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鬼蜘蛛編
貴方と共に
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俺は、ずっと1人だった。
誰にも愛されず、
誰にも寄り添われず、
誰にも見てもらえない。
唯一気に留めてくれたのが、現楽だった。それが、何故今敵として現れている?俺の精神は、深い奥底へと沈んでいく。最早なんの感覚も感じない。そこにあるのは、絶望のみ。
そこで、ある日のことを思い出した。
「はあ……はあ……勝てねえよぉ……」
いつの日なのか覚えちゃ居ないが、いつものように剣の稽古をしてもらっていた時だった。どうやったら勝てるのか、と俺は現楽に聞く。すると奴は
「勝てやしねえさ、勝とうと思ってるだけじゃ、な。……大事なものを思い浮かべな、そうすりゃ分かる。」
俺に大事なものなどない。現楽を除いて、そんなもの無かった。
今は、その現楽ですら失ってしまった。俺には、最初から何も残っていない……。
「クズが。」
罵声が聞こえる。
「死ねば良いのに。」
罵声が聞こえる。
「お前さえいなければ……」
罵声が聞こえる。
その数はどんどん増していき、俺の周囲に響き渡った。もう辞めてくれ、1人にしてくれ。俺は、もう何もしたくない。何も……
その時だった。何者かが、俺の手を握ったのは。
…………………………………………………
「カンダタ……さん……」
奈蜘蛛は、その場に横たわるカンダタに触れる。腹に大きな穴が空いた彼には、最早命など風前の灯火に等しい。
「……」
カンダタは答えない。それでも彼は、霞む視界で話し続ける。
「……やかましいぞ。既にその男は壊れている。」
その場に座り込むガンドは、気だるげに言う。
「黙れ……!カンダタさんは、そんな人じゃない!」
「たかだか蜘蛛の糸一本垂らしただけのお前が、か?」
「……違う、それだけじゃない。僕はずっと、カンダタさんと一緒にいた。そうですよね?」
奈蜘蛛はふっと笑うと、カンダタに向かって瘴気を流し込む。
…………………………………………………
一本の糸が、俺の隣に垂れた。これを、握っても良いのか?俺は、また過ちを犯す。どうせそう言う人間だ。
俺は握ろうとした手を離し、その場に蹲る。もう、辞めてくれ。これ以上、俺に罪を背負わさないでくれ。ツー、と一筋の涙が頬を伝う。このまま、このまま死んでしまおう。
そう思った、その時だった。
『大丈夫、君は死なせない。』
聞き覚えのある、声だった。それは、俺が糸から落ちて、地獄に落ちたその時に、微かに聞こえた声そのものだった。
糸の真上から、別の声が聞こえる。
「カンダタさん。」
それは、マカの声だった。
「カンダタ。」
それは、美琴の声だった。
「カンダタくん。」
それは、額の声だった。
「「カンダタ。」」
それは、牛頭と馬頭の声だった。
「カンダタさん。」
それは、納言の声だった。
「そうか……あの時の声、お前だったんだな。」
俺は隣の奈蜘蛛に言う。
「ええ……貴方は糸から落ちた時点で、精神が壊れる所だった。僕が瘴気の一部を送って、それを守り続けた。」
そうか、あのままだと、俺は糸から落ちて死んでいたのか。
「ありがとうな、奈蜘蛛。」
「僕はもう時期死にます。だから……」
奈蜘蛛の提案を、俺は肯定した。こいつの決めた事なら、ずっと一緒にいたこいつとなら、きっとやれる。そう確信したからだ。
「もう行くよ、俺。仲間がいるから、さ。」
俺は、天から降りた糸を掴む。ゆっくり、確実によじ登っていく。
光に向かって手を伸ばす。俺に出来ることを、俺のやりたいことを、今やるんだ。
…………………………………………………
カンダタと奈蜘蛛の間に、光が灯り始める。
「……嫌な予感がする。」
