、190cm近い長身で、端正な顔立ちのアメリカ人。二人が並んで歩けば、それは絵になる光景だった。ティムファンの女性達の間で囁かれている、カップル説も偶然耳にしたことがある。
「友情って言葉も、アンタがいうと軽薄ね、ティム。こういうのには気をつけたほうがいいよ、センパイ」サニは、デザートにいくつか確保していた一口大のケーキを二人に勧めながら、直人の気持ちを代弁するかのように言い放つ。
「言ってくれるね」と苦笑を浮かべながら、ティムはそのケーキを一つ摘むと、一口で平らげた。
真世とは何度かすれ違ったり、時々挨拶程度の会話はあった。だが、今の彼女について、自分は殆ど何も知らないのだと、直人はひしひしと痛感する。
「おやっさん達も来ればよかったのにな。絶品だったぜ、あの牡蠣」
岩牡蠣は全て食べ尽くされている。
ティムが満足げに、デザートのメロンを頬張りながら嘯く。彼らには悪いが、あの連中が来たら、せいぜい一つ食べられればいい方だったろう。ティムは幸い三つ、平らげた。
「ああ、彼らならお前たちがミッションに出ている間、届いたばかりのをつまんでいたぞ」呆れ顔を浮かべた東の報せに、ティムの満面の笑みが一瞬にして引きつった。
アルベルトの食の嗅覚は鋭い。どこからか嗅ぎつけて、午前のミッション中に、パーティーの情報を藤川に確認して来たようだ。もともと藤川は声をかけるつもりでいたし、パーティーに誘ったが、午後は<アマテラス>のメンテナンスが予定されている、という理由で、岩牡蠣だけでいいからよこせ、と交渉して来たらしい……
「あんのオヤジ……」インナーノーツらのミッション(インナースペースの調査を兼ねた訓練ミッションではあるが……)の間、牡蠣を堪能しているアルベルトのほころんだ満面の笑みがありありと浮かんで来る。きっと内緒で、ワインの一本でも持ち込んだに違いない。
……ティムよ……オマエは三つか? ……オレは四ついったぞ……シャブリとの相性は最高よ……
見える! 見えるぞ! あいつらが岩牡蠣を囲んで一杯やってる光景が……
「くそっ!」ティムはその光景を振り払うように、メロンを口いっぱいに頬張った。
「センパイは、真世さんいなくて淋しいんでしょ?」「な……何だよ!?」唐突なサニのカマかけに動揺する直人。
「きっとママのところよ」「え?」
サニが何気に口にする言葉。その意味を直人は知らない。
「あれ、……(モグモグ)知らんの?」ティムが頬張ったメロンを口に残したまま、話に割り込んで来た。
「えー、センパイ達、幼馴染じゃなかった?」言いながら、サニは……やっぱりね……と内心呟く。
「……昔の話だよ。再会したのもここの大学に入ってからだし……」
「そっか。彼女のお母さん、まあ、所長の娘さんだがな……」
ティムは知っている話を直人にする。
二十年前、同時多発地震で被災した真世の一家は、幸い命に別状は無かったが、その直後から真世の母、実世は数年のうちに心身を次第に病み、やがてそれは『PSI シンドローム』の症状であると認定された。(同時多発地震の頃はまだPSI シンドロームは仮説とされ、医療制度も整っていなかった)
相次ぐ震災の最中、真世の父親は行方不明になり、真世と幼い二人の子供を守り育てる重責と、疲労が重なったためではないかと考えられているが、はっきりした原因は不明。
魂と肉体の連結が弱まっているという。そのため、衰弱した肉体に魂を繋ぎ止めるための、定期的な身体維持療法を長期にわたって受け続けているが、効果的な治療法は見つかっていない。発症当初は別の医療施設で治療を受けていたが、十年程前にIN-PSIDの医療機関が設立された直後、こちらの長期療養施設に移された。
真世は、IN-PSID附属病院でPSI シンドローム心理療法士の研修の傍ら、今や施設から出ることも出来ない母の看護を手伝っている。
「そ……そうなんだ……あのお母さんが……」
直人はほとんど何も知らなかった。直人が真世と初めて会ったのは、二十年前。"あの震災"の直後……
直人も被災者の一人で、心身を患い、長期に渡って医療機関で過ごした。震災で亡くなった父の上司であった藤川が、直人の入院を手配したその病院(当時数少ないPSI起因の病例を扱っていた)には、真世の母、実世も震災前からこの病院に通院していたため、直人と真世はここで出会うこととなる。
直人の母と実世は友人同士で、実世は自身の通院の際、母に会いに彼の部屋を尋ねる事が度々あった。そこについて来ていたのが、真世——
幼い同い年の直人と真世は次第に打ち解けあっていったが、直人はその後、症状が回復したことを機に、母の実家のある松本に移住。それ以来、藤川からIN-PSID附属大学への推挙話が来るまで交流は薄れ、直人は真世や実世がどうしていたのか、全く聞く機会がなかった。
「詳しいね……」
直人は自分が知らない真世を、ティムから伝え聞いている。
「そっか、お前、一年の頃からインナーノーツ候補生の"特科"だったもんな」
そう、直人は藤川の推薦もあり、インナーノーツとしての資質のある者を見極め(この目的は学生らには明かされていない)、基礎教育する『特別研究科』に入学直後から編入した。ちなみにサニもこの"特科"の後輩である。
「オレは真世と同じ、普通科上がりだからなぁ。あの頃から真世ファンは多かったから、色々と情報は耳に入ってきたわけよ」
「そういうアンタもでしょ」と突っ込むサニに、ティムは「バカいうな。こう見えても、オレは友情をとるタチなんでね」と直人と肩を組んでみせる。
「なあナオ。彼女のことで悩んでんなら、いつでも力貸すぜ」「あ...ああ」真顔でそう囁くティムに空返事で答える直人。
そうだろうよ……。直人は真世がティムと親しげに連れ立って話をしたりしているのを何度か目撃している。ティムは、190cm近い長身で、端正な顔立ちのアメリカ人。二人が並んで歩けば、それは絵になる光景だった。ティムファンの女性達の間で囁かれている、カップル説も偶然耳にしたことがある。
「友情って言葉も、アンタがいうと軽薄ね、ティム。こういうのには気をつけたほうがいいよ、センパイ」サニは、デザートにいくつか確保していた一口大のケーキを二人に勧めながら、直人の気持ちを代弁するかのように言い放つ。
「言ってくれるね」と苦笑を浮かべながら、ティムはそのケーキを一つ摘むと、一口で平らげた。
真世とは何度かすれ違ったり、時々挨拶程度の会話はあった。だが、今の彼女について、自分は殆ど何も知らないのだと、直人はひしひしと痛感する。
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