Heavens Gate

酸性元素

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地獄編

乾きと喪失②

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子供時代、俺は母親が怖かった。
父と母は幼くして離婚し、母の方に俺は行くことになった。
母の口癖は、女の子を産みたかった。だった。
セシルと言う女のような名前を、周囲は散々に馬鹿にしてきた。厄介なことに、母親は長い髪以外を認めなかった為、ますます周囲から孤立する事になった。
学校でも、家でも、どこに行っても自分が認められない。
なんでいつも教室で寝てるの?
うるせえ。
オトコオンナじゃん。
死ね。
もっとはっきり話してよ。
死ね。死ね。全員死ね。
俺含めて、全員死ね。

魔導士になったのも、母の差金だった。魔導士になった、と周囲に母は自慢げに言いふらしていた。
なんと言うか、俺という存在は、母の欲求を満たすための装置でしかないんだなあ、と。
兎に角母の目から逃れたかった。どこかに行ってしまいたかった。だから、セリアムへの派遣を自ら志願した。
こんなダメな自分を変えたい。その為のきっかけ作りでもあった。
でも、結局ダメだった。相変わらず誰とも馴染めず、仕事以外では俺には孤独が付き纏った。
そんな時だったんだ。
「やあ、君が新しく入ったっていう…」
「…?」
誰だ、このおっさんは。初対面の印象はそれだった。
「あっ…はい。」
口籠って上手く話せない。どうしよう、何か上手い答えをしなきゃならなかったのに。
「君……逃げてきたんでしょ?」
「え?」
どうして知っているんだ。誰にも明かしていなかった心の歌を暴かれ、俺は恐怖を感じた。1番合ってはならない、知られてはならない、俺の最も醜い部分。それがたった今見破られたのだから。
「‥僕もだよ。」
予想だにしない回答に、俺は仰天した。
彼は優しい口調で話し始めた。
自身の壮絶な過去を。
「……」
絶句した。自分がこの世で1番不幸だと、俺は何処かで思っていた。だが、自分よりもっと不幸な人間は数多くいるのだと、その時再認識させられた。
「それ、なんだい?」
「あ…これは母に向けた手紙で…書かなくちゃならなくて…」
「ふーん。貸して。」
彼は手紙を持つと、勢いよく引き裂いてしまった。
「ほら…これで良い。君は自由だ。君がやるべきはこの行動だったんだ。」
その時、俺は気付かされた。本当は、自分は何かをぶち壊したかったんだと。何かを壊して先に進みたかったんだと。
そう気づいた時には涙が出ていた。たったこれだけの行動が、彼を俺に取っての恩人にした。
ゾルダ、と言う彼は、次第に俺の相談相手になっていった。
家のこと、周りのこと、全てを打ち明けるようになっていった。
だからこそ、彼の事も気になってしまうものだ。
果たして、彼の人生に良い終わりはあるのか?と。
「ゾルダさん…貴方はどう死にたいんですか?」
「そうだね……特にないかな。死に方なんて選んだってしょうがないよ。」
「じゃあ…貴方の死の瞬間は俺が立ち会いますよ。貴方が満足して死ねたかどうか、俺が知りたい。」
「ははは!なるほどね。……ありがとう。」
彼は嬉しそうに笑った。
遮るものを壊して先に進みたいという、俺の自分勝手かもしれない。それでも、この感情は本物だ。なんとしてでも実現したかった。
それなのにこれだ。結局俺は、あの人の死の瞬間に立ち会えなかった。今やってることも自己満足。誰かから逃げているわけでもなければ、誰かのために戦っているわけでもない。

