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家族の絆が試される夜に
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秋の夜風が頬を切るように冷たい。
街灯に照らされた警察署の前で、片山大輔は深いため息をついた。
携帯電話の画面には、「娘、補導」との簡潔な警察からの通知が表示されている。
信じられないというより、呆れているような表情だった。
「まったく、何を考えてるんだ、奈々は……」
娘が中学三年生になって以来、大輔はその成長をほとんど見届けていなかった。
仕事に追われる日々、そして別居中の妻との軋轢で、家庭の温もりなどとうに忘れていた。
そんな彼が、今夜はこうして警察署に足を運んでいるのだから皮肉なものだ。
警察署に入ると、待合室にはすでに誰かが座っていた。
「……あら、遅かったわね。」
振り返ったのは、別居中の妻、美雪だった。
美雪はきれいに整った顔立ちに薄いメイクを施し、シンプルなカーディガンとデニムを身にまとっていた。
彼女の視線はどこか冷たく、大輔を値踏みするように見ている。
「お前も来てたのか。」
「来てたのか、じゃないわよ。奈々の母親なのよ、当然でしょ?」
言葉を交わした瞬間から、二人の間に緊張が走る。
冷え切った夫婦関係が、待合室の空気をさらに冷たくしていた。
しばらくして、若い警察官が書類を手に現れた。
名札には「田中巡査」と書かれている。
まだ30歳にも満たないような田中は、二人の微妙な空気に気づいているのか、どこかぎこちない笑みを浮かべていた。
「ええと、片山奈々さんのご両親でいらっしゃいますか?」
「ええ、そうです。」
美雪が即答する。
「話を伺いたいんですが、娘さん、先ほど繁華街で友人と深夜徘徊をしていまして……」
「深夜徘徊?
まだ九時前なのに?
それだけで警察に?」
大輔が眉をひそめる。
田中巡査は苦笑しながら説明を続けた。
「ええ、それだけならまだ良かったのですが、タバコを吸っていたという目撃情報がありまして。」
「タバコ?」
二人は同時に声を上げた。
「奈々がそんなことをするわけない!」
美雪が怒りを露わにする。
「いや、友達に流されてたんだろう。
しっかり見てないお前にも責任があるんじゃないか?」
大輔が突っかかる。
「何よそれ!
普段家にも帰らない人が、こんな時だけ父親面しないでよ!」
田中巡査は二人の応酬に巻き込まれないよう、静かに後ろに一歩下がった。
しばらくして、奈々が警察署の奥から現れた。
制服のスカートがわずかに汚れている彼女は、どこか反抗的な表情を浮かべている。
母親と父親の顔を見るなり、奈々は冷たく言い放った。
「……何で二人とも来てんの。」
「何でって、親だからに決まってるだろ!」
大輔が声を荒げる。
「別に一人で帰れたし。」
「そんな問題じゃないの!」
美雪が声を上げる。
「奈々、なんでタバコなんて吸ったんだ?
お前、そんなことする子じゃないだろ?」
「吸ってないよ!」
奈々が怒りに満ちた声で言い返す。
「ただ、友達が持ってただけ。それだけで捕まるなんておかしいでしょ?」
その言葉に大輔も美雪も一瞬言葉を失った。
しかし、大輔はすぐに反論を始めた。
「友達がどうとかじゃない!
