ゆめうつつ

戸笠耕一

文字の大きさ
上 下
28 / 28
第三章 覚醒

4

しおりを挟む
 出発

 私は両手の親指と人差し指で四角い窓を作り、その先の水平線上に奈々を捉えていた。奈々を離したくないと思ったのが恋の芽生えだった。
 夏はいつだって私に休息を与えなかった。時間さえあれば私は家の中でセックス。外に出かけた後もセックスで頭がいっぱいだ。激しく発動したいときは夏と決まっていた。
 私は汗だくになりながら、現実世界で実現したかった行為に耽っている。
 現実世界での私は遅漏でいつまでたっても満足にオーガニズムに到達できない男である。夢の中ぐらいでは女を満足に導ける男ということになっている。
 ここは私の夢世界。いくらでも融通は聞く世界に私はいる。
 エロスだけが好きにできるわけではない。何でも自在に好きな人物を呼び出せる。自由である、即ち自らの責任が際限なく広がり、どんな犠牲を払っても償えない。
 制約があって精神衛生上、気持ちが安定しているときだけだ。
 不安定になると、たちまちのうちに世界は揺らぎ、夢を見ないときもある。酷いときはマグロ漁船に乗せられて、海に落ちた夢を見たときもある。
 なぜそうなったか経緯は不明だが、夢とはそういうものだ。
 今日は落ち着いている。夢は記憶の整理のためにあるようだから、不安定なときほど整理が激しくなる。
 私はグルッと世界を見渡し、自らに問う。
 ここはどこだ?
 外観からして家ではないな。
 夢の世界は断片的でもあり、忘れたうちに場所や時間軸も変わっている。
 だいぶ考えて池袋のラブホテルの一室だと思い出す。外観は単なるマンションに見えるが、男女の密会の場である。
 スケベなオヤジが若い女を連れまわしている姿を見て、金がなければモテないだろうと推理する。私と奈々は違う。オヤジどもよ、私の純愛を教えてやろうか。
 池袋駅東口より徒歩五分ほどにある大人の憩いの場で私は情事に耽っている。いつも使っていたホテルじゃないか。
 自分の行為を止めて振り返ると、丸い瞳を広げてきょとんとした表情をしていた。
「僕の家族に会ってくれないか?」
 ずいぶんと大胆だな。
「急だね」
「無理ならいいが」
「そうじゃないけど。急だから。どうして?」
「私の両親にしばらく会っていないだろ? 僕たちは落ち着いたら結婚する感じだし。成長した姿を見たら喜ぶと思う」
 奈々は私の父が設立した養護施設で育ったので、私の両親とも面識がある。奈々は姉とともにお気に入りだった。
「でも名前の件があるじゃない?」
「気にするなよ。それも説明しておけばいいじゃないか」
 希坂奈々。
 この名前を見たとき多くの人は「きさかなな」と呼ぶだろう。早羽田大学で友達たちがそろって話していた時もそうだ。周りの友達は奈々を「なな」と間違って呼んでいた。
「なな、じゃなくて? 意外だね。キラキラネームでしょ?」
「いわゆるこれがね」
 さりげない友達たちの名前のいじりに奈々は少し嫌そうにしている。一方でもう慣れている様子だった。
 名前で言えば私も変名願望があった。親戚に引き取られる前の苗字は樫谷だった。「かしたに」と間違えられる。何より「かしだにまさむ」を並び替えたら「まさにむだしに」となる。
 誰もこの不吉なアナグラムに気づいていないのが幸いで、苗字が変わってよかった。
「名前を変えようかと思っている」
最近の子どもの名前は特殊な呼び方が増えている。いわゆるキラキラネームというやつだ。ネットニュースで読んだ。名前が読みづらく就職時にトラブルになるなど問題になっていて、改名をする人は年々増えているようだ。
 私は『奈々』が改名できるのか懐疑的ではあった。漢字自体は平易だったし、キラキラネームとは呼び難い。
 名前なら自分も変えたい。あの忌々しい記憶と共に別人になりたい衝動もあった。
「家裁の決定はいつだっけ?」
「八月七日にようやく面談で問題なければクリアかな。やっとだよ」
「名前教えてくれよ」
「ちょっと待ってね」
 あと一ヶ月。私は到底待ちきれない。それまでに私は奈々を両親に合わせたかった。
「我が愛しの『奈々』ともお別れか。やはり親たちのところに行こう」
「名前も大丈夫だろうって弁護士は言っていたけど? てか、ホテルでする話? それに愛しの『奈々』って、キモイよ」
 くだらない方向に話が飛ぶと、ペニスが萎びる。
「集中」
 セックスにおいて私は致命的な欠点を持っている。集中力が続かない。途中であれこれ考えてしまう。だからオーガニズムの極致に達せず、付き合った恋人たちを幻滅させてきた。 
 奈々だけは違う。考え込む私を面白がり、適度な相槌を打ち、その日に快楽を感じなくても嫌な気持ちを示さない。
 臆病な私に相応しい女性だ。
 背中に流れる汗を拭いながら私は集中する。父は女に対してしたセックスはどんなものだったのかと考えながらも私はオーガニズムに到達できた。
 いけない。だいぶ変なところを話している。
 記憶を整理しよう。
 八月七日。
