地獄の道の罪人ども

酸性元素

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天上編

身分の違い、自分の誓い

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「ほら、早く起きなさい駄犬!」

 朝になり、早々に俺は何者かに叩き起こされた。なんだなんだ、とベッドから起き上がると、そこにはアテナが立っていた。しばらく沈黙が広がり、その間チュンチュン、と言うスズメの鳴き声が聞こえてきた。彼女はむっとした表情で俺を見ている。

「な、なんだよお前か……」

 さりげなく、俺はベッドに戻ろうとする。

「なんだよじゃない。早く朝食を用意なさい。」

 フン、と鼻息を鳴らしながらアテナは言い放った。

「……しゃーねーな。」

 俺はのっそりと起き上がると、下の階へと降り、キッチンの棚にしまってあった食パンの袋を取り出した。

「……何よこれ。」

「何ってお目当ての朝食だよ。ほれ、マーガリンもあるぞ。」

 最近追加した、ガマの油マーガリン。こいつが中々美味い。だが、ドヤ顔でそれを差し出した俺に対し、アテナはため息をついた。

「呆れた。私がこんな庶民の食べ物を口にすると?……ああ思い出した、私最近朝食は抜いてるの。しまっておきなさい。おーい、堕天使!」

 アテナはドンドン、とマカの部屋の扉を叩く。あくびをしながら出てきたマカに対して、彼女は言い放った。

「この街を案内しなさい。私、ここに来たばかりなの。」

 いきなり下された命令に、マカはポカンとする。何よ、と言うような顔でアテナは彼女を見ている。その言葉の意味をようやく理解したマカは、ため息をつきながらバタンと扉を閉め、私服に着替えて再び戸を開けた。

「用意できたみたいね……ほら、駄犬。お前も来なさい。」

「あー俺もー?」

 玄関に向かう2人に、渋々俺はついていった。

 ………………………………………………
 ズンズンと前に進むアテナに、俺たちは必死でついていく。人混みをドン、と突き飛ばしながら進む彼女を、周囲の人間は冷めた目つきで見ていた。

 季節はそろそろ夏。ジリジリと照りつける太陽が、俺たちの体力を徐々に奪っていく。

「ま、待てってお前……」

「進むの早いですよ……」

 そんなヘトヘトになった俺たちに対して、アテナは

「遅いわよ奴隷ども!……あのケバブとやらが気になったから買いなさい。」

 突然彼女は立ち止まり、地獄業火ケバブと書かれた店を指差した。そう言えば、ここにきた時に初めて目にした店もこれだった。

「「金持ってきてねえし……」」

 しかしいきなり連れ出された俺たちは、あいにく財布など持ち合わせてはいない。

「なんだい嬢ちゃん、腹減ってんのかい?ほら、これ。サービスだよ。」

 すると気前のいい店主が、アテナにケバブを手渡した。彼女は目を丸くし、奪い取るようにそれを掴んだ。

「ふーん……なかなか奇妙な食べ物ね。」

 ケバブを手に取った彼女は、それをまじまじと見つめる。そしてあんぐりと口を開け、口の中に入れると、それをゆっくり咀嚼し始めた。

 口の周りにソースをつけていることなどお構いなしに、彼女は口にどんどん運んでいく。どうやら気に入ったようだ。

「なんだよ、美味いなら美味いって言えよ。」

「な……!ま、まあまあな味だったわ!ほら、行きましょ!」

 ニヤニヤと笑う俺に対して、アテナは赤面すると、再びズンズンと前に進んでいってしまった。



「……」

 人混みから離れた俺たちは、川の土手を歩いていた。川沿いでは、少年たちが遊んでいる。川に反射した夕日を彩るような道路の音、川の音、そしてはしゃぐ声。それぞれが混じり合い、なんとも味のある情景を作り上げていた。

 先ほどの俺のからかいが嫌だったのか、アテナはムスっと拗ねた表情をしている。マカはお手洗いに行くから先に行っていてください、と言ったのでその場にはいない。


「なあー、待てよ。いい加減話してもいいんじゃねえの?なんでここに来たのかとか、よ。」

 俺がそう質問した途端、彼女の歩みは止まった。しまった、何か逆鱗に触れてしまっただろうか。

「……勘違いしないでくれる?私は貴方達のことなんか信用してないんだから。

 ……特にあの堕天使。あいつは使えるからそばに置いてあげてるけど、堕天使なんかどうせ碌なことしないんだから。裏切ろうものなら即殺すわよ。」

 その言葉に、俺は顔を顰める。なんだその言い草は。まるでマカが悪人のような言い方ではないか。これには俺も我慢がいかず、思わず彼女に詰め寄っていた。

「おい……なんだよその言い方。まるでマカさんが……」

「何よ?事実じゃない。そいつは堕天使。私は神。どうやったって埋まることじゃない。

 堕天使は罪を犯した何よりの証拠よ。全く、私とあろうものがどうしてこんな下等な奴らといなきゃいけないんだか……」

 ヘラヘラと笑いながら言い放った彼女に対して、俺は拳を作り上げる。この野郎、舐めるなよコノヤロウ……。俺が今にもその拳をアテナに振り上げようとしているその時だった。後ろから、声がしたのだ。

