記憶にない思い出

戸笠耕一

文字の大きさ
上 下
48 / 51
埋もれた記憶

2

しおりを挟む
 深夜の騒音がけたたましくなった。

 板倉の睡眠は突然の騒音により妨げられた。ようやく寝つけた頃だったのに、忌々しい。

 一体どこのチンピラが夜更けに車を走らせてやがる。ただエンジンをふかした音というより、爆発に近い音だ。

 走り屋ではなく、事故か?

 爆発音からして遠くはない。

 板倉は眠気を失い、外の珍事が何なのかを見ておきたかった。乱雑にカーテンを開ける。

 なんでこんな静かな平穏な住宅街で事故なんてあり得るのか。揉め事はたくさんだ。

 板倉は犯罪者というおおよそ他者への配慮がない者たちの別名だった。そんな相手に戦ってきたが、決して慣れはしない。

 怒り、あきれ、諦念……

 歳月がたつとともに板倉自身も他者への可能性を感じなくなってきた。自分自身も不要な存在だし、やるべきことは若い人材を育てることだが、それも望みは薄いかもしれない。

 事件があれば、一緒に相棒を組んでいた若手の指導はしているが、芽は出てこない。

 さっきの騒音が気になる。ぼんやりと考えていると少し離れたところが突然明るくなっている。

 閃光が夜空に走るとパンと音を立てオレンジ色の火柱が立ち込めた。やはり事故か。隣の部屋もざわざわと声がしてきた。

 知ったことかと板倉は唾を吐き、布団にもぐりこんだ。もう変な事件に巻き込まれるのはコリゴリだ。あと半年の辛抱なのだ。

 しかし、ざわめきは板倉の心を揺さぶる。まだお前は事件を追う狼なのだ。市民のために狼藉者にかみつく責務がある。

 ふざけるな、あれは事故だ。管轄外だ。

 心の声を振り払おうとした。

 板倉は刑事として立派な最期など望んでいない。暖かい畳の上で静かに死にたいのだ。

「血生臭い事件はもういい。お前もそう思うだろ?」

 横になりながらかつての相棒である秋山望の写真をにらむようにして見つめていた。刑事を何10年とやっていれば先に死んでしまったやつの顔は数多いる。秋山も立派な最期を遂げた刑事の一人だ。

 殉職なんてクソ食らえ。アキ、お前が死んで奥さんと息子が傷ついているかわかるだろう。

 写真は葬式の準備をしている秋山の妻から譲り受けた写真である。

 位牌に使うには小さすぎたので、形見にもらった。

 以来、ちっぽけな写真を心の支えに生きている。

 人の死に目は定かではない。ただ強制的な死の執行は断固反対だ。死んだ人間は生き還らない。人は腹から生まれ、土に還る。そういう定めなのだ。

「遠くないが、いずれそっちに行くからな」

 板倉は人生の下り坂に入った。後は衰えていくだけ。死を待つだけの人生なのだ。

 2年ほど板倉は事件というものに出くわさなかった。実に平和な日々が続いている。

「わかったよ。最後だからな」

 板倉はジャージを羽織って、事故現場を目指す。全く勤務時間外だぞ。いわばサービス残業だ。

 事故現場は徒歩10分の公園と団地の間の道だった。ひっくり返って燃えている車の車体は赤だろう。

「何かありましたか?」

 野次馬根性丸出しで板倉は近くにいた中年女性に聞いた。

「事故みたいですよ。ああ、大丈夫かしら」

 ねじ曲がったガードレールに、燃え広がった車、辺りに散乱するガラスは車の事故を物語っている。

「まだ若いのに……」

 ストレッチャーに載せられたのは女だった。長い黒髪で、額から血を流している。板倉は女の顔を見ていると、目元がちらりと動いたことに気づいた。視線が合ったが、すぐに隊員の手引きにより救急車に載せられた。トランクが閉まり、救急車は発進した

 どこかで見たことがある……

 気のせいか。

 サイレンがピーポーとけたたましく鳴り響き、小さくなって聞こえなくなった。車の出荷も収まったことだ。警察も実況見分を終えたようだ。

 管轄外だ。戻ろう。全くこれじゃただの野次馬だ。もうひと眠りぐらいさせてくれ。

 板倉はマンションに戻ると深夜の珍事を忘れようと布団の中に包まった。もう事件はコリゴリだ。放っておいてくれ。

 やがて朝が来た。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

妻がエロくて死にそうです

菅野鵜野
大衆娯楽
うだつの上がらないサラリーマンの士郎。だが、一つだけ自慢がある。 美しい妻、美佐子だ。同じ会社の上司にして、できる女で、日本人離れしたプロポーションを持つ。 こんな素敵な人が自分のようなフツーの男を選んだのには訳がある。 それは…… 限度を知らない性欲モンスターを妻に持つ男の日常

♡ちょっとエッチなアンソロジー〜肛門編〜♡

x頭金x
大衆娯楽
♡ちょっとHなショートショートの詰め合わせ♡

おむつオナニーやりかた

rtokpr
エッセイ・ノンフィクション
おむつオナニーのやりかたです

旦那様に離婚を突きつけられて身を引きましたが妊娠していました。

ゆらゆらぎ
恋愛
ある日、平民出身である侯爵夫人カトリーナは辺境へ行って二ヶ月間会っていない夫、ランドロフから執事を通して離縁届を突きつけられる。元の身分の差を考え気持ちを残しながらも大人しく身を引いたカトリーナ。 実家に戻り、兄の隣国行きについていくことになったが隣国アスファルタ王国に向かう旅の途中、急激に体調を崩したカトリーナは医師の診察を受けることに。

我慢できないっ

滴石雫
大衆娯楽
我慢できないショートなお話

結衣のお仕置き

恩知らずなわんこ
現代文学
比較的真面目な女の子結衣が厳しいお尻叩きのお仕置きを受けていくお話です。Pixivにも同じ内容で投稿しています。

婚約者に忘れられていた私

稲垣桜
恋愛
「やっぱり帰ってきてた」  「そのようだね。あれが問題の彼女?アシュリーの方が綺麗なのにな」  私は夜会の会場で、間違うことなく自身の婚約者が、栗毛の令嬢を愛しそうな瞳で見つめながら腰を抱き寄せて、それはそれは親しそうに見つめ合ってダンスをする姿を視線の先にとらえていた。  エスコートを申し出てくれた令息は私の横に立って、そんな冗談を口にしながら二人に視線を向けていた。  ここはベイモント侯爵家の夜会の会場。  私はとある方から国境の騎士団に所属している婚約者が『もう二か月前に帰ってきてる』という話を聞いて、ちょっとは驚いたけど「やっぱりか」と思った。  あれだけ出し続けた手紙の返事がないんだもん。そう思っても仕方ないよでしょ?    まあ、帰ってきているのはいいけど、女も一緒?  誰?  あれ?  せめて婚約者の私に『もうすぐ戻れる』とか、『もう帰ってきた』の一言ぐらいあってもいいんじゃない?  もうあなたなんてポイよポイッ。  ※ゆる~い設定です。  ※ご都合主義です。そんなものかと思ってください。  ※視点が一話一話変わる場面もあります。

♡ちょっとエッチなアンソロジー〜合体編〜♡

x頭金x
恋愛
♡ちょっとHなショートショートつめ合わせ♡

処理中です...