ガンドは刀を構えると、勢いよく振り下ろした。先ほどビルを両断した一撃。放心したカンダタに受け止める事など、到底不可能に近い……筈だった。
その斬撃の進路は、何者かによって逸らされた。否、それどころか相殺された。
「何……?」
ガンドは顔を顰める。
そこには、涙を流し、刀を握るカンダタがいた。赤紫色の刀身、八本の手が生えたようなデザインの鍔。禍々しくも美しいその造形の剣を、彼が握っていたのだ。
「行こうぜ、奈蜘蛛。一緒に倒そう。」
「……良いのか?これは、紛れもなくお前の恩人の体だ。」
ガンドはカンダタに問う。だが、彼は迷いなく答えた。
「あんたが何者かなんて知らねえ。何をしようとしてるのかも知らねえ。だがな……俺の守りてえもんを壊すんなら、誰だって許さねえ!!」
「なるほど……なら、ここで殺し合おうじゃないか、カンダタぁ!」
ガンドは瘴気を解放させる。
カンダタは刀を前に突き出すと、刀に宿る瘴気を放つ。
「蝕牙《しょくが》!」
次の瞬間、あたり一面に糸が張り巡らされ、一瞬のうちにガンドの体を拘束した。
「……?!」
動けない。奈蜘蛛が生成したものより強力に作られている。ガンドは必死でもがくが、一向にそれを振り解けなかった。その隙を狙い、カンダタは瘴気を放つ。
地獄の炎が、張り巡らされた糸全てに燃え移った。咄嗟にガンドは体を捻り、糸から脱出する。
だが、その一瞬の隙は、カンダタに次の一手を与えた。
燃え盛る糸をカンダタは操ると、複数の束にしてガンドに解き放った。彼は後退し、それをかわしていく。だが、分裂しては重なり、重なっては分裂する。
不規則にそれを繰り返す攻撃をガンドは必死でいなしていった。しかし、彼の刀が突然停止する。彼の刀身が、糸に絡め取られていたのだ。
「遅いぜ、ラスボス野郎。止まって見えるよ、全く。」
カンダタは、張り巡らせた糸で蜘蛛の巣を作り出すと、その上に乗る。それはカンダタをバネのように跳ね上げ、体を加速させた。
「そういや今は……止まってんだったなあ!」
そしてその勢いのまま、彼はガンドの右腕に傷をつけた。しかし、一度では終わらない、二度、三度……と、四方八方に彼は駆け回り、その度ガンドの体に傷がつく。
ボタボタ、と大量の血が地面に垂れる。このまま押せば、勝てる。彼がそう確信した時だった。
ガンドが突然糸を引きちぎり、カンダタの刀を後ろに弾いたのだ。
「くっ……!」
やはり、こいつ本気じゃなかったのか。
カンダタはブレーキを踏み、刀を構える。だが、すでにその頃には、彼の目と鼻の先にガンドが迫っていた。
だな、俺なら対応できる。
カンダタはガンドとの間に糸を貼ると、その攻撃の進路を逸らした。そして炎で刀を加速させると、ガンドの首元を狙う。
彼は咄嗟に後ろにのけぞってかわすと、カンダタに蹴りを浴びせる。しかし、やはり彼の貼った糸によって、それは弾かれてしまった。
後ろにバランスを崩したガンドを、カンダタは狙う。
「そこだぁぁぁぁ!!」
その一撃は、彼の右腕を切り落とした。まだだ、もっと畳みかけろ。続けて、下から上に刀を振り上げる。
だが……
「ふぅ……なるほど。」
腕を切り落とされたにも関わらず、彼は至って冷静だった。それどころか、余裕な表情でさえある。それに疑問を感じたカンダタは、思わず刀を引っ込め、後ろに下がった。
「では……見せよう。私の本気を。」
バキバキバキ、とガンドの全身が変形していく。顔には牙が生え、背中に8本の腕が生成された。メキメキ、と言う音と共に、彼の右腕は再生する。
これは、まさか。
鬼蜘蛛。かつて恐れられた悪霊。それが今、目の前にいる。背中の8本と2本の腕。合計で10。そして、それぞれには、瘴気で作られた刀が握られている。
10刀流とは、ふざけている。思わず、カンダタからは笑みが溢れていた。
正面から撃ち合うのはまずい。
カンダタは、再び部屋中に糸を張り巡らせると、後ろに下がった。だが、その糸は一瞬の内にガンドの刀によって切り裂かれ、そのままカンダタは斬撃に巻き込まれてしまった。
