記憶にない思い出

戸笠耕一

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埋もれた記憶

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 深夜の騒音がけたたましくなった。

 板倉の睡眠は突然の騒音により妨げられた。ようやく寝つけた頃だったのに、忌々しい。

 一体どこのチンピラが夜更けに車を走らせてやがる。ただエンジンをふかした音というより、爆発に近い音だ。

 走り屋ではなく、事故か?

 爆発音からして遠くはない。

 板倉は眠気を失い、外の珍事が何なのかを見ておきたかった。乱雑にカーテンを開ける。

 なんでこんな静かな平穏な住宅街で事故なんてあり得るのか。揉め事はたくさんだ。

 板倉は犯罪者というおおよそ他者への配慮がない者たちの別名だった。そんな相手に戦ってきたが、決して慣れはしない。

 怒り、あきれ、諦念……

 歳月がたつとともに板倉自身も他者への可能性を感じなくなってきた。自分自身も不要な存在だし、やるべきことは若い人材を育てることだが、それも望みは薄いかもしれない。

 事件があれば、一緒に相棒を組んでいた若手の指導はしているが、芽は出てこない。

 さっきの騒音が気になる。ぼんやりと考えていると少し離れたところが突然明るくなっている。

 閃光が夜空に走るとパンと音を立てオレンジ色の火柱が立ち込めた。やはり事故か。隣の部屋もざわざわと声がしてきた。

 知ったことかと板倉は唾を吐き、布団にもぐりこんだ。もう変な事件に巻き込まれるのはコリゴリだ。あと半年の辛抱なのだ。

 しかし、ざわめきは板倉の心を揺さぶる。まだお前は事件を追う狼なのだ。市民のために狼藉者にかみつく責務がある。

 ふざけるな、あれは事故だ。管轄外だ。

 心の声を振り払おうとした。

 板倉は刑事として立派な最期など望んでいない。暖かい畳の上で静かに死にたいのだ。

「血生臭い事件はもういい。お前もそう思うだろ?」

 横になりながらかつての相棒である秋山望の写真をにらむようにして見つめていた。刑事を何10年とやっていれば先に死んでしまったやつの顔は数多いる。秋山も立派な最期を遂げた刑事の一人だ。

 殉職なんてクソ食らえ。アキ、お前が死んで奥さんと息子が傷ついているかわかるだろう。

 写真は葬式の準備をしている秋山の妻から譲り受けた写真である。

 位牌に使うには小さすぎたので、形見にもらった。

 以来、ちっぽけな写真を心の支えに生きている。

 人の死に目は定かではない。ただ強制的な死の執行は断固反対だ。死んだ人間は生き還らない。人は腹から生まれ、土に還る。そういう定めなのだ。

「遠くないが、いずれそっちに行くからな」

 板倉は人生の下り坂に入った。後は衰えていくだけ。死を待つだけの人生なのだ。

 2年ほど板倉は事件というものに出くわさなかった。実に平和な日々が続いている。

「わかったよ。最後だからな」

 板倉はジャージを羽織って、事故現場を目指す。全く勤務時間外だぞ。いわばサービス残業だ。

 事故現場は徒歩10分の公園と団地の間の道だった。ひっくり返って燃えている車の車体は赤だろう。

「何かありましたか?」

 野次馬根性丸出しで板倉は近くにいた中年女性に聞いた。

「事故みたいですよ。ああ、大丈夫かしら」

 ねじ曲がったガードレールに、燃え広がった車、辺りに散乱するガラスは車の事故を物語っている。

「まだ若いのに……」

 ストレッチャーに載せられたのは女だった。長い黒髪で、額から血を流している。板倉は女の顔を見ていると、目元がちらりと動いたことに気づいた。視線が合ったが、すぐに隊員の手引きにより救急車に載せられた。トランクが閉まり、救急車は発進した

 どこかで見たことがある……

 気のせいか。

 サイレンがピーポーとけたたましく鳴り響き、小さくなって聞こえなくなった。車の出荷も収まったことだ。警察も実況見分を終えたようだ。

 管轄外だ。戻ろう。全くこれじゃただの野次馬だ。もうひと眠りぐらいさせてくれ。

 板倉はマンションに戻ると深夜の珍事を忘れようと布団の中に包まった。もう事件はコリゴリだ。放っておいてくれ。

 やがて朝が来た。
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