記憶にない思い出

戸笠耕一

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記憶なき女Ⅱ 帰還

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 夜更け。いつの間にか寝てしまった。理佐はベッドから起き上がる。トイレに行きたかった。コーヒーを飲んだからだろうか。尾坂詩織に勧められ食後の後も何度となく飲まされた。

 二階には部屋が三つある。理佐の部屋と空き部屋と、物置部屋だけ。トイレは一階のリビングの脇にあった。

 階下に降りるとひそひそと声が一階の廊下の向こうから聞こえてきた。木漏れ日のように室内の灯りが廊下に漏れていた。理佐は扉にそっと耳を寄せた。

「あなたも事故現場に行かせてどうするつもりだったの」

「無下に断るのも変だろう。別にあそこに行ったってなにもありゃしないだろ?」

「些細なことで感づかれたらどうするつもり?」

 ぼそぼそと話し込む二人の声を理佐は気づかれないよう耳を寄せて聞いていた。

「なあ、そろそろ止めにしよう。いずれあの子は記憶を思い出す。これ以上、目を付けられちゃ困るよ」

「今回は大丈夫。あの子は私たちの娘になるわ。これまでの出来損ないの娘と違ってね」

 細く差し込むドアの向こう側からの光に真実があることを知った。理佐は密かに自室に戻りベッドにもぐりこんだ。

 あの子は私たちの娘になる……

 理佐は何度もその言葉を繰り返した。

 どういう意味だろう。実の娘に対して使う言葉だろうか。いや違う。体が震えた。階を一つ隔てた場所で、夫妻は恐ろしいことを述べていた。

 気になったのは出来損ないの娘たちである。理佐以前に尾坂夫妻の娘だった者たちがいたのだろうか。

 尾坂理佐と呼ばれた自分は一体どこの誰だろうか?

 あまりショックはない。合ったのは疑惑だけだ。あの二人は自分をだましていた。気になるのは自分が恐ろしいまでに冷酷に物事を分析できていることだ。

 理佐は最初から二人を疑っていた。些細な表情の変化や言動を見逃さず人を疑うことをやめなかった。

 人が何かを考えるか先に読めるから別に驚くことはない。だから無理に誰とも人と打ち解けようとしない。

 戻ろう。理佐は感づかれないようにトイレに行って、自室に戻った。自分が理佐ではないのなら何者なのだろう。

 部屋に入ろうとした時、正面にある物置部屋が目に留まる。開かずの部屋。

 開けてはいけないと言われるほど、人は開けたくなるものだ。

 理佐はそっと物置部屋のドアノブを押す。中は物置らしく煩雑とした部屋だ。電気を付けたいが、下の二人に気づかれるのは良くない。

 足元は柔らかい感触がする。カーペットが引かれているのだろう。慎重に足を進める。手を前に伸ばすと固いものが当たった。

 気になったので、それが何か確かめる。理佐はしゃがみこんだ。

「……はさ、もっと自分のことを思い切って伝えていいの」

 新しい記憶の住人が現れて理佐に語り掛ける。

「どうして?」

 理佐は周りを見渡す。景色は学校の教室。自分の前に立って話しけている人物は誰にも優しい少女。クラスでも評判だった。

「だって友達でしょ。うちら、名前が一緒だから。何でも言ってよ」

「あなたは誰? 誰なの?」

 その人物は笑顔のまま消えていく。

 視界は闇夜に戻る。目が少し慣れてきた。物置にはラックが一つ。

 パッケージが複数個ほど積まれている。目の前にあるのはスーツケースだった。

 旅行用だろうか。

 いや。理佐の記憶が広がる。

「そうだな。体の傷を治して落ち着いたら、どこか旅行にでも行こう。思い切って海外にでも」

「あなた、バカなこと言わないで。こんな状況なのに行けるわけがないでしょ?」

 詩織と誠の会話からして最近旅行に行っていない。あのウィルスの影響で旅行は下火になっている時世なのだ。スーツケースは必要ではない。ただ……

 現に何のために目の前にスーツケースはあるのだ。

 ちょうど人が入りそうな……

 体が震えた。旅行用ではないなら不要なものが入っているのだろうか。あの言葉。これまでの出来損ないの娘。

 いったんスーツケースを持ち上げようとした。だが、想像以上に重くあきらめた。中にはかなり重いものがあるようだ。

 意を決し理佐はスーツケースのファスナーに手をかける。ゆっくりと慎重に開けていく。単なる不要物ならいい。

 理佐は少しだけ開けて人差し指を入れてみる。グニャリとした組のような触感がして気色悪かった。

 一体何が。

 理佐は試しに中のにおいを嗅いでみた。

 とたんに卵が腐ったような激しい臭いが鼻を突いた。生理的嫌悪感をかき立てる。手に何かが絡まっていた。それは髪の毛だった。理佐は急いでスーツケースのファスナーを閉じて、手を払った。

 胃の奥底から吐き気がした。予想は当たった。理佐は部屋を出て自室に戻り布団にくるまった。

 あれは何だ?

 臭いという次元の話ではない。この世にはあってはならない臭いだ。死者の臭いというべきか。理佐はゲホゲホとむせていた。

 開けてはいけないのには確かに理由があった。

 この家は危険だ。何気ない平凡な家から漂う不快感の原因がわかった。

 あなたは私に警告してくれたの?

 スーツケースの中にいたのはあなたなの?

 疑問が止むことはなく理佐の頭をずっとさまよい続けていた。
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