一度巻き込まれれば、10本の刀に一斉に襲われる。防御など、取る暇がない。一瞬のうちに、彼の全身はその斬撃によって切り裂かれてしまった。
「がっ……は……!」
血が噴出し、彼はその場に倒れ込む。意識が朦朧とする。こんなの、どうやって勝てばいいのだ。
既に、カンダタは壁に追いやられている。逃げようがない。
「おお!」
彼は襲い来る刀の大群を、糸と刀で必死に弾いていく。だが、当然受けきる事など出来るわけもなく、立て続けに彼の体には傷が走る。
ボタボタと、大量の血が噴き出る。
「はあ……はあ……はあ……!」
もう、だめだ。血が出過ぎてしまった。まともに立つことができない。足はガクガクと震えている。これは、恐怖によるものだけではない。
「この……!!」
それでも立ち上がり、糸を貼った。そこら中を駆け回る、先ほどと同じ攻撃。
だが、それら全ては悉くガンドによっていなされ、カンダタは地面に叩きつけられてしまった。
その場に倒れるカンダタに向けて、刀は振り下ろされる。この数秒後に、自分は切られてしまうだろう。考えろ……考えろ……どうにかして、勝たなければ。
「おおおおおお!!」
カンダタは、己の体を奮い立たせ、ガンドの胸部に刀を突き刺した。
「な……?!」
ガンドは思わず後ろに下がる。急所をついた。これで……と彼が安心し切ったその時、予想だにしない自体が巻き起こった。
ガンドの体が、急所をついたにも関わらず一瞬にして再生したのだ。ばかな、人間とは言え即時だぞ。何故、生き残れる。
「どうやら……装置が壊れない限り、私は不死身なようだな。」
そんな、馬鹿な。どうすれば。カンダタは自身の置かれた状況を理解し、震え上がった。目の前にいるのは、不死身の敵。どうやれば、勝てると言うのだ。
……………………………………………………
悪霊の群れの中を、納言は走る。幾度となく崩壊した体は、幾度となく再生していく。
「くそ……進め……ない……」
無尽蔵に増殖を続ける悪霊たちに行手を阻まれ、納言の進行は停止してしまった。
……ああ。僕は、本当にだめだなあ。こんな時にも、カンダタさん達に……
納言が諦めかけた、その時だった。
彼の頭に、1人の友人の顔が映ったのだ。
カザリ。自身が止められなかった人。そして、自分唯一の友人。
諦めてたまるか。諦めちゃいけない。カザリくん、見てるかい?君のために、そして六道のみんなのために、僕は戦うよ。
「あああ……ああああああああ!!!!」
納言は、再び進み出す。仲間のために、友のために。負けてたまるか。
…………………………………………………
ガンドはカンダタに向けて刀を振り下ろす。
「くそ!」
彼は必死で襲い来る斬撃から逃げる。なんとか、納言を信じるしかない。
しかし、逃避にもいつか限界が来る。壁際にまで追い詰められたカンダタは、肩に刀を突き立てられてしまった。
「ぐぅ……!」
ガンドは、徐々そのままゆっくりと、刀を下に下ろしていく。その度傷口は広がり、彼の肩から血が噴き出る。これ以上、血が出るのはまずい。どうすれば……どうすれば……
『熟練した者は、みな各々の瘴気の技を持っているもの……それを獲得していただきます。まあ要するにアイデア勝ちですね。』
湊の言葉を、その時カンダタは思い出した。
……やるしか、ねえ。
ここで、負けるわけにはいかない。ここで負けたら、来世でも後悔する。
「おおおおお……ラァァァァァァァ!!!」
彼はヨロヨロと立ち上がり、ガンドの刀の刀身を握りしめる。
炎の瘴気を、カンダタは纏う。そうだ、イメージするのは天使。それにしよう。
自身の瘴気が肌を掠める。
体の中が燃えるように熱い。
既に全身は悲鳴をあげている。
だが、これでいい。
炎の輪を頭に作る。
炎の羽を背中に作る。
炎の両足を作る。
紫の糸を全身に纏う。
「堕天炎瘴《ブラック・エンジェル》!」
