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記憶なき女Ⅳ 傀儡
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沙良は尾坂家を出て夜道を突き進む。一度行った場所は忘れない。家周辺の地形も覚えている。膨大なデータは沙良の記憶の宮殿に入っている。
「もしもし私だけど。車を一台、手配できる? 場所は多摩市のさきゆき公園。すぐに来なさい」
沙良は近場の公衆電話から指定の電話番号にかける。先行き公園は誰もいない。待っている間に理佐はブランコに腰かけ一人揺れていた。
理佐は座って遊んでいた。
理佐の思い出を想像する。思い出してみる。二人の仇は取る形になったがこれでよい。自分が理佐ならやっていたことだ。
三十分もしないうちに車の走行音がした。
公園の石段を下ると、沙良は道路沿いに止まった車のフロントガラスを叩く。窓ガラスはスモークがかかって中が見られない。
「ボス、お待たせしました」
沙良は無言で車に乗りこむ。中にはガタイのいい男が運転席と助手席に座っている。二人はスキンヘッドで顔はそっくりだった。腕には墨が入れてあった。
「ちゃんと予定通り来てくれたのね」
「てっきり死んだという情報が上から来ました。嘘だったんですね。次のボスを近々決めるとか」
「嘘よ。この車も盗聴されていないか大丈夫? 情報は誰から?」
「遠見です」
やはり。沙良がにらんでいた通りだ。遠見はコードネーム。与えられた番号は十三。番号とは都道府県コードである。十三は東京都を示し、当て字は「とおみ」。漢字にすると遠見になる。
沙良は遠見のコードネームを持つ人物は誰か知っている。
「事前にチェック済です。これからどうします?」
「決まっているでしょ? 予定通り組織に潜んでいる裏切り者を始末する。話はそれからよ」
「誰にやらせます? 遠見の周りは厳重警戒で近づけないですよ」
「考えがある。とにかく車を出して」
車は人気のない通りを静かに走り去っていく。
「今日は何日だっけ?」
「十三日の金曜日です」
「ちょうどいい日じゃない」
呪われた金曜日。沙良は迷信が好きだった。悪い日には必ず何かが起こる。
尾坂詩織が見張りの鈴として貸したスマホが鳴った。画面を見ると「来れそう?」とだけ書いてある。
「渋谷に向かってくれない? やることができたから」
「何かありました?」
「合コンよ」
前の運転手は驚いて視線を沙良に向ける。
「合コン?」
「誘われているのよ。すっかり忘れていたわ。病院からお世話になった人から誘われちゃって。合わせものだけど仕方ないよね」
「渋谷のどちらで?」
「ハチ公前ね」
「ダッシュボードに入っている薬を出して」
「これですか?」
助手席に乗っていたスキンヘッドの男がポンと小型のタッパーに入ったカプセルに入った薬を渡す。
「不眠症、治ったんじゃないんですか?」
「私に使う薬じゃないわ」
フンと前の男たちは笑う。
渋谷には四十分ほどで着いた。人混みが激しい中、道玄坂付近で沙良は車を降りる。大勢の人が、ちらりと素顔を見ていた。
「じゃ、素敵な一日をお楽しみに」
「終わったら連絡するわ。じゃあねー」
雑踏の中で沙良は置いてかれた。大勢の中の孤独である。ここにいる人々は自由に人生を謳歌できているようで、社会の檻に閉じ込められている。
「あ、待ったー?」
雑踏の中から快活な高めの声が聞こえてきた。でも三十秒前から千里が近くにいることはわかっていた。
「こんばんは。なんだ、かわいい」
沙良はおしゃれなデザインの服に包まれた千里をほめた。
「元気そうでよかった」
千里は知りもしないだろう。二時間足らず前に沙良が二人の人間を殺していることを。
二人は道玄坂を登り、通り沿いのビルに入った。八階のフリースペースに四人の男女がそろっていた。
「お待たせー」
「遅いよ」
男は立派なスーツを着て猛々しく飾っていた。女もまた華美な服装で人を誘った。
「その子は?」
「大学時代の友達」
「尾坂理佐です」
沙良はペコリと頭を下げて自己紹介をした。もちろんかつての友達の名前を使用した。
返したはずなのに本当の理佐には申し訳がなかった。
頭を上げるときに全員の表情を確認した。一人だけ、妙な顔つきで沙良を見つめる者がいた。
四人もそれぞれ自己紹介をした。
緒方敏夫、吉崎奈美恵、更科洋二、竹内紀子。さっき違う表情を浮かべていたのは緒方敏夫だ。
何が気になったのだろう?