親に心配かけるなって言ってるんだ!」
「親に心配されたことなんてないわ!」
奈々の声がさらに大きくなる。
田中巡査は再び困惑の色を浮かべながら、なんとか場を収めようとした。
「ええと、とりあえず今日はご自宅に戻っていただいて、後日改めて事情を伺いますので……」
だが、家族の言い争いは止まらなかった。
待合室には重苦しい空気が漂っていた。
片山大輔と美雪、そして補導された奈々の間で繰り広げられる言い争いに、田中巡査はついに耐えきれなくなったのか、軽く咳払いをした。
「……あの、申し訳ありませんが、少し落ち着いていただけますか?」
田中の声は控えめだったが、家族全員がその言葉に一瞬黙った。
沈黙の中で、彼は穏やかに続けた。
「まずは、お嬢さんが無事であったことを喜ぶべきではないでしょうか。
それに……
ご両親がこうして揃って迎えに来られるのは、逆にお嬢さんにとって心強いことでは?」
一見すると理性的な発言だったが、タイミングが悪かった。
夫婦の怒りは、田中に向けられる形で新たな火種となった。
「おい、ちょっと待てよ。
なんだ、その物分かりの良さそうな言い方は。」
大輔が険しい表情で田中を睨む。
「そっちは娘をこんな時間に補導しておいて、今さら家族愛を語るってのか?
こっちは仕事帰りでクタクタなんだぞ!」
田中は戸惑いながらも、困ったような笑顔を浮かべる。
「いや、決してそのようなつもりでは……」
「だいたいさ!」
大輔の声が大きくなる。
「補導された理由が曖昧じゃないか?
友達がタバコを持ってただけだって、何でそんなことで警察が出張るんだ?」
田中は慌てて説明を試みる。
「ええと、それについてはですね、繁華街での未成年のタバコ所持が問題視されておりまして、見回り中に声をかけたところ……」
「声をかけたって言うけど、それ、ただの職務質問だろ?」
「まあ、確かにそうなのですが……」
ここで美雪が追い打ちをかけた。
「ねえ、それに私たち、娘が補導されたって聞いて慌てて来たけど、結局何が本当の理由なの?
さっきからはっきりしないわよね。」
「そ、そうですね。
タバコの件については、現場での確認がまだ完全ではなく……」
田中が言い淀むと、美雪が鋭く指摘する。
「まだ完全ではない?
つまり、娘が本当にタバコを吸ったかどうかも確定してないのに、こんな時間に呼び出したってこと?」
「……ええ、そうなります。」
田中は小さく頷く。
「ふざけないで!」
美雪が声を荒げる。
「こっちは平日の夜に予定を全部潰して、こんなところまで来たのよ?
もう少し慎重にやるべきだったんじゃない?」
「いや、その……未成年者の安全を第一に考えての対応でして……」
田中は苦しい表情で言い訳を続けるが、二人の怒りは収まらない。
すると、横で黙っていた奈々がポツリと呟いた。
「……そうだよね。
警察が過剰反応してるんじゃない?」
その一言がさらに火に油を注いだ。
「ほら見なさい。」
美雪が田中に詰め寄る。
「当の本人までそう言ってるわ。
あなたたちがしっかりしていれば、こんな無駄な時間を使わなくて済んだのに!」
「ちょっと待てよ。」
大輔も口を挟む。
「俺はお前の言い分には賛成だが、そもそもこの警察官、ただの下っ端だろ?
責任を取るべきなのは上司じゃないのか?」
「上司?」
美雪が冷笑する。
「そんなの関係ないわよ。目の前で説明してるのはこの人でしょ?
上司に伝えるのもこの人の仕事じゃない!」
奈々がクスクスと笑い始める。
「ねえ、ママとパパ、二人とも言いたい放題だね。」
田中は完全に板挟みになり、額に汗を滲ませながら深々と頭を下げた。
「申し訳ございません。
本当に、お手数をおかけしてしまいまして……」
だが、夫婦の勢いは止まらない。
「それで、どう責任を取るつもりなんだ?」
大輔が問い詰める。
「そうよ、せめて何か説明を!」
美雪も追い打ちをかける。
田中はついに耐え切れなくなり、弱々しい声で
「申し訳ありません、すべて私の不手際です……」
と呟いた。
その瞬間、奈々が笑いを堪えきれなくなり、声を上げて笑い出した。
「もうやめてよ!