肩に突き刺さっていた刀が引き抜かれ、カンダタの姿形は変貌した。それは、悪魔にも天使に見える、禍々しくも神々しい姿だった。
体を動かすたび、全身に激痛が走る。持って1分だろう。それで十分だ。カンダタは、一歩足を踏み込むと、ガンドに向けて刀を振り上げた。
次の瞬間、彼の刀が赤黒く発光し、斜線上にあるもの全てを塵に変えたのだ。
全てのものを切るだけならば、ガンドにもできゆだろう。だが彼の場合、全てを消してしまった。
「!」
ガンドはそれに驚愕し、一瞬後ろにたじろいだ。
だが、カンダタは止まらない。容赦なく彼は刀を振り下ろし、ガンドの腕を2本、切り落とす。そしてその直後、凄まじい衝撃波が走り、ビルの1/3を削り取った。
「くっ……!!」
彼は残った腕で剣戟に対応する。両者は空中で揉み合うように、刀を交わしていく。
10本の腕と2本の腕。本来、勝負にすらならないはずの両者は、対等に渡り合っていた。
「ふっ!」
「らぁ!」
両者の体に傷がつく。しかし、その程度、彼らに取っては止まる理由にはならない。
「カンダタぁぁぁぁぁぁ!!!」
「ガンドぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
2人の刀は、空中でぶつかり合った。
かわしては、傷がつき、傷がついては、かわす。その繰り返し。
バキバキ、と両者の体から音が鳴る。体が崩壊に近づいている証拠だ。
「はあ…はあ…はあ……!」
カンダタの全身が悲鳴をあげる。持って1発、と言ったところか。
「まだか……まだなのか納言!!」
カンダタは、思わず叫んでいた。
……………………………………………
「くそ……なんだよ、これ。ふざけてる。」
納言は、装置の前に立ちはだかる巨大な悪霊を前に立ち尽くしていた。自身の身の丈の3倍はあろう大きさのそれは、彼に容赦無く攻撃を浴びせる。
「ぐぁ!」
納言の体がバラバラになり、即座に再生する。だが、蘇ったところで意味はない。悪霊の後ろにある、装置に手を伸ばさなされば。
「おおおおおおおお!!」
納言は前に進む。しかし、やはり後ろに弾かれる。進んでは、弾かれる。進んでは、弾かれる。その繰り返し。
パターン化した攻撃は、次の一点を確実にする。
納言は隙を見計らって飛び上がると、振り下ろした悪霊の腕を駆け上がる。
それに気づいた悪霊は、納言の下半身を吹き飛ばした。しかし、上半身は止まらない。後方にある装置のボタンに手を伸ばすと、人差し指でそれを押した。
……………………………………………
ガンドは何かを察したかのように、刀を鞘にしまう。そうか、装置が止められたのか。
そう悟ったガンドは、同様に10本の刀を鞘に納める。
両者の間に一瞬、沈黙が広がる。
そして、ガンドは動き出した。
前に出るガンド、待ち構えるカンダタ。その対照的な構図は、この一撃で勝負を決まる事を予感させていた。
カンダタの刀が、赤黒く光る。彼は全てを載せ、勢いよく振り抜く。どうせ残り1発だ。命を燃やせ、全てを載せろ。
「羅生門《らしょうもん》!!!」
ガンドは10本の刀を合わせると、同時に振り下ろす。
「破国《はこく》!!!」
周囲の物体は、その凄まじい瘴気によって浮かび上がる。重力を失った足場の上で、尚も両者は睨み合う。シュウウウウウ……とカンダタの瘴気が消えていく。
バキ、バキ。とガンドの刀にヒビが入る。
「お……おお……おおおおおお!!」
彼はそれでも、刀を押す手を辞めない。負けるわけにはいかない、と無我夢中に、本能のままに推し続ける。
「おおおおおらァァァ!!」
カンダタは、勢いよく刀を振り上げ、ガンドの半身を両断した。
…………………………………………………
いつの間にか、俺は戦場にいた。人々の刀が行き交う戦場。馬の鳴き声がそこら中からは聞こえる。それを、少し離れた崖から見守るような形で、俺は立っていた。
俺の隣から、何者かが話しかける。
「やあ。」
「……アンタか。」
