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第1章 誘い

サルベージ 1

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 昨晩までの快晴は絶え、今朝方から、空には暗雲が垂れ込め、シトシトと雨も降りだす。
 
 インナーノーツは、早朝の呼び出しに応じIMCに集まってきていた。開いた直通エレベーター扉の中から、間延びした声が聞こえてくる。
 
「もぅ~土曜の朝よ。今日は、休みの予定じゃなかったぁ~」眠そうな顔で文句を垂れながら、サニが入室する。
 
「爽やかな出勤ね、サニ」
 
 サニの緊張感のない態度を皮肉るカミラに、「恐れ入りま~す、隊長どの!」と、サニはおどけた敬礼で返す。カミラは、呆れのため息が出るばかりだ。
 
 サニが室内を見渡すと、IMCにいるのはインナーノーツの四人と田中、アイリーンのみ。藤川所長と東ミッションチーフはまだのようだ。
 
「あっ! センパイおっはよ!」
 
 室内に直人の姿を見つけたサニは、態度をコロっと変えて小走りで直人に近づく。何故か、やたらと愛想のいい笑顔を直人に見せる。
 
「お、おはよ。サニ」
 
 不気味だ……後ずさりする直人に、猫が擦り寄るように、距離を縮めるサニ。下から覗き込むようにして、直人を見上げた。
 
「……へへぇ~。センパイ、やっぱりドMなんだからぁ」耳打ちするように、小声で囁く。
 
「な……なんだよ、いきなり!?」サニの言葉に動揺する直人。
 
「もぉ~、バーチャルくらい正直になれば、もっと可愛いのに」サニは独り言のように呟く。
 
「バ……バーチャル?」直人には全く意味不明だったが、それを傍で聞いていたティムには、サニが夕べ何をしていたか、おおよそ見当がついた。
 
「うんん、なんでもない。今度はリアルで……ね!」サニは直人に腕を絡めながら、企みに満ちた笑みを直人に見せる。直人は、背中に冷たい汗が流れ落ちるのを感じていた。どう弄ぼうか舌舐めずりしている猫を前に、硬直しているネズミ……ティムには、二人がそのようにみえる。
 
 スタッフ入室用の自動ドアが開き、藤川らが入室して来る。
 
「待たせたな」と言う藤川の後に東、そしてもう一人。その人影の姿を認めた直人は、咄嗟に、サニに絡め取られた腕を抜き、彼女から距離をとった。
 
「えっ、何よ! ……あっ」サニは、直人の行動に不快を示すも、すぐにその理由を理解した。
 
「おはようございます」挨拶をしながら入室して来たのは真世だ。
 
 真世は、室内に直人の姿を認めると、笑顔で小さく手を振って来る。直人も同じようにして答える。
 
「なんなの、アレ?」蔑むような視線を二人に送りながら、ブスっとなるサニ。
 
「ハハ、お前の負けだな。サニ」サニの肩をポンと叩きながら、ティムが宥めるように言う。
 
「アンタ、なんかしてやった?」「さあてね」突っかかるサニに、ティムはトボけて返し、視線を宙に泳がせた。
 
「皆、聴いてくれ」東が切り出す。
 
「今日から、対人ミッション時の生体モニタリング、及び生体維持装置担当オペレーターとして、真世に入ってもらう」
 
 一歩前に進み出た藤川が、説明を引き継ぐ。
 
「元々、医療スタッフから一人、アサインする予定だったのだが……生憎、人手不足で、こちらに回す余裕が無いと言われてな……今しがた貴美子と相談して、急遽、真世に決定した。貴美子について、オペレーター業務の基礎は学んでいる。あとは実践で覚えてもらう。皆、すまんがサポートを頼む」
 
 現在、真世は、IN-PSID附属病院の、PSIシンドローム心理療法士研修生として働く一方、その傍らで、貴美子の指導するPSI特殊医療研修プログラムにも参加していた。これは、対人インナーミッションオペレーター育成の目的も兼ねており、これにより真世は、オペレーター資格(法制化が進んでいないIN-PSID独自の先端医療、技術、インナーミッションに関しては、所内ガイドラインを設け、役職に関しても独自資格を設定している。IN-PSIDのガイドライン、資格制度は上位機関の国連PSI利用安全保障会議の承認に基づき施行されている)も有していたため、貴美子が推挙した。
 
「真世」藤川に促され、真世が一同の前に進み出る。
 
「えっと……まだわからない事だらけで、ご迷惑をおかけするかと思いますが、よろしくお願いします」
 
 軽く会釈して、挨拶を終える真世に、一同は歓迎の拍手で応えた。
 
「真世、君の席はそこだ」東の促しに真世は「はい」と答え、その席に着く。
 
「所長、貴美子先生は?」
 
 カミラがふと訊ねる。初回ミッションの成功は、貴美子のサポートもあっての事だ。
 
「貴美子も、ミッションのたびに病院の方を空けられないからな。当面は貴美子にもモニタリング情報を送り、真世をサポートしてもらう」
 
 なるほど、これは今後、増加するであろうインナーミッション、特に緊急ミッションに対する布石でもあるのだ。カミラはそう理解した。現在、医療部門だけでなく、各部署で、インナーミッションに対応できる養成コースを開き、オペレーター候補生やインナーノーツ候補生、技術者を育成している。真世のように短期間で養成したオペレーターを、専門部署との連携でサポートしながら、シフト化して回す。インナーノーツも、いずれは交代制になっていくのだろう。
 
 カミラは藤川の構想を朧気ながら理解すると共に、インナーミッションの重要度が増していることを、改めて認識する。
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