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記憶なき女Ⅰ 既視感
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眠りから目覚めたときには脳裏に衝撃が走り、すべてが砕け散った後だった。気づいたときに世界は反転していた。歪な状態にいるのは間違いない。ここから抜け出したい。体を動かすと首筋に稲妻のような痛みが走る。
目の前に白いバルーン状のものが広がっている。エアバックだろう。衝撃を和らげてくれたみたいだ。手探りで車のドアを探す。ガソリンのにおいが漂っている。急いだほうがいいのかもしれない。あまり時間がない。
ドアをこじ開けて何とか脱出を図る。首筋の耐えがたい痛みを何とか堪えながら、這うようにして前に進む。窓ガラスの破片が車の内外に散乱している。手を切らないよう注意が必要だ。
背後を振り返る。赤のアルファロメオジュリアは反対車線のガードレールにぶつかり横転している。
視界でとらえていたあらゆる物事の色合いがモノトーンになって見えている。何とも言えない。色のない世界が広がっている。平静を装っているようであらゆるものが歪んでいる。
たった今、世界に降り立った感覚がした。
アスファルトに手をついた。バラバラと体に降り積もったガラスの破片がこぼれた。チクリと破片が皮膚を割いた。にじむように赤い絵の具が溢れ、ポトリとアスファルトに流れ落ちていく。
頭が痛い。何かがずれている。頭に手をやると髪の毛の間からベットリと血が掌に染み付いた。
ゆらゆらと事故現場を歩いていく。現実を正確に把握できない。周囲を見渡せば何か思い出すだろうか。
事故に遭うとはこういうことか。まるで分かっているかのような反応をしていた。
月明かりに照らされて大破した車と押し潰されたガードレールが露わになる。
変だ。事故に遭ったばかりなのに慣れている。感覚として事故に遭った瞬間をそう遠くない過去で体感している。体に染みついた経験が告げてくれるが頭は思い出せない。
離れたところで落ち着きたい。額から流れた血が垂れて羽織っていたピンクのカーディガンが緋色に染まっていた。
目の前に映る車やガードレールなどの事故現場と頭の定かでない記憶が混ざり合う。過去と現在が激しく交錯する。
場所だけではなく、時間帯も異なる。恐らくだが、同じ経験をしている。砕けた記憶との相違点は自分1人じゃない。
運転はしていなかった。何かの帰り道だろうか。交差点を曲がってから事故に遭った。記憶が幾重にも交差して歪んでいる。
何かの既視感ではないだろうか。過去の記憶の破片と現在の情景が入り混じっている。
ボンと激しい爆発音が鳴り響いた。こじ開けた扉が跳ねるようにして吹き飛び、茂みの中に飛んだ。
無残にひっくり返った車は紅蓮の炎に包まれていく。衝突で外に漏れたガソリンに引火したのだろう。炎はとどまることを知らない。たちまちのうちに燃え広がり、空高く周囲に黒煙をまき散らす。
ガソリン臭が充満していて危ない状況だった。急いで逃げたのは正解だった。
燃え盛る炎を仰ぎ見た。首は右方向に動かすと激しい痛みをもたらすから、慎重に動かす。
この光景……
すべて覚えている。
すべて知っている。
始めてではない。ただ身をもって体感した経験は刻み込まれている。
めまいがして視界が揺らいだ。
すべてを無くしたわけではない。貴重品は車内の中だ。携帯電話があればどこかへ連絡することも何をしたかったのか確かめられたかもしれない。すでに遅い。
「ちょっと。あなた! 大丈夫なの?」
「頭と首が痛いですけど? 慣れているので」
何で慣れているなんて。本当に事故の遭ったのは始めてじゃないのだろうか。
「いやだわ! 頭から血が出ているじゃない!」
通りすがりの中年の女性がハンカチで額を押さえてくれた。
わらわらと燃え上がる炎に野次馬が寄り付いていた。きっと近所の住人だろう。
やっぱりそうか。既視感。
燃え盛る炎はあらゆるものを焼き尽くしていた。
中年の女性が時計をしている。仕事の帰りかけだろうか。夜も深い時間だろう。激しい爆発音で目が覚めた寝込みなら時計は付けない。きっと仕事終わりか、これから仕事なのだろう。