警察官がこんなに謝ってるのに、パパとママ、やりすぎじゃない?」
奈々の笑い声に、大輔と美雪もつられて笑い出した。
最初は苦々しい笑いだったが、次第に二人の顔には柔らかい表情が浮かんでいく。
「……まあ、確かに、俺たちがヒートアップしすぎたかもな。」
大輔が肩をすくめて言う。
「そうね。
田中さん、巻き込んでごめんなさい。」
美雪も頭を下げる。
田中はその言葉に目を丸くし、ホッとしたような笑顔を浮かべた。
「いえ、私の対応が至らなかったのが原因ですから。
本当に、申し訳ありませんでした。」
家族三人と警察官の間に、一瞬の平和が訪れた。
田中巡査が困り果てた顔でペコペコ頭を下げる姿を見て、奈々はまた吹き出しそうになったが、母親に軽く睨まれて慌てて口をつぐんだ。
大輔もふと冷静になり、椅子に深く座り直した。
「……いや、悪かったよ、田中さん。」
「ええ、私も。」
美雪が大輔に続いた。
「こんな遅い時間に私たちのくだらない言い合いを聞かされるなんて、迷惑だったわね。」
田中は何度も首を横に振った。
「いえいえ、そんな……
お嬢さんの安全を第一にと思っただけですから。
ただ、もう少し配慮が必要だったかもしれません。」
一瞬の沈黙の後、大輔が不意に笑いながら言った。
「おい、田中さん。
こんな家族の修羅場に突っ込むなんて、大変な仕事だな。」
美雪も肩の力を抜いたように苦笑する。
「本当よね。
普段からこんな家族を相手にしてるの?」
田中は少し照れ臭そうに笑いながら、
「まあ、似たようなことはたまにありますね。
でも、こんなに全員が全力でぶつかり合うケースは珍しいです……」
と答えた。
そんなやり取りを見ながら、奈々が口を開いた。
「でもさ、パパとママ、なんだかんだ言って息ぴったりじゃん。」
「は?」
二人が同時に奈々を見つめる。
奈々はにやりと笑った。
「さっき、二人で田中さん責めてたじゃん。
あれ、すっごい息合ってたよ。まるで昔みたい。」
「昔?」
美雪が眉をひそめる。
「ほら、昔さ、私が小さい頃に二人で私の担任の先生に文句言いに行ったことあったでしょ?」
「ああ、あったな。」
大輔が思い出したように言う。
「お前が給食で嫌いなピーマンを残しただけで、クラス全員の前で叱られたってやつな。」
「そうそう!
その時も二人で『うちの子にそんなことを!』ってめっちゃ怒ってたじゃん。」
奈々が笑いながら続ける。
美雪も苦笑した。
「そういえば、あの時は一緒に戦ったわね。……
まあ、あんたとだけは息を合わせたくないけど。」
「それ、こっちのセリフだよ。」
大輔が応じると、奈々がまた笑い出した。
田中巡査はその様子を黙って見守っていたが、心の中で安堵していた。
最初はどうなることかと思ったが、家族の間にはまだ確かに消えていない絆があるように感じた。
「片山さんご一家、今夜はお帰りになって、ゆっくりお休みください。」
田中が笑顔でそう言うと、大輔が立ち上がって手を差し出した。
「田中さん、本当に色々と世話になったな。」
「いえ、お力になれたのなら何よりです。」
田中も握手に応じる。
美雪も
「田中さん、ありがとうございました。」
と穏やかに礼を言った。
奈々が最後に田中に向かって、
「ごめんね、田中さん。大変だったでしょ?」
と笑いかけると、田中も照れ臭そうに頭を掻きながら、
「いえ、貴重な経験をさせていただきました」
と答えた。
家族三人は警察署を後にし、夜道を並んで歩いた。
しんと静まった道に、大輔がポツリと言う。