「クソ…」
セシルは身体中の傷を修復する。が、体力は限界に近く、魔力量も尽きかけていた。
「じゃあね、優しい人。」
リリッシュはメスを振り上げる。
避けられるほどの体力は残っていない。
セシルは目を瞑る。貴方が死んだ時もこんな感じだったんですかね。
その瞬間、黄色い矢がリリッシュのメスを破壊し、彼女にそのまま吹き飛ばした。
「?!」
「はあ…はあ……なんかいきなり化け物たちが溶けたと思ったら…セシルくん。」
「なんなんすか、先輩。無様だって笑います?」
「いや、助かった。ありがとう。」
「………え?」
「あのねえ…感謝されると思うもんだよ、普通。君はそうやって直ぐ悲観的になる。…話はちょっと聞こえてたよ。復讐、というか君の自己満足でしょ?これ。」
「ええ…そうですよ。」
「だったら…アタシにもやらせて?アタシも自己満足しちゃうから。」
「……?そりゃまた何の?」
「知りたいの、あの娘が何を抱えているのか。貴方は貴方の為に、アタシもアタシの為に。自分勝手に協力しよ?」
「はは…なんだそりゃ。」
今まで俺が知らなかった行為。
一緒にやる。
それの意味が、今ようやく分かった気がした。

「そっか……生きてたんだね、アンちゃん。」
リリッシュはムクリと起き上がると、2人を睨んだ。
「俺は先輩のサポートに回ります。そこ、詠唱の保持です。先輩の口をつけておきました。」
「うわ!気持ち悪!あ、でもこのファッションアリかも…」
「陰キャの俺から見てもナシよりのナシですよ。来ますよ!」
世界がぐにゃりと歪んでいく。
「これは……!」
「空間に干渉している……なるほどな、空間単位で改造するって訳か。」
捻れた空間は両者に襲いかかる。
「多分一撃でも喰らったら即死だよ!」
「分かってますよ!」
セシルは黒鋼で足場を作り出すと、襲い来る時空の攻撃を回避する。だが、当然一手では止まらない。リリッシュは空をなぞり、空間同士を結び合わせた。
彼女と2人の間の距離が急激に縮まる。
「?!」
「やばい!」
2人は咄嗟に距離を取るも、四方からの空間の攻撃に挟まれる。
「くっ…!」
アンは上に向けて矢を放つ。セシルと彼女はそれに掴まり、上へと上昇する。
「ふふふ…ははははは!」
リリッシュはメスで空中を手当たり次第になぞっていく。
オーケストラの指揮者宛らに、激しく両手を動かしながら、タガが外れたように笑っていた。
空間は目まぐるしい勢いで歪んでいく。周囲の建物の残骸は彼女を中心に回転し、セシルとアンはそれに巻き込まれていく。
2人の体は瓦礫に激突していく。身体中の骨が軋み、へし折られる。
「がっ…!」
「もっと…もっとおおおおおお!」
リリッシュは瓦礫をメスでなぞる。
瓦礫は勢いよく膨張し、巨大な怪物へと姿を変えた。
「そんな…!」
「先輩、俺が前に出ます。貴方は攻撃の準備を。」
「セシルくん!それじゃ君が死ぬ!」
「死なないっすよ。」
セシルは前に飛び出す。
怪物は彼に一斉に襲いかかった。
「おおおおお!」
黒鋼で攻撃をいなし、セシルは前進する。
「無駄な…事を!」
大量の怪物が、正面から襲いかかる。
「はあ!」
アンの矢が、怪物の体を吹き飛ばした。
「おおおおおおおおおおらあ!」
セシルは一斉に黒鋼を放つ。
リリッシュはそれをメスで切りつけ、改造すると、即座に彼に跳ね返した。
「あああああ!」
セシルは更なる物量で相殺すると、リリッシュに銃を向ける。引き金を引けば勝ち。かに思えた。
リリッシュのメスが、彼の腹部に突き刺さっていた。
「ごめんね、ちゃんと改造してあげるから。」
リリッシュがセシルの体をなぞろうとしたその瞬間、彼はアンに向かって大きく叫んだ。
「今です!打ってください!」
「な…?!」
リリッシュはメスを引き抜こうとする。が、彼の両手によってそれは阻まれた。
「へへ…刺さってたら動けねえだろ…?お前のメスはもう他にねえ…!」
「超常魔法.白燐螺旋ホワイトライト.リンカーネーション!」
螺旋状に一点で放たれる矢。それは全てを吹き飛ばすものではない。ただ敵を貫くこと。それにのみ特化した矢。
矢はセシルの腹部ごと彼女の心臓を射抜くと、歪んだ時空間を全て破壊し、修正した。
「がっ…!」
「いっ…てぇ!」
セシルとリリッシュは倒れ込む。
『ああ…終わっちゃった…。結局私は何がしたかったんだろう。』
リリッシュは消えゆく意識の中、過去を回想した。