それに対して、俺はそう一言返した。
誰にも愛されず、
誰にも寄り添われず、
誰にも見てもらえない。
唯一気に留めてくれたのが、現楽だった。それが、何故今敵として現れている?俺の精神は、深い奥底へと沈んでいく。最早なんの感覚も感じない。そこにあるのは、絶望のみ。
そこで、ある日のことを思い出した。
「はあ……はあ……勝てねえよぉ……」
いつの日なのか覚えちゃ居ないが、いつものように剣の稽古をしてもらっていた時だった。どうやったら勝てるのか、と俺は現楽に聞く。すると奴は
「勝てやしねえさ、勝とうと思ってるだけじゃ、な。……大事なものを思い浮かべな、そうすりゃ分かる。」
俺に大事なものなどない。現楽を除いて、そんなもの無かった。
今は、その現楽ですら失ってしまった。俺には、最初から何も残っていない……。
「クズが。」
罵声が聞こえる。
「死ねば良いのに。」
罵声が聞こえる。
「お前さえいなければ……」
罵声が聞こえる。
その数はどんどん増していき、俺の周囲に響き渡った。もう辞めてくれ、1人にしてくれ。俺は、もう何もしたくない。何も……
その時だった。何者かが、俺の手を握ったのは。
…………………………………………………
「カンダタ……さん……」
奈蜘蛛は、その場に横たわるカンダタに触れる。腹に大きな穴が空いた彼には、最早命など風前の灯火に等しい。
「……」
カンダタは答えない。それでも彼は、霞む視界で話し続ける。
「……やかましいぞ。既にその男は壊れている。」
その場に座り込むガンドは、気だるげに言う。
「黙れ……!カンダタさんは、そんな人じゃない!」
「たかだか蜘蛛の糸一本垂らしただけのお前が、か?」
「……違う、それだけじゃない。僕はずっと、カンダタさんと一緒にいた。そうですよね?」
奈蜘蛛はふっと笑うと、カンダタに向かって瘴気を流し込む。
…………………………………………………
一本の糸が、俺の隣に垂れた。これを、握っても良いのか?俺は、また過ちを犯す。どうせそう言う人間だ。
俺は握ろうとした手を離し、その場に蹲る。もう、辞めてくれ。これ以上、俺に罪を背負わさないでくれ。ツー、と一筋の涙が頬を伝う。このまま、このまま死んでしまおう。
そう思った、その時だった。
『大丈夫、君は死なせない。』
聞き覚えのある、声だった。それは、俺が糸から落ちて、地獄に落ちたその時に、微かに聞こえた声そのものだった。
糸の真上から、別の声が聞こえる。
「カンダタさん。」
それは、マカの声だった。
「カンダタ。」
それは、美琴の声だった。
「カンダタくん。」
それは、額の声だった。
「「カンダタ。」」
それは、牛頭と馬頭の声だった。
「カンダタさん。」
それは、納言の声だった。
「そうか……あの時の声、お前だったんだな。」
俺は隣の奈蜘蛛に言う。
「ええ……貴方は糸から落ちた時点で、精神が壊れる所だった。僕が瘴気の一部を送って、それを守り続けた。」
そうか、あのままだと、俺は糸から落ちて死んでいたのか。
「ありがとうな、奈蜘蛛。」
「僕はもう時期死にます。だから……」
奈蜘蛛の提案を、俺は肯定した。こいつの決めた事なら、ずっと一緒にいたこいつとなら、きっとやれる。そう確信したからだ。
「もう行くよ、俺。仲間がいるから、さ。」
俺は、天から降りた糸を掴む。ゆっくり、確実によじ登っていく。
光に向かって手を伸ばす。俺に出来ることを、俺のやりたいことを、今やるんだ。
…………………………………………………
カンダタと奈蜘蛛の間に、光が灯り始める。
「……嫌な予感がする。」
ガンドは刀を構えると、勢いよく振り下ろした。先ほどビルを両断した一撃。放心したカンダタに受け止める事など、到底不可能に近い……筈だった。
その斬撃の進路は、何者かによって逸らされた。否、それどころか相殺された。
「何……?」
ガンドは顔を顰める。