「奈々、次はないぞ。」
「わかってるよ。」
奈々が素直に答える。
美雪がクスリと笑って、
「じゃあ、久しぶりにラーメンでも食べて帰らない?」
と提案する。
「いいな、それ。」
大輔が頷く。
「どうだ、奈々?」
「……まあ、別にいいけど。」
奈々が小声で答えた。
家族三人の影が街灯の下に並び、寒い夜の中に温かい笑い声が響いた。
その夜、家族は少しだけ元の形を取り戻したようだった。
街灯に照らされた警察署の前で、片山大輔は深いため息をついた。
携帯電話の画面には、「娘、補導」との簡潔な警察からの通知が表示されている。
信じられないというより、呆れているような表情だった。
「まったく、何を考えてるんだ、奈々は……」
娘が中学三年生になって以来、大輔はその成長をほとんど見届けていなかった。
仕事に追われる日々、そして別居中の妻との軋轢で、家庭の温もりなどとうに忘れていた。
そんな彼が、今夜はこうして警察署に足を運んでいるのだから皮肉なものだ。
警察署に入ると、待合室にはすでに誰かが座っていた。
「……あら、遅かったわね。」
振り返ったのは、別居中の妻、美雪だった。
美雪はきれいに整った顔立ちに薄いメイクを施し、シンプルなカーディガンとデニムを身にまとっていた。
彼女の視線はどこか冷たく、大輔を値踏みするように見ている。
「お前も来てたのか。」
「来てたのか、じゃないわよ。奈々の母親なのよ、当然でしょ?」
言葉を交わした瞬間から、二人の間に緊張が走る。
冷え切った夫婦関係が、待合室の空気をさらに冷たくしていた。
しばらくして、若い警察官が書類を手に現れた。
名札には「田中巡査」と書かれている。
まだ30歳にも満たないような田中は、二人の微妙な空気に気づいているのか、どこかぎこちない笑みを浮かべていた。
「ええと、片山奈々さんのご両親でいらっしゃいますか?」
「ええ、そうです。」
美雪が即答する。
「話を伺いたいんですが、娘さん、先ほど繁華街で友人と深夜徘徊をしていまして……」
「深夜徘徊?
まだ九時前なのに?
それだけで警察に?」
大輔が眉をひそめる。
田中巡査は苦笑しながら説明を続けた。
「ええ、それだけならまだ良かったのですが、タバコを吸っていたという目撃情報がありまして。」
「タバコ?」
二人は同時に声を上げた。
「奈々がそんなことをするわけない!」
美雪が怒りを露わにする。
「いや、友達に流されてたんだろう。
しっかり見てないお前にも責任があるんじゃないか?」
大輔が突っかかる。
「何よそれ!
普段家にも帰らない人が、こんな時だけ父親面しないでよ!」
田中巡査は二人の応酬に巻き込まれないよう、静かに後ろに一歩下がった。
しばらくして、奈々が警察署の奥から現れた。
制服のスカートがわずかに汚れている彼女は、どこか反抗的な表情を浮かべている。
母親と父親の顔を見るなり、奈々は冷たく言い放った。
「……何で二人とも来てんの。」
「何でって、親だからに決まってるだろ!」
大輔が声を荒げる。
「別に一人で帰れたし。」
「そんな問題じゃないの!」
美雪が声を上げる。
「奈々、なんでタバコなんて吸ったんだ?
お前、そんなことする子じゃないだろ?」
「吸ってないよ!」
奈々が怒りに満ちた声で言い返す。
「ただ、友達が持ってただけ。それだけで捕まるなんておかしいでしょ?」
その言葉に大輔も美雪も一瞬言葉を失った。
しかし、大輔はすぐに反論を始めた。
「友達がどうとかじゃない!