まあいい。自分がこれから行う計画で一役買ってもらうとしよう。
敏夫は目元が細く面長で塩顔だった。取つきやすいタイプで、首にヒートネックを付けていた。手先は女性のようにしなやかだ。隣にいる更科洋二は丸顔で体格がいい。何より異性によく絡んでいた。
ガヤガヤと話が盛り上がる中で沙良は敏夫に近づいていった。
「よろしく」
「あ、ああ」
敏夫は固い笑顔を浮かべながら返事をした。
「何かあったの?」
「いや、何でもない」
敏夫は視線を沙良から逸らして手に持っていたシャンパンをグイッと飲み込んだ。
宴もたけなわである。男女ともにそれぞれのお目当ての相手を見つけて解散になる。集められた男女は闇夜に埋もれて、消えていく。
ただ一人、番いになれない男がいた。
緒方の瞳に焼き付いているのは
「あのさ、ちょっといい?」
緒方は口ごもりながら語り掛けてきた。
「気になっていたけど」
沙良は振り返り、緒方の唇に人差し指を当てる。
「ここじゃだめ」
挙動不審になる緒方を沙良は手懐ける。男なんて手に取るようにわかる。ただ一人の例外を除いて。
テラスから戻りトイレに行くと、千里が後から入ってきた。
「ちょっとさ、見ちゃったよー。テラスですごく仲良い雰囲気だね」
千里はすっかり酔っぱらっていて、足取りがかなり怪しい。バランスが崩れ、沙良にもたれかかった。
「何が? あれぐらい普通だから」
「はーん、やるう。やっぱ大胆って言ったうちの目に狂いはない!」
千里は勢い余って沙良の背中をバシバシ叩いた。
「ほら、相手のフィアンセが待っているわよ」
エレベータに乗り一階まで下る。狭い空間でざわつく中で、沙良は自身を見つめる緒方の視線を遊んだ。
冷たい風が吹きつけたが、熱気のこもった室内にいたからちょうどいい加減だ。あとはそれぞれがどう口説くかにかかっている。
「乗れよ」
千里はベロベロになりながらようやくタクシーに乗った。
「じゃあ、お楽しみに」
沙良は洋二にひそひそと耳打ちをし、ひっそりと内ポケットにあるものを忍ばせた。これは余興だ。
六人の男女はばらばらに別れていった。道玄坂をゆっくりと下っていく。
「ねえ、まだ付き合える?」
敏夫はじっと沙良を見つめていた。
「もちろんよ。どこへ連れってくれるの?」
「終電まであと五分だけども、いいかな?」
「そうだね」
「よかったら、付いてきてくれる?」
わかった、とだけ沙良は答えてあげた。
道玄坂近辺で終電を逃したカップルが行く場所といえば一つしかなかった。
派手なネオンが煌々と輝き、人口の滝がサーッと流れていた。沙良は敏夫とホテルの中に入った。
個室は虹色に光り輝き、来るものを恍惚とさせた。緒方は慎重を来して沙良に欲望を見せなかった。
「ようやく二人きりになれたね。熱い」
パタパタと扇ぐ沙良はそっとシャツの首元を掴む。
「聞きたいことはないの?」
緒方は困った表情で視線を逸らした。
「見たことある顔だったから、気になったんだ。尾坂理佐って、本当の名前?」
「どうしてそう思うの?」
沙良はあえて認めない。女にとって謎は最大の武器である。切り札は最後まで取っておくものだ。
「ちょっと見てくれよ。ほら、この雑誌の表紙って君だろ? あの有名企業の社長の……」
言いかけていたとき、唇は塞がった。甘美な香りに緒方は言葉を失った。
スマホが緒方の手から滑り落ちた。
「だったらどうなの?」
沙良は魅惑的に敏夫を誘惑した。敏夫は完全に自分が手駒になっている。
「もしもし私だけど。車を一台、手配できる? 場所は多摩市のさきゆき公園。すぐに来なさい」
沙良は近場の公衆電話から指定の電話番号にかける。先行き公園は誰もいない。待っている間に理佐はブランコに腰かけ一人揺れていた。
理佐は座って遊んでいた。
