七宝物語

戸笠耕一

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第3章 戦い開始

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「王の名のもとに、と言ったな?」
 ふと声がした。盗みに入った二人の男でも、彼らを取り囲む兵たちの声ではない。
 兵たちは背後を見渡した。確かに声がしたが、主がいない。
「誰だ?」
「どこの王の宣旨により民を殺そうとする?」
 声は続いた。低く、底知れぬ怒りを潜んでいるかのようで、兵たちの心を恐怖に染め上げる。
「どこにいる!」
「ここだ」
 シュンという音が聞こえると同時に兵の一人が叫んで、消失した。残された兵たちは動揺する。敵の正体がつかめない。
「どこを見ている?」
 男はスッとどこからともなく現れた。
「貴様!」
 残った兵が立て続けに刀で男に切りかかり、男を斬撃が襲う。
 奇怪なことが起こる。ううと、傷を受けて苦しむべき者は、至って普通だった。攻撃を受けて苦しみ出したのは男ではなく兵たちだった。
「ぬ……馬鹿な」
 彼らが最後に見たのは、男の周りを囲む影だった。
「お前らは、自分たちの影を斬った。影は本体と同じ動きをするからな。自分で自分を斬ったわけだ」
 鍛え上げた自身の剣技を食らい、兵たちは絶命した。
 残った二人の男たちは自然と一人の謎の男から身を引いた。
「安心しなさい。私は敵ではない」
 怖気づく二人の男に、彼は静かな声で話しかける。
「一体あなたは?」
 つかの間の沈黙の後に、四十の男が問いかけた。その声は裏返り、いまだに恐怖を払しょくできずにいた。
「論ずるより、まあこれを見ればわかるか? 私がどういう者か?」
 男が彼らに突き出したそれは、一メートルに満たない杖だった。色は紫色。固い鉱物で出来ている。
 彼らは目を凝らしてそれを見た。やがて彼らの顔は驚愕の色を浮かべる。
 それは都でよく目にしたことがある。だがすべては模造品だ。素材は安いものであれば些末な木片で、高いものでも鉄や銅を素材としている。
 本物は、木でも鉄でも銅でもない。それはヒスイで出来ている。
 それを手に所持できるのは、聖女を除けば、最高の地位に立つ存在以外あり得ない。
 二人はヘタリと地に足を付け、頭を垂れた。
「何も、何も、へりくだることはないだろう? 王が困っている民を救うのは当然のことだ」
「このような大恩、一生涯忘れませぬ」
「気にするな」
「お、恐れながら。私のような身分の低き者がお願いするのは誠に、誠に勝手ではありますが……」
「私の名は流星だ。よく覚えておくといい」
「はは!」
「ん? なんだ、話がありそうだな?」
「我らもともとは南都より東の地で農業を生業としておりました。私は正兼と申します。こっちは倅の正幸にございます。これでも名の知れた地主で、多くの小作人を抱えておりました。都へは、よく自慢のコメを売り先代の王様に拝謁したこともございます」
 正兼はまるで過去の栄華を名残惜しむような口調で話し始めた。自分の思いを、無礼を承知でありながら、聞いてもらいたいという意思があった。
「それで?」
「はは、毎年良いコメを売りこの国の五穀豊穣を祈るのが、わたくし共の夢でありました……しかし、それも遠い夢でございます。今はかの火の敵により、一介の奴隷に親子もろとも身をやつし、盗人と同じ生活を送っており……」
 正兼は、とたんに口を閉ざし、むせび泣く。すべてを失った老人の、もの悲しい嗚咽が紅に染まり上げた閑散とした都に粛々と響いていた。
「一つ聞きたいことがある。お前たち生れた街はどこだ?」
「東のはずれの、邦楼観でございます」
「ほう、邦楼観か。なるほど」
 流星の問いに答えたのは息子の方だ。彼は片膝を地面につきじっと視線を下に向ける。顔はきりっと際立ち、太い眉は少しも揺るがず、それが本人の親への献身さや真面目さを表していた。
「私は、亮梅だ。冬と春の合間に咲く梅が懐かしい。どうやら我らは共通の敵を持つ同志のようだな」
「滅相もないことにございます」
「気にするな。私は現在義勇兵を集めている。お前たちのように愛する友や家族のために戦える兵が私には必要だ」
「は」
「よければ、私に力を貸してはくれないか?」
 二人は突然の提案に目を合わせた。彼らは農家だ。まともに武器も取ったこともない。
「お、恐れながら。我々には戦いようにも武器がございませぬ。それに経験もございません」
「剣も槍も弓矢の作法も知れないと申すか?」
「はい。我ら手に持つものと言えば鍬のみでございます」
「何も気にすることはない。武器など持たず、お前たちのように土地を耕す道具を持つのが普通だ。だが剣の作法なら私が教えてやろう。時間はないが、武術に精通した者ならすでに幾名かそろっている。何より最大の武器は、国を愛する魂だ。敵が来たとき、一致団結する力。これを失ったら国は亡ぶ。しかし国民は圧政に苦しめられているが、国を愛する気持ちはある、お前たちのように。私は王だ、王たるもの国民の保護者として力を貸すのは当然だ」
「で、では……我らに力を――力を与えてくださると?」
 与える、と彼は言い切った。そこには迷いはなく流星の瞳は透き通っている。汚れのない存在を、二人は改めて拝んだ。
 新王が到来した。この国は悪逆非道な者から救われ息を吹き返すかもしれない。そうなれば、必ずや大地を耕し、都に自分たちのコメを届けることができる、彼らの目は希望を取り戻しつつある。
「ですが、我々のような者へ本当に力を与えてくださったとしてお役に立つことができますでしょうか?」
「先ほど言ったはずだ。我々は孤立した一人ではない。すでに同志はいるのだ。なにより王が立っている。少しずつでも反撃の狼煙を上げようと準備は始めっている。敵は今聖都を攻撃しているが、一兵たりとも聖都の内に入れずにいる。十万を超える大軍だが、補給は少なく、いずれは飢えに苦しみことになる。この国の烈王軍はわずかばかり。我ら民と王が協力すれば挫くことは可能だ」
 流星は、一度戦いで敗れた無念を押し殺し、自信に満ちた口調で二人を説得した。王が、先導を行く者が揺らぐことなどあり得ない。それがどんな結果を招くかはよくわかっていた。私怨にとらわれず、連携し合うことが勝利への道なのだ。
 二人は流星に付き従うことになった。また同志ができた。数はそろった。多くの民を集めた。まずは我らが土地を取り戻す。復讐はそこから始まる。
 
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