記憶にない思い出

戸笠耕一

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年老いた狼Ⅳ 真実の追及

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 香西ホールディングスは全国に展開している香西と名の付く会社の持ち株会社である。経営者は香西沙良。歳は28。その手腕は日本経済の将来を嘱望されたとされていた。

 メディアへの出演は調べるとピタリと止まっている。マネーロンダリング等企業犯罪に詳しい元同僚に聞くと、香西ホールディングスは沙良と叔父の正彦が株をそれぞれ20%ずつ持ち合っている。経営も常務である正彦の許諾がないと捗らないほどである。

 沙良と正彦は経営を巡って対立があったという。一時間ほど経って板倉は三十階の社長室に通された。見晴らしがよくソファも座り心地が良いが、長年パイプ椅子に座らされた板倉には慣れない快適さだった。

 部屋に通され、待たされている間に板倉はやるべきことをやった。香西沙良の指紋の採取。

「刑事さんが何の用です?」

 現れた香西正彦はフンと鼻を鳴らす。突然、アポもなくやってくる初老の刑事を明らかに見下している様子だった。

 高そうなスーツだ。

「いやお忙しいところ恐縮ですが、社長の香西沙良さんからお聞きしたいことがあるんですよ」

「アポイントもなしに唐突ですね。一体どんな要件で? 社長は出張中ですがね」

「ほう。出張ですか、どちらへ?」

 あからさまな嘘だろう。

「捜査とどんな関係があるんです? 機密事項です」

 正彦は明らかに敵愾心を抱いていた。

「話を変えましょうか。多摩市で起きた尾坂夫妻殺人事件をご存知ですかね」

 正彦は静かに首を横に振る。まあそうだろうな。

「尾坂夫婦は2人です。だから当然指紋や毛髪は2人分が出るはずですよね? ですが、尾坂家からは4人分の指紋が出ている。どういうことかわかりますか?」

「ほかに誰かが住んでいた。または一時的に泊まっていたというわけですか? あのね、これが一体ね、、」

「そのうちの1人はわかっています。風井空、沙良さんの高校生時代の友達です。そして夫妻には10年前交通事故で亡くした娘がいた。尾坂理佐。3人は大の仲良しでした」

 正彦の表情は平静を装っている。板倉は続けた。

「尾坂夫妻はあなたとも面識はあったでしょう。沙良さんも事故で親を亡くし後見人として伯父のあなたが引き取った。でもって彼女を社長にした。そこまではよかった」

「沙良が尾坂さんの家で暮らしていた証拠がありますか?」

「ありますよ。多摩中央センター病院にガサ入れしたら、沙良さんが使っていたベッドやリハビリ機材から指紋がね」

「だから何です?」

 正彦は露骨にいら立ちを見せた。

「大きな疑問がありますよね。あなたは出張中と言った」

「ばかばかしい。沙良が入院していた記録はありますか?」

「病院には香西沙良という名前の患者はいませんでしたよ。よく考えましたね。ここで登場するのが友人、風井空さんだ。主治医と看護婦が認めてくれました。沙良を風井空の名義で入院させた、とね」

 正彦は答えに窮していた。このタイプは是が非でも認めないだろう。権力を持った人間ほど保身に走るものだ。

「香西沙良という女性が他にいる可能性はある。尾坂さんの家にいたのもその人物という線は捨てきれない」

「香西なんて珍しい苗字で、いますかね?」

「ゼロではないでしょ!」

「風井空? 思い出した。街中で手配書がありましたね。多摩の事件も、そうか。彼女が犯人として警察は捜査しているのでは?」

「当初はね。風井空が尾坂家にいたのもわかっています」

「なら決まりじゃないですか? 空は沙良に容疑をかぶせるために、沙良の指紋や毛髪を家にあります」

「ご存じないようなのでお教えしましょう。四人と言いましたが、風井空の指紋、毛髪は一か所に落ちていました。他の部屋にはありませんでした。さて、どこだと思います?」

 正彦は憤懣やるかたない状況だった。

「申し訳ないが、あなたとのクイズに付き合っている暇はなくてね」

 電話の受話器を取った。

「ああ、私だ。お客様がお帰りだ。見送ってあげなさい」

「ご安心をもう帰りますから」

「助かります」

「一応、教えておきましょうか。毛髪は物置から見つかりました。風井空は物置でずっと暮らしていた、というより置かれていたと言った方がいいかな」

 板倉はニヤッと笑った。充分だった。揺さぶりすぎた。

「申し訳ないが、あなたの推論を聞いている暇は生憎なくてね。いろいろこのところ忙しい。話は以上なら失礼させてもらいますよ」

 正彦は襟を正し、席を立った。代わりに秘書が入って会社の出口まで連れ出された。

 十中八九クレームが入るなと思ったら、案の定入ってきた。しかし大事なのは香西沙良の指紋を手に入れることだ。

 案内された社長室のパソコンのマウスからきちんと指紋を取って来られたわけだ。上出来だろう。
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