何で下らない推理をしたのかわからない。とにかく時間が分かってよかった。
時計の針は2022年9月10日の午前2時を指していた。
目の前に白いバルーン状のものが広がっている。エアバックだろう。衝撃を和らげてくれたみたいだ。手探りで車のドアを探す。ガソリンのにおいが漂っている。急いだほうがいいのかもしれない。あまり時間がない。
ドアをこじ開けて何とか脱出を図る。首筋の耐えがたい痛みを何とか堪えながら、這うようにして前に進む。窓ガラスの破片が車の内外に散乱している。手を切らないよう注意が必要だ。
背後を振り返る。赤のアルファロメオジュリアは反対車線のガードレールにぶつかり横転している。
視界でとらえていたあらゆる物事の色合いがモノトーンになって見えている。何とも言えない。色のない世界が広がっている。平静を装っているようであらゆるものが歪んでいる。
たった今、世界に降り立った感覚がした。
アスファルトに手をついた。バラバラと体に降り積もったガラスの破片がこぼれた。チクリと破片が皮膚を割いた。にじむように赤い絵の具が溢れ、ポトリとアスファルトに流れ落ちていく。
頭が痛い。何かがずれている。頭に手をやると髪の毛の間からベットリと血が掌に染み付いた。
ゆらゆらと事故現場を歩いていく。現実を正確に把握できない。周囲を見渡せば何か思い出すだろうか。
事故に遭うとはこういうことか。まるで分かっているかのような反応をしていた。
月明かりに照らされて大破した車と押し潰されたガードレールが露わになる。
変だ。事故に遭ったばかりなのに慣れている。感覚として事故に遭った瞬間をそう遠くない過去で体感している。体に染みついた経験が告げてくれるが頭は思い出せない。
離れたところで落ち着きたい。額から流れた血が垂れて羽織っていたピンクのカーディガンが緋色に染まっていた。
目の前に映る車やガードレールなどの事故現場と頭の定かでない記憶が混ざり合う。過去と現在が激しく交錯する。
場所だけではなく、時間帯も異なる。恐らくだが、同じ経験をしている。砕けた記憶との相違点は自分1人じゃない。
運転はしていなかった。何かの帰り道だろうか。交差点を曲がってから事故に遭った。記憶が幾重にも交差して歪んでいる。
何かの既視感ではないだろうか。過去の記憶の破片と現在の情景が入り混じっている。
ボンと激しい爆発音が鳴り響いた。こじ開けた扉が跳ねるようにして吹き飛び、茂みの中に飛んだ。
無残にひっくり返った車は紅蓮の炎に包まれていく。衝突で外に漏れたガソリンに引火したのだろう。炎はとどまることを知らない。たちまちのうちに燃え広がり、空高く周囲に黒煙をまき散らす。
ガソリン臭が充満していて危ない状況だった。急いで逃げたのは正解だった。
燃え盛る炎を仰ぎ見た。首は右方向に動かすと激しい痛みをもたらすから、慎重に動かす。
この光景……
すべて覚えている。
すべて知っている。
始めてではない。ただ身をもって体感した経験は刻み込まれている。
めまいがして視界が揺らいだ。
すべてを無くしたわけではない。貴重品は車内の中だ。携帯電話があればどこかへ連絡することも何をしたかったのか確かめられたかもしれない。すでに遅い。
「ちょっと。あなた! 大丈夫なの?」
「頭と首が痛いですけど? 慣れているので」
何で慣れているなんて。本当に事故の遭ったのは始めてじゃないのだろうか。
「いやだわ! 頭から血が出ているじゃない!」
通りすがりの中年の女性がハンカチで額を押さえてくれた。
わらわらと燃え上がる炎に野次馬が寄り付いていた。きっと近所の住人だろう。
やっぱりそうか。既視感。
燃え盛る炎はあらゆるものを焼き尽くしていた。
中年の女性が時計をしている。仕事の帰りかけだろうか。夜も深い時間だろう。激しい爆発音で目が覚めた寝込みなら時計は付けない。きっと仕事終わりか、これから仕事なのだろう。
何で下らない推理をしたのかわからない。とにかく時間が分かってよかった。
時計の針は2022年9月10日の午前2時を指していた。
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