私はいつも渇いていた。
父親は毎日のように私を犯し、暴力を振るった。
父との行為には何も感じることはなかった。要するに不感症である。13歳から17歳にかけて、そんな生活が続くことになる。さらに最悪な事に、私の顔は整っていた。故に同年代の女からは疎まれ、学校では、どこのものかもわからない水を頭に被る事になった。
性的虐待、虐め。この繰り返しによって狂ってしまったのだろうか。いや、そうではない。私はもとより歪んでいた。
それに気づいたのは、18を迎えようという時だった。
いつものように父親は私と行為をする。ただそれだけだと思っていた。だが、その日の父は泥酔し、私を締め殺そうとしたのだ。
咄嗟の判断だった。咄嗟の判断で酒瓶を父の頭にぶつけ、その後何度も何度も…何度も何度も殴りつけた。
その時だった。今まで感じたことのない快感が私の中を駆け巡ったのは。父親の頭から垂れる脳に触れる。すると、体が激しく痙攣した。要するに、人を殺すことで初めて、性的快楽を得ることができたのだ。魔能力が覚醒したのもその時。それを利用して、私は父親の死体を処理した。その時の快感と言ったらもう。笑ったことなど殆どなかったのに、私の口角は終始吊り上がっていた。
だけど、冷静になって初めて、自分が異常だと言う事実に気付いた。やってはいけない、と心に決めた。
だけど、やっぱり繰り返してしまった。2人目は声を掛けたナンパ3人組。なんというか肝臓が案外綺麗で、うっかり齧ってしまった。
結局衝動は抑えきれず、どんどんと殺人を繰り返していった。人を切りたいから医者にもなった。目指すには遅すぎるが、どうやら私は天才だったらしい。
そんなある日だった。雨宿りの日、彼に出会ったのは。
「雨…やまないですね。」
彼は優しく話しかけてきた。
「あ…はい。」
人に心から優しくされた事など無かった私は、それがなんだか嬉しかった。依頼、彼とは何度も会うようになり、やがて恋人になった。
そして、彼に私の過去を打ち明けるまでに至った。殺人の話はひた隠しにして。
「大丈夫、君を嫌いになんかなったりしない。」
そうやって彼は私を抱きしめた。素直に嬉しかった。
このまま普通の人間になるのもありかもしれない。
そう思うようになっていた。
だけど………
いつの間にか、彼を殺していた。
行為を使用というその時に彼の心臓をこねくり回していたのだ。
「え?あ…あ…ああああああああ!」
やっぱり無理だったんだ。私なんかが普通の人間になれる訳ない。生まれも育ちも衝動も、何もかもが異常。もはや人間ではない。
それ以来、私の心を理解しようとする人間が怖くなった。もし歩み寄られたら、大事に思ってしまう。そして彼のように殺してしまう。だから嫌だった。
もう一度、彼を生き返らせられるなら、私の事を忘れて、静かに生きてほしい。それが私唯一の願いだった。
「アンちゃん……私ね、人殺しなの。最低最悪の人殺し。」
「うん…知ってる。」
その場に倒れ込む彼女に、アンは座り込んだ。
「許されないかもしれないけど…それでも君は人間だよ。」
「………!」
ここまで来ても、私に歩み寄るのか。
「なんで…?なんでそんなに優しいの?」
「誰だって、やりたい事の一つや二つあるでしょ?だから君のことも否定しない。」
「そっか……そっか。ありがとう。」
彼女の頬に涙が伝う。もっと早く彼女と出会っていたら、私は変われていたんだろうか。
様々な感情と共に、彼女は生き絶えた。

「はははは!良いぜ兄弟!もっとついてこれるか?」
「知るか。さっさと死ね!」
ノーマンの刃、生肖の拳がぶつかり合った。
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