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序章:「鏡の向こうの自分」
第二話:「英雄の眠れぬ夜」
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――静寂が、耳を塞ぐ。
かつて、数千の兵がこの地を踏み鳴らし、怒号と魔力が空を裂いたこの城は、今や墓所のように静かだった。
タケルは、石造りの長い回廊をひとり歩く。床に映る月光が、どこか冷たい。かつてこの城を支配していた“魔王”の残滓は、もう感じられない。だが、それでもここに来るたび、背筋に冷たいものが走る。
――これが、俺が終わらせた世界の名残。
それは、誇りでも、喜びでもなかった。
城の最上階。広間の中央に、ひときわ目立つ石台がある。
その上に鎮座するのは、黒曜石のような質感を持った、不思議な装飾の鏡だった。枠には古代語でこう刻まれている。
「映すは運命、結ぶは魂、裂くは現実」
タケルはその前に立ち、静かに息を吸い、そして目を閉じる。
彼の名は、タケル=ヴァレンシュタイン。
この世界に「勇者」として召喚されてから十年近くが経っていた。
幼い頃に神託を受けた。星の下で選ばれし存在、未来の救世主、魔王を討ち滅ぼす者。
人々は彼を「希望」と呼び、剣と魔法と知識を叩き込んだ。
血を吐くような訓練。多くの戦場。何度も死にかけ、仲間を失い、恐怖と向き合って、それでも戦った。
そして、ついに――魔王ダグラス・ノクトを討ち滅ぼした。
人々は歓喜した。王は金の冠を捧げ、民はタケルの像を建てた。
けれど、心の内は、空っぽだった。
戦いの最中は、何も考えなくてよかった。
剣を振り、魔法を放ち、目の前の敵を倒すことだけに集中すればよかった。
でも、平和になった今、世界はタケルに何を求めているのか分からなくなった。
「新しい英雄の時代を築いてください」
「指導者として、政治にも関わってほしい」
「結婚の話を進めたい」
――そんなの、望んでない。
自分は、ただの一人の人間だ。
子どもの頃から戦いしか知らず、学ぶ暇も、遊ぶ暇もなかった。
英雄として賞賛されても、タケルの心は擦り切れていた。
夜になれば、死んでいった仲間の声が聞こえてくる。
――なんで、俺だけが生き残った?
そんなある日、タケルはこの鏡を見つけた。
魔王の玉座の裏に封印されていた、太古の遺物。
神殿の記録によれば、これは「並行世界を映す鏡」だという。
最初は信じなかった。だが、鏡を覗き続けているうちに、ある日、見つけてしまったのだ。
――自分と、瓜二つの青年。
どこか異なる世界。石も魔法もない、機械が支配するような風景。
その世界の「自分」は、何の力も持たず、ただ平凡に生きていた。
いじめられ、怒られ、空気のように扱われながらも、確かに“生きて”いた。
その姿を見て、タケルは思った。
「俺は、あの場所でなら……ただの人間として、生きられるのではないか」
剣を持たなくていい。魔法もいらない。誰の命も背負わず、ただ誰かと笑って、朝に起きて、眠るだけの毎日。
それが、どれだけ幸せなことか。
あの鏡の向こうの“もうひとりの自分”――彼に、入れ替わってほしい。
この世界を、少しの間でもいいから、代わりに生きてみてほしい。
そう思ったとき、自分の内に湧き上がる狂気のような情熱を感じた。
神の声ではない。予言でもない。
これは、自分が「自分のために」選ぶ選択だ。
それが、間違っていたとしても――もう、“自分の人生”を取り戻したい。
タケルは、鏡に手をかざす。
すると、鏡面がわずかに揺れた。水面のように波打ち、淡い光を放つ。
向こうにいる彼――西条剛という名だった。数度の接触を経て、彼の名も、暮らしも、ある程度のことは把握した。
「剛……お前にとって、こっちは救いかもしれない。
だけど、俺にとっては、お前の世界こそが救いなんだ」
タケルは、そっと囁く。
「入れ替わろう。お前が望むなら、お互い、きっと……生きられる」
部屋を出ると、リア=エルフェリアが廊下に立っていた。
銀色の髪をまとめ、長杖を片手に持つ彼女は、タケルのかつての戦友であり、唯一心を許せた仲間だった。
「また、あの鏡に?」
「……ああ」
リアは、じっとタケルの目を見つめる。
「あなた、どこかで“終わった”って思ってるでしょ。世界も、人生も、自分自身も」
タケルは何も言わなかった。ただ、視線を落とす。
「でもね、タケル。あなたが救ったこの世界は、あなたがまだ生きてるからこそ、意味があるのよ」
「リア……」
「もう一度だけ聞くわ。あなたは、この世界から逃げたいの?」
彼はゆっくりと頷いた。
「俺は……もう、英雄でいることに疲れたんだ」
リアは目を閉じ、そして、ほんのわずかに微笑んだ。
「なら、せめて後悔しないように。あなたが選ぶ未来を、私は……ちゃんと見届けるから」
その言葉に、タケルは小さく笑った。
「ありがとう、リア。……いつか、ちゃんと戻るよ。きっと」
その夜、タケルは再び鏡の前に立ち、指先で表面をなぞった。
向こう側にいる青年が、自分を見返す。
驚いたような顔、戸惑い、恐れ、そして――わずかな興味。
