記憶にない思い出

戸笠耕一

文字の大きさ
上 下
32 / 51
年老いた狼Ⅳ 真実の追及

3

しおりを挟む
 香西ホールディングスは全国に展開している香西と名の付く会社の持ち株会社である。経営者は香西沙良。歳は28。その手腕は日本経済の将来を嘱望されたとされていた。

 メディアへの出演は調べるとピタリと止まっている。マネーロンダリング等企業犯罪に詳しい元同僚に聞くと、香西ホールディングスは沙良と叔父の正彦が株をそれぞれ20%ずつ持ち合っている。経営も常務である正彦の許諾がないと捗らないほどである。

 沙良と正彦は経営を巡って対立があったという。一時間ほど経って板倉は三十階の社長室に通された。見晴らしがよくソファも座り心地が良いが、長年パイプ椅子に座らされた板倉には慣れない快適さだった。

 部屋に通され、待たされている間に板倉はやるべきことをやった。香西沙良の指紋の採取。

「刑事さんが何の用です?」

 現れた香西正彦はフンと鼻を鳴らす。突然、アポもなくやってくる初老の刑事を明らかに見下している様子だった。

 高そうなスーツだ。

「いやお忙しいところ恐縮ですが、社長の香西沙良さんからお聞きしたいことがあるんですよ」

「アポイントもなしに唐突ですね。一体どんな要件で? 社長は出張中ですがね」

「ほう。出張ですか、どちらへ?」

 あからさまな嘘だろう。

「捜査とどんな関係があるんです? 機密事項です」

 正彦は明らかに敵愾心を抱いていた。

「話を変えましょうか。多摩市で起きた尾坂夫妻殺人事件をご存知ですかね」

 正彦は静かに首を横に振る。まあそうだろうな。

「尾坂夫婦は2人です。だから当然指紋や毛髪は2人分が出るはずですよね? ですが、尾坂家からは4人分の指紋が出ている。どういうことかわかりますか?」

「ほかに誰かが住んでいた。または一時的に泊まっていたというわけですか? あのね、これが一体ね、、」

「そのうちの1人はわかっています。風井空、沙良さんの高校生時代の友達です。そして夫妻には10年前交通事故で亡くした娘がいた。尾坂理佐。3人は大の仲良しでした」

 正彦の表情は平静を装っている。板倉は続けた。

「尾坂夫妻はあなたとも面識はあったでしょう。沙良さんも事故で親を亡くし後見人として伯父のあなたが引き取った。でもって彼女を社長にした。そこまではよかった」

「沙良が尾坂さんの家で暮らしていた証拠がありますか?」

「ありますよ。多摩中央センター病院にガサ入れしたら、沙良さんが使っていたベッドやリハビリ機材から指紋がね」

「だから何です?」

 正彦は露骨にいら立ちを見せた。

「大きな疑問がありますよね。あなたは出張中と言った」

「ばかばかしい。沙良が入院していた記録はありますか?」

「病院には香西沙良という名前の患者はいませんでしたよ。よく考えましたね。ここで登場するのが友人、風井空さんだ。主治医と看護婦が認めてくれました。沙良を風井空の名義で入院させた、とね」

 正彦は答えに窮していた。このタイプは是が非でも認めないだろう。権力を持った人間ほど保身に走るものだ。

「香西沙良という女性が他にいる可能性はある。尾坂さんの家にいたのもその人物という線は捨てきれない」

「香西なんて珍しい苗字で、いますかね?」

「ゼロではないでしょ!」

「風井空? 思い出した。街中で手配書がありましたね。多摩の事件も、そうか。彼女が犯人として警察は捜査しているのでは?」

「当初はね。風井空が尾坂家にいたのもわかっています」

「なら決まりじゃないですか? 空は沙良に容疑をかぶせるために、沙良の指紋や毛髪を家にあります」

「ご存じないようなのでお教えしましょう。四人と言いましたが、風井空の指紋、毛髪は一か所に落ちていました。他の部屋にはありませんでした。さて、どこだと思います?」

 正彦は憤懣やるかたない状況だった。

「申し訳ないが、あなたとのクイズに付き合っている暇はなくてね」

 電話の受話器を取った。

「ああ、私だ。お客様がお帰りだ。見送ってあげなさい」

「ご安心をもう帰りますから」

「助かります」

「一応、教えておきましょうか。毛髪は物置から見つかりました。風井空は物置でずっと暮らしていた、というより置かれていたと言った方がいいかな」

 板倉はニヤッと笑った。充分だった。揺さぶりすぎた。

「申し訳ないが、あなたの推論を聞いている暇は生憎なくてね。いろいろこのところ忙しい。話は以上なら失礼させてもらいますよ」

 正彦は襟を正し、席を立った。代わりに秘書が入って会社の出口まで連れ出された。

 十中八九クレームが入るなと思ったら、案の定入ってきた。しかし大事なのは香西沙良の指紋を手に入れることだ。

 案内された社長室のパソコンのマウスからきちんと指紋を取って来られたわけだ。上出来だろう。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