そこには、涙を流し、刀を握るカンダタがいた。赤紫色の刀身、八本の手が生えたようなデザインの鍔。禍々しくも美しいその造形の剣を、彼が握っていたのだ。
「行こうぜ、奈蜘蛛。一緒に倒そう。」
「……良いのか?これは、紛れもなくお前の恩人の体だ。」
ガンドはカンダタに問う。だが、彼は迷いなく答えた。
「あんたが何者かなんて知らねえ。何をしようとしてるのかも知らねえ。だがな……俺の守りてえもんを壊すんなら、誰だって許さねえ!!」
「なるほど……なら、ここで殺し合おうじゃないか、カンダタぁ!」
ガンドは瘴気を解放させる。
カンダタは刀を前に突き出すと、刀に宿る瘴気を放つ。
「蝕牙《しょくが》!」
次の瞬間、あたり一面に糸が張り巡らされ、一瞬のうちにガンドの体を拘束した。
「……?!」
動けない。奈蜘蛛が生成したものより強力に作られている。ガンドは必死でもがくが、一向にそれを振り解けなかった。その隙を狙い、カンダタは瘴気を放つ。
地獄の炎が、張り巡らされた糸全てに燃え移った。咄嗟にガンドは体を捻り、糸から脱出する。
だが、その一瞬の隙は、カンダタに次の一手を与えた。
燃え盛る糸をカンダタは操ると、複数の束にしてガンドに解き放った。彼は後退し、それをかわしていく。だが、分裂しては重なり、重なっては分裂する。
不規則にそれを繰り返す攻撃をガンドは必死でいなしていった。しかし、彼の刀が突然停止する。彼の刀身が、糸に絡め取られていたのだ。
「遅いぜ、ラスボス野郎。止まって見えるよ、全く。」
カンダタは、張り巡らせた糸で蜘蛛の巣を作り出すと、その上に乗る。それはカンダタをバネのように跳ね上げ、体を加速させた。
「そういや今は……止まってんだったなあ!」
そしてその勢いのまま、彼はガンドの右腕に傷をつけた。しかし、一度では終わらない、二度、三度……と、四方八方に彼は駆け回り、その度ガンドの体に傷がつく。
ボタボタ、と大量の血が地面に垂れる。このまま押せば、勝てる。彼がそう確信した時だった。
ガンドが突然糸を引きちぎり、カンダタの刀を後ろに弾いたのだ。
「くっ……!」
やはり、こいつ本気じゃなかったのか。
カンダタはブレーキを踏み、刀を構える。だが、すでにその頃には、彼の目と鼻の先にガンドが迫っていた。
だな、俺なら対応できる。
カンダタはガンドとの間に糸を貼ると、その攻撃の進路を逸らした。そして炎で刀を加速させると、ガンドの首元を狙う。
彼は咄嗟に後ろにのけぞってかわすと、カンダタに蹴りを浴びせる。しかし、やはり彼の貼った糸によって、それは弾かれてしまった。
後ろにバランスを崩したガンドを、カンダタは狙う。
「そこだぁぁぁぁ!!」
その一撃は、彼の右腕を切り落とした。まだだ、もっと畳みかけろ。続けて、下から上に刀を振り上げる。
だが……
「ふぅ……なるほど。」
腕を切り落とされたにも関わらず、彼は至って冷静だった。それどころか、余裕な表情でさえある。それに疑問を感じたカンダタは、思わず刀を引っ込め、後ろに下がった。
「では……見せよう。私の本気を。」
バキバキバキ、とガンドの全身が変形していく。顔には牙が生え、背中に8本の腕が生成された。メキメキ、と言う音と共に、彼の右腕は再生する。
これは、まさか。
鬼蜘蛛。かつて恐れられた悪霊。それが今、目の前にいる。背中の8本と2本の腕。合計で10。そして、それぞれには、瘴気で作られた刀が握られている。
10刀流とは、ふざけている。思わず、カンダタからは笑みが溢れていた。
正面から撃ち合うのはまずい。
カンダタは、再び部屋中に糸を張り巡らせると、後ろに下がった。だが、その糸は一瞬の内にガンドの刀によって切り裂かれ、そのままカンダタは斬撃に巻き込まれてしまった。
一度巻き込まれれば、10本の刀に一斉に襲われる。防御など、取る暇がない。一瞬のうちに、彼の全身はその斬撃によって切り裂かれてしまった。
「がっ……は……!」
