Heavens Gate

酸性元素

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地獄編

怨讐、歓喜、崩壊、堕落③

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「あ、ああ…ああああ!」
厳格な父親が、彼を部屋に閉じ込めた日と同じ光景だった。
埃に咳き込むことしかできぬ、光の一つもない空間。
それがジョージの終わりでもあり、始まりでもあった。
いやだ、いやだ、いやだ!こんな所で暮らしたく無い!一分一秒もいたくない!絶え間ない恐怖が彼を覆い尽くす。
その時、その時声が聞こえたのだ。神の声が。
貴方を私が救いましょう、ジョージ。
そんな声が聞こえたのだ。
幻聴だ、と一部の人は言うだろう。だが彼にとっては紛れもない神だった。真偽などどうでも良い。
「ああ…神よ、私は貴方の為に…」
だって、とっくに自分はそれに心酔していたのだから。
だから、父親殺しの容疑をかけられた時はまるで理解できなかった。だって神の思し召しだろう?何故裁かれなければいけないんだ?苦しめることなく殺したはずだ。苦しめることなく…………
本当は分かっていた。神など自分は信じていない。都合のいい偶像だ。真に崇拝するものとは天と地の差。否、それどころの話では無い。
だって、だって父を殺した時、僕は笑っていたんだから。
急所をわざと外し、殺すことを楽しんだ。きっとバレるからと、残りの家族を殺し尽くした。父親の行為を黙認していた怒りをぶつけたのだ。
これは後悔だ。懺悔であり、贖罪だ。
だからここに入ったんだ。もう一度、やり直せるならと。
「ああ……やっぱり怖いなあ…暗闇は…僕はどうすれば良かったんだろうね?」
「知るか。お前の神に聞いてみろ。」
ジョージの命は砕け散った。
死の妖精.バンシー。死を予言し、死を招く者。暗闇の空間に数秒止まると、空間内のものは全て死ぬ。
ジョージにとっては即死に等しい魔法であった。
「……」
ゾルダの背後から生肖の剣が振り上げられる。
それはあっさり糸に絡め取られた。
「あーめんどくさ!」
生肖はゾルダから距離を取ると、周囲を囲む壁の上を走り、魔法攻撃を回避していく。
「あーもー…壁作るの間に合わないし!」
リリッシュは地団駄を踏むと、メスを床に叩きつける。
「ん?……思いついちゃった。」
落下する一つの死体を見た途端に、彼女の表情は変わった。
「よいっ…しょ!」
生肖はゾルダの懐に潜り込むと、マシンガンの弾を乱射した。
が、それらは当然のように受け止められる。
「…ゼロ距離射撃ってなんだっけか?」
間髪入れずに剣、槍、鉾を振る。しかしそれらは飴細工のようにあっさりと砕かれた。