理佐の思い出を想像する。思い出してみる。二人の仇は取る形になったがこれでよい。自分が理佐ならやっていたことだ。
三十分もしないうちに車の走行音がした。
公園の石段を下ると、沙良は道路沿いに止まった車のフロントガラスを叩く。窓ガラスはスモークがかかって中が見られない。
「ボス、お待たせしました」
沙良は無言で車に乗りこむ。中にはガタイのいい男が運転席と助手席に座っている。二人はスキンヘッドで顔はそっくりだった。腕には墨が入れてあった。
「ちゃんと予定通り来てくれたのね」
「てっきり死んだという情報が上から来ました。嘘だったんですね。次のボスを近々決めるとか」
「嘘よ。この車も盗聴されていないか大丈夫? 情報は誰から?」
「遠見です」
やはり。沙良がにらんでいた通りだ。遠見はコードネーム。与えられた番号は十三。番号とは都道府県コードである。十三は東京都を示し、当て字は「とおみ」。漢字にすると遠見になる。
沙良は遠見のコードネームを持つ人物は誰か知っている。
「事前にチェック済です。これからどうします?」
「決まっているでしょ? 予定通り組織に潜んでいる裏切り者を始末する。話はそれからよ」
「誰にやらせます? 遠見の周りは厳重警戒で近づけないですよ」
「考えがある。とにかく車を出して」
車は人気のない通りを静かに走り去っていく。
「今日は何日だっけ?」
「十三日の金曜日です」
「ちょうどいい日じゃない」
呪われた金曜日。沙良は迷信が好きだった。悪い日には必ず何かが起こる。
尾坂詩織が見張りの鈴として貸したスマホが鳴った。画面を見ると「来れそう?」とだけ書いてある。
「渋谷に向かってくれない? やることができたから」
「何かありました?」
「合コンよ」
前の運転手は驚いて視線を沙良に向ける。
「合コン?」
「誘われているのよ。すっかり忘れていたわ。病院からお世話になった人から誘われちゃって。合わせものだけど仕方ないよね」
「渋谷のどちらで?」
「ハチ公前ね」
「ダッシュボードに入っている薬を出して」
「これですか?」
助手席に乗っていたスキンヘッドの男がポンと小型のタッパーに入ったカプセルに入った薬を渡す。
「不眠症、治ったんじゃないんですか?」
「私に使う薬じゃないわ」
フンと前の男たちは笑う。
渋谷には四十分ほどで着いた。人混みが激しい中、道玄坂付近で沙良は車を降りる。大勢の人が、ちらりと素顔を見ていた。
「じゃ、素敵な一日をお楽しみに」
「終わったら連絡するわ。じゃあねー」
雑踏の中で沙良は置いてかれた。大勢の中の孤独である。ここにいる人々は自由に人生を謳歌できているようで、社会の檻に閉じ込められている。
「あ、待ったー?」
雑踏の中から快活な高めの声が聞こえてきた。でも三十秒前から千里が近くにいることはわかっていた。
「こんばんは。なんだ、かわいい」
沙良はおしゃれなデザインの服に包まれた千里をほめた。
「元気そうでよかった」
千里は知りもしないだろう。二時間足らず前に沙良が二人の人間を殺していることを。
二人は道玄坂を登り、通り沿いのビルに入った。八階のフリースペースに四人の男女がそろっていた。
「お待たせー」
「遅いよ」
男は立派なスーツを着て猛々しく飾っていた。女もまた華美な服装で人を誘った。
「その子は?」
「大学時代の友達」
「尾坂理佐です」
沙良はペコリと頭を下げて自己紹介をした。もちろんかつての友達の名前を使用した。
返したはずなのに本当の理佐には申し訳がなかった。
頭を上げるときに全員の表情を確認した。一人だけ、妙な顔つきで沙良を見つめる者がいた。
四人もそれぞれ自己紹介をした。
緒方敏夫、吉崎奈美恵、更科洋二、竹内紀子。さっき違う表情を浮かべていたのは緒方敏夫だ。
何が気になったのだろう?