血が噴出し、彼はその場に倒れ込む。意識が朦朧とする。こんなの、どうやって勝てばいいのだ。
既に、カンダタは壁に追いやられている。逃げようがない。
「おお!」
彼は襲い来る刀の大群を、糸と刀で必死に弾いていく。だが、当然受けきる事など出来るわけもなく、立て続けに彼の体には傷が走る。
ボタボタと、大量の血が噴き出る。
「はあ……はあ……はあ……!」
もう、だめだ。血が出過ぎてしまった。まともに立つことができない。足はガクガクと震えている。これは、恐怖によるものだけではない。
「この……!!」
それでも立ち上がり、糸を貼った。そこら中を駆け回る、先ほどと同じ攻撃。
だが、それら全ては悉くガンドによっていなされ、カンダタは地面に叩きつけられてしまった。
その場に倒れるカンダタに向けて、刀は振り下ろされる。この数秒後に、自分は切られてしまうだろう。考えろ……考えろ……どうにかして、勝たなければ。
「おおおおおお!!」
カンダタは、己の体を奮い立たせ、ガンドの胸部に刀を突き刺した。
「な……?!」
ガンドは思わず後ろに下がる。急所をついた。これで……と彼が安心し切ったその時、予想だにしない自体が巻き起こった。
ガンドの体が、急所をついたにも関わらず一瞬にして再生したのだ。ばかな、人間とは言え即時だぞ。何故、生き残れる。
「どうやら……装置が壊れない限り、私は不死身なようだな。」
そんな、馬鹿な。どうすれば。カンダタは自身の置かれた状況を理解し、震え上がった。目の前にいるのは、不死身の敵。どうやれば、勝てると言うのだ。
……………………………………………………
悪霊の群れの中を、納言は走る。幾度となく崩壊した体は、幾度となく再生していく。
「くそ……進め……ない……」
無尽蔵に増殖を続ける悪霊たちに行手を阻まれ、納言の進行は停止してしまった。
……ああ。僕は、本当にだめだなあ。こんな時にも、カンダタさん達に……
納言が諦めかけた、その時だった。
彼の頭に、1人の友人の顔が映ったのだ。
カザリ。自身が止められなかった人。そして、自分唯一の友人。
諦めてたまるか。諦めちゃいけない。カザリくん、見てるかい?君のために、そして六道のみんなのために、僕は戦うよ。
「あああ……ああああああああ!!!!」
納言は、再び進み出す。仲間のために、友のために。負けてたまるか。
…………………………………………………
ガンドはカンダタに向けて刀を振り下ろす。
「くそ!」
彼は必死で襲い来る斬撃から逃げる。なんとか、納言を信じるしかない。
しかし、逃避にもいつか限界が来る。壁際にまで追い詰められたカンダタは、肩に刀を突き立てられてしまった。
「ぐぅ……!」
ガンドは、徐々そのままゆっくりと、刀を下に下ろしていく。その度傷口は広がり、彼の肩から血が噴き出る。これ以上、血が出るのはまずい。どうすれば……どうすれば……
『熟練した者は、みな各々の瘴気の技を持っているもの……それを獲得していただきます。まあ要するにアイデア勝ちですね。』
湊の言葉を、その時カンダタは思い出した。
……やるしか、ねえ。
ここで、負けるわけにはいかない。ここで負けたら、来世でも後悔する。
「おおおおお……ラァァァァァァァ!!!」
彼はヨロヨロと立ち上がり、ガンドの刀の刀身を握りしめる。
炎の瘴気を、カンダタは纏う。そうだ、イメージするのは天使。それにしよう。
自身の瘴気が肌を掠める。
体の中が燃えるように熱い。
既に全身は悲鳴をあげている。
だが、これでいい。
炎の輪を頭に作る。
炎の羽を背中に作る。
炎の両足を作る。
紫の糸を全身に纏う。
「堕天炎瘴《ブラック・エンジェル》!」
肩に突き刺さっていた刀が引き抜かれ、カンダタの姿形は変貌した。それは、悪魔にも天使に見える、禍々しくも神々しい姿だった。
体を動かすたび、全身に激痛が走る。持って1分だろう。それで十分だ。カンダタは、一歩足を踏み込むと、ガンドに向けて刀を振り上げた。