 私は奈々を連れて白馬村に向かう。この日がすべての始まり。だから終わりに相応しい日を設定したわけだ。
 当時の私は、とうとう私はコンビニのアルバイトをクビになっていた。
 寝坊、欠勤が続いたせいだ。私ははっきりいえば勤怠不良者である。半年も今の職場で働き続けられたのは奇跡だ。一瞬で首になった理由は店長が変わったことが原因だろう。
 前の店長は少々の遅刻を許してくれた。とはいえ遅れるほうが悪い。
 かくして私は暇になり、両親の遺産を食いつぶしていく日々が続いているが、その資産は父が残した負債も混みではあるが、数億にも上る。毎月のように来る督促状にはうんざりしている。
「だめだよ。自分にお金があると言いふらしちゃ。絶対に」
「わかっているよ」
「散財もしちゃだめだから」
 奈々は中々お金には厳しい。学生時代から家計簿はニイナが付けていた。私のもっている 持病を考慮すれば信頼できる者にお金を預けるべきだ
 アパートの近くの月極駐車場に留めていたセダンを発進させ、アパートの前までに停車させている。奈々と一緒に乗って出発するはずだった。忘れ物があり部屋に取りに戻っていた。残された私は一人先に車を出していた。
 LINEでメッセージを送るが、既読が付かない。
 何をやっている?
 私はイライラが募り、車を降りる。部屋の扉をドンドンと叩いた。三鷹から白馬村までは四時間。午後三時までには着く予定なのだ。
「そろそろ出るぞー」
 待ってとニイナの声がかすかに聞こえる。まるで木霊(こだま)のよう。反響して脳裏で繰り返す。待ってというわずか三文字の言葉が私の脳裏で繰り返される。
 十分ほどして部屋から出てきた。何を探していたんだ。一見すると違いが分からなかったが、首から垂らしたペンダントに私は気が付いた。
 あまり装飾品を付けたがらないのに珍しかった。
「どうしたんだ、それ?」
「これでお揃いになるじゃない。どこかに閉まったみたいで失くしたかと思った」
 パカリと中身を開ける。中身は私の写真だった。
「無くしてないならいい。大事なものが入れてあるから付けてとけって言っただろ?」
 私はだめな人間だが、一応は社会人ではある。奈々も来年には卒業して立派な社会人になる。もはやそんなものをつける年じゃないからお互い外したのだ。
「忘れちゃったー」
 私をからかっているのか、少し得意げになっている。私をからかう澄ました表情も好きだ。大人びたような振る舞いを取ると思いきや、子どもみたいな態度を取る。
「行くぞ」
 私はその白い手を引っ張り、セダンに乗せる。
「そんなに急ぐこと?」
「父さんたちを待たせたくないだけだ。君も社会人になるなら時間ぐらいしっかり守るようにしろよ」
「君って。嫌だな、その言い方。上からだし」
「じゃあ奈々でいいのか」
「どちらでも。偉そうなしゃべり方はやめてよね」
 喧嘩しても仕方がない。
「わかったよ。そうカッカしないでくれ」
「してない」
 私のセダンは高井戸ICから中央自動車道に入った。
 車で三時間も飛ばせば、景色は一変した。それぐらい日本は狭い証拠だ。
 都会の無機質な建築物は少なくなり、昔ながらの田園風景が広がる。やがてそれすらもなくなり、幾重にもわたるトンネルを抜けば天に向かって切り立つ山々が迎える。
「涼しい。アイス食べない?」
 紫色のブルーベリーアイスを手に持っていた。
「もうじきだな」
「懐かしいな。でも山は怖いよね。私、海のほうが好き」
 切り立った山々を見て脅えている。ニイナは子どもの頃に山で遭難しかけたことがある。
「あれは父も悪いし、私も悪いし……」
 私が十二歳だから十年前。火事になる前の話。父は山登りに私や五月たちを連れて登った記憶がある。養護施設の子どもたちを連れて行ったのだ。
「でも正夢がいたから助かったよ」
 道に迷ってしまったわけだ。二人一組で迷子にならないようしていたのに、いなくなってしまった。てっきり私のすぐ後ろを歩いていたと思っていたが、違った。
「あのときは、どこに行っていたんだ?」
「お父さんが次の集合場所を言っていたとき、トイレに行っていたの。話を聞けてなくて
お姉ちゃんから集合場所を聞いたけど、誰もいなくて」
「あいつか……」
 姉という言葉を聞いて嫌な感じがした。思い出してきた。奈々は姉と一緒にいた。記憶が正しければ、集合場所を言い間違えていたと言っていた。
 奈々の姉は外面を見れば似つかわしいが、内面を見れば別だ。性格はひどく、嘘も付いていた。私と父は急ぎ奈々がいる場所へ向かい発見した。
「とりあえず、無事で何よりだった。お互いの命については、貸し借りは今のところなしだ」
「無いほうがいいよ」
「じゃ行こうか」
 降り立ったサービスエリアは清凉な風が吹きつけている。私たちはまたセダンに乗り込んだ。
 白馬村の山紫水明な人間を寄せ付けない超然とした世界観が広がるが、大自然を前にして、私は焦燥感を覚える。
 私がやるべきことを奈々は知らない。でも問題はない。
 ケリを付けてやる。私はセダンを運転中に心で叫んだ。