まあいい。自分がこれから行う計画で一役買ってもらうとしよう。
敏夫は目元が細く面長で塩顔だった。取つきやすいタイプで、首にヒートネックを付けていた。手先は女性のようにしなやかだ。隣にいる更科洋二は丸顔で体格がいい。何より異性によく絡んでいた。
ガヤガヤと話が盛り上がる中で沙良は敏夫に近づいていった。
「よろしく」
「あ、ああ」
敏夫は固い笑顔を浮かべながら返事をした。
「何かあったの?」
「いや、何でもない」
敏夫は視線を沙良から逸らして手に持っていたシャンパンをグイッと飲み込んだ。
宴もたけなわである。男女ともにそれぞれのお目当ての相手を見つけて解散になる。集められた男女は闇夜に埋もれて、消えていく。
ただ一人、番いになれない男がいた。
緒方の瞳に焼き付いているのは
「あのさ、ちょっといい?」
緒方は口ごもりながら語り掛けてきた。
「気になっていたけど」
沙良は振り返り、緒方の唇に人差し指を当てる。
「ここじゃだめ」
挙動不審になる緒方を沙良は手懐ける。男なんて手に取るようにわかる。ただ一人の例外を除いて。
テラスから戻りトイレに行くと、千里が後から入ってきた。
「ちょっとさ、見ちゃったよー。テラスですごく仲良い雰囲気だね」
千里はすっかり酔っぱらっていて、足取りがかなり怪しい。バランスが崩れ、沙良にもたれかかった。
「何が? あれぐらい普通だから」
「はーん、やるう。やっぱ大胆って言ったうちの目に狂いはない!」
千里は勢い余って沙良の背中をバシバシ叩いた。
「ほら、相手のフィアンセが待っているわよ」
エレベータに乗り一階まで下る。狭い空間でざわつく中で、沙良は自身を見つめる緒方の視線を遊んだ。
冷たい風が吹きつけたが、熱気のこもった室内にいたからちょうどいい加減だ。あとはそれぞれがどう口説くかにかかっている。
「乗れよ」
千里はベロベロになりながらようやくタクシーに乗った。
「じゃあ、お楽しみに」
沙良は洋二にひそひそと耳打ちをし、ひっそりと内ポケットにあるものを忍ばせた。これは余興だ。
六人の男女はばらばらに別れていった。道玄坂をゆっくりと下っていく。
「ねえ、まだ付き合える?」
敏夫はじっと沙良を見つめていた。
「もちろんよ。どこへ連れってくれるの?」
「終電まであと五分だけども、いいかな?」
「そうだね」
「よかったら、付いてきてくれる?」
わかった、とだけ沙良は答えてあげた。
道玄坂近辺で終電を逃したカップルが行く場所といえば一つしかなかった。
派手なネオンが煌々と輝き、人口の滝がサーッと流れていた。沙良は敏夫とホテルの中に入った。
個室は虹色に光り輝き、来るものを恍惚とさせた。緒方は慎重を来して沙良に欲望を見せなかった。
「ようやく二人きりになれたね。熱い」
パタパタと扇ぐ沙良はそっとシャツの首元を掴む。
「聞きたいことはないの?」
緒方は困った表情で視線を逸らした。
「見たことある顔だったから、気になったんだ。尾坂理佐って、本当の名前?」
「どうしてそう思うの?」
沙良はあえて認めない。女にとって謎は最大の武器である。切り札は最後まで取っておくものだ。
「ちょっと見てくれよ。ほら、この雑誌の表紙って君だろ? あの有名企業の社長の……」
言いかけていたとき、唇は塞がった。甘美な香りに緒方は言葉を失った。
スマホが緒方の手から滑り落ちた。
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