親に心配かけるなって言ってるんだ!」
「親に心配されたことなんてないわ!」
奈々の声がさらに大きくなる。
田中巡査は再び困惑の色を浮かべながら、なんとか場を収めようとした。
「ええと、とりあえず今日はご自宅に戻っていただいて、後日改めて事情を伺いますので……」
だが、家族の言い争いは止まらなかった。
待合室には重苦しい空気が漂っていた。
片山大輔と美雪、そして補導された奈々の間で繰り広げられる言い争いに、田中巡査はついに耐えきれなくなったのか、軽く咳払いをした。
「……あの、申し訳ありませんが、少し落ち着いていただけますか?」
田中の声は控えめだったが、家族全員がその言葉に一瞬黙った。
沈黙の中で、彼は穏やかに続けた。
「まずは、お嬢さんが無事であったことを喜ぶべきではないでしょうか。
それに……
ご両親がこうして揃って迎えに来られるのは、逆にお嬢さんにとって心強いことでは?」
一見すると理性的な発言だったが、タイミングが悪かった。
夫婦の怒りは、田中に向けられる形で新たな火種となった。
「おい、ちょっと待てよ。
なんだ、その物分かりの良さそうな言い方は。」
大輔が険しい表情で田中を睨む。
「そっちは娘をこんな時間に補導しておいて、今さら家族愛を語るってのか?
こっちは仕事帰りでクタクタなんだぞ!」
田中は戸惑いながらも、困ったような笑顔を浮かべる。
「いや、決してそのようなつもりでは……」
「だいたいさ!」
大輔の声が大きくなる。
「補導された理由が曖昧じゃないか?
友達がタバコを持ってただけだって、何でそんなことで警察が出張るんだ?」
田中は慌てて説明を試みる。
「ええと、それについてはですね、繁華街での未成年のタバコ所持が問題視されておりまして、見回り中に声をかけたところ……」
「声をかけたって言うけど、それ、ただの職務質問だろ?」
「まあ、確かにそうなのですが……」
ここで美雪が追い打ちをかけた。
「ねえ、それに私たち、娘が補導されたって聞いて慌てて来たけど、結局何が本当の理由なの?
さっきからはっきりしないわよね。」
「そ、そうですね。
タバコの件については、現場での確認がまだ完全ではなく……」
田中が言い淀むと、美雪が鋭く指摘する。
「まだ完全ではない?
つまり、娘が本当にタバコを吸ったかどうかも確定してないのに、こんな時間に呼び出したってこと?」
「……ええ、そうなります。」
田中は小さく頷く。
「ふざけないで!」
美雪が声を荒げる。
「こっちは平日の夜に予定を全部潰して、こんなところまで来たのよ?
もう少し慎重にやるべきだったんじゃない?」
「いや、その……未成年者の安全を第一に考えての対応でして……」
田中は苦しい表情で言い訳を続けるが、二人の怒りは収まらない。
すると、横で黙っていた奈々がポツリと呟いた。
「……そうだよね。
警察が過剰反応してるんじゃない?」
その一言がさらに火に油を注いだ。
「ほら見なさい。」
美雪が田中に詰め寄る。
「当の本人までそう言ってるわ。
あなたたちがしっかりしていれば、こんな無駄な時間を使わなくて済んだのに!」
「ちょっと待てよ。」
大輔も口を挟む。
「俺はお前の言い分には賛成だが、そもそもこの警察官、ただの下っ端だろ?
責任を取るべきなのは上司じゃないのか?」
「上司?」
美雪が冷笑する。
「そんなの関係ないわよ。目の前で説明してるのはこの人でしょ?
上司に伝えるのもこの人の仕事じゃない!」
奈々がクスクスと笑い始める。
「ねえ、ママとパパ、二人とも言いたい放題だね。」
田中は完全に板挟みになり、額に汗を滲ませながら深々と頭を下げた。
「申し訳ございません。
本当に、お手数をおかけしてしまいまして……」
だが、夫婦の勢いは止まらない。
「それで、どう責任を取るつもりなんだ?」
大輔が問い詰める。
「そうよ、せめて何か説明を!」
美雪も追い打ちをかける。
田中はついに耐え切れなくなり、弱々しい声で
「申し訳ありません、すべて私の不手際です……」
と呟いた。
その瞬間、奈々が笑いを堪えきれなくなり、声を上げて笑い出した。
「もうやめてよ!