次の瞬間、彼の刀が赤黒く発光し、斜線上にあるもの全てを塵に変えたのだ。
全てのものを切るだけならば、ガンドにもできゆだろう。だが彼の場合、全てを消してしまった。
「!」
ガンドはそれに驚愕し、一瞬後ろにたじろいだ。
だが、カンダタは止まらない。容赦なく彼は刀を振り下ろし、ガンドの腕を2本、切り落とす。そしてその直後、凄まじい衝撃波が走り、ビルの1/3を削り取った。
「くっ……!!」
彼は残った腕で剣戟に対応する。両者は空中で揉み合うように、刀を交わしていく。
10本の腕と2本の腕。本来、勝負にすらならないはずの両者は、対等に渡り合っていた。
「ふっ!」
「らぁ!」
両者の体に傷がつく。しかし、その程度、彼らに取っては止まる理由にはならない。
「カンダタぁぁぁぁぁぁ!!!」
「ガンドぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
2人の刀は、空中でぶつかり合った。
かわしては、傷がつき、傷がついては、かわす。その繰り返し。
バキバキ、と両者の体から音が鳴る。体が崩壊に近づいている証拠だ。
「はあ…はあ…はあ……!」
カンダタの全身が悲鳴をあげる。持って1発、と言ったところか。
「まだか……まだなのか納言!!」
カンダタは、思わず叫んでいた。
……………………………………………
「くそ……なんだよ、これ。ふざけてる。」
納言は、装置の前に立ちはだかる巨大な悪霊を前に立ち尽くしていた。自身の身の丈の3倍はあろう大きさのそれは、彼に容赦無く攻撃を浴びせる。
「ぐぁ!」
納言の体がバラバラになり、即座に再生する。だが、蘇ったところで意味はない。悪霊の後ろにある、装置に手を伸ばさなされば。
「おおおおおおおお!!」
納言は前に進む。しかし、やはり後ろに弾かれる。進んでは、弾かれる。進んでは、弾かれる。その繰り返し。
パターン化した攻撃は、次の一点を確実にする。
納言は隙を見計らって飛び上がると、振り下ろした悪霊の腕を駆け上がる。
それに気づいた悪霊は、納言の下半身を吹き飛ばした。しかし、上半身は止まらない。後方にある装置のボタンに手を伸ばすと、人差し指でそれを押した。
……………………………………………
ガンドは何かを察したかのように、刀を鞘にしまう。そうか、装置が止められたのか。
そう悟ったガンドは、同様に10本の刀を鞘に納める。
両者の間に一瞬、沈黙が広がる。
そして、ガンドは動き出した。
前に出るガンド、待ち構えるカンダタ。その対照的な構図は、この一撃で勝負を決まる事を予感させていた。
カンダタの刀が、赤黒く光る。彼は全てを載せ、勢いよく振り抜く。どうせ残り1発だ。命を燃やせ、全てを載せろ。
「羅生門《らしょうもん》!!!」
ガンドは10本の刀を合わせると、同時に振り下ろす。
「破国《はこく》!!!」
周囲の物体は、その凄まじい瘴気によって浮かび上がる。重力を失った足場の上で、尚も両者は睨み合う。シュウウウウウ……とカンダタの瘴気が消えていく。
バキ、バキ。とガンドの刀にヒビが入る。
「お……おお……おおおおおお!!」
彼はそれでも、刀を押す手を辞めない。負けるわけにはいかない、と無我夢中に、本能のままに推し続ける。
「おおおおおらァァァ!!」
カンダタは、勢いよく刀を振り上げ、ガンドの半身を両断した。
…………………………………………………
いつの間にか、俺は戦場にいた。人々の刀が行き交う戦場。馬の鳴き声がそこら中からは聞こえる。それを、少し離れた崖から見守るような形で、俺は立っていた。
俺の隣から、何者かが話しかける。
「やあ。」
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それに対して、俺はそう一言返した。
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