タケルは言葉を投げた。
「君の願いを、叶えよう。こっちに来てくれ、西条剛」
鏡が、静かに光を放った。
かつて、数千の兵がこの地を踏み鳴らし、怒号と魔力が空を裂いたこの城は、今や墓所のように静かだった。
タケルは、石造りの長い回廊をひとり歩く。床に映る月光が、どこか冷たい。かつてこの城を支配していた“魔王”の残滓は、もう感じられない。だが、それでもここに来るたび、背筋に冷たいものが走る。
――これが、俺が終わらせた世界の名残。
それは、誇りでも、喜びでもなかった。
城の最上階。広間の中央に、ひときわ目立つ石台がある。
その上に鎮座するのは、黒曜石のような質感を持った、不思議な装飾の鏡だった。枠には古代語でこう刻まれている。
「映すは運命、結ぶは魂、裂くは現実」
タケルはその前に立ち、静かに息を吸い、そして目を閉じる。
彼の名は、タケル=ヴァレンシュタイン。
この世界に「勇者」として召喚されてから十年近くが経っていた。
幼い頃に神託を受けた。星の下で選ばれし存在、未来の救世主、魔王を討ち滅ぼす者。
人々は彼を「希望」と呼び、剣と魔法と知識を叩き込んだ。
血を吐くような訓練。多くの戦場。何度も死にかけ、仲間を失い、恐怖と向き合って、それでも戦った。
そして、ついに――魔王ダグラス・ノクトを討ち滅ぼした。
人々は歓喜した。王は金の冠を捧げ、民はタケルの像を建てた。
けれど、心の内は、空っぽだった。
戦いの最中は、何も考えなくてよかった。
剣を振り、魔法を放ち、目の前の敵を倒すことだけに集中すればよかった。
でも、平和になった今、世界はタケルに何を求めているのか分からなくなった。
「新しい英雄の時代を築いてください」
「指導者として、政治にも関わってほしい」
「結婚の話を進めたい」
――そんなの、望んでない。
自分は、ただの一人の人間だ。
子どもの頃から戦いしか知らず、学ぶ暇も、遊ぶ暇もなかった。
英雄として賞賛されても、タケルの心は擦り切れていた。
夜になれば、死んでいった仲間の声が聞こえてくる。
――なんで、俺だけが生き残った?
そんなある日、タケルはこの鏡を見つけた。
魔王の玉座の裏に封印されていた、太古の遺物。
神殿の記録によれば、これは「並行世界を映す鏡」だという。
最初は信じなかった。だが、鏡を覗き続けているうちに、ある日、見つけてしまったのだ。
――自分と、瓜二つの青年。
どこか異なる世界。石も魔法もない、機械が支配するような風景。
その世界の「自分」は、何の力も持たず、ただ平凡に生きていた。
いじめられ、怒られ、空気のように扱われながらも、確かに“生きて”いた。
その姿を見て、タケルは思った。
「俺は、あの場所でなら……ただの人間として、生きられるのではないか」
剣を持たなくていい。魔法もいらない。誰の命も背負わず、ただ誰かと笑って、朝に起きて、眠るだけの毎日。
それが、どれだけ幸せなことか。
あの鏡の向こうの“もうひとりの自分”――彼に、入れ替わってほしい。
この世界を、少しの間でもいいから、代わりに生きてみてほしい。
そう思ったとき、自分の内に湧き上がる狂気のような情熱を感じた。
神の声ではない。予言でもない。
これは、自分が「自分のために」選ぶ選択だ。
それが、間違っていたとしても――もう、“自分の人生”を取り戻したい。
タケルは、鏡に手をかざす。
すると、鏡面がわずかに揺れた。水面のように波打ち、淡い光を放つ。
向こうにいる彼――西条剛という名だった。数度の接触を経て、彼の名も、暮らしも、ある程度のことは把握した。
「剛……お前にとって、こっちは救いかもしれない。
だけど、俺にとっては、お前の世界こそが救いなんだ」
タケルは、そっと囁く。
「入れ替わろう。お前が望むなら、お互い、きっと……生きられる」
部屋を出ると、リア=エルフェリアが廊下に立っていた。
銀色の髪をまとめ、長杖を片手に持つ彼女は、タケルのかつての戦友であり、唯一心を許せた仲間だった。
「また、あの鏡に?」
「……ああ」
リアは、じっとタケルの目を見つめる。
「あなた、どこかで“終わった”って思ってるでしょ。世界も、人生も、自分自身も」
タケルは何も言わなかった。ただ、視線を落とす。
「でもね、タケル。あなたが救ったこの世界は、あなたがまだ生きてるからこそ、意味があるのよ」
「リア……」
「もう一度だけ聞くわ。あなたは、この世界から逃げたいの?」
彼はゆっくりと頷いた。
「俺は……もう、英雄でいることに疲れたんだ」
リアは目を閉じ、そして、ほんのわずかに微笑んだ。
「なら、せめて後悔しないように。あなたが選ぶ未来を、私は……ちゃんと見届けるから」
その言葉に、タケルは小さく笑った。
「ありがとう、リア。……いつか、ちゃんと戻るよ。きっと」
その夜、タケルは再び鏡の前に立ち、指先で表面をなぞった。
向こう側にいる青年が、自分を見返す。
驚いたような顔、戸惑い、恐れ、そして――わずかな興味。
タケルは言葉を投げた。
「君の願いを、叶えよう。こっちに来てくれ、西条剛」
鏡が、静かに光を放った。
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