地面にヒビが入る。
ゾルダが飛び上がった瞬間、40を超える獣が彼に襲いかかった。
当然、数秒足らずで処理されるだろう。
だがそれで十分。本気を出すまでの時間があれば良い。
ゾルダが破壊しようとした獣は、突然煙となって消えた。
否、煙となって生肖に吸収されていたのだ。
「さて……やるか。」
生肖はスーツを脱ぎ、上半身をあらわにした。
その全身に刻まれた夥しい数の傷。そしてそれ以上に目を引いたのが、それを塗りつぶすかのように描かれた刺青だった。
背中に刻まれた羅針盤のような刺青に、次々と新たな模様が描き加えられていく。
「召喚した眷属…それを己にしき集める。これが俺の魔道具の最強の派生形だ。」
ゾルダは咄嗟に防壁を貼る。
「破!」
まさに形勢逆転。生肖の右手は、ゾルダの体の骨を砕く。
「かっ…は…!」
「いてぇか?そうだろうなあ。これはスラム街で編み出された拳法.刻連回廊クーレン.クウェイラン。対象者の神経から流れるものを逆流させて痛みを引き起こす。魔導士どもに対抗する為に編み出されたものだ。俺はそれの唯一の継承者。魔法主体のテメェにゃ痛かろう。」
「……!」
「ほお、立ち上がるか。そうこなくっちゃなあ!」
生肖はゾルダの魔法攻撃をかわしていく。
今まで見せていた動きとは次元が違う。
「白蓮。」
一点に衝撃を集中させた突き。
ゾルダの両腕を砕く。
「蛇蝎。」
30発の乱撃。間隔は僅か0.001秒。
「一蓮托生!」
衝撃を内部に走らせ、爆発させる一撃必殺。
既に彼の体内はボロボロだった。
だが、だがそれでも立ち続けた。
「知ってるぜ…?お前、奴らを逃してるんだろ?お前が死ぬか気絶するかしたらそいつらの場所がバレる。だからそこまで立ち上がるんだろ?…おかしいと思ったんだよ、お前とあろうものの本気がこの程度な訳がない。その調子じゃ魔殲も使えんだろうさ。」
「……」
「何か喋ったらどうだ?喉を潰した覚えはねえ。…ホラ、敵が追加だぜ?」
突然の刺客により、ゾルダの右腕が切り落とされた。
「はははは!マジかよあの女!死人を使い回すと聞いてたがこのレベルか!」
ジョージの姿をしているが、違う。これはその死人だ。
ああ、僕はここで死ぬだろうな。
ゾルダは悟った。悟ってしまえば途端に楽になった。
死を覚悟した、とまではいかないが、とにかく恐怖が和らいだものだ。
「みんな………」
ゾルダは精霊たちに囁く。
『………』
精霊たちはその場から姿を消した。
「諦めた……って訳じゃねえな。何が狙いだ?」
「無いよ、そんなもの。本当に僕には何も無いんだ。」
ゾルダは魔力を加速させる。
周囲を黒い魔力が包み込んだ。
さっきの物とは違う。魔力が揺れている。
「っ…!マジか!」
反応した頃には遅かった。光のような、
否、言葉通り光の速度で暗闇は生肖の左足を捉えていた。
視認、感知、あらゆるものが不可能。それも一撃では無い。

「シルキー……ありがとう。」
誰よりも優しい妖精。彼女はあらゆるものを受け入れ、あらゆるものを拒絶する。
生肖はその闇に飲み込まれた。
『良いの…貴方と共に死ぬとあの時言ったでしょ?』
「それもそうか。」
ゾルダの魔力と彼女の魔法がかけ合わさってできた所業。
「あともうちょっとだけ…待っていてくれ。」
ただ1人、この魔法から逃れたジョージの死体がゾルダに襲いかかる。
彼は身を捻ってかわすと、死体の体を焼き尽くした。
「………」
わかっていた、この程度では勝てないことなど。
「あばよ精霊使い。」
背後から生肖が、彼の心臓を握りつぶしていたのだから。
「しょーじき危なかったぜ?リリッシュの即席の治療が無かったら捨て身の特攻しかなかったからな。」
生肖はゾルダから手を引き抜いた。
大量の血液が吹き出した。


妖精と人間の間に僕は生まれた。
小さい頃から周囲にいたのは人間ではなく、精霊か妖精。
母であった妖精は死に、父親との2人暮らしだった。
「良いかい?ゾルダ。精霊たちの事は言ってはいけないよ?」
父親はしつこく僕に言い聞かせた。
だけど、なんだか納得行かなかったんだ。
「フローレンス……父さんは君のことが嫌いなんだよ、多分。」
妹にそう話しかける。返答はない。だってそもそも、僕が生まれた事が奇跡なんだから。双子の妹は奇跡を起こさなかった。
傍目から見れば人の形を保っているかも怪しい、物言わぬ肉塊にしか見えない。
それでも、僕にとっては妹だった。
だからそれを禁じられると言うことは、妹を否定されているようで嫌だったんだ。