「あはは……そう、ですよね。私、頑張ってきたつもりだったんですけどね……」

 振り返ると、目に涙を浮かべながら、苦笑する彼女の姿がそこにはあった。

「ちょ……マカさ……」

 マカは溢れかかった涙を見せまいと、俺たちに背中を向け、その場から走り去ってしまった。

「な、何よ……これ……私が悪いみたいに……」

 流石にこの状況ともなれば、彼女も下手に笑うことはできず、苦笑いを浮かべる他なかった。

 そんなアテナに対して、俺は言い放つ。

「……マカさんはな、生まれた時から堕天使なんだよ。罪を被った奴とは違う。

 ……アンタ、他人を知ろうとしたことなんかあるのかよ?他人に歩み寄ろうとしたことは?歩み寄られようとしたことは?

 誰も信用しない時点で、罪を被った俺とやってきた事は同じじゃねえか。

 ……本当は知ってるんだぜ、お前のこと。」

「!」

 アテナの顔が強張る。そうまでして、自分の事情を言われるのが嫌か。ああまで他人を罵倒しておきながら烏滸がましいにも程がある。言ってやる。言ってやろうじゃないか。俺はありったけの怒りをこめて、アテナに向けて言い放った。

「アンタは、天界から追放されたんだろ?オリンポスだかなんだか知らんが、そんな偉い奴があそこで段ボールに乗ってるわけがねえ。その性格のせいなんじゃねえの?追放され……」

「違う!そんな事……する訳が……」

「はっ!どうだか。……もう付き合ってられん。勝手にしてくれ。俺はマカさんを追う。」

 俺はアテナに背を向けると、その場を後にした。この女の事など知ったことか。俺の居場所を踏み荒らすような輩は邪魔でしかない。

 ……………………………………………

「何よ……」

 私はその場にしゃがみ込んだ。

 彼女は自身の過去を回想する。

 幼い頃から、自分の父は私を可愛がった。そして同時に、生まれた時から、私は神だった。父は私にこう語った。

「アテナよ、お前は誰よりも強くあらねばならん。誰よりも、高貴であらねばいけない。」

 最初はその意味がわからなかったが、徐々にそれを理解していった。

 それは、ある日王宮で同い年の天使たちと遊ぼうとした時だった。

「あ、アテナ様?!」

 天使は私をまじまじと見る。それは、友人に向ける顔ではなかった。

「私もご一緒させていただけないかしら?」

 そんな私の提案に対して、天使は酷く怯えた様子で

「め、滅相もございません!他の神々に知れたらどうなるか……」

 と答える。その時悟ったのだ。ああ、住む世界が初めから違ったのだと。そして決定的だったのは、初めてできた友人の裏切りだった。仲良くなった友人の陰口。それを聞いてしまったのだ。

「ほら、アテナ様といると私も昇進できるかもじゃん?だから一緒にいるとお得っていうかー。」

「あー何それ、ひどーい。」

 そこから段々、私は他人に歩み寄るのを辞めていった。

 きっと、他人に何か期待して仕舞えば後悔する。何故なら、住む世界が違うのだから。階級の残酷さは、どうやっても変えることができない。

 それがどうして、こんな性格になってしまったんだろう。私は、私が一番嫌いだ。

 あの堕天使は、生まれた時から堕天使だと言っていた。

『誰も信用しない時点で、罪を被った俺とやってきた事は同じじゃねえか。』

 カンダタの言葉を思い出す。やってきたことは、同じ。何も変わらないと言うのか?あいつらと、私が?もう何もかもがわからなかった。ようやく手に入れかけた居場所を、私は私の手で失ってしまったのだから。

 体育座りをし、私は流れる川を眺める。地獄の底にも、こんなに綺麗な場所があったのか。

 うるっと涙が込み上げてきたそのときだった。

「うう……誰か……」

 隣に、号泣する少年が現れた。なんだ、と首を傾げるが、知らぬが仏と言うもの。知らんぷりをしておこう。

「うう……あううう……へあふあああ……」

 少年は、尚も奇妙な泣き声をあげている。いもう、我慢できない。私は勢いよく立ち上がると、少年の前に座り込んだ。

「ほら……どーしたの?神たる私に言ってみなさい。」

「そ、それがあ……」

 少年は、泣きじゃくりながら語り始めた。

 …………………………………………………
 すっかり夜になり、窓の外は黒く染まっている。泣き止んだマカに対して、俺はコーヒーを渡す。

「……ありがとうございます、カンダタさん。」

 そう言って笑った彼女の目の下には、深い泣き跡がついている。

「ごめんな、マカさん。俺、何もできなかったよ。……安心してくれ。俺は、アンタの味方だから。」

「カンダタさん……それはどうして……」

 マカが口を開いたその瞬間、流れていたテレビのニュースにある映像が映った。

『速報です。妖迷《ようめい》高速道路にて、暴走したバイクが確認され……』

 突然のニュースに、俺たちは思わず画面に視線を移す。そこに映っていたのは、オレンジの長い髪を靡かせた女……つまりはアテナだった。そして、後ろには何故か少年を乗せている。

「……なにアレ。」

「私が聞きたいんですけど。」

 一体何が起こっているのか、俺たちには理解できなかった。
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