記憶にない思い出

戸笠耕一

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年老いた狼Ⅳ 真実の追及

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 板倉と秋山は笹塚から呼び出された。この日を今かとばかりに待ちわびていた。捜査一課の管理官席に刑事たちが集結していた。

「とむさん、あんたの言った通り。尾坂家の物置にあった毛髪は風井空のものだ。風井空のアパートの指紋と尾坂家で見つかった第3の住人の指紋は不一致。つまり尾坂家で暮らしていたのは全くの別人ってわけだな」

 笹塚は目薬を差した。板倉は出世した同期の疲れ切った顔を見てあまりロクに寝ていないのだろうと同情した。事件の解決が長引くほど辛く当たられる。

「捜査はやり直しだ。あと尾坂家の庭に埋まっていた骨だが年齢は十代。性別は女性だ。ううん、訳が分からん」

「尾坂家に住んでいたのは風井空じゃない。とむさんが尾坂家から引っ張ってきたアルバムの女ってわけですね」

 板倉の横にいた刑事が言い、ため息をついた。風井空が犯人という方針で進めていた捜査員としてはショックが大きい。

「あの家に住んでいたのは、お前の言った通りアルバムの人物。香西沙良だ」

 板倉は手に持っていた雑誌を笹塚のデスクに叩きつける。

「フォーブス誌Under20? 海外の経済雑誌か?」

「十ページ目をよく見ろ。こいつが香西沙良だよ。間違いねえ。アルバムの女だ」

 見開いたページには見出しで「次世代を担う女経営者・香西沙良さんに話を聞く」と大々的に書かれていた。

「どうしてこの娘が尾坂の二人を殺したのか?」

「殺された友達への復讐。香西沙良は理佐と空と仲が良かった」

 板倉は尾坂理佐、風井空、香西沙良の名前をローマ字表記にして並び替えてみると同じになる。

「尾坂理佐、風井空、香西沙良。こうしてみると確かに名前がアナグラムだが。こんな偶然が他にあるかね?」

 不思議な縁だろう。クラスの生徒3名にアナグラムという共通点があるなんて思いもしない。それがきっかけで仲良くなるのも理解はできる。

「理佐は10年前に自殺をした。引いたトラック運転手の住村に聞いたら、道路にふらふらと突然飛び出してきたという証言は取れている」

 板倉は立て板に水がごとくしゃべり始める。

「娘が死に、悲観した尾坂夫妻は里親制度を利用し始めた。調べたら八年前に登録していることがわかった。庭に合
った死体は里親のときに引き取った娘のものだろう。骨は上岡洋子のものだ」

「尾坂家から出た骨の鑑定は時間がかかりそうだ。まあいい、それで?」

「尾坂家で見つかった日記と近所の住人の証言から夫妻は教育熱心だったが、引き取った娘については散々悪口を言
っていたそうだ。出来が悪いって。要するにだ」

 笹塚は付いていけなく話を止めた。

「待ってくれ、そう話を進めないでくれ。理佐が自殺したのはわかった。沙良が理佐と空と友達なのもわかった。交
通事故に遭ったのは沙良で何がどうなって尾坂の二人を殺したわけだ?」

「尾坂が沙良を娘として引き取るにしても、当人は違うっていうだろう。普通は……」

「俺もそこが気になっていた。沙良は病院では空として入院させていた」

「病院も手を組んで? おい、一人の人間を別人に仕立て上げたわけか。何が何だか……」

「事故の状況を知りたいです」

 秋山が割って入ってきた。

「事故現場によると額から血を流していて頭部や頸椎に打撲の痕があったらしい」

「仮説ですが、何らかの障害を負ったのではと自分と板倉さんは思っています」

「障害って何だ? 記憶障害とかか?」

 それです、と秋山は言う。

「おい、待て。今の言っていることは憶測で何の確証もないぞ」

 笹塚が待ったをかけた。

「とにかく主治医の畠山と看護婦の千里に事情聴取させてください。

 2人が嘘をついているのは明らかだ。あの2人の周りを当たれば仮説が裏付けられるかもしれない」

 言われたとおり風井空のアパートの指紋は尾坂家に合った第3の住人の指紋と合わない。

 複雑に絡み合った糸を解きほぐすのは難しい。ただ板倉は香西沙良がホシだと信じていた。

 沙良の写真を見れば美人だと分かる。気品もあるし、お金持ちの娘なのだろうと推測ができる。ただ板倉には沙良の目にはどこか他者を寄せ付けない視線の冷たさを感じた。顔は笑っているようで、目は笑っておらず虎視眈々と狙っている。

 板倉は大勢の犯罪者を見てきたが、ある種の共通点がある。表面を取り繕うところだ。香西沙良も同様だ。この女は取り繕っている。非常に巧妙に他者を欺くことができる。

 サイコパスという人種がこの世には存在する。おのれの目的のためには手段を選ばない人種だ。彼らにとって社会は搾取する対象でしかない。板倉は香西沙良がメディアに出ている映像をネットで見ていたが、巧みな話術で人を納得させる力がある。

 この女なら誰にでも化けることはできそうだ。十年前、自分が未解決に終えた事件で十七歳の香西沙良は何を感じたのだろうか。

 板倉は嘘をついた。犯人を逮捕するといってできなかった。沙良は両親を亡くし、親戚に裏切られた。屈折した環境にいた人間が他人の命をなんとも思わないのは無理もないかもしれない。

 そんな殺伐とした世界の檻に閉じ込められて生きている。

 紛れもなく香西沙良という獣を生んだのは板倉自身だ。

「日本の将来を担う女経営者が多摩へ何しに?」

「なぜでしょうね? 多摩にも何の用があって」

「まったく不可思議な事件だ。尾坂の家からは新しい死体は出るわ、資産家の家に生まれた経営者が記憶喪失で別人にさせられる、全部がつながっているとは到底思えん」

 なぜだ?

 板倉はざっと全員の顔を見てその反応はあまりにも当然だと思った。自分が言われても同じ反応をするだろう。

「誰かに頼まれたのか? 金でも積まれたか?」

 どこから攻めるか。

「すみません。目撃者情報を当たっていたら。面白いことがわかりました」

「何だ、どうした?」

「事件現場から少し離れた喫茶店のマスターがスマホを忘れて取りに戻ってきた若い女が十一月頃にいたそうです。とむさんが見つけたアルバムの写真を見せたところ、一致したそうです」

 午後五時。聞き込み捜査を終えた刑事たちが続々と帰ってきて、有力な目撃情報を報告する。

「献血バス?」

「写真をスタッフに見せたら。確かに写真の女が血液型を調べてほしいと聞かれたと言っていたそうです。何でも自分はB型だって言っていて、調べたところA型だったそうです」

 捜査員の目が変わった。

「なるほど。香西沙良も自分が誰なのか調べていたわけだ。で、ついに記憶が戻ったわけだ。そして、二人を殺した。

「おいおい、殺すかそれだけで。夫妻が沙良の乗っていた車のブレーキオイルに細工をしたのか? 謎はあるぞ」

「でも病院側は写真の沙良を風井空として入院させていた事実は掴めたから十分だろ。まずは外堀からだぜ」

「わかった。主治医の畠山と看護婦の千里を引っ張ろう」

 笹塚は考えていた。二人の周辺関係は洗ってから詰めていくことを条件に板倉の案を呑んだ。
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