だけど、それを言いふらしたことが悲劇を生んだ。
人里離れた集落で暮らしていたからかはわからないが、人々は僕達を差別し始めた。
そしてある日、妹と父は撲殺死体で発見された。
家は燃やされ、生き残ったのは僕だけ。
それどころか、集落の人々は僕も殺そうと襲いかかってきた。
必死だった。無我夢中だった。
気がつけば、集落の人々を全て殺してしまった。
「大丈夫。」
「君は悪く無い。」
精霊たちが僕を励ます。
限界を迎えつつあった僕の精神は、それに必死で縋り付いてしまった。
都会に出て、魔道士になって、奇跡の天才と持て囃されて、それでも僕は喜べなかった。自分のトラウマからの逃避でしか無かったんだから。

だからこそ、死ぬ瞬間には精霊と妖精は皆逃した。
僕の死なんかに立ち会ってほしく無い。
僕の為なんかに死んでほしく無い。
僕の事なんか、さっさと忘れて欲しい。
精霊も妖精も、契約を解除すれば、契約者のことは直ぐに忘れる。そう言うふうにできているのだ。
罪を被ると言う名のエゴ。
最低最悪のクズだ。
そうまでしてノコノコと生きて何になるんだ。

「俺はゾルダさんの事、尊敬してますよ。」
「え?」
「俺は背負う度胸もないし、見るもの全部を恨んでる。だからそうやって生きていけるアンタが凄いと思う。」
セシル.ドルフネーゼ。互いにアイリス出身という事で仲良くなった後輩だった。
凄いのは君の方だ。僕は自分の過去を語った事なんか一ミリたりとも無い。なのに君は見抜いて見せた。
彼の未来を僕は見たくなった。生きる理由がだんだん生まれてしまった。だからだろうか、今更になって、今更になって……

「ああ……死にたく無いなあ、やっぱり。」
天を見上げ、星を眺め、ゾルダは細々と呟いた、まるで夢見る子供のように、優しく、暖かな笑みで。
『さようなら…ゾルダ。』
シルキーが彼を抱きしめる。
ああ、死ぬ瞬間に誰かがいるのは、こんなにも嬉しい事なんだ。
「…ありがとう。」
シルキーとの契約を解除する。
『……?!どうして!』
「君に死んでほしく無いから。だからさようならだ。」
『………!』
彼女の姿は消えた。天邪鬼な彼女だ、きっと僕の事など誰よりも早く忘れるだろう。
セシルくんは無事なのかなあ

レドくんは逃げ切れたかなあ

誰かが助かると良いなあ



もうちょっとだけ、生きてみたかったなあ。
ゆっくりと、ゾルダ.フランツジェイルは目を閉じた。


「……!」
3人の透明化が解ける。
「……」
レド達は何も言わず、走り続けた。



「………触るな。」
生肖はリリッシュの腕を掴む。
「えー?なんで?」
「罪を背負い続けて死んだんだ。…そっとしといてやるのが礼儀だろうが。」
しばらくの沈黙の後、リリッシュはゾルダの死体から手を離した。
「それで戦況が不利になっても知りませんよ?」
「だとしても、だ。俺のプライドが許さん。」
生肖は煙草の煙を吐き出す。
「……へっ!最高に面倒くさい野郎だったよ、マジで。」
2人はその場から姿を消した。


「はあ…はあ……!クソ!マジで危ねえな!アスクレピオス、治療しろ。」
剃り残した髭から汗が垂れる。
中年の医者は2人の魔導士を床に寝かせ、杖を前につきだした。
「ふぅ……危なかった。つーか頭撃ち抜かれる直前に仮死状態に出来るのがおかしいよ。」
魔法医術師、ベイル.スタンフォードは、玄式花織とクレア.アインベルツを背負うと、その場を後にした。
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