警察官がこんなに謝ってるのに、パパとママ、やりすぎじゃない?」
奈々の笑い声に、大輔と美雪もつられて笑い出した。
最初は苦々しい笑いだったが、次第に二人の顔には柔らかい表情が浮かんでいく。
「……まあ、確かに、俺たちがヒートアップしすぎたかもな。」
大輔が肩をすくめて言う。
「そうね。
田中さん、巻き込んでごめんなさい。」
美雪も頭を下げる。
田中はその言葉に目を丸くし、ホッとしたような笑顔を浮かべた。
「いえ、私の対応が至らなかったのが原因ですから。
本当に、申し訳ありませんでした。」
家族三人と警察官の間に、一瞬の平和が訪れた。
田中巡査が困り果てた顔でペコペコ頭を下げる姿を見て、奈々はまた吹き出しそうになったが、母親に軽く睨まれて慌てて口をつぐんだ。
大輔もふと冷静になり、椅子に深く座り直した。
「……いや、悪かったよ、田中さん。」
「ええ、私も。」
美雪が大輔に続いた。
「こんな遅い時間に私たちのくだらない言い合いを聞かされるなんて、迷惑だったわね。」
田中は何度も首を横に振った。
「いえいえ、そんな……
お嬢さんの安全を第一にと思っただけですから。
ただ、もう少し配慮が必要だったかもしれません。」
一瞬の沈黙の後、大輔が不意に笑いながら言った。
「おい、田中さん。
こんな家族の修羅場に突っ込むなんて、大変な仕事だな。」
美雪も肩の力を抜いたように苦笑する。
「本当よね。
普段からこんな家族を相手にしてるの?」
田中は少し照れ臭そうに笑いながら、
「まあ、似たようなことはたまにありますね。
でも、こんなに全員が全力でぶつかり合うケースは珍しいです……」
と答えた。
そんなやり取りを見ながら、奈々が口を開いた。
「でもさ、パパとママ、なんだかんだ言って息ぴったりじゃん。」
「は?」
二人が同時に奈々を見つめる。
奈々はにやりと笑った。
「さっき、二人で田中さん責めてたじゃん。
あれ、すっごい息合ってたよ。まるで昔みたい。」
「昔?」
美雪が眉をひそめる。
「ほら、昔さ、私が小さい頃に二人で私の担任の先生に文句言いに行ったことあったでしょ?」
「ああ、あったな。」
大輔が思い出したように言う。
「お前が給食で嫌いなピーマンを残しただけで、クラス全員の前で叱られたってやつな。」
「そうそう!
その時も二人で『うちの子にそんなことを!』ってめっちゃ怒ってたじゃん。」
奈々が笑いながら続ける。
美雪も苦笑した。
「そういえば、あの時は一緒に戦ったわね。……
まあ、あんたとだけは息を合わせたくないけど。」
「それ、こっちのセリフだよ。」
大輔が応じると、奈々がまた笑い出した。
田中巡査はその様子を黙って見守っていたが、心の中で安堵していた。
最初はどうなることかと思ったが、家族の間にはまだ確かに消えていない絆があるように感じた。
「片山さんご一家、今夜はお帰りになって、ゆっくりお休みください。」
田中が笑顔でそう言うと、大輔が立ち上がって手を差し出した。
「田中さん、本当に色々と世話になったな。」
「いえ、お力になれたのなら何よりです。」
田中も握手に応じる。
美雪も
「田中さん、ありがとうございました。」
と穏やかに礼を言った。
奈々が最後に田中に向かって、
「ごめんね、田中さん。大変だったでしょ?」
と笑いかけると、田中も照れ臭そうに頭を掻きながら、
「いえ、貴重な経験をさせていただきました」
と答えた。
家族三人は警察署を後にし、夜道を並んで歩いた。
しんと静まった道に、大輔がポツリと言う。
「奈々、次はないぞ。」
「わかってるよ。」
奈々が素直に答える。
美雪がクスリと笑って、
「じゃあ、久しぶりにラーメンでも食べて帰らない?」
と提案する。
「いいな、それ。」
大輔が頷く。
「どうだ、奈々?」
「……まあ、別にいいけど。」
奈々が小声で答えた。
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