(決着に続く)
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

ビジョンゲーム

戸笠耕一
ミステリー
高校2年生の香西沙良は両親を死に追いやった真犯人JBの正体を掴むため、立てこもり事件を引き起こす。沙良は半年前に父義行と母雪絵をデパートからの帰り道で突っ込んできたトラックに巻き込まれて失っていた。沙良も背中に大きな火傷を負い復讐を決意した。見えない敵JBの正体を掴むため大切な友人を巻き込みながら、犠牲や後悔を背負いながら少女は備わっていた先を見通す力「ビジョン」を武器にJBに迫る。記憶と現実が織り交ざる頭脳ミステリーの行方は! SSシリーズ第一弾!

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

掌に力が入るまでは

まーな
ミステリー
子どもや大人、中には特殊な才能を持ちながらも生きている人達がいる。 混沌とした世の中に、悪の組織、不自然な社会、感受性の強い子ども。 今ここに感じる違和感は何なのか。 一人ひとりの生き方が、ある時点で結び付き、そこから始まるストーリー。 今の時代に生きにくさ、空気の重さ、違和感を感じている方に届けます。

消えた弟

ぷりん
ミステリー
田舎で育った年の離れた兄弟2人。父親と母親と4人で仲良く暮らしていたが、ある日弟が行方不明に。しかし父親は何故か警察を嫌い頼ろうとしない。 大事な弟を探そうと、1人で孤軍奮闘していた兄はある不可思議な点に気付き始める。 果たして消えた弟はどこへ行ったのか。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

【毎日更新】教室崩壊カメレオン【他サイトにてカテゴリー2位獲得作品】

めんつゆ
ミステリー
ーー「それ」がわかった時、物語はひっくり返る……。 真実に近づく為の伏線が張り巡らされています。 あなたは何章で気づけますか?ーー 舞台はとある田舎町の中学校。 平和だったはずのクラスは 裏サイトの「なりすまし」によって支配されていた。 容疑者はたった7人のクラスメイト。 いじめを生み出す黒幕は誰なのか? その目的は……? 「2人で犯人を見つけましょう」 そんな提案を持ちかけて来たのは よりによって1番怪しい転校生。 黒幕を追う中で明らかになる、クラスメイトの過去と罪。 それぞれのトラウマは交差し、思いもよらぬ「真相」に繋がっていく……。 中学生たちの繊細で歪な人間関係を描く青春ミステリー。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

【完結】共生

ひなこ
ミステリー
高校生の少女・三崎有紗(みさき・ありさ)はアナウンサーである母・優子(ゆうこ)が若い頃に歌手だったことを封印し、また歌うことも嫌うのを不審に思っていた。 ある日有紗の歌声のせいで、優子に異変が起こる。 隠された母の過去が、二十年の時を経て明らかになる?

処理中です...