ビジョンゲーム

戸笠耕一
ミステリー
高校2年生の香西沙良は両親を死に追いやった真犯人JBの正体を掴むため、立てこもり事件を引き起こす。沙良は半年前に父義行と母雪絵をデパートからの帰り道で突っ込んできたトラックに巻き込まれて失っていた。沙良も背中に大きな火傷を負い復讐を決意した。見えない敵JBの正体を掴むため大切な友人を巻き込みながら、犠牲や後悔を背負いながら少女は備わっていた先を見通す力「ビジョン」を武器にJBに迫る。記憶と現実が織り交ざる頭脳ミステリーの行方は! SSシリーズ第一弾!

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

赤い部屋

山根利広
ホラー
YouTubeの動画広告の中に、「決してスキップしてはいけない」広告があるという。 真っ赤な背景に「あなたは好きですか?」と書かれたその広告をスキップすると、死ぬと言われている。 東京都内のある高校でも、「赤い部屋」の噂がひとり歩きしていた。 そんな中、2年生の天根凛花は「赤い部屋」の内容が自分のみた夢の内容そっくりであることに気づく。 が、クラスメイトの黒河内莉子は、噂話を一蹴し、誰かの作り話だと言う。 だが、「呪い」は実在した。 「赤い部屋」の手によって残酷な死に方をする犠牲者が、続々現れる。 凛花と莉子は、死の連鎖に歯止めをかけるため、「解決策」を見出そうとする。 そんな中、凛花のスマートフォンにも「あなたは好きですか?」という広告が表示されてしまう。 「赤い部屋」から逃れる方法はあるのか? 誰がこの「呪い」を生み出したのか? そして彼らはなぜ、呪われたのか? 徐々に明かされる「赤い部屋」の真相。 その先にふたりが見たものは——。

秘められた遺志

しまおか
ミステリー
亡くなった顧客が残した謎のメモ。彼は一体何を託したかったのか!?富裕層専門の資産運用管理アドバイザーの三郷が、顧客の高岳から依頼されていた遺品整理を進める中、不審物を発見。また書斎を探ると暗号めいたメモ魔で見つかり推理していた所、不審物があると通報を受けた顔見知りであるS県警の松ケ根と吉良が訪れ、連行されてしまう。三郷は逮捕されてしまうのか?それとも松ケ根達が問題の真相を無事暴くことができるのか!?

カフェ・シュガーパインの事件簿

山いい奈
ミステリー
大阪長居の住宅街に佇むカフェ・シュガーパイン。 個性豊かな兄姉弟が営むこのカフェには穏やかな時間が流れる。 だが兄姉弟それぞれの持ち前の好奇心やちょっとした特殊能力が、巻き込まれる事件を解決に導くのだった。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

【R15】アリア・ルージュの妄信

皐月うしこ
ミステリー
その日、白濁の中で少女は死んだ。 異質な匂いに包まれて、全身を粘着質な白い液体に覆われて、乱れた着衣が物語る悲惨な光景を何と表現すればいいのだろう。世界は日常に溢れている。何気ない会話、変わらない秒針、規則正しく進む人波。それでもここに、雲が形を変えるように、ガラスが粉々に砕けるように、一輪の花が小さな種を産んだ。

ファクト ~真実~

華ノ月
ミステリー
 特別編からはお昼の12時10分に更新します。  主人公、水無月 奏(みなづき かなで)はひょんな事件から警察の特殊捜査官に任命される。  そして、同じ特殊捜査班である、透(とおる)、紅蓮(ぐれん)、槙(しん)、そして、室長の冴子(さえこ)と共に、事件の「真実」を暴き出す。  その事件がなぜ起こったのか?  本当の「悪」は誰なのか?  そして、その事件と別で最終章に繋がるある真実……。  こちらは全部で第七章で構成されています。第七章が最終章となりますので、どうぞ、最後までお読みいただけると嬉しいです!  よろしくお願いいたしますm(__)m

処理中です...